誌上ディベート「全ての高校1年生は電子辞書を携行すべし」

桐原書店からあらたに出版された「ロングマン英和辞典」の発売に際して,企画された「紙の辞書の有用性」特集のための雑文です。

この本を書くためにあらたにカシオの電子辞書を購入。電子辞書 vs. 書籍辞書のディベート書いたものです。

残念ながらこの冊子(おそらく無料で配布する販促用パンフレット)の企画自体が消滅したようで,公開されることはありませんでした。

肯定側

否定側

立論

立論

反駁

反駁

1.肯定側立論

 現在すでに紙の辞書か電子辞書かという議論には決着がついております。電子辞書の持つ特質は紙の辞書を凌駕し,現在の高校生が電子辞書を十分に活用できる機会を与えるのは私たち英語教師の義務なのです。高校1年次から全ての生徒に電子辞書利用をさせるべきです。

 電子辞書を推進する主な理由は次の4点です。

 第1に検索速度の劇的な速さです。

 検索速度が速いことには疑問の余地がないでしょう。キーボードにアルファベットを入力するだけで,目的の語に直行します。さらに最近の機種では,アルファベットを1文字ずつ入力する毎に単語を絞っていくインクリメント・サーチ(incremental search)によって,最初の数文字を入力するだけでも目的の語にたどり着くことが可能です。この速さは生徒に辞書を引くという動作に対する負荷を大幅に軽減し,辞書をすぐ引ける→面倒でないから頻繁に引く→頻繁に引くから辞書を活用する,という好循環が生まれます。生徒と辞書を近づける最良の道具が電子辞書なのです。

 第2にその省スペースと携帯性です。

 ご存じのようのに高校生用電子辞書といえども10数冊,場合によっては50数冊のコンテンツを含む内容がわずかハガキ大の機械におさめられているのです。英和辞典1冊でも貴重な机のスペースをかなりとるのに,英和・和英・国語・古語・漢和といった辞書を含む電子辞書はそれより少ないスペースしかとらず,さらにページを広げるということがないので,学習の妨げにならず,高校生の学習効率を上げています。

 第3に第1と第2の理由を融合した,多様な検索方法です。

 現在の主流の機種では,複数の辞書を横断的に検索する。ある特定の語を含む用例・例文を一括して検索する。ある語の一部,あるいは1字が不明な場合に”?”といった記号を用いて検索するワイルドカード検索などによって,紙の辞書では一生涯かかってもできなかったような検索が瞬時にできます。これにより,作文,読解が効率化し,速く,正確に英文を書くことができるようになります。

 第4に発音記号の駆逐です。

 これまで私たち英語教師は高校初学年において発音記号を教えなければなりませんでした。通例短期間で教えるために定着率は悪く,3年生になっても発音記号を読めない生徒が続出していました。音声機能を備えた電子辞書の誕生によりそのような効率の悪い学習をする必要がなくなりました。これからは,単語の発音を確認したかったら電子辞書の「音声」ボタンを押せばいいのです。もともと音声を文字で表すという不自然なことを強いていたのは簡便に音声を再生する方法がなかったからです。私たち英語教師もそして英語学習者も発音記号の呪縛からとうとう解き放たれたのです。

 以上4点,検索速度の圧倒的速さ,圧倒的な省スペース,多様な検索方法,音声機能により,全ての高校生は電子辞書のみを使用すべきだと考えます。

.否定側立論

 私たち否定側は高校1年生の辞書使用は禁止すべきだと考えます。近年の電子辞書の教室への急激な普及ぶりは目を覆うばかりです。私たち教師は生徒に学習の本来の姿,向かうべき方向を示さなければなりません。単に電子辞書が1)速い! 2)軽い! 3)便利!からといってこれに迎合して電子辞書の利用を推進するのは教師としての使命を忘れた暴挙といってもいいものです。

電子辞書のもたらす弊害を3点示します。

第1に電子辞書の利用は学習の基礎的素養を身につける機会を奪います。

 現在,生徒の辞書を利用する機会は国語辞典,古語辞典,英和辞典が種ですが,このうち最も頻度が多いのは英和辞典です。すなわち生徒は英和辞典の使用を通じて辞書の基本的な扱いを身につけているのです。中学段階で英和辞典を引く必要がなくなってかなりの歳月が過ぎています。小学生の国語辞書指導も時間的な余裕もなく十分とは言えません。これに比べて生徒が英和辞典に向き合う時間は圧倒的に長く,本格的に辞書に取り組むのは高校1年の時が初めてなのです。この大切な時期にずしりと重さを感じる辞典を使ってじっくりと辞書を読むという行為を教えずにいつ辞書と真正面に向き合わせることができるのでしょうか。辞書は単に意味が分かればいいというものではありません。様々な情報が盛り込まれています。その情報の読み取りをするにはピンポイントに目的の語義しか示さない電子辞書は不向きです。見返しの世界地図,数ページごとに出てくるイラストといった何気ない情報が生徒を知の世界へと誘うのです。このような一見無駄に見える情報を一切みせない電子辞書は実用一辺倒でおおよそ教育の場である教室にはそぐいません。

第2に便利さは学習成果に波及効果を及ぼさない,ということが上げられます。

 算数の宿題をするのに電卓をす勧める教師や親がいるでしょうか?作文を書くのに原稿用紙に書かずにワープロ使用を勧める親や教師がいるでしょうか?学習段階にはそれぞれ必要に応じた習得すべき技能があります。紙の辞書を引くというプロセスはまず引くべき単語をよく見て,引くべき単語の綴りを頭の中に保持し,目的の語義・用法にたどり着くまでに,テキストと辞書を見比べ,おおよその意味を類推するといった手間はかかりますが,思考過程を経ます。この労力こそが学習の過程なのです。この基本的な態度を養わずしてただ,便利だ,速い,ということで電子辞書を推進することがあれば,それは,生徒の学ぶべき態度を身につけさせるという一番大切なものを放棄しているとしか考えられません。

 すでに電子辞書の簡便性と検索の即時性の故に例えば指名されてから辞書を引き始めるなどといったことまで可能になり,予習時間が激減しています。開いた時間を他の英語の学習にあてられる,というのは理想論であって,単に学習時間が減るだけなのです。また,一つの単語とじっくりと向き合うことがないため,単語の学習,定着率の低下,文脈から意味を類推するという思考過程を経ずにすぐに電子辞書に頼る,など即物的な学習態度が蔓延しつつあります。すなわち電子辞書の存在は生徒の学力向上につながらないばかりか,思考力の欠如した生徒を輩出する一因を形成しているのです。

第3に辞書文化の保全です。

電子辞書推進派の人は,現在販売されている電子辞書の英和・和英のコンテンツがほぼ寡占状態にあるという事実に目をつぶっています。生徒の学習発達段階や様々な個性を持った辞書が存在するのに,電子辞書についてはその収録されている辞書については自明のこととして,なんら問題がないかのように扱っています。中学生に電子辞書を使わせるという「活用例」で,この標準的な辞書が利用されているの見て目を疑いました。

【証拠資料】

「200年度版電子辞書を使った効果的指導法」(日本英語教育協会,2005)によれば,中学からのレポート7本はすべてカシオの電子辞書を使用。使われた英和辞典はジーニアス英和辞典,英英辞典はロングマン現代アメリカ辞典などです。

 これまで個性を持った様々な学習段階用に編纂された辞書があったのに,このような貴重な学習辞書が絶滅の危機に瀕しているのです。せめて,高校1年の段階では,高校1年にふさわしい,また,個々の高校の状況に応じた学習辞書が採用されるべきで,電子辞書の一括採用はこのような辞書文化を消滅の危機にさらしているのです。辞書を愛し,英語を愛する英語教師はこのような暴挙に荷担してはなりません。

 以上,本来の学習の意義を危うくし,本来あるべき学習態度を涵養することにも役立たず,豊かな辞書文化を消滅に危機にさらす電子辞書導入には断固反対します。

3.肯定側反駁

 否定側は電子辞書は生徒が本来学ぶべき辞書利用の態度を身につけさせない,と申しましたが,現在でも中学ではほとんど,高校生でも辞書を全く引かない生徒がかなりいます。電子辞書導入によって辞書をひく頻度が増えたという報告が各地からなされております。辞書を持ってこない→引かない→英語嫌いになる,といった悪循環から脱却するには電子辞書は有用です。

 電子辞書は単に紙の辞書を電子情報にしたものではありません。引いた単語を記録するヒストリー機能,自分の単語帳を構築する「単語帳」,機種によりますが,教科書全文を電子辞書に取り込んで読むこともできるのです。さらに,英語の授業といえども世界史,地理,科学など様々な情報,あるいは日本語や漢字まで確認する必要があります。こうした情報全てを装備した電子辞書が否定側が言うような学習効果を阻害しているとはとうてい考えられません。電子辞書が教室へ持ち込まれることで,授業が活性化することはあっても,学習を阻害するなどということはありえないことです。

 否定側は辞書文化が消滅すると申しましたが,現在,様々な電子辞書が多様な学習者を対象に多様なコンテンツを搭載してその特徴を競っています。また,必要とあればあらたな辞書の搭載も可能な機種も登場しています。むしろこれまで日の目を見なかったような辞書が電子辞書に搭載されることによって生き返った事実を評価すべきです。漢和,和英,国語といった辞書はこれまで生徒に頻繁に引かれることはありませんでした。ましてや一般の高校生が引くことがなかった広辞苑のような大分な辞書が日常的に使用されているという事実のほうが重いのです。

 否定側のあげた3点がいずれも私たちの論点を越えるものでないことは明らかです。

 さらに電子辞書の教室での使用に消極的なのは教師の側の勝手な事情によるのも一因です。従来から英語教師は単なる語学教師だけでなく,高校上級となれば様々な分野のプチ知識が求められていました。フランス革命や産業革命,古代文明,現在の政治・経済など背景知識が必要です。ところが電子辞書が教室へ入り込むことによって,そういった英語教師の断片的な知識では電子辞書の提供する百科的記述に追いつけなくなりました。教師の怪しい発言がすぐに電子辞書によって確認されるという教師の威厳の失墜につながりかねない状況も生まれています。電子辞書導入に反対する人はそのように自分の教授内容に自信のない人だと考えられます。

 繰り返し主張します。現在,内容の充実した,そして簡便・効率性に優れた電子辞書導入を拒む理由は存在していないのです。

4.否定側反駁

 肯定側の利点を突き詰めていくと,知の体系である辞書は必要がないということになります。もともと電子辞書は旅行に例えれば目的の語に直行する周りの景色をみない特急型旅行です。旅行の楽しみには単に目的地に速く到着することではなく,各駅停車で,その土地,その土地の空気を吸い,ゆっくりと目的地に到着することだってあるのです。その旅行の楽しみを教えるのは我々教師の責任です。ただ,速く情報を引き出すことを教えるのは公教育の役目ではありません。

 肯定側の指摘する電子辞書の利点の究極の形は携帯電話です。パケットを無制限に利用できる携帯電話でインターネットを利用すれば,様々な辞書ばかりか百科事典も及ばない情報にアクセスすることができます。生徒は携帯電話と電子辞書の二つを携行することなく,胸ポケットに入る携帯電話1台でいいのです。それこそ省スペースです。ネット上の辞書は絶えず更新されるでしょうから,最新の辞書をそれも複数利用できます。すでに携帯電話で単語を引いている生徒の例も報告されています。それでいいのでしょうか?

 辞書のコンテンツを足せると肯定側はいいましたが,追加コンテンツの現状の価格,選択肢の少なさを考慮すると現実的ではありません。辞書が寡占状態にある危険性を繰り返し主張します。

【証拠資料】

「先生,中年の男性ってどうしてあんなに汚らしいのですか。」一瞬私は答えられなかった。自分の父親の年齢の男性をそのように見ていることが腹立たしかったが,他方で彼女の意見に共感するところもあったからである。(ベストレクチャー ポイント征服16講)

 

「腹立たしかった」について生徒が書いた作例に次のようなものがありました。

 

It is sore for me that .... /  I sore the girl's seeing ... / I felt sore to know that ... / I felt sore because ...

I'm sored of her point of view ... : This is because I felt sore ...

 

 と立て続けにsoreをキーにした作例に遭遇しました。「腹立たしい= sore」という回路が私にはなかったので,一瞬とまどいましたが,すぐに電子辞書のせいだと分かりました。ずいぶん昔のことですが,やはり英作文の授業で,「日帰りで日光へ行った」といった英作文で複数の生徒が I ran up to Nikko for a day.と書いてきました。私の頭の中では「日帰り」はmake a day's trip to ...とかgo and return in one dayといった定式化した英作文の例だったのでかなりとまどいました。しかし,電子辞書で「日帰り」を引くと,まさしくその英文に出会いました。辞書の用例として採用しているのだからそう表現するのかもしれませんが,私には違和感がありました。

 今回も「腹立たしい」を引くとirritatingに続いてsoreが登場。辞書をよく読めばこのsoreが使えないことは分かりますが,用例がないので,生徒は他の語の用法から類推して,上記のような英文を書いてきました。

 これは辞書指導の不足の例でもありますが,一方で,「腹立たしい」とひいてsoreを提示する辞書にも責任があるように思えます。この辞書がほぼ100%近い電子辞書所有者が利用していると言うことは,紙の辞書の多様さに比べればかなりおかしなことだと思います。 (伊那北高校・池上)

【引用終わり】

 以上のように十分な辞書体験,辞書に関する素養がない高校1年生に電子辞書を使わせることは百害あって一利なし,と断言できます。

 

 以上私たち否定側は,技術の進歩,便利さが真の学力向上につながらないことを指摘し,保守的だと揶揄されようが,教育者としての使命を果たすべく紙の辞書の文化を守り,紙の辞書からの辞書利用を生徒に強制すべきだと考えます。電卓使用の前に九九の暗記や,筆算の練習を十分やるように,どんなに優れたワープロソフトが誕生しようが漢字の書き取り練習を毎日繰り返すように,電子辞書利用の前に紙の辞書に十分習熟することはこれまでと変わらず大切なことだと考えます。

(2007年8月)