*毎年のことですが,大意を書いたり,正確な解答を得るために全訳をざっくり書いていますが,正確を期していません。単なる大意で誤字/脱字も編集していません。機械翻訳よりちょっといいくらいのレベルです。あしからず。
私は育ったNew Orleansに戻るつもりだった。引っ越ししたら妻と3人の子どもたちをカリフォルニアから引き離すことになるだろう。そのことについては多少後ろめたかった。住む場所を必要としていたが,New Orleansで住む場所を見つけるのは大変だった。ハリケーン,カトリーナ以来,不動産市場は混乱状態にある。所有者は売りたい。購入者は借りたい。その結果が多量の「販売中」の看板だった。
不動産の看板の下部にはどれにも同じ業者の名前があった。一人の女性が市場を支配しているように思われ,その人の名前はEleanor Farnsworthだった。私は彼女に電話をして,彼女に頼った。彼女は私の問題を検討し,それから言った。「あなたにいい場所は一つしか知らないわ。」彼女はそれをBrad PittとAngelina Jonesに提案した。二人にFrench Quarterのもっとつつましい場所を売る前に,と彼女は言った。
それは販売のためのポイントではなく,警告のポイントであるべきだった。私は価格を聞くべきだった。かわりに私は住所を聞いた。見たとたんにわかった。豪邸だと。
たんなる豪邸ではなかった。その通りでは最大の邸宅だった。ダイニングルーム2部屋,完全な台所2つ,バスルーム10室,寝室7部屋,エレベーターに主賓の寝室と同じくらいの衣装部屋。邸宅にはプールがあった。冬に引っ越してきたので,そのことにはあまり注意がいかなかった。もし,指を入れていたら,単に温水だけでなく,塩水だったことおわかっただろう。
アメリカの子どもたちには,お金は自分たちをランク付けするために大人達によって使われる道具で,ランキングを確立するもっとも簡単な方法は家によってである,とわかる瞬間がある。最初はみんなの家は多かれ少なかれ,同じに見える。しかし,それからある日,誰かの家は今まで見た家のどれよりも,はるかにみすぼらしい,あるいははるかに豪華なので,家は単なる家ではない,と悟るのだ。家は互いをランク付けするために使う道具の一つなのだ。
アメリカの不動産危機に関する批判のなかでも,その起源についてはほとんど注意が払われていない。すなわち,アメリカ人の文化傾向を。アメリカ人は自分の家計以上に大きな家に住みたいという深い欲求を感じている。この欲求は全体にきれいに浸透しているので,ほとんど全員その影響を受けている。
ガルシア夫妻を例に考えてみよう。リリアとジーザス・ガルシアは住宅ローンの返済が遅れていて,家を失う危機にあった。二人は16万ドルで購入した立派な家を持っていた。二人を合わせた65,000ドルの収入を考えれば,家に対して16万ドルぐらいは借りることができた。しかし,それから,夢の家につきあたった。新しい資産はあきらかにマンションのような品質を備えていた。その価格,535,000ドルは背伸びだった。
それから市場は反転した。彼らは返済に失敗し,もともとの家を売ることができなかった。彼らは銀行に約70万ドルの借金があり,立ち退きに直面していた。間違いは前の家を投資としてこだわったことだった。教訓:アメリカ人が現在の状態にいるのは,あまりに多くの人々が家をお金儲けのチャンスだと考えてきたからだ。
しかし,本当の教訓は中流の夫婦が家を購入するときには,担保の不履行の余裕がない。そして,そのことを誰かに説明する。その人は二人の財政問題の理由を見逃していると思うと。自分の地位以上の家のためにリスクを冒すというアメリカ人特有の前向きさだ。自分の身の丈以上のものを買う人々はたいていそうするなという小さな声に耳を傾ける。しかし,問題のものが家となると,アメリカ人の生活のすべての信号はその小さな声をかき消してしまう。友人達はすごいねと言う。家族は自分の家は本当に大きいが,一生懸命働いてきた。そして,一生懸命働くアメリカ人は夢の家を所有する価値がある。他のどの所有物よりも,家は人々が昔言っていた「私がちゃんとやっているところを見て」
邸宅に住み始めた後で,お金は本当に問題になった。入ってくるよりも出ていく方が突然速くなった。とうとう,私が不動産業者に邸宅の賃料を聞いたとき,彼女は,「見てみるけど,13ぐらいだと思うわ」と言った。13:それに続く数字は推測だけだ。一つの理由はだれも実際に「賃料は月13,000ドルよ」と発する勇気がない。
どのくらい支払うか母に言ったとき,彼女は「あらまぁ,マイケル」と私がトラックで隣の人を轢いたとか,癌だと診断されたと伝えたとしたら,発したような口調で言った。
たった3ヶ月で最初の請求書が届いた。諸費用は2700ドルだった。それには水道は含まれず,さらに1000ドルかかた。飲みもしない水のために1ヶ月に1000ドル払うなんて。飲料水はトラックでわき水の会社から運ばれていた。どうやったらそんなに多くの水を使ったのだろうか。答は使っていないだ。邸宅が使用したのだ。プールに噴水,芝生のスプリンクラー。
夏には,外気の温度が大変なレベルまで上昇し,邸宅のエアコンが故障した。修理が来て,帰って行った。頭を振りながら。邸宅の巨大なエアーコンプレッサーには全く問題がなかった。問題は壁の奥深く,おそらく配線にあったのだ。リビングは今でも快適な温度だったが,不思議なことに寝室は大変暑い。みんなのいる場所は引き続き快適だった。私的な場所(寝室,バスルーム)だけが暮らすことができなかった。奇妙なことに,同じ階でも部屋によって蒸し暑かったり,涼しく快適だったりした。家の中で初めて,雨が降るかもしれない,と思った。
そこで,私たちは来た場所に飛行機で舞い戻った。このことで新たな問題が生まれた。子どもたちは実際以上に金持ちのふりをするのに退屈していたが,彼らは金持ちのように暮らすことに慣れていた。カリフォルニアに戻る途中で妻は9才になる娘のQuinnをHearst Castleまで連れて行き,ツアーに参加した。そこに入って数分してから,多数ある寝室の一つの前に立った時,ガイドは質問があるか聞いた。私の子どもは手を挙げた。ガイドはにこりとして,彼女をあてた。
Quinnは聞いた。「どうしてそんなに小さいの?」
邸宅に住んでみる
生まれ故郷で大邸宅を借りた。アメリカ人にとって家はステータスシンボルだ。そのため分不相応の家に住み,困窮する人もいる。実際に住んでみると思いの外お金もかかり,不便で,元の場所に帰ることになった。(97字)
①Colleen Szotはプログラミング界では最も成功した作者の一人だ。人気の運動マシーンように書いた有名な”infomercials“に加えて,最近,通販チャンネル用の21年ほど続いた販売記録を破った。彼女のプログラムはほとんどのinfomercialに共通した要素の多くをとどめているが,Szotは3語を彼女の製品を購入した人々の数を劇的に増大することに寄与することになった標準的なinfomercialの文に変えた。さらに顕著なのは,この3語が潜在的な消費者に対して,製品の注文のプロセスは混乱したものになるかもしれない,ということを明らかにした。この3語とはなんだったろうか。そして,それがどのようにようにして販売を増加させたのだろうか。
②Szotはあまりに知られた「オペレーターが待っています。どうぞ今電話をしてください」から,「もしオペレーターがふさがっていたら,またお電話をください」に変えた。これを見ると,その変化は馬鹿げているように思われる。結局,メッセージは潜在的な顧客は最終的に販売代表者につながるまでにダイヤルを何回も回して時間を浪費しなければならないということを伝えているように思われる。しかし,この表面的な見方は社会的証明の原則の力を過小評価している。人々が取る行動がよく分からないときは,自分の外側,自分の身の回りの人を見て,自分たちの決定や行動を決める傾向にある。Collen Szotの例では,「オペレーターは待っています」と聞いたときに生まれそうなイメージを思い浮かべてみなさい。退屈した電話オペレーターが静かな電話の横で待っている。需要低迷で,販売不振を示すイメージだ。
③さて,「オペレーターが埋まっていたら,あとでお電話ください」ということばを聞いたときにどのようにあなたの製品の人気に対する考えが変化するか考えてみなさい。あの退屈して不活発なオペレーターの代わりに,おそらくあなたは休み無く電話を次から次へと受けているオペレーターを想像しているだろう。修正された「オペレータが埋まっていたら,あとで電話してください」という台詞の場合,家で見ている人たちは他の人たちの行動概念に従った。たとえこの他の人が全くの匿名であったとしても。結局,「話し中だったら,このinfomercialを見ている私のような人々も電話をしているだろう」
④社会心理学の多くの古典的な発見が他の人々の行動に影響を与える謝意的証明の力を証明している。科学者のStanley Milgramと同僚が行った実験では,研究者達の助手が一人で,人通りの多いニューヨークの通りに立ち止まった空を60秒間見上げた。ほとんどの人は彼が何を見ている確かめるためにちらりとも見ることなく男の傍を通り過ぎた。しかし,研究者たちが空を見る人を4人にすると,彼らに加わった通りの人々の数は4倍以上になった。
⑤ 他の人の行動が社会的な影響力の強力な源であることには疑問はほとんどないが,私たちが私たち自身の研究で,他の人々の行動が自分の行動に影響を与えたか聞くと,彼らはしていないと主張する。しかし,社会心理学者のほうが物知りだ。私たちは自分の行動に影響を与える要因を理解する人々の能力はおどろくほど貧弱であることを知っている。おそらくこれがホテルの客がタオルを再利用するように促す小さなカードを作るのに携わっている人々が自分たちの有利に働くように社会的証明の原理を使おうと考えない一つの理由だろう。「自分は何によって動機付けれられているのだろうか」と自問するときに,他の人たちが自分の行動に与えている本当の影響を考慮に入れなかったかもしれない。
⑥ ホテルの実験で私たちはタオルの再利用の掲示を見た大多数の客は実際に少なくとも滞在中のいずれかの時点でタオルを再利用した,という発見について検討した。もし,この事実を単に客に伝えたらどうなるだろう。ホテルの支配人の協力を得て,私たちは二つの掲示を作り,それをホテルの部屋に置いた。一つはホテル業界のほとんで採用されている基本的な環境保護メッセージタイプを反映してデザインされた。それは客に環境を救い,このプログラムに参加することによって自然への敬意を示すことを求めた。2番目は社会的証明の情報を用いて,客にホテルの客の大多数は滞在中,少なくとも1回はタオルを再利用したと伝えた。この掲示は無作為にホテルの部屋に割り当てられた。
⑦ 他の客の大多数がタオルをリサイクルしたとわかった客は基本的な環境保護のメッセージを見た客より26%タオルを再利用する率が高かった。業界標準にたいして,参加率の26%上昇であった。このことを私たちは他の人は何をしているのか伝える為に掲示の数語を変えるだけで達成したのだ。
⑧ こうした発見は社会的証明の真の力を知ることは他の人々が望ましい行動をおこすように説得する試みにおいて大きな利益が見込まれることを示している。
社会的証明の力について
人は自分の取るべき行動がよく分からないときは,無意識のうちに他の人の行動に強い影響を受ける。これを「社会的証明」という。広告のメッセージに「他の人もやっている」といったイメージを入れると効果がある。
①広告はコミュニケーションの一形態である。これが見られるのは伝統的なメディアである新聞,在位,テレビ,ラジオ,ダイレクトメールといったものだ。インターネットの誕生と共に,多くの新しい広告機会が登場した。Popup,
バナー,emailが一般的に広告に使われている。2009年,モバイルとインターネットの広告がそれぞれ,18.1%, 9.2%増加した。より古い広告は減少した。テレビ,-10.1%,ラジオ-11.7%,雑誌-14.8%そして新聞18.7%など。
②広告は大まかに2つのタイプに分けることができる。一つは商業広告で,もう一つは非営利の広告だ。商業広告の主な目的はある商品に関して消費者の行動をあおることである。商品やサービスを促進するために使われている広告技術は政治的思想や環境問題といった商業的でない問題について大衆に伝え,教育し,動機付けをするためにも使うことができる。
③歴史を見れば,古代エジプト人が紙を用いて販売のメッセージーや壁紙を作ったことがわかる。商業的なメッセージや政治運動の展示はポンペイの遺跡や古代アラビアで発見されている。紙による宣伝はまた古代ギリシャ,ローマでも一般的だった。壁や岩の絵も古代の宣伝のもう一つの一例で,これは今日までアジアやアフリカ,南アメリカの多くの場所で存在している。後に,19世紀後半から20世紀初頭の大量生産の増大と共に現代の広告が発展した。
④2010年,広告の総費用は世界中で5000億ドル以上,アメリカのその40%前後を占めると積算された。指導的な研究機関は2010年,アメリカの広告会社は新聞よりインターネットによりお金を使ったことが分かった。アメリカのオンライン広告への支出は260億ドル近く,新聞での印刷広告は230億ドル以下であった。オンライン広告からの収入は何年にもわたって増加し続けている。なぜなら人々は伝統的なメディアから離れニュースや娯楽にウエブを利用しているからだ。
⑤広告は社会生活の全ての面をカバーし,現代社会で他の重要な役割をはたしている。しばしば広告は,そこに込められた情報と鮮やかな表現形態を通してある国について多くのことがわかると主張されている。広告からその国の経済,文化,有名な場所について多くことを学習できる。たとえば,ある日本の広告では互いにお辞儀をしあう知り合いに焦点を当てるかもしれないし,典型的なアメリカの広告でバーベキューを楽しむ家族を見るかもしれない。広告を通して,私たちは様々な文化の人々がどのように見えて,その人たちが何を食べのるか,暇なときには何をするのか,といったことを理解できる。
①従来の広告は減少し,ネットでの広告が増加している。
②商業目的,それ以外の広告が存在する。
③紙や壁画を使った広告は昔から世界中に存在している。
④人々がオンラインを利用するようになっているので,広告も新聞からネットへとシフトしている。
⑤世界中の広告を通して,様々なことを学習することが可能だ。
広告の歴史とネットにシフトする広告
広告は商業目的とそれ以外に大別でき,古くから世界中に存在している。人々がネットを利用するようになり,新聞といった伝統的広告からネットへと広告がシフトしている。広告を見ればその国のことがよくわかる。(98字)
私たちの世界はインターネットやグローバル経済,交通の改善によって小さくなっているが,人々は依然としてお互いにコミュニケーションを撮るのに苦労している。今日,何千もの言語が話されている。グローバルコミュニケーションの問題を解く答は異なった言語を話す人々が互いに意思疎通できる人工的な国際言語だと考える人もいる。そのような言語の一つがエスペラントだ。
エスペラントはLudovic Zamenhofの理想だった。彼はポーランド人で,世界中の人が学習し,話すことのできる簡単な言語を作りたかった。彼は自分の夢を現実のものにするために何年も取り組み,1887年に小冊子Lingvo Internacia (国際言語)をエスペラント博士という仮名で出版した。エスペラントの意味は「希望するもの」である。まもなく彼の仮名が彼の言語の名前に採用された。彼はエスペラントが世界のどの言語ともとって変わるのではなく,付加的な第2言語として機能することを意図していた。
エスペラントは興味深い歴史を有している。1904年,最初のエスペラント話者たちがフランスで会った。彼らはエスペラントの会話での使用を実験し,エスペラントはコミュニケーションの良い方法だとわかった。その後数年間のうちに,エスペラントはヨーロッパ中に広まり始めた。この間,エスペラントは浮き沈みを経験している。ジャーナリストのJ. D. Reedによれば,「エスペラントの使用のピークはおそらく1920年代で,その当時は理想主義者達がエスペラントを平和に向かう小さな一歩として受け入れた。エスペラントは言語問題への解決策とみなす知識人もいた。彼らは言語問題は政治的誤解の一因だと感じていたのだ。イギリスの学校では,実際,若者がエスペラントを学習できることもあった。しかし,第二次大戦後,関心は収まった。それは政府が言語を支持しなかったこと,それに英語が急速にビジネス,旅行に使う言語となったことも理由である。エスペラント支持者は国連に彼らの言語を採用するように要求しているが,国連はすでに6つの公用語で(英語,フランス語,スペイン語,アラビア語,中国語,ロシア語)で手一杯である」
しばらくのあいだ,人々はエスペラントは絶滅するのではないかと思った。しかし,それは残っており,今日エスペラントは世界中で話されている。エスペラントを話す人々はヨーロッパ,アジア,オーストラリア,南北アメリカの90カ国にいる。世界中で100万ないし200万の人々がエスペラントを話すと推計されている。そして,エスペラントは中国,ハンガリー,ブルガリアで第2言語として教えられている。エスペラント話者による国際会議が毎年開催されている。62カ国から2,300人以上の参加者が2005年7月,リトアニアのVilniusの90回世界エスペラント会議に参加した。
【段落要約】
世界のグローバル化は進んでいるが,依然としてコミュニケーションの問題は大きい。その解決策は人工的な国際言語と考える人もおり,その一例がエスペラントだ。
エスペラントはポーランド人,ザメンホフが考案。作者の仮名であるエスペラントが言語の名前となった。彼の考えはエスペラントが国際言語として,付加的に使用されることだった。
エスペラントは当初ヨーロッパで普及した。そのピークは1920年代で,エスペラントが平和に寄与すると考える理想化もいた。一部の学校でも教えられた。第2次大戦後,政府の支援がなかったり,英語が急速に普及したことで勢いがなくなった。しかし,現在でも世界中にエスペラント話者はおり,毎年多くの参加者を迎えてエスペラント世界大会が開催されている。
【200字要約】
世界が小さくなっても言語障壁は存在している。その解決策の一つが人工的な国際言語であり,その一例はエスペラントだ。エスペラントは補助的な言語としてザメンホフが考案し,当初ヨーロッパを中心に普及した。1920年代には世界平和に寄与するとして期待されたが,第2次大戦後,英語の普及などに伴って衰退した。エスペラントは現在でも世界中で話され,毎年多数のエスペラント話者が参加して世界会議が開催されている。(195字)
【100字要約】
ザメンホフによって言語障壁を除く手段として考案されたエスペラントはヨーロッパを中心に普及し,その役割に期待されたが,戦後は衰退した。しかし,消滅することなく,現在でも世界中にエスペラント話者がいる。
どんな種類の読書も活動である。私たちは目を動かさずに,あるいは頭を使わずに読むことはできない。しかし,読書はもっと活動的に,あるいは,活動的でなくなることもあり,読書が活動的であればあるほど,ますます良い。読書の活動の幅が大きく,より努力すれば,その人は他の人より読書が上手になる。自分自身と,目の前にある本からより多くを期待すれば,その人の読書はより上手だ。
全く不活発な読書などありえない。しかし,多くの人々は読書を書いたり,話すことと比較する。両活動とも明らかに行動を要求する。そして,読んだり,聞くことは全く不活発だと結論づける。そういった人々は筆者や話者は努力を要すると分かっているが,読んだり聞く人にはなんの作業も必要ないと考えている。読むこと,聞くことは与えたり,発信することに積極的に関わっている人から何かを受け取ることだと考えられている。贈り物をもらうように。しかし,読み手も聞き手もむしろボールを受け取る人に似ている。
ボールを受けることはボールを投げることと同じくらいの活動である。投げ手は送り手だ。なぜならその人の活動がボールの動きを開始するから。受ける人は受信者だ。なぜならその人の行動がそれを止めるから。両者も活動は異なるものの能動的である。もし,活動的でないものがあるとすれば,それはボールだ。ボールのように書かれて,読まれるものは,プロセスを始めたり終える二つの活動に共通の不活発な物体だからだ。
しかし,投げ手と受け手が協力して初めて成功する。これは作者と読者にも当てはまる。作者は理解されたいと思う。時にそう思えないときもあるが。読者が書かれたことを理解すれば,作者の技術と読者の技術が共通の目的で合致する。
全ての投げ手と同様に,全ての作者は同じではないことは事実だ。言いたいことが正確に分かっており,それをはっきりと言う作者もいる。分かりにくい作者もいる。しかし,書かれたものは単純なものではない。作者が述べたことがほんのわずかしか読者によって理解されないかもしれないし,全て理解されるかもしれない。読者が理解する量はたいてい読者の活動と,必要とされる様々な精神活動を行う技術に依存するだろう。
【200字要約】
読書は活動であり,活発であればあるほど得るものものも多い。読書は話したり,書いたりする活動より不活発で,作者の発信することを受け取るだけだと考えられがちだが,実際にはより能動的な関わりが求められる。読書はキャッチボールに似ている。受け取る人は投げる人と同じくらいの活動が要求され,2人が協力して初めて,作者の意図が読者に伝わる。書かれたものの伝わり方は読者の活動と読む技術に依存しているのだ。
読書は話すこと,聞くことと同様に活動であり,作者と読者はボールの投げ手と受け手のように,互いに努力を求められる。読者の活発な活動があって初めて作者の言いたいことをよりよく受け止め,理解できるのだ。(98字)
それは科学発見の唯一,もっとも有名な物語だ。1666年,アイザック・ニュートンはイギリス,ケンブリッジ郊外の自分の庭を歩いていた。疫病の町を避けて。その時木からリンゴが落ちるのを見た。果実はまっすぐ地面に落ちた。まるで,見えない力に寄って引っ張られたかのように。(その話の後にできた別バージョンではリンゴがニュートンの頭にあたるのだが)この何気ない観察によってニュートンは万有引力の概念を構築した。それによって,リンゴの落下から月の軌道まで全てが説明された。
このような物語には魅力的なところがある。こうのような物語で,科学的過程が一瞬の突然のひらめきに凝縮されてしまう。すなわち,なんの努力もなく,新しい考えがある天才によって産み出される。全員が物が落ちることは知っているが,その理由の説明にはニュートンが必要だったのだ。
残念なことにリンゴの物語はほとんど確実に間違っている。おそらくボルテールの創作だろう。たとえニュートンが1666年に引力について考え始めたとしても,それを理解するまでに何年にもわたる綿密な研究が必要だった。彼は何冊ものノートにおおざっぱな考えを書き込み,振り子の正確な動きを記録するのに何週間も費やした。言い換えれば,引力の発見は一瞬のひらめきでなく,何十年にもわたる努力が必要だったのだ。それが1687年の「プリンキピア」まで発表しなかった理由の一つなのだ。
伝記作家達はニュートンの知能を褒め称えてきたが,(彼は微積分学も切り開いた),彼の業績は単に彼の抜群の知能の副産物というわけでないことは明らかだ。ニュートンは困難に直面したときに努力し,答が出るまで,同じ難解な謎(例えば何故リンゴは落ちて,月は空にとどまっているとか)に取り組む素晴らしい能力もあった。
近年,心理学者はこの精神的な特質を説明する用語,gritを作り出した。その考え自体は新しいものではないが,(「天才とは1%のひらめきと99%の努力だ」とトーマス・エディソンが述べたのは有名だが),研究者はgritとは単に一所懸命働くことをいとわないことだけではないすぐに指摘する。代わりに,それは具体的で,長期的な目標を設定し,目標到達まで何でもすることだ。あきらめるのはずっとたやすいが,gritのある人はやり続けることができる。
gritの物語は以前から自助論や人生論と結びつけられてきているが(ヴィクトリア朝時代の影響力のある教科書の著者であるSamuel Smilesは忍耐の美徳を説いている),こうした新たな科学的な研究は個人のgritの信頼できる計測のために新しい技術に依存している。その結果,生涯の業績を決定することに関してgritと知能,生まれつきの才能の総体的な重要性を比較することができる。この分野の研究が始まってまだ数年の歴史しかないが,苦労しても止めてしまう人がいる一方で,ある人には目標達成を可能にしている精神的特徴を特定することに対してすでに重要な進歩をしている。gritは成功への必要不可欠な(そしてしばしば見過ごされている)構成要素だと判明している。
「gritに依存せずに成功人はただの一人もいないと断言してもいい」とgrit研究の創設に寄与したペンシルベニア大学の心理学者,Angela Duckworthは語る。「一生懸命働く必要のないほど才能に恵まれている人はいない。それこそが,gritのおかげでできることなのだ」科学者の期待はgritをよりよく理解することで教師が学校でその技術を教えることが可能になり,より根性のある子ども世代を産み出すことだ。もちろん,両親にも重要な役割がある。というのも子どものほめ方,といった何気ない発言が子どもが課題に取り組む仕方に大きな影響を与える可能性があるという証拠があるからだ。さらにgritに興味を示しているのは教師や親たちだけではない。アメリカ軍はこの研究の多くを指示している。というのも戦場のストレスにもっともむいている人はだれか特定する新たな方法を探しているからだ。
Gritへの新たな焦点は現実世界での成功をもっともよく予測する性格を研究しようとするより大きな科学的な挑戦の一部である。研究者達は知能検査のような知能の計測を将来の成功を測る重要な指標として長いこと焦点を当ててきているが,こうした科学者たちは個人の業績の変動のほとんどは頭の良さとは全く関係ないことを指摘している。その代わりに,それは主にgritや誠実さといった性格に依存している。それは知能は本当に重要ではない(ニュートンが天才であることははっきりしている)ということではなく,高い知能指数を持つことは,十分条件にはほど遠いということだ。
ニュートンの万有引力の発見と林檎の落下は有名だ。
ニュートンの逸話は科学的大発見には天才的ひらめきが必要だという例だ。
ニュートンの研究には長年にわたる地道な努力があった。
ニュートンの偉大さは最後まであきらめない根性の能力だった。
ニュートンのような目標に向かってあきらめなず,努力する性格は心理学者によってgritと呼ばれている。
gritの概念は古くから存在しているが,人生で成功する要因として知能,才能と科学的に比較し,gritの役割が大きいことがわかっている。
gritに関する理解が進めば親や教師,それに軍隊にまで役立つ。
gritの研究は現実の世界でうまくやる性格はなにか,という研究の一部である。
知能の高さも重要であるが,それだけでは全く不十分でgritが必要だ。
目標に向かって最後まで頑張る力について
天才はひらめきで業績を残しているのではなく,目標にむかって頑張れるgrit(根性)があるからだ。やる気の科学的研究が進んでおり,人生の成功の重要な要因は知能ではなくgritにあることが判明している。
(a)歴史
第2次世界大戦の秘密文書と発表された解釈に焦点を当てて,このゼミでは一見したところでは簡単な一連の疑問を扱う。なぜアメリカ合衆国は1945年8月に日本の都市に原爆を落としたのか。実行可能な代案はあったのか。そして,もしそうなら何故そのようにしなかったのか。1945の原爆使用は当時とその後,どのような意味を持っていたのか。こうした問いかけによって第2次大戦にかかわった高官を含む戦後の解説者達が爆撃をどのように説明し正当化しているか,あるいは批判しているか,そしてその理由は何か,ということを問うことになる。歴史,国際関係,アメリカ研究,政治学,倫理学からのアプローチを用いて,こうした問とその答,内在する概念,証拠,論理,説明の仕方,倫理観,原爆に関する継続する対話での文化的,社会的影響力について研究する。多面的な観点からこの問題を分析し,なぜ,そしてどのように様々な答が形成され,検証され,再構築されたのか,この過程において,なぜある事実が採用され,あるいは排除されたのか。そして,原爆投下はどのように理解されているか問う。
ゼミの案内:原爆投下の歴史的解釈について
アメリカによる原爆投下に関して,機密文書,出版された解釈を資料に,原爆投下の背景,原爆投下に関する解釈の変遷とその背景を歴史,国際研究など様々な学問分野を総動員して研究する。
ゼミの案内:材料学と材料工学
日本の科学技術は多くの分野(電子工学,家庭用電化製品)で世界をリードしていると考えられている。一方,多くの技術革新は西欧社会,特にアメリから生まれている。(マイクロプロセッサー,コンピュータ)この講座では典型的な日本企業での研究所の役割を探求し,技術革新対製品開発の重要性を検討する。日本社会の観点から日本企業の構造を研究する。これによって,研究環境や企業の目標達成のために個々の研究者に課せられている期待,終身雇用制の可能な変化の仕方について研究することになる。近年,アメリカの大研究所(ベル研究所,IBMリサーチ)がより実用的な開発のために閉鎖されている。これに対して,製品開発研究所を維持しながら研究所に投資する日本企業がある。日本経済が景気後退を経験する中で,こうした哲学のバランスが再検討されている。ソニー,NECといった日本企業の現地代表者を授業に招き,日本の研究者の考え方と日本企業と日本社会の関係について学習する手助けとする。
日本企業の研究所を研究対象に,研究所の果たすイノベーションと製品開発の関係を調べ,研究環境,研究者への期待,待遇などについて研究する。また,直接日本企業から考え方,社会との関わりについて聞く。
(音楽)
北米の太鼓,ここでは日本の打楽器,太鼓を用いた太鼓演奏を指すが,アメリカの音楽シーンでは比較的新しい。北米初の太鼓集団の登場は日本人のアメリカ社会での活発化と同時に起こり,日系アメリカ人のアイデンティティーの象徴である場合もある。また,北米の太鼓は日本のアメリカ仏教と関係しており,また,ある人にとっては,太鼓は日本に起源を発するパフォーマンスアートである。この講座では太鼓演奏,読書,討議,ワークショップを通して太鼓の音楽的,文化的,歴史的,政治的見方を研究する。太鼓を中心に据えて,日本音楽,日系アメリカ人の歴史を学習し,演奏,文化表現,共同体,アイデンティティーの関係を探求する。太鼓の経験は不要。この講座の講師は本学の太鼓グループの助言達であり,北米太鼓会議で発表した人たちだ。
ゼミ案内:北米における太鼓
太鼓の演奏,文献研究,討議,ワークショップを通して,北米社会における日本の太鼓の役割を音楽的,文化的,歴史的,政治的見地から研究すると同時に日系アメリカ人について多面的に探求する。
人類が自分たちの生活を良くするためにできることはたくさんある。たとえば,ほとんどの人はスポーツや勉強といった活動は価値あるものと考える。というのも,よい結果を生み出すからだ。スポーツをすることは運動によって健康を増進する機会を与えてくれるし,友情を築くのにも役立つ。知的な余暇については,私たちの身の回りの世界をよりよく理解する必要があることは否定しがたいし,あらゆる種類の問題の解決を見つけるために私たちの脳を使う能力を高める必要もある。このような多くの重要な活動があるが,私は音楽にまさるものはないと信じている。音楽は強力を生みだし,様々な参加形態を提供し,人々に個人の選択の機会を与えてくれる。
音楽活動の重要な一側面はその活動は協奏より強力に力点を置いているところだ。音楽集団ではメンバーは相互によりいいことをしようとはしない。むしろ何か美しいものを産み出すために一緒に働こうとしている。オーケストラでは,個々のパートの全てがうまくマッチするようにさせるのは主に指揮者の仕事であり,ロックでは音がマッチするようにお互いをよく聞かなければならない。しかし,いずれの場合も参加者全ては互いに頼り,全ての人が成功できるような結果に向かって励む。これはチームスポーツのような活動とは対比をなす。そこでは試合が終わる毎に常に勝者と敗者が現れる。スポーツにおいては一方の成功は他方の失敗を意味するが,音楽演奏が成功したときには,敗者はおらず勝者のみが存在する。
音楽に関するもう一つのよいことは人は様々な方法で関わることができることだ。音楽を演奏するためにはプロの演奏家になる必要はない。地域の音楽サークルで演奏することで満足する人もいれば,ギターで数曲演奏できるだけで満足する人もいるかもしれない。そして,もちろん,音楽を経験するためには演奏する人になる必要もない。聴力のある人なら誰でも聞くだけで音楽の前向きな効果を楽しむことができる。音楽には人々をリラックスさせ,私たちの感情に刺激を与える力がある。また,音楽は世界中の文化的な経験と宗教的な儀式の一部である。音楽を通じて,他の文化を学び,その理解を深めることができる。人々はしばしば音楽をことばにたとえるが,私はそれはある意味で正しいと思う。私たちは他の文化をほんのわずかしか知らなかったとしても,異国の音楽で私たちに語りかけてくるものを聞くことがある。それはまるで人間であることが意味することに関して,音楽で表現されて,見つけられることができる共通のそして,秘密の理解があるかのように思われる。
文化や言葉,そして感情をも超えた何かが。
最後に,音楽は私たち自身で判断することを求める。数学のような教科と違って,音楽は決して私たちを唯一の正しい答えに拘束することはない。曲を演奏する方法は音楽家の数と同じだけある。表現の自由の度合いは音楽のタイプによるかもしれないが,クラシックのような比較的保守的なタイプの音楽であっても同じ曲の別の解釈を歓迎する。音楽を聞く人も同様に,かなりの自由がある。個々の人は自分が最も興味のあるグループ,音楽家,作曲かを選ぶことができる。こうした選択はしばしば人々が自分をどんな人として見たいかという直接的な表現であることが多い。音楽を通じてほどはっきりと個性が表現される方法を考えつくのは難しい。
音楽をたたえるとき,私は全ての人が何らかの形で音楽と深い関係を築かなければならないと言っているわけではない。人々は自分にとって重要なことで自分の生活を構築すべきだし,人によっては音楽はそうしたものの一つではないかもしれない。それでも,私たちは音楽にしかない可能性について承知しておくべきだ。音楽は私たち一人一人が私たちが引きつけられる音楽を通して,私たちにもっとも合致する方法で参加することを求めている。その参加を通じて,私たちは人との関係を強化できるのだ。
音楽ほど生活を豊かにしてくれる活動はない。
よい音楽には協力が不可欠で,音楽の成功に敗者は存在しない。
音楽には様々なレベルで関わることができ,国境を超えて理解される。
音楽には一つの正解は存在せず様々な解釈,表現方法が可能である。
私たちはこうした音楽の可能性について理解しておくべきだ。
音楽は生活を豊かにしてくれる。音楽には敗者はなく,良い演奏には全員の協力が必要だ。音楽の持つ普遍性は国境を越えて理解され,演奏家,聴衆には様々な解釈が許される。このような音楽の可能性を銘記すべきだ。
彼女はまたしても彼を打ちのめした。彼女はいつも自分のしたいことはしてもよい,というが,彼がしたことはいずれにしろ彼女がしたことになるまで,議論する。彼はこれで腹を立て始めていた。
「おかあさん!フェアじゃないよ」
彼女は笑って答えた。「マーカス,人生ってそんなものよ。自分の信じることを導き出さなくちゃいけないの。そして,それを守るのよ。難しいけど,アンフェアってことじゃないわ。それに理解しやすいでしょ」
これにはおかしな所があったが,彼にはそれがなんなのか分からなかった。分かることはみんながみんなこんな風に考えているというわけではない,ということだ。喫煙について教室で話をするとみんなが悪いと認めるが,多くの子どもたちがタバコを吸った。暴力的な映画について話すときは,みんながそれは認められない,というが,それでも映画を見る。彼らは言うこととすることが別だった。マーカスの家では違った。彼と母は悪いことを決めると,二度と決してそれに触れたり,したりしなかった。彼にはそれがどういう意味か理解できた。彼は盗みは悪いことで,殺すことは悪いことだと知っており,何かを盗むことも,人を殺すこともしなかった。だから,それだけなのだろうか?彼には確信が持てなかった。
彼を他の子どもたちと違わせていることの中でも,このことが最も重要だと分かっていた。彼は笑われるような服を着ていた。というのも彼と母親はファンションについて話をし,ファッションは馬鹿げているという意見に達したからだ。彼は古めかしい音楽を聞く。というのもポップスについて話をしたことがあり,それは単にレコード会社がお金を稼ぐための方法に過ぎないという意見で同意した。同様に,彼は暴力的なコンピュータゲームをしたり,ハンバーガーを食べたり,あれやこれやすることは許されていなかった。そして,彼はその全てに関して,母親に同意していた。実際には同意していないということを除いては。彼はただ,議論に負けてしまうのだ。
「僕にしなくちゃいけないことを話してくれたら。どうして,いつも話し合わなければいけないの」
「なぜなら自分で考えることを教えたいからよ」
「それが計画だったの」
「なんの計画」
「この間,自分のしていることは分かっているわよ,って言ったときの」
「何について?」
「母親であることについて」
「そんなこと言った?」
「うん」
「それじゃ,もちろん,自分で考えて欲しいからよ。親だったら誰でも望むのよ」
「でも,いつも議論して,僕が負けるだけじゃないか。そしてお母さんが望むとおりにする。時間を節約した方がいいよ。僕がやっちゃいけないことを言ってよ。そして,あとはそれにまかせて」
「なんでそんなこと言い出すの?」
「自分で考えていたんだよ」
「それは立派ね」
「自分で考えていて,放課後ウィルの家に寄りたいんだよ」
「もう議論に負けているわよ」
「お母さん以外の人に会う必要があるんだ」
「じゃ,友だちのスージーは?」
「お母さんそっくりだよ。Willは違う」
「そうね。彼は嘘つきだし,怠け者で,~」
「学校のことを理解している。物知りなんだ」
「物知りだって!マーカス,大人の生活の仕方さえ知らないのよ」
「僕の言いたいことわかる?」彼は本当にいらいらしてきた。「僕は自分で考えて,そして,母さんは。。。うまくいかないんだ。結局母さんが勝つんだから」
「なぜなら,根拠がないからよ。自分で考えている,っていうだけじゃ無理よ。それを示さなくちゃ」
「どうやって証明するの?」
「納得のいく理由を示して」
彼は理由を示せなかった。それは正しい理由ではないだろうし,それを言うことは気分がよくないだろうし,それを言ったら彼女が泣くだろうと思っていた。でも,それは十分な理由。彼女を黙らせる理由だったし,それが議論に勝つ方法だとしたら,彼はそれを使うだろう。
「だって,僕には父親が必要なんだ」
それは彼女を黙らせたし,彼女を泣かせた。うまくいったのだ。確かに,彼の気分は悪かった。本当に悪かったので,それを償うために何か言わなければならなかった。それは彼女をもっと傷つけるだけだと知っていたが。
「いい旦那さんになると思うよ。はっきりわかなけどね」
議論のはてに
少年は何事も母と徹底して議論したが,結局母親に言い含められてその結論に従っていた。少年は父親代わりになりそうな男性の家に行きたかった。母を説き伏せる唯一の理由は,彼には父親が必要だということだった。
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THE GOVERNMENT OF ENGLAND
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批判する人も擁護する人もともにイギリスの政治制度は論理的でないと主張する。そして,この発言は制度が演繹的方法で設計されなかったという点において本当である。しかし,一方で,現存する必要性に絶え間なく適応するために成長してきたというまさに,その事実によって,他のどの政府よりも,制度の個々の部分と他の部分との調和をもたらしている。この点において,イギリスの政治制度は生き物のようである。記述のためには統一性を損なう多くの細々とした不規則なもの,残存物があるのも間違いない。しかし,動物の形態における残存物と同様に,こうしたものは全体としての活動を深刻に妨害することはない。政治においてはフランス人はこれまでは正しい前提から論理的な結論を引き出す傾向があり,その結果はしばしば間違っており,一方イギリス人は不正確な前提から非論理的な結論を導き出すが,その結果は一般的に正しい,と言ってもいいだろう。実際には政治における全ての抽象的な提案はせいぜい近似のものでしかないので,それらから理由付けをしようとしても,たいてい不正確さを増大させるだけだ。しかし,イギリスでは制度は理論よりむしろ経験から発展してきている。もっともそれらはあとで,人工的で不適切な理由付けの過程によってしばしば説明されることが多いが。この点において,フランスの政治原則はより論理的であり,政府に関する理論でなく,イギリス政府そのものはより科学的である。
論理的ではなく,科学的な英国政治制度
イギリスの政治制度は生物の進化と同様に,周りに適応するために発展してきた。論理的に結論をだそうとするフランスの政治に対して,細々とした矛盾を抱えながら総体的には正しい科学的なものである。
① 5つのブランドのイチゴジャムの味見テストに参加するよう頼まれたとしよう。全てのジャムの味見をしたあとで,しかし,ジャムの品質を評価するように頼まれる前に,数分間それぞれのジャムの気に入った理由,気に入らない理由を書く。それから9段階でそれぞれのジャムを評価する。Consumer Reports誌によって集められた専門家が下した評価に照らして,正確さを判断するとして,どのくらいあなたの評価は正確だろうか。
②心理学者のTimothy WilsonとJonathan Schoolerが大学生を被験者にこの実験をしたところ,学生がジャムにくだした評価は専門家によってなされた評価とほとんどまったく似ていなかった。学生達はどのジャムが良くて,どのジャムが悪いのか区別すべきであった。というのもジャムはConsumer Reportsが調査した45のジャムの1位,11位,24位,32位,44位で質においてかなりの幅があったからだ。学生にはジャムの味が分からなかったのだろうか。彼らの好みは専門家とは違ったのだろうか。全くそんなことはない。条件を変えた実験では,それぞれのジャムを気に入った理由と気に入らない理由を書くのではなく,個々の被験者は全く関係のないこと。たとえば,大学の専門を選んだ理由など。それから被験者はジャムを評価した。味見をした後,全くジャムについて考えなかったにも関わらず,専門家の評価に近い評価をした。
③なぜジャムについて考えるとジャムに関する判断が悪くなるのだろうか。2つの理由がある。まず,ジャムについて考えることはジャムについてそれ以上の情報を与えてくれない。いったん味見をしたら,私たちの得る全ての情報を手にしてしまう。第2に,これが重要だと考えるが,ジャムの好みは主に感情的な反応から来るもので,論理的な分析から来るものではない。感情的な反応は分析的な理由付けの基礎にあるよりゆっくりとして,注意深い処理とは対照的に自動的に即座に起きる傾向がある。あるものがどのような味がするのかという決定はよく考えても改善することのない直感的な判断である。味について考えても,直感的で感情的な反応を結局は阻害してしまう関係のない情報を生み出すだけだ。
④味の好みは論理より,感情に依存しているが,主要な新製品を発売するかどうかの決定は,感情を排除し,分析に時間をかけるのに良い機会に思われる。しかし,その差違はいつもこれほど明かとは限らない。一般的に,決定が正しいか間違っているのかという客観的な根拠がほとんどないときは,直感には勝てない。しかし,客観的な基準がある時でも,自然な反応が分析的な反応に勝っているときがある。
①理由付けしながら味覚の評価をする
②直感で判断した方が味覚が専門家に近いものになる。
③味覚に関する情報は味覚だけ。論理的に考えることが直感的な判断を阻害する。
④客観的な判断より,直感的な判断のほうがすぐれている場合がある。
論理ではなく直感が頼りになる判断
ジャムの味覚を論理的に判断する場合と直感に頼る判断する場合を比較すると後者のほうが専門家の判断に近かった。感覚が判断材料となるものでは客観的な思考に頼らない直感的な判断がより信頼できる場合がある。
Personal Knowledge:
Towards a Post-Critical Philosophy
University of Chicago Press. ISBN 0-226-67288-3
個人的知識―脱批判哲学をめざして
① プトレマイオスの体系,そして聖書の創造の物語においては,人類は宇宙の中心の場所を割り当てられていたが,コペルニクスによって放り出されたしまった。それ以来,この教訓を分からせようとするすることに熱心な科学者たちは私たちに断固として,繰り返し,全ての感傷的な利己主義を捨て去り,新の時間的,空間的展望にたって客観的に自分たちを見るように要求している。このことは正確にはどのような意味だろうか。宇宙の歴史を忠実に表す2時間の映画を想像してみよう。人類の最初の始まりから21世紀の業績にいたる発展はたったの1秒で扱われるだろう。あるいは,同量の物質に同じ注意を払う,という意味において「客観的に」宇宙を調べようと決意したとしたら,一生涯,宇宙塵に関わることになり,ほんとうに時たま,恒星の誕生と死という目がくらむような明るい一瞬に安堵し,1億回の生涯でも,人類に一瞬でも注意を払う順番は来ないだろう。
② 言うまでもなく,科学者を含む誰もこんなふうに宇宙を見はしない。たとえ,どんなに「客観性」をたたえようとも。また,このことで驚きもしない。というのも,人類として,私たちは私たちのうちに横たわる中心から宇宙を見て,人間関係の必要性から形作られた人間の言葉で宇宙について語ることは避けることができない。従って,私たちの世界観から人類の評価を熱心に排除しようとする試みは滑稽なことにしかならない。
③ コペルニクス革命の真の教訓は何だろうか。なぜコペルニクスは実際の地上の基地を想像上の太陽の観点に交換したのだろうか。これを唯一正当化するのは,コペルニクスは地球ではなく太陽から見る宇宙のパノラマから得られる知的満足感が大きかった点にある。コペルニクスは人間が抽象的な理論に見いだす喜びを好んで,毎日太陽や月,星が東から昇り空を横断して西に沈むという,抗しがたい事実を提供してくれる私たちの感覚の証拠を排除してしまった。したがって,文字通りの意味においては,新しいコペルニクスの体系はプトレマイオスの見方と同じくらい人間中心であり,その相違は単に異なった人間の好みを満足することが好まれただけだ。
④ より大きな客観性の基準として知的満足感の本質において,この変化を受け入れて初めて,コペルニクスの体系がプトレマイオスのものより「客観的」だとみなすことが正統になる。このことは,2つの知識の形態のうち,より客観的なものとして,私たちの感覚により近い証拠に基づく代わりに,もっと理論に依存するものを考えるべきだ,ということを含意している。したがって,私たちの感覚とそうでなかったら私たちの感覚がより直接的な印象を得られるだろう物事の間におかれた仕切りのように理論が置かれているので,私たちはますます私たちの経験を解釈するための理論的な指針に依存するようになり,同様に私たちの生の印象の状態を信頼できない,あるいは全く人を誤らせるようなものへとおとしめてしまうだろう。
①プトレマイオスからコペルニクスへの転換が客観性を重視したことにはならない。
②人間中心の世界観が変わったわけではない。
③直感的な世界観から,より抽象的な世界観から得られる満足感を選んだに過ぎない。
④客観性とは体験から基づく世界観から私たちを切り離し,知的満足感を満たすより抽象的な世界に引き込んだに過ぎない。
コペルニクスがもたらした客観性
プトレマイオスからコペルニクスへの世界観の転換は私たちが直感的,身近に感じる世界観をより抽象性の高い,知的満足感を与える世界観に置き換えただけで,「客観性」の基準が変化したに過ぎない。
①オランダ東インド会社,ドイツ語ではVerenigde
Oostindische Compagnie,言い換えると,VOCと資本主義の関係はベンジャミン・フランクリンのタコと電気の関係と同じだ。すなわち,その時には予測できなかったであろう何か重要なことの始まりである。世界初の大規模は株式会社であるVOCは1962年に設立された。それはドイツ共和国がアジア貿易ブームに乗り始めた多くの貿易会社を一つの組織にまとめるように強制したのだ。VOCに参加しない商業事業はアジアでの貿易を許可されない。その見返りに政府は少額の税納以外には新会社を妨害しない。商人たちはしぶしぶ取り決めを受け入れ,VOCは6つの地域グループの連合体として登場した。非現実的な妥協にみえたものは素晴らしい革新となった。VOCは力と柔軟性を結合し,オランダはアジアの海洋貿易を支配する競争で大きなアドバンテージを獲得した。
② 会社の最初の10年間の活動で,8500人がVOCの船でオランダを出発した。それにつづく10年ごとの年月,総計は増大し続けた。1650年代までに4万人以上の人が10年毎に出発していた。ほとんどは国内にいて,限られた機会に満足するより,東インド会社での仕事を好む若者達だった。彼らにとってアジアはどこか他の場所でよりより生活をする希望を表していた。
③ しかし,出かけることは,戻ることとは限らなかった。実際,確率は低かった。アジア行きの船に乗った男の3人に2人は戻らなかった。旅行中に死ぬものもいたが,もっと多くの男達は到着後,免疫のない病気の犠牲となった。しかし,男達が戻らなかったのは死だけが要因ではない。多くのものがアジアに残ることを選択したが,それは帰国した時の成功の費用,あるいは失敗の恥辱を避けようとする人だったり,海外で新しい生活を送ることができ,あとにしてきたものに戻る欲求がない人たちだったりした。会社の部下達の死者の多さにも関わらず,VOCは繁栄し,それによってオランダも繁栄した。
④VOCが世界規模で商業活動を行い,維持できたのは海洋貿易にともなう新しい科学技術に少なからず依存していたから。イギリスの哲学者Francis Baconは1620年に,3つの「機械的な発見」に注意を向けた。それは,彼の見解によれば,「世界中の物事の全体像と状態を変えた」ものであった。そのような発見の一つは磁気コンパスで,それにより航海士は陸の見えない場所を航海し,それでも自分たちがどこにいるか推測できるようになった。第2の発明は紙だ。これにより商人は詳細な財務記録を保存し,長距離の連絡も維持できるようになった。第3の発明は火薬だ。16,17世紀の武器製造者によってなされた技術進歩がなかったら,海外でのヨーロッパの貿易商が望まれていない貿易協定に対する地元の反対を制したり,商品を守ることは難しかっただろう。VOCはこうした技術革新を利用して,アムステルダムか長崎に至までの貿易のネットワークを構築した。
⑤ベーコンがこの全ての発見が中国から来たことを知らなかったのは有名だ。これらが中国に起源があると聞いたら,彼は驚いたことだろう。マルコ・ポーロの旅行記の中の華やかな描写のおかげで,中国はヨーロッパ人にとって魅力的な場所だった。というのも,彼らは自分たちの考えの及ばない権力と富の場所だと考えたからだ。この富を獲得したいという欲求はヨーロッパ,アジアの両地域での17世紀の歴史を形成するのにはたした強力な推進力であった。
⑥ VOCや他の株式会社の創設によって,より多くの人々がこれまでの人類史上にないほど長距離を,長期間移動するようになった。彼らは自分が知らない言語を話,ほとんど知らない文化を持った人々と仕事をするようになった。彼らの世界,それは急速に私たちの世界になりつつあったが,二度と同じものにはならないだろう。
①オランダ東インド会社は世界初の大規模な株式会社であり,オランダに繁栄をもたらした。
②多くの人がこの会社を通じてアジアに行った。
③様々な理由で戻らない人もたくさんいたが,VOCの繁栄は続いた。
④VOCの成功はコンパス,紙,火薬という発見を利用したことが主な要因。
⑤16,17世紀,ヨーロッパ人にとって中国は魅力的な国だった。
⑥VOCによって,長距離,長期間旅行する人が増え,様々な人と交易するようになった。
資本主義の先駆けとなった東インド会社
オランダ政府の主導で誕生した東インド会社は磁気コンパス,紙,火薬などの技術を利用し,多数の社員によってアジア貿易を推進し,莫大な富をもたらした。それは現在の世界貿易,資本主義の先駆けとなるものだった。
① LucasとAniyahはセントラルパークで家を建てている。それは,マンハッタンの基準でも小さいが,二人の6才の子どもたちは自分たちの手作り品に満足しているようだ。家には(段ボールに切り開いた)窓があり,(黒の布きれの)平面テレビがある。Lucasの父親は近くのベンチからこの作業を見守っている。「箱とガラクタでできることってすごいですね」と彼は言う。
②これは,児童心理学者達のほぼスローガンになるだろう。彼らはセントラルパークのイベントの企画を手伝い,教育は生徒達が机に向かって,一心不乱にノートに書き込んでいるときに行われる,という概念に反対しようとしている。彼らは遊ぶも学習の一形態であると主張する。
③しかし,遊びに関する研究成果はどのくらいはっきりしているだろうか。遊びは人権であり,大人は子どもたちを放っておくべきだと主張する専門家もいる。また,遊びによって子どもたちが発散ができることは認めるが,その認知的価値には懐疑的な人もいる。第3のグループは自由な遊びと大人が援助する遊びと伝統的な教室での授業を混ぜ合わせることを提案している。しかし,遊びに関する全ての論議は最終的にはロシアン人心理学者Lev Vygotsky(レフ・ヴィゴツキー)の考えに辿り着く。
④Vygoskyは遊びを子ども時代の極めて重要な部分だと見なし,それによって子どもは「自分より頭一つ分大きくたてる」ようになる,と主張した。彼の最大の貢献は発達の最近接領域だったろう。それは子どもたちは人生のそれぞれの段階で,ある一定の達成ができる,というものだ。適切な環境で,適切な指導があれば,子どもたちはその最高の状態で発揮できる。
⑤最近の研究プロジェクトでは,ブロックを3つの集団の子どもたちに与えられ,指導のもとの遊びが子どもの発達を促すことが示されている。一つの集団では,ブロックはすでに空港に組み立てられていた。第2の集団はブロックが渡され,大人達が空港を作る指示に従うのを手助けした。第3の集団ではブロックが与えられ,何でも望むことをするように言われた。それから,研究者達は子どもたちが遊んでいるときの言葉に耳を傾けた。大人と一緒に空港を作った子どもたちがもっとも創造的で,空間的な言葉(「下」「上に」「~の横に」を使った。前もって組み立てられた空港で遊んでいた子どもたちが,そうした言葉を最も使わなかった。
⑥遊びは単に語いだけではない。Scienceに発表された2007年の研究では,遊びに基づいた,Vygotskyに啓発されたカリキュラムを用いた学校に通っていた4才と5才の子どもたちが,より一般的な幼稚園の子どもと比べてどのくらいか研究した。遊びに基づいた学校の生徒達は認知の柔軟性,自己抑制,作業記憶といった,常に学習達成と結びついている属性において,よい結果を出した。結果は大変,納得のいくものだったので,実験は計画より早くに中止になった。これは一般の幼稚園の子どもたちが遊びに基づくカリキュラムに変更できるようにするためだ。著者達は次のように結論づけている。「遊びはしばしば取るに足らないものとして考えられているが,極めて本質的な可能性がある」
⑦このような証拠があれば,Vygotskyが好んだような指示付きの遊びが広く促進されるだろうと思うかもしれない。実際には,遊びを指示する人たちによれば,急速に消えている。学習の概念が統一テストと同一視されるようになるにつれて。子どもたちは教室でより長い時間を過ごすように求められて,交わったり,自分で学習する機会が減少している。多くの学校地区では休み時間が日課から消えてしまった。放課後,親たちは子どもを活動から活動へと移動して,形のない一人あるいは友だちと過ごす時間を取り上げている。
⑧研究者達によれば,これは残念なことである。遊びが子どもたちのストレスを軽減し,社会的スキルを伸ばす,という理由だけでなく,子どもたちがより賢く,より行儀良くなるという理由からだ。従って,皮肉なことに,勉強を重視して,遊びを軽減することで,私たちは実際にはLucasやAniyaのような小さな子どもたちの発達を阻害しているかもしれない。
①公園で遊ぶ子どもたち
②遊びには可能性がある。
③教育と遊びに関する研究をするとLev Vygotskyの考えに辿り着く。
④遊びによって,発達するのは最近接領域。その時点での最大の発達を遂げる。
⑤大人が助言する遊びが最も子ども成長を助ける。
⑥ある実験では4,5才時の発達には遊びが重要な役割を果たしていることが明らかになっている。
⑦統一試験のために,遊びは減り,子どもたちは自分だけの時間がなくなっている。
⑧遊びは知能の発達にも役立つのに,その機会を現在の教育は奪っている。
子どもの知的発達に果たす遊びの役割
心理学者ヴィゴツキー以来,遊びが子どもの発達に重要であることが判明している。様々な研究で遊びが子どもの知能の発達に役立つことが証明されているが,現在では逆に子どもから遊びの時間が奪われている。
① 私たちの周りには,不況下においても,20世紀初頭依頼,類を見ないくらいの個人的な富のレベルを目にしている。豊富な消費財の際だった消費,たとえば,家や宝石,車,衣類,ハイテクおもちゃなどがここ30年にわたって大きく伸びている。アメリカ合衆国やイギリスや他の数カ国では,金融取引が個人の財産の源として製品やサービスの生産に取って代わり,私たちが様々な経済活動におく価値観をゆがめている。貧乏な人々と同じく裕福な人々も常に私たちのまわりにいた。しかし,他の全員に比べて,記憶が許す限り,現在ほど裕福で目立っていることはない。個人の特権は理解し,説明しやすい。私たちが陥っている大衆の卑しさの深さを伝えるのはずっと困難である。
②私たちが沈んでいる深さ(どん底)を理解するためには,まず最初に私たちを襲った変化の大きさを測らなければならない。19世紀後半から1970年代までに,西欧の先進社会は全て不平等の度合いが減少していた。累進課税や貧しい人々のための政府の補助金,社会サービスの提供,突然な不幸に対する補償のおかげで,現代の民主国家は極端な富と貧困を減らしていた。大きな相違が残っていたことも確かだ。本質的に平等国家であるスカンジナビア諸国と南ヨーロッパの際だって多様性に富む国々の違いは残っていた。そして,英語を話す北米と大英帝国は積年にわたる階級の違いを反映し続けていた。しかし,それぞれの国家はそれぞれのやり方で節度のない不平等に対する不寛容の高まりによる影響を受け,個人の不適切さを補う公的な支援を開始した。
③ 過去30年間の間に私たちはこれら全てを捨て去ってしまった。確かに「私たち」は国によって異なる。個人の特権と公的な無関心のもっとも極端な例はアメリカとイギリスで表面化している。両国は規制緩和の市場資本主義をもっとも推進した中心国家である。ニュージーランドとデンマーク,フランスとブラジルのようにかけ離れた国々が規制緩和に断続的に興味を示したが,イギリスとアメリカが30年間たゆまず社会的な規制と経済監督の時代を解き放すことに関わったことに匹敵する国はない。
④ 2005年にはアメリカの国民の収入の21.2%がわずか1%の所得者に帰していた。ジェネラルモーターズのCEOが給料と利益で,平均的なGMの社員に払われた給料の約66倍もらっていた1968年と比べてみなさい。今日,Wal-MartのCEOは平均的な従業員の賃金の900倍稼いでいる。実際,2005年のWal-Martの創始家の富はアメリカの人口の下位40%,1億2千万人の富(900億ドル)と同じだと見積もられている。イギリスも収入や財産,健康,教育,機会において1920年代以来,もっとも平等でなくなっている。EUのどの国よりもイギリスにおいて貧しい子どもたちがいる。1973年以来,手取りの給料の不平等はアメリカを除くどの国よりも大きくなっている。1977年から2007年の間にイギリスで産み出された新しい仕事のほとんどは給料の幅の一番高いところか低いところのいずれかである。
⑤ その結果は明かだ。世代を超えた移動の崩壊がある。イギリスの現代の子どもたちは親や祖父母に比して,アメリカと同様に,自分が生まれた状態が改善するという期待がほとんどない。貧しい人は貧しいままである。圧倒的多数に対する経済的不利益によって,病気,教育機会の遺失,そして,(ますます),よく見慣れた気持ちの落ち込みの症状,すなわちアル中や肥満,ギャンブル,少年犯罪が生まれている。失業者あるいは不完全雇用者はこれまでに身につけてきた技術は全て失い,経済にとっては慢性的なやっかいものになっている。病気や早死にはいうに及ばず不安とストレスがそれに続くことが多い。
⑥ 収入の不均衡が問題を悪化させている。したがって,精神病の発生率はアメリカ,イギリスでの収入と密接に関係し,一方,ヨーロッパの全ての国において,この2つの指標は全く関係していない。私たちが同胞市民に持っている信念,信頼感でさえ収入の相違とは負の相関にある。1983年から2001年の間,不信感がアメリカ,イギリス,アイルランドで顕著に増大した。この3カ国では,規制のない個人の利益に対するドグマがもっとも徹底して公的な政策に適応された。これほどまでに相互の不信が増大した国は他にない。
⑦ それから,不平等は単にそれ自体が魅力的でないというだけではない。その根本的な原因に関わらない限り取り組むことのできない社会的な問題と明らかに関係している。幼児死亡率や余命,犯罪,囚人の数,精神病,失業,肥満,栄養失調,10代の妊娠,違法ドラッグ,経済不安,個人の負債,不安がヨーロッパ大陸のどの国よりもアメリカ,イギリスで顕在化している理由がある。少数の金持ちと多数の貧困者の差が開けば開くほど,社会問題は悪化する。これは貧しい国にも豊かな国にも当てはまるように思われる。問題は国がどのように豊かであるか,ではなく,国がどのように不平等であるか,ということだ。従って,一人あたりの収入,すなわちGDPにおいて世界で最も豊かな2国,スウェーデンとフィンランドはもっとも裕福な市民ともっとも貧しい市民を隔てるギャップが大変狭く,この2カ国が常に計測可能な幸福の指標において世界をリードしている。逆に,アメリカはその巨大な富全体にも関わらず,常にこのような指標では下位に来る。アメリカは巨額の医療費を使うが,アメリカの寿命はボスニアより低く,アルバニアよりわずかにいい,という状態が続いている。
⑧ 1970年代ぐらいでも,人生の目的は金持ちになることで,政府はこのことを実現するために存在する,という考えはバカにされたことだろう。伝統的に資本主義に批判的な人々ばかりでなく,堅固な資本主義擁護者によっても。富自身のために富に対する相対的な無関心は戦後の数十年間は広く存在していた。1949年に行われたイギリスの男の子たちに対する調査では,知能が高ければ高いほど,単に給料がよい職業より,適度な給料で興味のある職業に選ぶ可能性があることがわかった。現代の生徒や大学生は儲かる仕事を探す以外のことはほとんど想像できない。物質的富の追求に取り憑かれて,他のことには無関心な世代を育ててしまった償いはどのように始めたら良いだろうか。おそらく,今のような状態が常にあったわけではない,ということを自分自身にまた,子どもたちに想起させることから始められるかもしれない。私たちが初めて30年になる,「economistically」な考え方は人間本来のものではない。私たちは違った形で生活を形成していた時代があったのだ。
各段落の要旨
①現在ほど裕福な人が裕福な時代はない。一方で人はいやしくなってしまった。
②19世紀後半から1970年代までは,様々な施策で社会の不平等は減少していた。
③過去30年の間に特にアメリカ,イギリスにおいて規制緩和と市場主義を推進した。
④イギリスとアメリカでは貧富の格差が拡大した。
⑤貧富の格差により階級が固定化し,貧しい人は経済的不利益によって多くの様々な問題を抱えている。
⑥貧富の格差が諸問題の根源であり,格差の少ない国では貧富の差と多くの問題とは密接な関係がない。
⑦社会の問題の本質的な解決には貧富の格差の縮小にある。
⑧富だけに価値を置く世代を生みだしたことへの反省は,そうした価値観に全ての時代が支配されていたわけでない,ということを想起することだ。
貧富の格差と社会問題
アメリカ,イギリスでは過去30年間の規制緩和と市場原理主義によって貧富の格差が増大し,様々な社会問題が顕在化している。格差の少ない国から学び,問題解決のためにより平等な社会に回帰する必要がある。(97字)
①私たち二人は,10年以上前に,クリスがハーバード大学心理学科の院生で,ダンが新任の助教授として着任したばかりの時に出会った。クリスの研究室はダンの実験室の廊下の先にあり,私たちはまもなく二人とも私たちが視界の知覚,記憶,思考方法について興味があることがわかった。クリスが教授助手としてダンが教えた研究方法の授業で,学生達が授業の一環として実験を手伝い,その一部は有名になっている。1970年代に認知心理学の先駆者Ulric Neisserによって行われた視覚注意と認識に関する独創的な一連の研究に基づいていた。NeisserはDanがコーネル大学の大学院の最終学年の時に異動してきており,二人の度重なる会話によってDanはNeisserの初期の画期的な研究を積み重ねようと思った。
②学生を臨時の俳優に,心理学棟のあいたフロアーをセットにして,2つのグループが動き回って,バスケットボールをパスする短い映画を作った。1チームは白いシャツを着て,もう1チームは黒を着た。Danはカメラの配置と監督をし,Chrisは動きを作り,撮影に必要な場面をのがさないようにした。それから,フイルムをデジタルで編集し,学生はハーバード大学のキャンパスに出て,実験を行った。彼らはボランティアに黒いシャツを着ている人のパスは無視して,黒いシャツを着ている人のパスの数を静かに数えるように頼んだ。ビデオは1分もなかった。ビデオが終わるとすぐに,学生達は被験者に何回パスを数えたか聞いた。正解は34回,あるいは35回だったかもしれない。正直言うと,それは問題ではない。パスを数えるタスクは画面上の動きに注意を求めることをさせておくためのものだったが,パスを数える能力には実際の所興味はなかった。私たちは実際には別のことを実験していたのだ。ビデオの中盤で,黒の全身ゴリラの着ぐるみを着た女子学生が場面に登場し,パスをしている人の真ん中で立ち止まり,カメラに向かい,胸をたたき,歩き去る。約9秒間のことだ。
③パスについて聞いた後,驚いたことに,私たちの研究の約半数の被験者ゴリラの存在に気がつかなかったことがわかった。その後,実験は何回も,異なった状況,様々な被験者,複数の国で繰り返されているが,結果は常に同じだ。すなわちやく半数の人々はゴリラに気がつかない。どうしてゴリラが目の前を歩き,こちらを無期,胸をたたき,歩き去るのが見えない,ということがあり得るのだろうか。どうしてゴリラは見えなくなっているのだろうか。この認知の誤りは予期しないものへの注意の欠如に起因し,したがって科学的には “inattentional blindness”(不注意による見落とし)という言葉になる。この名前は損傷した視覚組織に起因する見落としと区別している。ここでは,人々はゴリラを見ないが,目の問題で見えないのではない。人は視界のある特定の範囲,要素に注意を傾けると,予期しないものに気がつかない傾向にある。たとえ,こうしたものが目立っていて,潜在的には重要で,見ているその場所に現れた時でも。言い換えると,被験者パスを数えることに集中するあまりに自分の眼前にいるゴリラが「見え」なかったのだ。
④しかし,私たちがもっとも興味を持ったのは一般論としての不注意による見落としでも,この場合のゴリラ研究でもなかった。人は物事を見落とすという事実は重要だが,さらに印象深かったのは自分たちが見落としたものが分かったときに示した人々の驚きだ。ビデオをもう一度見た時,今回はパスを数えることなしに,全員が簡単にゴリラを見ることができて,ショックを受けた。思わず「これを見落としたの!?」とか「ありえない!」という人もいた。ある男性は「最初の時はゴリラは通過しなかったよ」と言った。また,彼らが見ていないうちにテープを入れ替えたと非難する被験者もいた。
⑤ ゴリラの研究は,おそらく他のどの研究よりも劇的に「錯覚」の強力で広範な影響を説明している。私たちは思っているほど自分たちの視界を経験していないのだ。注意に対する限界が十分分かっていたら,この幻想はなくなるだろう。私たちが世界のある側面,特に注意の中心にあるような事柄については生き生きと経験することは確かだ。しかし,この豊かな経験によって私たちの周りの全ての詳細な情報を処理している,といった誤った信念につながるのは避けられない。本当は私たちの世界の一面を生き生きと見ていることは分かっているが,その注意が向けていない世界のことは全く意識していないのだ。私たちの生き生きとした視覚経験によって,顕著な心の盲目を気づかせないでいる。すなわち,私たちは視覚的に目立ったり,珍しいものは私たちの注意を引くものだと思っているが,実際には全くきずかれずにすむこともよくある。
⑥それでは,予期しないことを気づくのは誰だろうか。効果は大変印象的で,気づく人と気づかない人の数のバランスも印象的なので,私たちの人格のなんらかの重要な側面がゴリラに気づくか,気づかないか決定していると想定しがちだ。ゴリラのビデオを性格型を決定する重要な要素としたいという直感的な希望にも関わらず,注意力や他の能力の個人的な相違が不注意による見落としに影響を与えているという証拠はほぼない。例えば,ゴリラの実験を経験した多くの人は一種の知能あるいは能力試験だとみなしているが,ハーバード大学院で最初に行われた研究はそれほど有名ではない大学,学生ではない被験者でも同じ結果だった。同様にNokiaのオンライン調査によれば,男女の60%が女性はマルチタスクを得意としていると考え,女性のほうが男性よりもゴリラに気がつく可能性が高いのではないかと示唆している。残念なことにマルチタスクに関する一般の考えを支持する実験的な証拠はほとんどないし,男性の方が女性よりもゴリラを見落としやすいとする証拠も見つかっていない。
⑦もしこの錯覚がそんなに一般的ならば,私たちの種はどうやって生き残りそのことについて書けるのだろうか。なぜ,先祖候補の祖先は捕食者に気づかないことですべて食べられてしまわなかっただろうか。一部には,不注意による見落としとそれに伴う錯覚は現代社会によってもたらされたものだ。私たちの祖先は認識に対して似たような限界を有していたに違いないが,それほど複雑でない社会においては,認識すべきものも少なかった。というのも,直接の注意を必要とするものや出来事が少なかったからだ。これに対して,技術の進歩によって,私たちはずっと多くの注意を,それもますます頻繁により少ない時間で要求する機器を得ている。私たちの視覚,注意の神経回路は歩行者のスピード用に作られており,スピードを出した運転用ではない。歩いている時には予期せぬ出来事に気づくのが数秒遅れてもたいしたことにはならないだろう。しかし,運転しているときには予期せぬ出来事にたとえ10分の1秒遅れただけでも,自分があるいは誰か他の人が死ぬこともある。科学技術は私たちの能力の限界を克服するのに役立つ可能性があるが,それは,どんな科学技術にもまた限界があるということを認識している場合に限る。この意味において,私たちの注意の限界を克服するために使う補助具として錯覚を一般化する傾向にある。しかし,私たちは錯覚を認識することによってのみ私たちが見る必要のあるものを見逃さない方策をたてるのに役立つということを心にとどめておかなければならない。
各段落の要旨
①視覚注意と認識に関する実験
②実験の概要:注意が向けられないところにあきらかにおかしなゴリラを登場させる。
③パスの回数を数えることに注意を向けると,他に気がつかない人がいる。これを不注意による見落としと言う。
④自分があまりにはっきりしたことに気づかなかったことに驚く。
⑤視覚的には見えていても認知されない錯覚が存在する。
⑥明かなものに気づくか気づかないかは,教育,性差など関係ない。
⑦このような情報の取捨は昔からあったが,科学技術の進歩によるところが多い。
予期していないことを見落とすことが大きな事故になることは意識すべし。
錯覚の科学:見えないゴリラの着ぐるみ
ボールのパス回しを数えるという課題中に着ぐるみのゴリラを登場させても,そのゴリラに気づかない人がいる。あることに注意すると,他の予期せぬことを見逃す錯覚がある,という事実を認識しておくことは重要だ。