(「現代英語教育」,1992年9月号)
(電子ブックとの出会い)
1990年7月にソニーから発売された電子ブックは注目されていたCD-ROMを低価格帯で提供し、今までに無い出版メディアを提案しました。同時に発売された低価格ソフト(電子ブックと呼ぶ)とあいまって現在では累計-8万台を越えるヒット商品になったようです。
CD-ROMとはCD(あの音楽用CDと同じ)を使って、読み込みだけできる出版メディアです。この長所はなんといってもその莫大な記憶容量です。500メガバイトなどという、いわばお金なら何百億円という単位で、-般庶民にはなかなかその大きさが理解できない量です。このため、すでにOEDが収められたCD、シェイクスピア全作品を収めたCD、さらに百科事典の全項目のみならず図版まで含んだCDなど、興味深いCDソフトが存在しています。
私は発売直後から電子ブックに興味がありましたが、店頭で触って次の点で購入を踏みとどまりました。
1)表示部分が狭くて全体像がつかみにくい。2)入力キーが小さくて扱いにくい。
3)他の文書に容易には利用できない。
4)検索方法が限られていて、考えていたより柔軟性がない。
ところが昨年暮れ、パソコン用ハード(データディスクマン)が発売されました。この機械(DD-DR1(ソニー):\48,000)とソフト(Quick Pop-98(ハル研究所:|12,000)と電子ブック(例えば『現代用語の基礎知識』(自由国民社)(\3,950)『新英和・和英中辞典』(研究杜)(\6,200)『大辞林』(三省堂)(\8,800))があれば、パソコン用CD-ROMの何分の1かの投資で、今までには味わえなかった辞書との付き合いが体験できます。
今までの紙の辞書ではアルファベット(または「あいうえお」)順に並んだ単語を引くことが唯-効果的な辞書の引きかた(これを電子ブックでは「前方-致(検索)」(前の方が-致した語を検索する方法)と呼んでいます)でしたが、電子ブックではその他に後方-致(後ろの数文字が-致している)と条件検索(複数の項目を含むある語を探す)という検索-方法があります。もちろん曖昧な記憶でも検索できるとか、単語であれば2文字目がAで5文字目がQの単語、などというクロスワードパズルに最適の検索方法があればよいのですが、そこまでは現状のデータディスクマンでは望めません。
授業でprogeriaという単語に出会いました。「早老病」という訳語がついており、本文に説明がありますが、辞書では簡単には確認できませんでした。progeriaという単語は明らかにどうでもよい単語ですが、「-iaで終わる病名」というのは生徒にとって知っていても良い知識でしょう。さて-iaで終わる病名にはどんな単語があるでしょうか。こんな時「後方-致」検索が威力を発揮します。
-iaで終わる単語は大変な数にのぼるようで『新英和』では290、付属の『ニューセンチュリー』では400をオーバーしています。
pho・bi・a〈名〉〈UC〉恐怖症で始まり、-phobiaだけでもagora-,Anglo-,xeno-,acro-,hydro-,claustro-,と-挙に表示されます。めざす
leu.ke.mu.a(leu-kae-mi-a) dys・tro・phia a-ne-mi・a in・som・ni・a pneu・mo・n
iaといった単語もさることながら、-iaで終わる単語には
dahl.ia ca.mel.lia mag・no.lia a・ca・cia
というように植物名やNa.mib.i.a Co.1om.bi.a Ser・bi・a In・di・aと国名が多いことにも気がつきます。『日本語逆引き辞典』といった辞典もあり好評を博しているようですが、電子ブックを広げれば労せずしていろいろな逆引き辞典を手にすることができます。
条件検索とは英和辞典ならば、ある単語とある単語を含んだ例文を見つけるというものです。必ずしも複数の条件を必要としませんから、ある単語を含んだ例文を辞書から抜き出すという、既存の辞書の引きかたでは不可能であったことが可能になりました。
たとえば、最近happyの語感に興味を持っています。辞書の中ではどのような文脈でどのくらいの例文がhappyを含んでいるのでしょうか。早速条件検索でhappyを検索します。
CD-ROMとパソコンの接続方式のため、通常のワープロで漢字を引くように瞬時には検索されませんが、しばらく(5秒ぐらい)すると84件のhappyを含んだ英文の一部が表示されます。
They atounted them se1ves happy.彼らは自分たちが幸福であると思っていた
Very many happy returns of the day, and all
that.どうか幾久しく《★誕生日、祝日のあいさつ》。
というようにhappyを含んだ例文を検索できます。happyの項をひいて例文を見るのはもちろんのことですが、関係のない辞書内の例文全てからある特定の語を含んだ例文を選びだしてくる、という引きかたは少なくとも紙の辞書では簡単には実現できなかった検索のしかたです。文字どおり辞書の骨までしゃぶり尽くすような使い方ができるわけです。
「データの有効利用」という面では、電子ブックは新たな問題を投げかけています。今までも貴重な文献がコピーにとられて二次利用されることが問題視されていましたが、電子情報である電子ブックの内容はコピー機を利用することなく、完全な形で自分の文書に取り組むことが可能になりました。
このようなデータの利用のされかたは著作権と著しく対立するものですから、今後とも利用者、著作権者が満足いくような方向を模索すべきでしよう。
暫定的に、例えば、付属のソフトでは「このソフトは個人の使用に限っているので無断の転載複写を禁止する」旨の表示がなされています。
また、電子ブックによっては印刷やファイルを変換することを制限している電子ブックもあります。さらに一般の電子ブックでも無制限に取り出すことが煩雑になるようにソフトが制限を加えています。
電子ブックを100パーセント使いこなすとなれば、当該の項目を自由に複写、利用することが不可欠です。例えば、私は現在、エディターという簡易文書作成ソフトを使用し、この文書を書いていますが、同時に必要があれば、電子ブックを広げて、項目を引いたり、場合によっては引用しています。1.の項目で扱った辞書の項員は全でそのような手順で引用したものです。
Pop-98という別売のソフトとVz-Editorという文書編集ソフトを使用すると、図1のように必要なときに電子ブックを開いて、必要な箇所を切り取って、現在作成中の文書に張り付けることが可能です。
英語も3年の授業になると、一教師の頭の中では整理しきれないほど多岐にわたって細かい表現に言及しなけんばならない時もあります。
3年UCの1時間目は連語のまとめでした。名詞を含んだ連語がいくつもとりあげられ、マニュアルにもa bunch of flowers, a bund1e of sticks, a
swarm of bees…と列挙されています。当然この表現だけでは不十分ですから、もう少しきちんとした英文で、しかも当該の名詞の部分を空所にしたプリントを作成して、生徒に与えることにしました。今までの方法ならば、机の上に
辞書を広げ、ひいてはワープロに打ち込む(英文も、場合によっては訳例も)という作業になります。電子ブックを使用する場合には、
@作成中の文書から電子ブックを開く。
A「前方一致」検索で当該の名詞をひく。
B必要な例文と訳例を切り取る。
C編集中の文書に張り付ける。
D空所を作ったり、余分な情報を削る。
以上の作業を繰り返すことになります。このメリットは特に日本語を入力するというもっとも労力が求められる部分が軽減できることです。欠点は現状の電子ブック全体に言えることですが、使用できる辞書が極端に制限されてしまうことです。よく引用するLDCEやOALDの電子ブックの登場が待たれるところです。
英語教師は何でも屋です。ある時は歴史家、ある時は愛を語る詩人、ある時は原発問題に言及する科学者と課ごとにその顔は変化します。英語教師が背景知識に食欲であるべきことは必須条件です。
さて最近ではマニュアルでも背景的な説明が充実しています。それ以外にも様々な文献にあたったりそろえたりしていることでしょう。私の机上にも『日本語大辞典』やら『イミダス』が立てかけてあり、そうした置き方のできないThe Random House Encyclopedia,,3rd Editionはカラーボックスの上にどっと横になっています。
こうした辞典の欠点は引こうという気持ちになるまでに結構な意志が必要なことです。机の上はすぐに占領されますし、びいた内容をどこかに写そうと思うと大変なことになります。さらに『現代用語の基礎知識』などはさまざまな形で索引が設けられて、使用者が目的の項目にたどり着けるように工夫がなされていますが、それでも分野によっては当該の項目を見つけられないままに終わってしまうこともあります。
『現代用語の基礎知識』や『大辞林』が電子ブックで紙のものとあまり変わらない価格で発売されています。こうした辞書を使えば、ある項目についての一定の背景知識をまとめた補助プリントが比較的容易に作成できます。
UIBの第1課はアイルランドでした。アイルランドという比較的生徒にとっては馴染みの薄い(アイスランドと間違える者多数!)国の紹介ですが、格調高い英文では聖パトリックから始まってケネディ、グレース・ケリー、ジェームス・ディーンまで紹介されます。IRAは避けて通れない項目です。
例えば条件検索で『現代用語の基礎知識』の「アイルランド」をひきますと、
◆国連中米監視団(0NUCA)〔国連問題用語〕
1989年11月7日の安全保障理事会決議により設置された国連軍事監視団。コスタリカ、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグアの中米5ヵ国間で87年に結ばれた和平協定の遵守を検証することを目的としている。0NUCAは5ヵ所の連絡事務所と5ヵ国にまたがる10ヵ所の検間所を設定、コロンビア、アイルランド、ベネズエラなどからの100名の軍事監視員が展開し、停戦と反政府運動の解体などの監視にあたる。
という予期もしない項目から始まり15項目が選択されます。この項目を概観すれば、いままであっちのぺ一ジ、こっちのぺ一ジと渡り歩いたことをほんのわずかの時間に、それも既存の検索方法では漏れていたような項目まで含んでアイルランドを取り巻く鳥瞰的な情報を手にすることができます。
さらに特に関係の深い項目をピックアップしてワープロで整理、整形すればちょっとした補助プリントが作成でき、アイルランドの理解も進むでしょう。また次のような項目が出てくれば、電子ブックの威力を実感せずにはいられません。
◆ジミー風〔外来語・略語〕ジェームス・ディーン風。リーゼントの髪に皮ジャン、黒いジーンズ、黒のサングラスをつける。
◆ケリー・バッグ(Kellybag)〔ファッション・流行用語〕馬具の老舗エルメスが出しているクラシック・バソグ。モナコ王妃だったグレース・ケリーが妊娠の時、このバッグで前を隠した写真を撮られたところから、ニック・ネームになった。
今まで高嶺の花であった全く新しい情報媒体であるCD-ROMがハード、ソフトとも常識を打ち破る手頃な価格で提供されたことは評価に値します。しかし、残念ながらこの分野の常として未成熟な部分も多いことも事実です。日本で発売されているソフトでもパソコン用DD-DR1では正常に作動しないソフトがあることが判明しています。昨年末新聞に大きな宣伝が登場した海外のソフト(全35タイトル、\28,600)には800万項目以上を含む『コンプトン大百科事典』やシェイクスピアやシャーロック・ホームズなど全作品を収録した『電子図書館第1巻』もあり、我々英語教師には興味が尽きませんが.パソコン用ソフトには未対応、前述したような使い方ができるめどはたっていません。
一方、この機器の導入で私の机上からは場所取りの「現代用語集」と「日本語大辞典」が姿を消しました。辞書の数に変化はあまりありませんが、頻繁に使うことのない分厚い辞典類を追放するという意味では効果がありました。さらに、辞典、辞書から、手を煩わすことなく必要な部分を容易に作成したいプリント、文書に引用できることになりました。CD-ROMの登場なくして考えられな'かったことです。
いつの目か使用者の要望でソフトをあつらえてもらえるようになれば我々の机の上も一変するでしょう。現在のCD-ROMでも辞書20冊分くらいの容量はあります。従って、別々に購入した辞書を持って業者のところへ行き1枚のCD-ROMに自分がよく使う辞書を詰め込んでもらうのです。そうすれば辞書の出し入れまではぶけ、さらに机の上が気がついたら辞書の山、といった事態はなくなるでしょう。
CD-ROMは既存のメデイアの存在、価値、価格体系の根本を揺るがす衝撃的な存在です。さらに我々の日常の活動をダイナミックに変革する潜在能力も有しているのです.そして、その一部は現在でもわずかな投資で実現可能なのです。