英語クラブとディベート


 Chat Network 28号に掲載された,「英語クラブをいかに活性化させるか」というレポートです.

0.  はじめに

1.飯田高校語学班9年間の歩み

2.【英語クラブの活動:95年を思い出して】

3.【クラブとしての英語クラブ】

4.終わりに


0.はじめに

教員になって以来,何らかの形で英語クラブ,英語同好会の顧問として接してきた.生徒の意欲や英語力によってその活動内容は左右されるが,どうしても,会話練習,海外文通,外国人との交流など,スピーチコンテスト,タイプ練習,文化祭展示,ビデオ鑑賞,英字新聞読み合わせ,など「英語勉強会」の延長的な色合いが濃かった.      

本稿では,私が顧問として在籍した前任校での英語クラブの活動歴を通して,英語クラブをいかにクラブとして機能させ,活動を活発化させるか考えてみたい.


0.  飯田高校語学班9年間の歩み

89年     

顧問ではない.文化祭で「ピーターパン」の上演を見る.生徒が文化祭前にretold版のPeter Panを入手,それをもとに書き起こした脚本で上演.ほぼ生徒たちだけで上演したようである.

90年   

   顧問1年め:文化祭では「語学班」だからと,3年生は展示(英語にとらわられずに数カ国の文化の紹介).演劇は2年が2名,1年が8名ほど.DahlFantastic Mr. Fox!という脚本を入手,それに手を加えて上演した.顧問が前面に出て指導した.

91年 

     文化祭英語劇.生徒から難しい英語をやっても誰も見てくれないし,わからない.という声を受けて,浦島太郎を英訳.「ウラシマ太郎が湾岸戦争の魚雷でびっくりする」といったオリジナルの部分も入れた.
 この年第1回のライオンズクラブスピーチコンテスト.それまでは作文コンテストをやっていたようであるが,スピーチとなる.県下4地区での予選を経て,県大会を開催し,上位4名の派遣が決まった.語学班からは12名,2年1名が参加.全員県大会に出場し,2年生が派遣生に選ばれる.
冬のシーズンはSTの読み合わせ.STのクロスワードパズルに応募したところ商品の「スクラブルゲーム」が当選.以来職員の間でもスクラブルゲームがはやる.

                  朝日イーブニング「テープによるスピーチコンテスト」甲信地区2位
ヒューロン大学スピーチコンテスト 2位

92年  

    文化祭:「ヘンデルとグレーテル」
この年から演劇の脚本作りに合宿を導入.合宿には上級生,下級生でグループを作り,原文の読み合わせ,脚本の翻訳を行った.

93年 

     文化祭:「かぐや姫」−月へ帰ったかぐや姫が1000年の時を経て,帝を探して現代のアメリカへ.帝は結婚していてショック(ちょうど皇太子の結婚の年)といったオリジナル脚本.
ライオンズクラブスピーチコンテスト(5名が出場,1名が代表になる)

                  1月,第1回ディベート大会
「犬は猫よりペットとしてふさわしい」「日本は米の自由化をすべし」
2人制ディベートで2チームが参加したが,4戦全敗

94年 

     文化祭:「シンデレラ」−献血をした血液判定でシンデラと判明.この年は英語,演技とも全て3年生が指導.顧問はほとんどくちをださなかった.

                  ライオンズクラブスピーチコンテスト,1年生5名が参加したが,新たに設けられた年齢制限(6月30日現在で16歳になっているもの)で審査の対象から外れる.

                  11月 第2回ディベートコンテスト「日本は原子力発電をやめるべし」/「Jリーグはプロ野球よりおもしろい」 3人制
初戦で2チームとも敗退したが,1チームが敗者復活で勝ちあがり3位.

95年

      文化祭:「トレーシーの1日」日本人留学生のアメリカでの1日目を描写(全くのオリジナル)

                  ライオンズスピーチコンテスト,5名が参加,1位〜3位独占.

                  第1回パフォーマンスコンテスト 
2チーム出場  南信大会準優勝,県大会:語学力賞

                  第3回ディベート大会           
初心者の部:「小学校で英語を教えるべし」初戦敗退                                                上級者の部:「テストで評価はできない」1チームベスト4

                  西日本スピーチコンテスト 2位

96年 

文化祭「白雪姫...その後」王子と結婚した白雪姫は実はわがまま娘.王子の母親に意地悪をするため逆にばちがあたる…」

                  第1回高文連 English Camp(黒姫高原)

                  ライオンズスピーチコンテスト            2位

                  第4回ディベート大会           
「いじめっ子は学校から追放すべし」 優勝
3チームが出場.トーナメント戦で行い,総合成績は14戦12勝2敗

97年

      文化祭「ベニスの商人」悪いのはアントニオかシャイロックか,「アントニオは借金のかわりに肉1ポンドをシャイロックに提供すべし」のタイトルでディベートを.ジャッジはもちろんポーシャ.

                  第2回高文連English Camp(富士見高原)

                  第5回ディベート大会            「大学入試から英語をはずすべし」  リーグ内1位

                  3チームが出場.トーナメント戦で行い,総合成績は7勝5敗


0.  【英語クラブの活動:95年を思い出して】

 顧問就任当時からあった文化祭での演劇発表に加え,スピーチコンテスト,ディベート大会など年間の行事が固定化しクラブ活動としての大枠がほぼ確定したのは95年度のことであった.95年の2年生は男子3名,女子8名と多くが在籍し,そのうちの2名が留学した.上の学年が1名で,それも生徒会の役員ということもあり,1年の後半からクラブの中心が彼らに移っていた.彼らは大変意欲的であったので,さまざまなことにチャレンジし,顧問の誘いに「嫌」ということがなかった.この年をもう少し詳しく振り返ることで,英語クラブの活動について考えてみたい.

 

3月          新入生を対象にクラブ発表:この年は3年が1名で満足な発表ができなかったようで,入班者は5名.

4月          2年生の指導により,前年度のST,レシテーションコンテストの英文を暗記

5月          文化祭演劇脚本の準備.クラブ員がアイデアを出し合い,それをもとに話の大筋を決める.
これまでは,観客が英語をわからなくても筋がわかる,ということを前提によく知られた物語を下敷きに英語劇を作ったが,そうした「ドラマドラマ」した劇は嫌だ,という意見があり,アメリカでの1日目を経験する日本人留学生,といった設定で,朝,授業,昼,放課後,夜と場面を作った.アイデアは生徒の持ちより.

6月          文化祭準備.演劇練習は文化祭直前には毎日8時まで続く.全員で衣装,演出,パンフレット,照明など裏方も担当.
発表当日にはOBや近隣のAETも観客として来校.

7月        文化祭.
文化祭終了と同時にライオンズクラブのスピーチ準備.

                  前年から年齢制限が設けられ,実質高校2年生以上,大学生となった.高校2年で優勝した場合,3年の夏に海外研修を行うことになる.出場したいか聞いたところ女子5名が希望.8月の締め切り日に間に合うようにスピーチ原稿を作成.

8月          スピーチコンテストに出場しない生徒を対象に,オリンピック行事に合わせた「パフォーマンスコンテスト」があるので,「出たいか」と聞いたところ,「出たい」というので,残りの生徒を対象にコンテストの出し物の準備.このコンテストで何をやってもよい(踊りでも,歌でも…)そこでディベートの練習も兼ねて,「日本人はお辞儀をすべきである」という模擬ディベートを行った.出場者はディベートチームに4名,司会者に1名,進行役に1名の6名.

9月          スピーチコンテスト:諏訪市                        パフォーマンスコンテスト(スピーチに出場した生徒も出たいというので,女子3名でのコントを出し物にした.)南信大会:伊那,県大会:信州博会場

10月      ディベート準備開始.夏休み中に準備を始めた.この年のディベートは初心者(ディベート身経験者,海外体験のない生徒対象)と経験者(それ以外の生徒を1名でも含むチーム)にトーナメントが分かれた.2年生の多くが1年次にディベートを経験していたので,初心者チーム1チーム,経験者チーム2チームを編成した.

11月      ディベート大会:松本深志            (初心者チーム            初戦敗退,上級者チームA2回戦,B1回戦敗退)
2
ヶ月に及ぶ準備期間にもかかわらず1試合で終わったのは大変残念であった.そこで翌年からはすくなくとも数試合は経験できるリーグ戦を導入することを希望した.

                   ディベート大会に出場しない生徒がなにかやることはないかと申し出てきたので,締め切りがまだのスピーチコンテストを紹介.ほぼ自分でスピーチを書き,自分で練習.テープ審査を通過し,九州,宮崎の本大会へ出場.2位入賞.


  【クラブとしての英語クラブ】

英語劇,センパイ,後輩関係の確立

 英語という性格上どうしても教師が生徒に教えるという関係になりがちである.しかし,クラブである以上上級生が下級生を指導するという関係が欲しい.また,それがうまく機能すれば顧問があまり手,口を出さずにすむ.最初はグループ学習のように生徒を分け,その中で共同作業する場を設けた.具体的には初期の段階では,脚本の原作にあたる英語をグループ毎に読んでまとめる.そして,その部分の日本語での脚本化,翻訳にあてた.
 演劇練習では上級生が下級生を指導するといった強いものが初めはなかったが,ある年,数名の生徒が演劇クラブをやめて語学クラブに入ってきた.彼女らは下級生の指導に慣れていたので,発声練習や舞台での動きに積極的に指導を入れた.この年以降,発声練習や演劇指導に3年生が中心になってあたることになった.それと同時にセンパイ,後輩関係も確立し,文化祭後の打ち上げ,卒業式後の花束贈呈などクラブらしい雰囲気も出てきた.

クラブ活動の活性化--ディベート大会

 93年もあとわずかとなった12月のある日,現長野県高等学校文化系クラブ連合英語部会会長の小山文夫先生(上田染谷が丘高校)から電話があって,1月にディベート大会を開くけれど出ないか,という誘いがあった.すでに東信地区では数校が集まってディベート大会を開いており,その県大会版を開こうということであった.学生時代多少の経験があり,ディベートそのものも嫌いではなかったが,高校生が英語でディベート,というのはいかにも不可能に思えた.そこで,生徒に一応声をかけたところ,「出ます」というので,急遽2チームを結成した.(2人制だったので4名).2学期の終業式のあとにとりあえず「米の自由化」に関連した英字新聞の記事を切り抜いて「これを読んでおくよう」にと指示して冬休みに入った.
 もともと,高校生が相手の立論を聞いてその場で反論などできようもないので,英語を話すことは期待していなかった.だから生徒にも「あたかも英語を話しているかのようにカードを読むのだ」と指導した.
冬休みが終わる直前に生徒を呼んでみるとまだ立論も書いてなかった.やむえず,休み後半2日間を使って立論を作成.反論のカードを何枚か書いて,ディベート大会に備えた.とにかくどのくらいのレベルかもわからないので,「たいしたことはないだろう」と甘く考えていた.第1回ディベート大会は論題が2つ用意されていて,1回戦は「ペットとしては犬が猫より優れている」といった内容で,その勝者,敗者が分かれて「日本は米の自由化をすべし」のディベートを行った.飯田チームは2チームとも初戦敗退,さらに2回戦も敗退.結局4戦全敗という散々な結果であった.終了後生徒とレストランへ行くと,「くやしい」「もっとやりたい」といった反応であった.わずか2週間ほどの準備期間でのディベートで,すでに地区での経験を積んでいる他チームにはとうていかなわなかった.
 以後ディベート大会は回を重ね97年度には35チームの参加があった.生徒がその場で英語を話す時間が大幅に増加し,「あたかも話しているようにカードを読む」といったレベルでは勝利はおぼつかない状態になった.ディベートは生徒に1から教えようとすると大変である.1年生である程度経験し,2年生で成果を求める,といったサイクルが必要である.翌年からはディベートへの参加を義務付け,大会1ヶ月前までは全員参加,その後校内選考会を開いて代表者を決定することにした.代表者決定には英語力だけでなく,練習態度,参加状況も考慮に入れて,班長,副班長も含めて決めたり,他の英語科職員やAETの意見を聞いたこともあった.とにかくできるだけ多くの生徒がこれにかかわることで,チームワークが生まれ,クラブ全体の活動が活性化した.
  96年のディベート大会では海外留学経験者が1チームに2名いるという幸運にも恵まれ6戦全勝で優勝した.しかし,海外経験のない12名,2年1名のチームも全勝であった.これは前年度までのクラブとして活動し,センパイが中心になって準備を進めていく,といった「伝統」が出来つつあったからだと思う.

English Camp,スピーチコンテスト

 長野県内では学校単位でのEnglish Campが一般化し,頻繁に開催されているが,英語クラブの交流を目的とした高文連English Campも今年で3年目を迎えた.グループ単位の活動を通した他校生徒との交流は閉ざされた英語クラブから,開かれた英語クラブへの契機となる.本年度,軽井沢で開催されたEnglish Campは100名近くの英語クラブ員が一同に介した.まさに県下最大のEnglish Campとなった.

 スピーチコンテストは各種開催されている.これはクラブというより,個人の活動の色彩が強いが,発表に出かける前にクラブ員の前で発表することで,クラブとしての一体感,クラブ代表として参加するのだという意識も持てる.地区レベルのスピーチコンテストでは必ず大会当日の前に発表して,他のクラブ員からコメントをもらうことにしていた.


4.終わりに.

はっきりとした目標もあり,大会も数多くある体育系クラブ,あるいは発表の機会の多い吹奏楽部などとは違い英語クラブの活動の定期化は困難を伴う.大学ESSであれば自分たちで準備をすることも,上級生が下級生を指導することも可能でり,また活動の機会も多いが,高校ではそれもままならない.

飯田高校では長年にわたって英語劇を文化祭で発表するという伝統があった.2ヶ月に及ぶ準備とたった40分ほどの発表ということで,「中止に」という声もないわけではなかったが,英語劇に取り組むことで,大きな声が出せたり,人前での発表の動じることがなくなる.それに続くスピーチ練習で基本的な発表態度を養い,発音矯正も可能である.

何よりも94年1月に第1回大会が開催された高校生英語ディベート大会の存在意義は大きい.この大会で対外試合の経験とチームワークの育成という二つのことが可能になった.勝ち負けは二の次というものの,屈辱感にみちた形で終わりたくないという生徒(そして顧問)の気持ちが否応なく準備を活発なものにしている.現在参加校に制限があるためクラブ員全員が参加できるわけではないが,参加ぎりぎりまで,全員で準備を進め,ディベートの練習を重ねている.

長野の一地区で始まった英語ディベート大会は全国の他地区へも広がりを見せ始め,都道府県レベルでの大会も開催されたり,開催の計画があると聞く.

今年4月から勤務校が変わり,これまでのALTとの英語学習グループを中心に英語クラブを創設してもらった.1年生も何名か加入したが,なんの活動実績もない状態からクラブ活動として英語クラブを立ち上げることの困難を感じている.飯田高校では英語劇が伝統的に上演されていた.現勤務校で英語劇上演にこぎつけるには相当なエネルギーが必要だろう.11月にせまったディベート大会(論題:選挙棄権者は罰金を払うべきThose who do not vote should be fined)にはクラブ外の生徒に頼み込んでようやく2チーム結成にこぎつけたが,クラブ活動としての準備にはほど遠い.改めて伝統のありがたさを実感している.

文化系クラブの衰退が指摘されて久しいが,音楽系クラブに劣らない英語クラブの活発な活動を定着させていきたいものだ.