欠陥「欠陥英和辞典の研究」の研究
   
1990年に育関係者に配布された上記表題のパンフレット

 研究社辞書編集部への手紙
 ICC出版局編集部への手紙
 私の立場 基本的な問題その1
 基本的な問題その2
 基本的な問題その3
 些細なこと...それでも致命的
 些細なこと...それでも致命的2
 些細なこと...それでも致命的3
 些細なこと...それでも致命的4
 些細なこと...それでも致命的5
 些細なこと...まとめにかえて

研究社辞書編集部への手紙

                                1989111 

研究社辞書編集部殿

                          長野県下伊那郡上郷町飯沼29795 

前略

 先日『欠陥英和辞臭の研究』(副島隆彦 & Dictionary-Busters)(別冊宝島102)(JICC出版局)を購入しました。辞書での例文には興味があったので、どのように扱われているのか見たかったのですが、その内容たるやひどいものでした。こんなひどい本は近年読んだことがありませんでした。これほどひどいとまともに反論する気もなくなり、黙殺するのではないかと思いますが、代々木ゼミナール講師を名乗り)、全国紙にはなばなしく広告を打ち、全国の研究社辞書使用者に、まるで「欠陥辞書」を購入してしまった、というような印象をあたえた責任は重大です。それも理路整然と冷静にちゃんとした研究の成果にたってものを言っているのならともかく、まったくの「独断・偏見・思い込み・こけおどし」です。

 研究社のかたがたもこんなくだらない本に反論するのは大人げない、などと考えずに徹底的に論破してほしいと思います。このような本をそれほど多数の人が購入して、信用してしまうわけではないと思いますが、研究社としてきっちりと全国の英語学習者にわかるかたちで反論して欲しいと心から切望します.

早々 

JICC出版局編集部への手紙

 JICC出版局編集部殿

                                         1989111

  先日(1026)に貴社が新聞(朝日)に大々的に広告を打った『欠陥英和辞典の研究』を購入してこの2,3日、本当に楽しい一時を過ごさせていただきました。貴社がこのような本を出版できることは、「英語教育界」からははずれたところで「あばれんぼう」として自由にふるまえる所産だと思います。いままで貴社の企画された本には『原発大論争』を初め共感できる部分も多く、敬意と親近感を抱いておりました。新聞紙上で同時に広告された『環境読本』も興味のそそられる企画です.しかるにこの書『欠陥英和辞典の研究』は大変なまがいものです。このような本を出版したことによって貴社の英語関係書の信頼は必ず失墜するでしょう。また、そうでなければならないと考えます。私のようなマスコミを通じての声を持たないものとしては大変歯がゆいのですが、この書とこの著者は徹底的にたたかれるべきです。どうして編集者はもっとしっかりチェックをしなかったのでしょうか。

 この本1ぺ一ジ1ぺ一ジに文句があります。この著者が「はったりとこけおどし」だけで英語教育を語り、英語を論じているという印象をもたざるをえません。

 著者の略各歴に偽りがないとすれば、1953年生まれは私と同じ年齢ですから、はっきりとわかりますが、著者が高校1年で手にしたという辞書は『研・中(3)』ではなく第2版です。私が手にした辞書が第2版であったという理由だけでなく、第3版は1971年、すなわち我々が18歳にならねば登場しないからです。このような非常に基本的な、そして、この書では根幹をなすところで誤りをしているということ自体、著者の独善と思い込み、記憶の不確かさを証左するものです。

 それから「オックスフォード大学出版局から『オックスフォード英語大辞典』(通称、O.E.D)から...手紙が届いたといううわさがある。その事態をもみ消すためにか、...例文は即席で「差しかえ」られ...。この話は、東京の大学の英語教師の...公然の秘密である。」(P.20)と書いてありますが、O.E.D.がどのような性質の辞書であり、その例文から学習辞書に役立つ例文を孫引きできるものかどうか、考えてみればわかるとおり、これは開拓社の『新英英大辞典』(通称I.S.E.D.)の記憶違いだと思われます。このように、自分の曖昧な記憶をもとに、かなり強引に結論を導き、断言するという「こけおどし」の態度で全編がつらぬかれており、読むものに不快感と怒りを感じさせます。本当にこの書を「暴露本」「揚げ足取り」「いいがかり」にしたくなかったら、もっと冷静に理路整然と構成すべきでした。このような低級な文章ではこころある人は決して反論を加えることはしないでしょう。残念ながら著者の意図に反して「英語教育者」「辞書編纂関係者」には黙殺されることになるでしょう。「あまりのばかばかしさに」まともに反論するのは著者の品の無さ、レベルの低さに自分自身を下げることになるからです。

 私は個人的には黙殺すべきではないと考えています。予備校講師として高給をとって、自分のこりかたまった英語感を他者に押し付け、そうでないものをあしざまに非難する。このような人が著書という発言権を持って、(何も知らない)受験生・高校生を洗脳し、誤った英語観・人生観を押しつけているという事実は重いと考えます。この本は「紛い物」であると英語教育関係者が声を大にし公言することを期待しております。

私の立場

 私はこの本を広告で見たその日に購入しました。辞書をはじめ、英語学習に現れる例文に疑問を感じ、個人的にも収集していたからです。従って辞書に欠けている点を指摘し、よつよい辞書を目指すという観点には賛成です。辞書に現われる例文を手放しに歓迎し、受け入れるという態度には反対です。研究社に特別の思い入れもありませんし、『ライトハウス』のまずい点を指摘することにも異論はありません。例文は状況がわかり、応用がきき、癖のない文がよいし、そういう例文が辞書という最も簡便に言及できるものに載っていれば文句のないところです。

 結論としてこの本と立場を全く異にし、あくまで研究杜、『ライトハウス』を擁護しようとする立場にはおりません。こういった本の企画自体には賛成なのです。

 

       基本的な問題その1

 基本的な問題点まず、この書全体に流れている論調に、感情的で冷静さを欠いた不適切な表現が満ち満ちていることに反感を覚え、生理的に受け入れられない状態にあります。次のような表現を読んで、こころある人はいかなる気持ちを持つでしょうか。

 

(P.24) 東洋の土人ども

(P.30) この国の優秀な人間たちのランキングでどの程度のレベルか

(p.46) 「状況意味論」とか「認知科学」というのがあるのを知らないのか

(P.54) きわめてインフォーマルな会話か、よっぼどの低学歴の人びと

(P.55) お互いよく分からない同士で知ったかぶりをして...、悲惨としか言いようがない。

(p.82) 英語国民にこんな英語をしゃべったら一発で軽蔑される

(p,83)  この辞書はたいした内容のものではないし

(p.91)  自分勝手な「英作文」の例文を載せる

(P.96) 必ず笑われるだろう

(P.100) ごくふつうの高校英語教師のレベルでも気づくはずである。

(P.103) hotという語の持つ淫靡な語感を知らないで英語学などやってはいけない

(P.105) 何なら私が1年で1冊の現代英和辞典を作ってもよい。

(P.105)  みすぼらしい業界内部で、大学教授の恐るべき薄給を補なうために馴れ合って仕事を分け合っているだけの集団なのである。

(p.108) 研究杜君に説明してあげよう。

(P.109)  一撃のもとにたたきふせてやる。

(p.109) 愚かな誤りを繰り返すのかといえば、

(p.110) 自分たちだけで「できるふり」をするんじゃない.そういう態度だから、こんな無惨な辞書ができてしまったんじゃないか

(P.111) いったいこの辞書の編集者たちは本当に英語学の専門家など呼べるような人たちなのか。

(P.114)  職業名は英語学者だが、能力的にはふつうの日本人でしかない人が、へんてこりんな英文を作文して、無自覚に辞書に載せるなどという作業をやっていると、

 

 ざっと半分のなかにこれだけの中傷、椰楡に満ちた表現があります。冷静になってこれらの日本語を読んでみてください。この著者の人生観とは何か、人格はどのようなものかわかってくるはずです。少なくとも英和辞典を問題にしようとする時に、それとは関係のない「絶対につきあいたくも、関わりも持ちたくない」若者の人生観を読まされることは言葉の暴力と言わざる得ない。編集者はもう一度この本に流れるゆがんだ著者の人生観を検討すべきです。これでは「暴露本」と呼ばれてもしかたありません。

 こういった文章から察するに自分の英語カに対するおそるべき自信、人間を能力・学歴でわけへだてする差別主義、(わけのわからない)外国人の目を価値判断においた偏屈な態度にこりかたまっております。このような方に英語教育を論じる資格があるのでしょうか。

                 

基本的な問題その2

 2つめの基本的な問題点辞書の欠陥を論じる前に著者の人格について論じなければならないところにこの本の一番の問題があります。刺激的、扇動的な表現を削ってもう一度、同企画の本を作ったらどうでしょうか。そうすればいまの3分の1の紙数で現代英和辞書の問題点を論ずることができるでしょう。すなわち、この書がドンキホーテの風車小屋ならぬ著者が勝手に作り上げた研究社、英語学会への無益な攻撃にずいぶんスペ一スをさいているということです。

2に英和辞典はかくあるべきだ、という論点を一方的に設定して、その基準に満たないから駄目だ、といっていますが、英和辞典は英作文辞典の側面もありますが、なによりも自分の出合う英文の未知の表現、語の意味を知ることにあります。そういった表現は当然すぐに会話に生かしていくわけでないのに、すぐに英語表現に結びつけているのは、あまりにも自分勝手ではないでしょうか。     

基本的な問題その3

 

 第3に『ジーニアス』と『ライトハウス』を比較しているようですが、英語を中級者、初学者というように分類したとき、『ジーニアス』は中辞典のランクになります。『ライトハウス』と比較するなら『フレッシュジーニアス』と比較するのが同じ土俵というものです。『ジーニアス』と『ライトハウス』では語数、紙数、値段とも違うレベルと考えるのが常識です。(『ジーニアス』はいい辞書だと思って毎日使用していますが)すなわちこの書の成立ちの基盤がかなり「文科系的な思考回路でなされた」あいまいなものと考えます。

  

些細なこと...それでも致命的

 具体的に指摘された事例もどうも著者が辞書の読み方を知らないのではないか?と思われる点が多々あります。それから、者者はどうも読んだ感じでは「俺は英語がしゃべれる。外人の友達もたくさんいるし、俺ほど外人相手につっこんで英語について話している奴は他にはいないだろう。」式の外国人至上主義が見えかくれしますが、私は外国人の英語感に対して疑問を持つものです。日本に10年もいて、英語を教えていると、ある意味でどうしようもない人が出現すると考えております。すなわち自分がある特定の年代・地域を代表しているだけであること、自分の知っている英語は限られていて、自分の知らない英語や英語表現があることを忘れてしまう人がいるからです。そして、何でも素直にうなずいて聞き入れてくれる日本人を相手に教えていると、自分の英語がすべてだと考える外国人講師が誕生します。去年私の受けた研修でも“I get on a car."とか“I go to school on foot"という表現を何の疑問もいだかずに教えている外国人講師がおりました。日本で10年以上英語を教えた外国人講師の言うことは多少疑問をもって聞いた方がよいというのが私の考えです。 

 そういう意味で

(p.54) X I have never gone to Australia. 

には驚きました。これは著者が馬鹿にしている『英語教育』クエスチョンボックスで何回にもわたる検証があり、I have goneも経験に使われる、という結論にいたったものです。すなわち、I have beenの意味で使われている用例がそれこそくさるほど集められたのです。さらに『ジーニアス』にも

(P.728) have gone () […へ]行ったことがある[to]:Has he gone to China?...()彼は中国へ行ったことがあるか...((everがつけば()()ともに「行ったことがあるか」の意...))

 という記述があります。詳細に辞書を比較検討した著者らに、この記述が目にとまらなかったのでしょうか。わたしはこの1項目だけで、もう充分というくらいこの本が適当に編まれたという印象を持ってしまいました。もっといわせてもらえば、I have gonehave beenは同じ意味では使えないということを私たちに理解させようとしてきた...」のは日本の英語教師でなく、「おまえのことだろう」などと品のないことを言いたくなってしまいます。

些細なこと...それでも致命的2

(P.128)sand  numberless as the sands of the seaこれに対して、「日本の文化と古典芸能が、直でそのまま外国でも通じるはずだなどと思うのか...英語ではない。自分勝手な造語をするでない。」と断言しております。なかなか自信たっぷりですから、私はこの表現は『ライトハウス』しか採用しておらず、『ライトハウス』の著者が作ったものだと解釈しました。ところが、者者も私も大好きな『ジーニアス』にも

 (p.1479)(as)numberless as the sands of the sea浜の真砂(まさご)のように数多くの

 とあるではないですか。この他の辞書にもこの表現が載っています。そうすると少なくとも『ライトハウス』の編集者の造語でないことは明らかです。それをこのように決めつけて他の辞書を参照することもなく、ずさんな態度で「30数冊の辞書と比較した」などとよく書けるものです。これを「こけおどし」といわずしてなんというのでしょうか。

ついでにRoget's Thesaurus101 NUMEROUSNESS

"NUMEROUS AS THE SANDS"

 という表現をどう受け取るのでしょうか。この一事に「他の辞書と本当に精緻に比較検討したのか」という疑問と、造語と判断する語感の不確かさを見ることができます。

 確かにこの表現を英米の辞書に見ることはないようです。日本の辞書はと言えばあの『熟語本位英和中辞典』(岩波書店)から全部の辞書に載っています。このことは問題と言えます。しかし、それを研究社だけに押しつけるのは、「初めに研究社たたきあり」という文春の社会党たたきのようで、
「それはないでしょう」という気分になります。だいたい
30数冊(日本のものならすべて)に出ている表現を研究杜独自のものだと断言するような、著者をどうやって信用したらよいのでしょうか。

些細なこと...それでも致命的3

 (P.90) They were anxious lest it (should) rain)

...私はこんなコトバをふつうの英文の中で見たことがない。

  これにも驚きました。著者は他の部分で「私は英文をいやというほど読んでいる」式の自己主張をしているが、lestの語句を使った英文を見たことがない、というような読書体験と言うのはいったいいかほどのものだろうか。私は少なくともlestをつかった英文を見たことがある。別にTIMEという名前を出せば水戸黄門の印籠のような効果があるとは思わないが、つい最近もTIMEの記事で見て、「やはり使われるものだなあ」と感心したばかりである。とすれば、TIMEのような記事も読んでいない著者が自分の狭い体験から「こんなコトバ」などという強引な結論を導きだしているが、いったい何ほどの語学力がこの著者にあるのか根本的な疑問をもってしまう。すなわち、全般にわたり、かなり狭い見識でしか物を見ていないとしか、言いようがない。「lestをつかった現代の英文を提示せよ」と呼びかけてみれば、すぐに山ほどの例文が集まるでしょう。すなわち辞書にlestの語義、用法の説明は、例文の良しあしは別として、絶対必要なのです。辞書に載っているからといってすぐにそれが会話で使えるほど、我々は応用力と吸収力を有していません。

 I took my umbrella lest it (should) rain)
Make a note of it lest you (should[may, might]) forget.

(2例とも『フレシュジーニアス』)

I obeyed her lest she should be angry.
I'll be kind to her lest she decide to leave me.

(2例ともLDCE)

  こういった辞書の例文にはなんとコメントするのだろうか。要するに『ライトハウス』に目標を定めて攻撃しようとしても、それは少なくともからぶりで他の辞書に及んでいるということです。「いちばん売れている辞書を攻撃」というキャッチフレーズはよかったが、『ライトハウス』固有の問題に絞りきれなかったことに最大の過ちがあると考えます。このような攻撃で全体を信じようとしてもどだい無理なことです。

些細なこと...それでも致命的4

 

(P.88)an old Irish air

 

 この書で△をつけたものは「そういう意味は存在するが、古くて使いものにならない。こんなものの使い方を提示する必要はない。」という論点からである。英和辞典は「英作文辞典」ではないのですから、未知の表現があってその意味・語義を知ることも重要な働きの一つです。airsongの意味は中英語(ME)であると断言されていますが、

air:5.that part of a piece of music that is easily recognized and remembered: tune(LDCE)
air:5.[C](music, dated) tune, melody (OALO)
air:7.()()調べ、旋律(tune);歌曲、...:o1d Turkish airs 古いトルコの曲(『ジーニアス』)

 

 という記述にも触れるべきです。でなければ『ライトハウス』だけがとりあげたきわめてまれな記述と受け取られますが、そうではないのですから。airtuneの意味を入れるのは、例えば吹奏楽をしている子供が楽譜のタイトル中にairを目にし辞書を引くこともあるからです。そういう使い方に目をつむり、「こんなの古い」「こんなの使わない」という理由だけで削除を求めるのは、独断で視野が狭いと言わざるをえません。この類は全体に言えることです。 

 

些細なこと...それでも致命的5 

(p.133)X the scoff of the world

 この『ライトハウス』の例文は、他の6,7冊の英語辞典を調べても見あたらない。きっと研究社が勝手に造文したのだろう。意味不明のコトバとしか言いようがない。この表現は他の『英和辞典』には出ているので、英語辞典とは英英辞典と推察しました。(他の英和辞典に出ているということは、研究社の造文でないことは明らかですが)

 Jim is the scoff of the Wor1d.
ジムは世間の笑いものになっている。

(『グローバル英和辞典』三省堂)

 他のどの英和辞典でも確認できる。著者はLOCEにあたったと書いています。0ALD(0xford Advanced Learner's Dictionary of Current English)をきっと確認されたと思います。とすれば次のような記述をどのように解釈したのでしょうか。

 

scoff:2.[(the)S]:  Ideas which were the scoff of the scientific world.(LDCE P.994)
scoff:2..1aughing stock:  He was the scoff of the town.(0ALD P.775)

 

 私はこのような説明からYou are the scoff of the English Education world.

という英文は成り立つと考えます。それを知らない外国人講師はその程度の英語カだと解釈するのが妥当でしょう。要するにまともに英英辞典も読めない状態で英和辞典の文句を言っているような印象を強く受けるわけです。確かに日本の英和辞典が“the scoff of the world"を、まるで初めからある熟語のように提示していることには問題があります。これを熟語と解釈して受験生に穴埋めを迫るようなことがあれば大変な問題です。しかし、私には“the scoff of the world""the scoff of the town""the scoff of the scientific world"の表現は全く異質であるから、“the scoff of the World"は間違いだ、と断言する勇気も度胸もありません。それほど自分の語感に自信も信頼も置いていないのです。ましてやイギリスの用意周到に作られた記述に対してこんなの間違いで、“laughing stock"という、などと断言する「こけおどし」はできません。

些細なこと...まとめにかえて

 

 要するに最初に“DICTIONARY BUSTERS"ありき、そのために壮大な作文をしたのが、この本だと言えます。「20%は誤例文だ」と豪語するこの本の「半分ははったりだ」と言っても過言ではないと思います。例文の間違いと指摘した中には啓発される部分もありました。そういう鋭い指摘をしているのに、一方でろくに辞書を参照しなかったり、自分の語感だけに頼った強引な結論付けがあることは誠にもって残念です。さらに本書全般にちりばめられた攻撃的なアジ文はいったい何をめざしているのかわかりかねます。喧嘩を売るなら売るで、憶測や探測だけで勝手に敵を想定し、激烈に攻撃するような愚かな行為をするべきではありません。ドンキホーテの巨大な敵が風車でしかなかったように、著者の敵と目している研究社、英語学会は実体のないものかもしれません。だとしたら、これは茶番です。予備校の生徒ならこの独善を歓迎するでしょうが、残念ながらこれほどに「こけおどし」に満ちている本に対してまともに反論を加える人はいないと思います。それをとりあげて、「俺がこんなに書いたのに誰も反論しないじゃないか」などと考えたとしたらそれこそ救いようのない方だと思われます。これまで私の書いたことを無視することなく「こせこせ」と直すことなく、反論してみてください。特に、『ライトハウス』だけに例文が載っているような印象を与える記述に対して、どんな説明がなされるか楽しみです。

 

 この2,3日の間、かくもおろかな文章で私の脳に刺激を与えてくれたことに対して心から感謝申し上げます。JICCが良心的な出版社であるならこのような本をセンセーショナルに出版したことに対して何がしかの反省をすべきです。私はこのような本を購入して、著者に印税がいくことを心から悔やんでおります。