2010年入試問題 大意

【山口・前期】

T

 学校へ行く初日,私はおなかの調子が悪くて目が覚めた。痛いわけではなかった。ただ,自分が弱っていると感じた。母と父が台所で話をしているのが聞こえてきた。

「今日はアントニオの学校の初日よ」母が言った。

 「アントニオが今日,学校へ行くんだって」父が言った。

 「そうよ。アントニオに話すべよ。教育の大切と,何にでもなれるって知らなくちゃ」

 「大丈夫だよ」

 「まぁ,よくしっていること」母はにこにこしながら台所へ入っていった。彼女は腕の中に私をだきよせ,私の肩で泣いていた。「私のぼくちゃんが今日行ってしまうのね」彼女は泣きすすりながら言った。

 私は姉たちと家を出たが,どういうわけか,無数の子どもたちが叫んだり,押し合ったり,叫びながら学校へ向かっているように思われた本通りで,姉たちを見失ってしまった。私は学校の玄関までたどり着いたが,怖くて入れなかった。肩に手をかけられたのを感じたのその時だった。私は振り向き,見知らぬ赤髪の男子の目をのぞき込んだ。彼はよく知らない言葉である英語を話した。

 「1年生です」としか答えられなかった。彼はにこりとして,私の手を取り,彼と一緒に学校へ入り,Maestas先生の教室に入った。英語は話せません,と先生に言った。彼女はスペイン語で私の名前を聞いた。「アントニオ,書きたいですか」彼女は私にクレヨンと紙をくれ,私は角に一人で座り,書いた。昼までに私は自分の名前を書けるようになり,Maestas先生はそれがわかると,大変喜んだ。彼女は私を教室の前に連れて行き,私を指してクラスに話しかけた。他の男の子や女の子は笑って,私を指さした。いい気分ではなかった。

 お昼には全ての生徒たちはサンドイッチを持っており,母が詰めてくれたトルティーアで包んだマメとチリの入った小さな入れ物を見て笑った。私はお昼を片付け,そっと教室を出た。学校と生徒たちになれていないことで,私は大変寂しくなった。私には彼らのことが分からなかった。私は校舎の裏へ行き,壁により掛かって立ち,食べようとした。しかし,できなかった。のどに大きなできものができているように思われ,涙が出てきた。私は母が恋しくなり,同時に私は彼女は私がのけ者である場所に送り込んだのだ,と分かった。

 苦痛と悲しさが心いっぱいに広がっているようだった。そして,私は逃げて,隠れ,走って,二度と戻ってこない,二度と誰にも会わなければいいと思った。しかし,もし,私の家族の名を汚したら,母の夢が台無しになるだろうとわかっていた。私は成長して,大人にならなければならないことは知っていたが,なんと,それはつらいことだろうか。

 しかし,私だけがひとりぼっちであったわけではなかった。壁の先に角には教室から抜け出てきた二人の少年が見えた。ジョージとウィリーだった。彼らは年上だ。私たちは一緒になって,一緒になることで,力を見いだした。私たちは私たちと同じような人,言語と風習が違う人をさらに数人みつけた。寂しさの一部はなくなった。多くの食事は黙ってしてが,私たちは一緒だと感じた。私たちは私たちの心を悩ます孤独感と戦った。そして,それを克服した。他の人とは二度と共有することのない感覚だった。ホセやボーンズ,キッドやチノとも共有することのないものだった。

 

学校の初日

スペイン語が母語で英語を話さない私は始めて学校へ登校した。名前を書いて,クラスに紹介されたが,昼食時には他の級友に疎外された。たまらず教室を出た私は同じような境遇の友人に出会い,強い絆を感じた。

 

U

 英語は現在,世界で最も広く学習されている言語である。おそらく世界でもっとも広く話されているだけではなく,国際コミュニケーションの主要な手段としてふさわしいからだろう。その結果,私たちは今,英語が使われている世界の多くの国での英語の形態と機能について多くのことを知っている。しかし,それほど広く研究されていないのは英語が文化的象徴として時に機能する方法だ。言い換えると,象徴の体系としてでなく象徴そのものとして。英語のこの側面に焦点を当てた数少ない学者の一人がハールマンだ。日本での彼の研究によって,英語は日本のテレビの広告で,視聴者が見たり,聞いたりしていることを理解するなどと期待せずに,象徴的に使われている方法がわかる。ロシアは旧ソ連の他の国での近年の広告の発展はまた,英語がこの形で使用されていることを示している。広告者はおそらく,ロシアの視聴者や読者は目にする特定の英語の単語や語句を理解するだろう,というより,彼らはローマ字と英語を特定の意味を含むメッセージと結びつけるだろうと,考えている。このような状況においては,私たちは「言語のディスプレイ」(language display)と呼ばれていることを目撃しているのだ。そこでは,ことばは言語的に言語の境界を越えて伝えるために使用されずに,その言語を話す人々と象徴的に関連づけられている特性があるのだと主張するために使われているのだ。

 もちろん,それから起きる疑問は,どの特性を英語はこのように使用されるときに表しているか,ということだ。アメリカ合衆国といった英語が母国語として話されている国の話さはに典型的に思われるある種の特長を象徴しているのだろうか。あるいは国際言語として英語の地位によって,国際的なアピールのシンボルとして代わりに機能しているだろうか。ハールマンは日本語のテレビ広告を分析して,英語が明らかにイギリス的,アメリカ的な視覚状況で使われたときは,その国の典型的なイメージを呼び起こすかもしれない。しかし,一般に,型にはまった反応は大多数が英語を母国語として話す国との連想から生まれず,代わりにより一般的な英語と現代性,社会的進歩という考えとの連想から生まれた。ほとんどの日本人は外国文化との一貫した直接的な経験はほとんどないが,テレビCMでの英語が使われると,他の外国語(主にフランス語)と一緒に,人々は現代の「グローバルな」社会の一員であると感じる。ハールマンは日本のテレビ広告での英語の使用は最初に考えられるかもしれないような,日本でのアメリカやヨーロッパの影響を反映したものではなく,その代わりに,英語を使う特別な日本的方法なのだ。

 

文化的象徴としての英語使用

英語はコミュニケーションだけでなく文化的象徴的な意味を伝えるのに使われる。ハールマンによれば,日本やロシアで英語を広告で使用するのは,英語から連想される一般的で好意的な象徴的意味を伝えるためだ。(97)

【兵庫県立・前期】

【兵庫県立・前期】

T

 George Smithはローマで飛行機から降り,乗客と一緒に税関へと向かった。突然スミスは悪い予感がしだした。彼のパスポート,アメリカ合衆国の法的証明がコートのポケットになかったのだ!ジョージは頭の中で思いを巡らした。パスポートはどこだ。家か。飛行機か。関係ない。ジョージはパスポートがなかったら,イタリア政府の職員が彼をイタリアに入れてくれるまでにかなり遅れが出るだろうと知っていた。パスポートは国が国境を越えた人々の流れを制御する一つの仕組みである。

 

 ジョージの問題は今日,世界の基本的な政治単位は国,すなわち,より正確な用語では,国家であるという事実を例証している。国家は決まった領土を占め,他のより高い権限からの許可を得ることなく法律を作り,強制する権力を持つ組織された政府を有する政治共同体である。国家は領土内に住む人々を制御する。アメリカ合衆国は世界に今日存在する150カ国以上の国の一つである。

 

 今日の世界の国家は規模や人口,経済力,軍事力,重要性において様々である。たとえば,太平洋の島,ナウル共和国は人口約8000,面積8.2平方マイル(21平方キロメートル)の最小の国家の一つである。一方,中華人民共和国は10億人以上が400万平方マイル(950万平方キロメートル)ほどの地域に住む最大の国の一つである。

 

 私たちはしばしば「nation:国」という用語をイタリアやアメリカ合衆国のような国家について話すときに使う。しかし,厳密にはnationとは人々の大きな集団を示す民族的な用語である。nationとは共通の人種,言語,風習,伝統,そして時に宗教の結びつきで統一された人々の大きな集団である。ほとんどの場合,現代の国家の領土の境界とnationの境界は一致する。従って,フランスのnationとフランスの国家の領域は同じだ。「国民国家」という用語がしばしばこのような国を説明するのに使われる。

 

しかし,自分が国民だと考える全ての人が自分の国家を有しているわけではない。たとえば,東部カナダでは,カナダの英語話者で非カトリックの文化,伝統よりフランスのそれに従うことを好むフランス語を話す多くのカトリック教徒がいる。こうした人の中にはカナダから離れて,自分たちの国家を設立したいと思っている人がいる。一方,アフリカでは今日,大きな民族集団の人々がいくつかのアフリカの国家に分断されている。こうした国がヨーロッパの植民地であった時に作られた人工的な国境の結果として。

 

 国家には人々が必要である。したがって,国家が最初に必要とするのは人口である。アメリカ合衆国の人口は人種的,民族的に多様であるが,3億人以上だ。

 

 国家の人口の性質は国家の安定と政治組織に影響を与える可能性がある。たとえば,アメリカの人口は成長しているだけでなく,大変流動的である。全てのアメリカ人の18パーセントほどが毎年住居を変えている。そして,近年では人口の傾向は北東部から南部,西部の「サンベルト」州に変わっている。その結果,国の南部,西部地域が1982年議会の議席を獲得した。1980年の国勢調査に基づいて。一方,北東部のいくつかの州では議席を失った。

 

 国家には知られて,認識されている国境を持つ土地がある。アメリカ合衆国の総面積は3,615,122平方マイル(9,363,123平方キロメートル)だ。国境の正確な場所と形はしばしば国家間の紛争の源となり,戦争に発展してきた。

 

アメリカ合衆国の領土は他のいくつかの国のそれと同じように東部海岸に設立された13州以来著しく成長している。19世紀中頃までに,私たちの国の領土は太平洋まで伸びた。数千マイル西に位置するハワイは1898年に併合され,2年後には領土になり,そして1959年に州の位置が与えられた。

 

国家の重要な特長は国家には主権があることだ。主権とは国家が最高,絶対の権力を領土内で有することだ。完全な独立を有している。国家は法律を作り,外交政策を形成し,自己の方向性を決める完全な力がある。理論的には,少なくとも,他の主権国家の内政を干渉する権利を有している国家はない。

 

さらに,全ての国は主権があると考えられているので,全ての国家は法的権利と義務,少なくとも,理論的には,に関して,平等である。実際には,もちろん,大きな経済力と軍事能力を有する国家は小さな国家より力がある。アメリカ合衆国の主権は独立宣言を通して1776年に宣言され,英国との全ての政治的結びつきを絶った。

 

全ての国家には政府の形態がある。政府とは国家が国家内に住む全ての人々を拘束する法律を作り,課す組織である。ほとんどの大きな国ではいくつか政府の段階がある。これには通例,県,州,郡,市,町,村と同様に中央あるいは国の政府を含む。こうした全ての政府は何らかの序列にしたがって機能する。

 

国家(state)について

今日の基本的な政治単位は国家である。国家は同じ民族からなる「国民国家」から人工的に分断された国家まである。国家の要件は人々,領土であり,国家は主権を有し,法律を制定,施行する政府がある。

 

U

 1600年代前にはイギリスの村は共通の土地を一緒に放牧や他の農業の為に使った。1600年代には,イギリスの農民は囲い,すなわちこうした共通の土地を個人の所有物に囲い始めたのだ。農民たちはバラバラになった土地を合わせて大規模な農業に効率的なより大きな保有地にした。この囲い込み運動は1700年代まで続いた。最後に,1800年代初頭には,成長する年での農産物への高まる需要と英国がナポレオン戦争の間自国民を養う必要性があり,大規模農業が必要なものとなった。

 

 囲い込み運動には2つの重要な結果がある。まず大規模地主が自分の保有地を加えるのにつれて,小さな土地の所有者が小作民になるか,農業をやめて,都市に移るかいずれかを強要した。第2に,土地は共通に耕作される必要がなかったので,農民は新しい農法を他の村人の許可を求めることなく実験することができた。

 

1700年代初頭に実験をした最初の人物の中にジェスロ・タルのようないわゆる「豪農」がいた。広い区域に手で種を蒔く無駄の多い方法について関心を持って,タルは種まき機を発明し,それによって規則正しい列に種を植えることが可能になった。

 

実験はタルに作物はもし定期的に雑草を取り除き,植物の列の間の土をほぐすと,よりよく成長することを示した。タルはこの仕事をするために馬が引く耕耘(こううん)機を発明した。

 

もう一人のイギリスの豪農,ヴィスカウント・チャールズ・「カブ」・タウンシェンドは別の無駄な慣習を避ける方法を見つけた。これまでは,農民は毎年,栄養素が土壌にたまるように畑のいくつかは植え付けをせずにおいた,すなわち休閑地にしておいた。実験を繰り返し行い,タウンシェンドは異なった種類の作物を交代で作ることで,土地の肥沃さを保つことを学んだ。たとえば,彼は麦や大麦といった穀物をある年に植え,翌年はカブのような根菜を植えた。このシステムは,輪作と呼ばれるが,現代農業の基本的方針となっている。

 

 機械がさらに改良されて,農家の労働はより楽になり,生産が増した。たとえば,鉄の鍬が木製に代わった。アメリカ人の鍛冶屋ロバート・ランサムは農家の人は一つの部品が壊れる度に全く新しい鍬を買わなければならない代わりに安く壊れた部品を取り替えられるように3つの部品で鉄の鍬を発明した。

 

新しい農業技術と機械の中には高価なものもあった。それを変える農民は大もうけしたが,小さい保有地の多くの農家は農具を追加する余裕がなかった。

 

1800年代までには農業の改善によって,農家の労働の需要が減少した。多くの職を失った農場労働者は都市に移り,そこで,労働力を生み出した。

 

イギリスの囲い込み運動と農業の発展

17世紀,共有地は一部農民によって囲い込まれ始めた。囲い込み運動の結果生まれた豪農たちは独自に農法を改良,農機具の発明をした。農業の発展によって余った農民は都市に移動して新たな労働力となった。

 

V

今日ヴィンセント・ヴァン・ゴッホに絵画は8000万ドル以上で売れる。しかし,彼が生きている間は,誰も彼の絵を買いたがらなかった。ほとんどの人々は彼を無視するか笑いものにした。

 

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは1853年にオランダ,グルート・ズンデルトに生まれた。彼の父は教会の牧師であった。彼はヴィンセントに他の人を助けることは大切だと教えた。ヴァン・ゴッホも牧師になろうとしたが,彼はうまくいかなった。彼はまた多くの他の仕事も試みた。彼は画商や本屋,教師をやってみた。そのたびに失敗した。不運なことにヴァン・ゴッホは精神的な問題があり,しばしば悲しがったり,怒ったりした。このことで彼が成功するのは難しかったのだ。

 

ヴァン・ゴッホは一つ得意なことがあった。すなわち芸術だ。彼は独学で線画や油絵を学んだ。彼は見つけたものはなんでも,メニューや本,紙切れなどに描いた。1881年,彼は絵画の勉強を,初めはブルッセルで,それからパリで始めた。彼の初期の絵画はオランダの貧しい人々についてであった。それらは暗い絵で,その中の人々は悲しげだった。彼がフランスへ行ったとき,彼は明るい色で絵を描き始めた。彼はわくわくするように描いた。彼の絵画は彼の強い感情を示した。彼はいつでも生活の普通のもの,たとえば,寝室や椅子,花などを描いた。しばしば,彼は鳥や花,野原を描きに田舎へ行った。

 

ヴァン・ゴッホの絵画は他の芸術家たちの絵画とは大変異なっており,人々はそれらが気に入らなかった。時々彼は別の場所に引っ越したとき絵を残した。その絵を見つけたとき,人々は薪やものを作るために使った。彼は自分の作品を売ることはできなかった。そこで,彼にはあまりお金がなかった。彼は絵の具や筆を買うためにお金を使ったので,食べるものがなかった。彼はまた着物や食べ物を他の貧しい人々に与えた。

 

ヴァン・ゴッホの精神的な問題によって生活は大変困難になった。彼には奇妙な不機嫌な人格があった。彼は頑固で議論好きだった。彼を恐れる人もいた。笑いものにする人もいた。子どもたちは通りで彼にものを投げ,罵声を浴びせた。彼の弟テオはたった一人の真の友人だった。テオは彼にお金を与え,彼が書き続けるように励ました。

 

ヴァン・ゴッホは彼の最後の2年間をフランス南部で過ごした。この時期に彼は200枚ほどの絵画を生み出した。1888年,フランス人画家ポール・ゴーギャンがヴァン・ゴッホと暮らし始めた。ある晩,二人はひどい議論をした。ヴァン・ゴッホはカミソリでゴーギャンを追いかけた。後にヴァン・ゴッホは大変すまないと思った。彼は家に帰り,左耳の一部を切り落とした。彼は大量の血を流し,死にそうになった。

 

ヴァン・ゴッホは助けが必要だとわかった。彼は精神病院へ行った。彼がそこにいる間に,描き続けた。実際,彼の人生の最後の70日間,毎日1枚の絵を描いた。彼は病院で寝室の窓から眺めている間に,傑作の一つ星月夜を描いた。ヴァン・ゴッホは何ヶ月も精神病の入退院を繰り返した。とうとう,1890727日,彼は自分を撃った。彼は2日後に亡くなった。わづか37才であった。

 

テオは兄の死に対する悲しみでいっぱいであった。彼は病気になり,わずか6ヶ月後に亡くなった。彼はたった33才だった。テオの未亡人,ジョアンナは一生懸命働いてヴァン・ゴッホと彼の絵画を有名にした。彼の死後30年もしないうちにヴァン・ゴッホはこれまでの偉大な芸術家の一人と呼ばれた。

 

ヴァン・ゴッホの生涯

ゴッホは唯一の得意分野である絵画の勉強をした。彼の独特な絵は受け入れられず,金銭的に困窮した。精神病と戦いながらも弟の援助を受け多くの作品を残したが,若くして自殺した。死後ようやくゴッホは認められた。

【高知・前期】

「でも,大阪弁はしゃべらないでしょ」というのは私が昔大阪に住んでいたと知って始めに私に言ってくることの一つだ。それから,私が標準語だと思うこと言っても,結局,私が大阪弁を使いこなすことで,相手を驚かしてしまう時もある。

 

 私が最初に大阪弁を経験したのは,私が大阪に交換留学生で来て,ホストファミリーと会話を始めた昔のことだ。私は何年間もニュージーランドの高校で日本語を勉強していたが,ホストファミリーと話すと,私は飛行機を乗り間違えて,日本以外の国に着いてしまったと思った。ホストファミリーが使っていた速度も抑揚,大幅に違う語いも教科書には全くないものだった。それは魅力的,わくわくし,ちょっと怖かった。それに続く私の交換留学の12ヶ月間,私は教科書は捨て,私の周りの人が話している方法で話すことに決めた。私は大阪の人々のコミュケーションの仕方が好きになり,さらに重要なことにそれを理解し始めた。私は東京に住むようになってちょうど二年が過ぎたところだ。私は毎日標準の日本語を聞くのになれているが,君ような大阪弁を話す人に出会うと,私は私の一日が少し明るくなったように感じる。

 

 私にとっては大阪弁は日本語に元気と味わいを加えてくれるのだ。この見方はみんなに共有されているようには思われない。関西の友人は,自分の親は東京で就職活動をするときには,差別されるかもしれないので,方言で話してはいけないと言われた時代に育ち,働いていた,と言った。これは大変不運なことだ,というのも日本が有する豊かで多様な風習や方言,文化を見せて,誇りに思わないことは大変な無駄に思えるからだ。最近,大阪弁はより受け入れられるようになっているが,この時代になっても,私が会う人の中には大阪弁は品がなく,脅迫的だと思う人もいる。

 

 周りの人々が言葉と方言をまぜこぜにしているニュージーランドやマレーシアで育ったので,私は本当に両方とも魅力的だと思う。ある意味で東京は日本中の方言と出会う完璧な場所だ。しかし,反対のことが真実のように思われる。というのも東京人でない人の文化と言語は首都のるつぼの中で薄められてしまうからだ。

 

 県の特産の食べ物を特集する番組をテレビで見るのは大変一般的だが,それぞれの場所の方言にはあまり焦点が当てられていない。私は口に入るものだけでなく出てくるものを祝福することはずっと豊かだろうと思う。

 

方言の多様性を大切に

ニュージーランドから初めて大阪に来た筆者は大阪弁に魅せられ,大阪弁を話す。東京では大阪弁に対する偏見があったり,方言が標準語に飲み込まれているが,地方の言葉を大切にすることは文化を豊かにすることだ。

【日大・理工】

@     長生きをする人がいることで有名な場所が世界にいくつかある。こうした場所はたいてい,現代の都市から離れた山岳地方にある。それでも,医師や科学者,健康専門家が健康で長生きの秘密を解明しようとこうした地域へ行く。このようにして,専門家は現代社会に長命の秘訣を伝えることを期待している。

A     フンザはアジアのヒマラヤ山脈の大変高い所にある。そこでは,100才以上の人々がたくさん,今でも健康に暮らしている。さらに,90才の男性が新たに父親になったり,50才の女性が今でも赤ちゃんを産む。この健康の理由はなんだろうか。科学者はフンザの人々には3つの利点というか恩恵があると信じている。(1)きれいな水と空気のある汚染されていない健康的な環境。(2)ビタミンや繊維,栄養が高く,脂肪やコレステロール,糖分,人工的な化学物質が低い簡素な食事。(3)畑や動物を行う肉体労働や他の活動。

B     ロシアのコーカサス山脈の人々もまた長生きで有名だ。公的な誕生の記録は利用できないが,その地域によれば,Tsurbaと呼ばれる女性は160才まで生きた。同様にShiraliと呼ばれる男性は168才まで生きただろう。さらに,彼の未亡人は120才だった。一般に人々は長生きをするだけでなく,よい生活をする。言い換えると,ほとんど病気にならないのだ。さらに,死ぬときは,自分の歯であるだけでなく,髪の毛もふさふさしており,目もいい。エクアドルのヴィルカバンバも住民の長生きで有名な地区だ。この山岳地方はフンザやコーカサスと同様に都市から離れた高い所にある。ヴィルカバンバはまた,重病というものがない。人々の健康の一つの理由はきれいで美しい環境かもしれない。もう一つの利点は温暖な気候だ。温度は1年中華氏70度ぐらいだ。さらに,風がいつも同じ方向に吹いている。加えて,水は山からの流れから取り,ミネラル分が多い。おそらく,こうした貴重な資源の結果,花や果物,野菜,野生生物が豊富なのだろう。

C     ある点では,この3つの地域の食事は大変違う。フンザの人々は主に生野菜や果物(とくに杏),パンケーキの一種chapatisを食べる。肉は年に数回しか食べない。これとは対照的にコーカサスの食事は主に牛乳やチーズ,野菜,果物,肉からなる。また,そこのほとんどの人々は毎日,地元の赤ワインを飲む。ヴィルカバンバでは,人々は毎週わずかな肉しか食べない。彼らの食事は穀物やトウモロコシ,豆,ジャガイモ,果物からなる。それでも,専門家たちはエクアドルの山の中で一つの驚くべき事実を見つけた。そこの人々は,大変年をとっていても,たくさんのコーヒーを飲み,多量の酒を飲み,1日に40本から60本のたばこを吸うのだ。

D     しかし,この3地区の典型的な食事は3つの一般的な点で似ている。(1)果物や野菜はすべて天然である。従って,保存料や他の化学物質を使用していない。(2)さらに人々は病気を予防,治療するのに伝統的な薬草や薬を使う。(3)世界の他の地方の人よりカロリー消費量が少ない。典型的な北米人は毎日,平均3,300カロリー,飲んだり,食べたりする。一方,こうした山岳地方の典型的な住民は1,700から2,000カロリーを摂取する。

E     3つの地域の住民は山岳の環境や近代都市からの距離,低カロリーの自然食以外にも共通点がある。田舎に住み,ほとんどが農家なので,彼らの生活は肉体的につらく,大変活発である。従って,運動をする必要がない。さらに,人々はテンポのはやい都会の仕事のストレスや余暇がないように思われる。その結果,人々の生活は比較的心配事なく,故に病気や他の健康問題がない。したがって,専門家の中には肉体的な動きとストレスのない環境が長生きの2つの最も重要な秘訣かもしれないと信じる人もいる。こうした長生きの地域の生活の付加的な健康によい点は家族構成に及ぶかもしれない。集団がそのメンバーを誕生から死まで面倒をみるのだ。

 

世界の山岳地方に学ぶ長生きの秘訣

長命で有名なヒマラヤ,コーカサス,エクアドルの山岳地方には,自然環境,健康的な食生活,文明から離れているという共通点がある。自然に運動をし,ストレスが比較的少なく,大家族での生活も長生きの要因だ。

 

【横浜国立・前期】

T

  北アメリカの西海岸に住んだことがあれば,毎年何百種類もの鳥が大陸棚に沿って様々な距離を季節によって往来していることを知っているかもしれない。この集団の特別な鳥の種はミヤマシトドである。というのもそのルートは秋,アラスカを出て,メキシコ北部まで行き,毎年春には再び戻っていくからだ。他の鳥と違ってこの種類のスズメには渡りの間,7日間ほど起きたままでいる極めて珍しい能力を有している。この能力で夜,飛び,進み,休むことなく昼間は栄養をあさることができる。

 

 それで,アメリカ合衆国国防省が多額のお金を過去5年間,こうした生物の研究に費やしていることは興味深いことに思えるかもしれない。様々な大学で軍の財政援助を受けて,大学の研究者,とくにウィスコンシン州,マジソンでは,人間に適用できる知識が得られることを期待して,こうした長時間にわたる睡眠なしの期間中における鳥の脳の活動を研究している。すなわち,彼らの目的は人々が眠らず,しかも生産的かつ効率的に機能できるようにする方法を見つけることだ。ここでの主たる目的は,簡単に言えば,眠らない兵士を生み出すことだ。そして,ミヤマシトドの研究プロジェクトは少なくとも限定的な人間の睡眠を征服しようとするより広範な軍事努力のほんの一部でしかない。

 

 インターネットやステルス戦闘機の開発元の国防省先端技術研究所によって始められて,様々な研究所の科学者たちが眠らない技術の実験的な試みを行っている。神経化学薬物や遺伝子治療,頭蓋骨透過磁性刺激まで用いて。短期の目的は眠らずに少なくとも7日間行動できる兵士の生産である。長期的には,おそらく,少なくともその時間を倍にする。彼らはまたほとんどの20世紀の戦争でのアンフェタミンの使用と関連する認識,神経欠陥のない蒸す移民の状態を達成しようとしている。

 

 過去20年間,ひやりとするくらい明かな初期の結果から,将来の軍事計画の戦力論理は生きた個人を命令,管理,実行回路のほとんどの部分から取り除くことだった。しかし,多数の人間の必要性は当面排除することはできないだろう。そして,ここで分かっていることは肉体的な能力がより非人間的な機械やネットワークの一時性に近づく兵士を作り出すことが必要だろう,ということだ。皮肉なことに,ミヤマシトドは生物圏の季節的なリズムが取り除かれている。時間,効率,機能の機械的な,すなわちロボット的なモデルを人間の身体に導入するためのリズムがないのである。

 

 しかし,多くの研究が示しているように,ほとんどの戦争関連の技術革新はかならずもっと広い社会分野に及ぶ。そして,眠らない兵士は眠らない労働者,消費者の先駆けとなるだろう。製薬会社が積極的に促進すれば,眠らないことが初めてライフスタイルの選択肢となり,結局は多くの人にとって必要のことになるだろう。24時間不眠不休の仕事,消費のための世界的なインフラが少なくとも15年の間にできている。欠けている要素はより強く同時に起きるために形作られる人間である。

 

睡眠は必要なくなるか?ミヤマシトドに学ぶ

アメリカの研究機関は軍の財政援助を得て,睡眠を必要としない兵士を生む研究をしている。寝ずに7日間飛び続けるスズメ,ミヤマシトドの研究もその一部である。将来,人は睡眠を必要としなくなるかもしれない。(98)

 

U

中国がお茶を飲む習慣の本家であることはいうまでもない。中国の唐王朝(618-907)の間にはすでにお茶を飲むことは大変盛んで,「茶経」と呼ばれる本まで出版されていた。それは唐の文人Lu Yuによって760年に書かれ,中国でのお茶の歴史や製法,茶器,準備の仕方,飲み方などについて論じている。

 

 「磚茶」という単語が茶経に書かれている。これは葉っぱを蒸し,お茶挽きに入れられ,粉末状にし,丸い固まりに圧縮されるお茶だ。適当な量のお茶が固まりからそぎ落とされ,お湯がそいだ粉末に注がれる。飲まれるのはその結果できた液体だ。この形のお茶は持ち運びやすく,また,長期間保存することもできる。磚茶は中国内陸部では今で使われているようだ。

 

 お茶が中国から最初に持ち込まれたのがいつなのか教えているくれる現存する正確な文献はない。しかし,お茶は中国やインドからやってきた僧を通して,また,唐に渡った日本人代表団を通じて,奈良時代にもたらされたと思っていいだろう。

 

 最澄は804年に中国へ行き,数年後,お茶の種を持って戻ってきた。その種を彼が創始し,そこに延暦寺を建立した霊峰比叡山の麓の坂本に植えた。

 

 お茶はお茶の葉を摘む前の種が蒔かれて,芽が出て,低木が育つまでに5年かかる。815年までには,最澄が坂本に植えたお茶の木は見事に成長していた。

 

 その年の6月,嵯峨天皇が近江の国,唐崎を訪れ,途中,崇福寺に立ち寄った。このとき,崇福寺の住職永忠が彼が立てたお茶を天皇に提供したと言われている。永忠は奈良時代の終わり頃唐に行き,平安時代の初期に代表団に参加して戻ってきた。したがって,彼がお茶の栽培とお茶の飲み方について学んだことは確かなように思われる。彼が嵯峨天皇に献上したお茶はおそらく自分で精製した坂本で摘まれたお茶の葉から煎れられたものだろう。さらに,これまで使われていた磚茶ではなく,緑茶(煎茶)とほとんど変わらないお茶であったように思われる。緑茶は今日のように,お茶の葉にお湯を注いで飲まれていた。

 

 坂本のお茶畑は日本の最古のものとして現存する。お茶の生産が増えたのは,永忠から味を学んだ天皇が皇居の近くの様々な地方にお茶畑を作ることを奨励したからだ。それから,お茶を飲む習慣が僧や貴族,すなわち,貴族階級に広まった。

 

 現在のお茶の作法は磚茶を煎れる方法によく似ているが,この煎茶のようなお茶の場合は,葉はまず乾燥され,手臼で粉に挽かれ,それからこねて堅くされ,再び乾燥された。それは磚茶の形で保存され,必要に応じて,削られ,沸騰し,甘葛のような甘いものとそして,ショウガのような香料といっしょに飲まれた。

 

 お茶を飲みながら和歌が書かれ,詠まれた。というのもこの時代は貴族,僧,文人の間で中国文化を模倣する時代だったからだ。中国流のお茶はこのように,平安時代の始まりまでに広まった。しかし,遣唐使の派遣が894年に中止になると中国の学習の光は徐々に消された。それに変わって,万葉集以来注目に値しなかった日本文学の突然の高揚があった。お茶を飲む風習,それは中国の学習と結びついていたが,同じく消滅した。

 

中国式お茶『磚茶』の日本での盛衰

お茶の葉を固め,そぎ落として飲む磚茶(たんちゃ)は中国で始まり,遣唐使の時代に日本に伝えられた。貴族階級の間で中国風のお茶の飲み方が普及したが,遣唐使が廃止され,中国の影響が弱まると磚茶も消滅した。(99)

 

V

 ニュースはどこから来るのだろうか。大部分の場合,答はnewswireからである。新聞,テレビ,ラジオ,ネットの多くの記事は大通信社によって配信された記事に基づいている。大手の国際newswireであるAPやロイターは19世紀半ばのテレグラフの普及までさかのぼる。この時期に即座のニュース入手が初めて可能になった。通信社はたいていニュースの卸であった。新聞,放送,サイトはニュースをまとめて,社内で生み出した材料と一緒に消費者に売る小売りの役割をしている。

 

 AP(加入者が所有する協同組合)や国の後ろ盾があるフランスの通信社(AFP)といった数社がこのモデルにこだわっている。しかし, Wall Street Journalから発展した)Dow Jones newswireのように,ロイターは金融関係の会社に情報を提供する巨大なビジネスを作り出した。こうした会社には迅速で,正確なニュースが極めて価値がある。信社になった最近登場したBloombergはこのような情報を提供することから始めて,通信社にもなり,支社の世界的なネットワークを構築し,新聞社に記事を配信している。

 

 金融危機は金融関係と新聞社に大きな痛みを起こしているので,そうした期間と取引している通信社も苦境にあると思うかもしれない。そうではない。ロイターの重役,Christoph Pligenは大規模なnewswiresは過去1年人員を増員している。雑誌を所有するNews Corpは今月初旬人員削減を発表したが,Dow Jonesは支社,特にインドで記者を増やしていると語った。同様に,Bloombergが最近外国語テレビのベンチャー部門で190人ほどの削減すると発表したことは,ニュース部門を含む他の部門で1000人増員すると約束したことより注目をあびた。さらにテレビニュースのネットワークであるCNNAPとロイターに対抗するために新た国際ニュース部門を立ち上げる計画がある。

 

 困難に陥っている新聞社グループの中にはnewswireの購読を止めたところもある。他の多くの新聞社は自社の記者室を減らして,配信されるニュースの焼き直しにこれまでになく依存するようになっている。コンテンツを必要としているが,自分たちでそれを生み出すスタッフが不足するウエブニュースの普及も通信社を勢いづけている。昨年,印刷された新聞はAPの歳入に25%しか寄与しなかった,と社長のTom Curleyは語る。1985年から55%の現象である。Pleitgen氏は湾岸地方のような発展途上の地域では,新しいテレビ局,ホームページ,そして新聞でさえ,誕生し,他の地域でのnewswireの顧客減少を補っている,と言う。

 

 しかし,newswireが繁栄し,新聞がよりwireのコピーを使うのなら,wireが直接顧客にニュースを提供したらどうだろうか。新聞がインターネットと読者の為に排除される危険性はオクスフォードにあるロイタージャーナリズム研究所の新しい報告書で述べられている。それはすでに起きつつある。ロイターやBloombergはトップ記事を広告掲載のホームページで消費者に直接提供している。

 

 通信社が直接消費者に販売することにどのくらい長けているかは不明である。しかし,世界的な支社を造り続け,より包括的な記事を提供するにつれて,人員削減を続けて,より目立たなくなっている新聞社より長い目では生き残る可能性が高い。

 

ニュースワイヤーの隆盛

新聞,テレビなどにニュースを配信してきた通信社は企業や消費者にも直接ニュースを提供するニュースワイヤーへと形態を変えた。苦境に立つ新聞社などの依存も強まり,世界的に規模を拡大し,ますます隆盛している。(98)

【名古屋・前期】

T

 地球をすくい飛び回るもの,とかさまよえる滑空者として知られているが,この素晴らしいトンボが実際にどのくらい移動できるから誰にも分からなかった。モルジブに住むイギリス人. 植物学者が現在,ウスバキトンボが昆虫界の最長移動距離の記録を保持しているかもしれないと主張している。もし,このことが確認されれば,彼の理論によれば,5センチにも満たないこのトンボがインド南部からアフリカへ渡り,それから戻ってくることを意味する。

 「それはすごいことです」とモルジブの首都メールの自宅から電話で答えてくれた。「でも,美しいことはパズルのピースがぴったしとはまるのです」

 アンダーソン氏は1983年モルジブに到着した後,トンボについて考え始めた。毎年10月には,何百万匹もの生き物が大群となって到着する。これは地元の人はよく知られて,北東モンスーンの始まりを告げるものだという現象である。この. 植物学者が特に奇妙に思ったことは,インドの南西海岸から離れた1200以上の珊瑚環礁が連なったモルジブ諸島はその表面にはほんのわずかな真水しか所有していないことだった。潮水より真水はトンボの繁殖とライフサイクルには欠かせないものだ。この生き物の外見に興味をそそられ,彼はデータをとり,トンボの到着と出発の記録を保管し始めた。

 彼はモルジブ諸島のトンボはインド南部に現れる似たような昆虫の大群の少し後で到着することを発見した。モルジブ諸島のもっと南の珊瑚礁では,さらに遅く現れた。数は11月と12月にピークになった。

 アンダーソン氏はトンボは貿易風に乗って西方にゆっくりと進み,アフリカ南部,東部へ向かっていると信じている。インドから1700マイルほど離れたセイシェル北部では,トンボは11月に現れる。ウガンダでは,年に2回,3月と4月,それから再び9月に現れるが,モザンビークやタンザニアでは12月に到着する。

 Tropical Ecology誌に発見を発表したアンダーソン氏はこの生き物は毎年モルジブ諸島を通過して,南に向かういわゆる熱帯収束帯(ITCZ)という気象システムを最大限に利用していると信じている。熱帯収束帯は3000フィート以上の高度で風が吹く。「状況証拠はトンボがITCZ内と後部の北西に吹く風と共に飛行してることを示唆している」と書いている。

 . 植物学者はトンボはアフリカへ帰る途中,春にモルジブ諸島に戻ったことを示す状況証拠を集めた,とも語った。全体では,旅行は12千マイルほどになり,トンボは4世代に渡るだろう。

 アンダーソン氏はトンボの旅行は幼虫が成長するために一時的な水たまり作り出す雨を提供する気象システムを利用していると同時に,昆虫のライフサイクルがこの旅行を可能にする為に適合されてきている,とも語った。ほとんどのトンボのライフサイクルが1年ほど水中で暮らす幼虫の段階があるのに対して,ウスバキトンボはたった6週間で水から出て,変態することができる。「こうした子たちは,典型的なトンボとはちがったアプローチをとっているのです」と彼は語った。

 トンボはアフリカに向かって西に進むのにつれて,仲間を引き寄せる。アンダーソン氏は多くハヤブサやカッコー,ヨタカを含む中型の渡り鳥は冬の陸地のために向かうとき,同じような旅をする,と言っている。彼はこうした鳥たちはたぶんトンボと同じ高度を飛び,同じ風を利用し,そして,移動中に昆虫を食べる,と語った。鳥の旅行の重要性は以前には気づかれていなかった,とも言った。

 アンダーソン氏によって仮定された移動は素晴らしいが,昆虫界で先例がないわけではない。長年にわたって,夏の間アメリカの北東部とカナダの南部で大量に見られるオオカバマダラに関する謎があった。1975年になって科学者たちはチョウチョは北部の気候で冬を過ごすことができずにメキシコまで南に移動することを確認できた。4500マイルに及ぶこの素晴らしい旅行も昆虫の4世代にわって起きている。

 ミネソタ大学のオオカバマダラの専門家であるKaren Oberhauser教授は,オオカバマダラの旅行について確認されたとき,人々はびっくりした,と語った。「そんなことができるなんて,理解できなかったのです」

 彼女はアンダーソン氏の理論を詳細には研究していないが,偏見は持たないつもりだ。「動物や植物は素晴らしいことをする」と彼女は付け加えた。「世界で生き抜くために進化するためにできる素晴らしいことのもう一つの例です」

 

昆虫界の移動記録保持者ウスバキトンボ

モルジブ在住の生物学者アンダーソン氏はウスバキトンボは熱帯収束帯を利用してインドとアフリカ往復している可能性があると論文で発表した。4世代にわたって行うこの移動が証明されれば昆虫の最長移動距離になる。

 

U

 教室内の混沌は自分たちの魅力と知性,それにエネルギーがあれば,成功は確実だ,というLevin先生とFeinberg先生の仮定はぶち壊した。無政府状態が支配していた。子どもたちは廊下を走り回った。宿題をする生徒はほとんどいなかった。騒音が絶えず問題だった。生徒たちは新任の先生たちのIvy リーグの学位や賢明な話にも無反応だった。

 たとえばQuincyBastian小学校のレビンのクラスにいた。彼は6年生だったが,そうは見えなかった。5フィート10インチあり,しばしば腹を立てて,意地悪だった。彼は他の子どもたちをからかい,揶揄し,たたいた。彼は止めるように言う教師たちに注意を払わなかった。彼はレビンが彼にしてくれと頼むことをする理由が分からなかった。というのも,レビンには子どもをしつけた経験がほとんどなかったのだから。

 レビンは校長や彼にあてがわれた担当教師の助言を求めた。話してくれたことの多くは曖昧か,機能しなかった。学校が全体に無秩序なので,人は悪くなく,事態を改善したいという誠実な欲求はあるが,学校長はQuincyには役に立たないだろうと確信した。

 レビンとフェインバーグは二人の疲れ切った会話から,自分たちは一生懸命すぎて,自分たちの考える教師のあるべき姿になることができず,自分らしくあろうと十分に努力していないのだ思い当たった。自分たちの生活の他の面では直感が働いた。教室ではどうしてだめなのだろうか。ことさら張り詰めた日に,レビンはこの考えに必死に反応してしまった。教師の行動規範に反するかもしれないし,法律にも反するかもしれないと考えずに。いつものように,クィンシーは教室を歩き回り,他の生徒をいじめていた。「クィンシー座りなさい」レビンが言った。

 クィンシーはレビンなんかいないように振る舞った。

 「今,席に着きなさい」

 反応なし。

 レビンは教室の中央にいる少年の所まで歩いて行き,彼の脇の下をつかみ,持ち上げ,彼の関まで運んでいった。レビンはこんなに重い子どもを持ち上げたことがなかった。彼はパニックになって,彼を落とさずにクィンシーの椅子まで行き着けるだろうかと思った。そこに着くとちょうど力尽きた。ゆっくりとを少年を自分の場所にもどるように降ろす代わりに,椅子に落としてしまった。自分が思っていたより力を入れて。レビンは屈辱感を感じて,机に戻り,いつ自分は首になるだろうか,と思い始めた。

 彼は数え切れないくらい子どもに触れるなと言われていた。それは絶対ダメだ。裁判沙汰になり,解雇の原因となる。彼は自分の仕事について心配した。彼はクィンシーについて心配した。ずっと小さいときからひどい目に遭っていたかもしれない子どもに,先生が彼を椅子に押し込むことがある,ということはどういう意味を持つだろうか?

 しかし,レビンはクィンシーは自分の場所に置かれてからは顕著に静かになっていることに気づいた。少年はいじめっ子だ。レビンは自分が他の子どもたちをクィンシーから守れなかったことがいつも彼のクラスをつつんでいる不機嫌な雰囲気の原因ではないかと思った。

 レビンはクィンシーの両親を訪問し,誤ることにした。たとえ,家庭訪問がしてはいけないもう一つのことであっても。規則は両親との連絡は電話か学校への訪問に限定する,というものだった。

 レビンは気にしなかった。彼は自分のしたことに気分が悪く,個人的に訪問して謝罪することに変わることが見つからなかった。彼は学校からそれほど離れていないクィンシーが住んでいる小さな木造の家を見つけた。彼はノックをした。クィンシーの母親が戸口にやってきた。彼女は太め,6年生の息子より背が低かった。疲れているように見えた。「今晩。私は教師のレビンです。クィンシーの担任です。入ってもよろしいですか」

 彼女は戸口に彼を見つけて驚いたようだった。不安そうだった。自分の息子に関する教師との会話は滅多に快適なものではなかった。しかし,彼女は彼を招き入れた。レビンはソファに座ると心からの悲しい顔をした。「奥さん。本当に申し訳ありません。今日教室で大変なことが起きました。あなたのお子さんが他の子どもたちをぶっていることをご存じかわかりません」

 「息子のことなら知っているわ」自然な声の調子で彼女は答えた。

 「それで,今日,彼は私の言うことを聞こうとせず。私は彼を自分の席まで運んでいったんです」

 彼女は頷いた。

 「そうしたことを気になされなければいいのですが。もう二度をそんなことをする必要がなければいいのですが」

 「しなければならなければ,なんでもしてください」と彼女は言った。彼女は彼の顔にほっとした表情を読み取った。「ねぇ。あなたは家にやってきた初めての先生ですよ。息子のしなければならないことならなんでもしてください。彼は私の言うことは聞きません。しなければならないことはなんでもしてください。」

 

教師の教室内でのしつけ

新米教師のレビンはクラスのいじめっ子クィンシーに手を焼いていた。ある日,規則を犯して,彼に暴力に近いことをしてしまった。彼の親に謝罪に行くと,やるべきことは何でもやってくれ,と母親に言われた。

【九州・前期】

T

 1984,アメリカ国立精神研究所のNorman Rosenthal博士と彼のチームは季節性疾患という状態,すなわちSADについて説明した。Rosenthal博士冬の日光の減少と鬱の発生に関係があることを発見した。ほとんどの人は「冬の憂鬱」について知っている。疲れや起きるのが大変だったり,体重増加が秋が冬に変わるにつれて一般的になる。しかし,人によっては,こうした気分の憂鬱は大変深刻で,深刻な健康問題を引き起こすことがある。

 

 SAD症候群はほとんどどんな努力でもしすぎるように思える,肉体的な活動の減少を含む。これと関連して,睡眠時間の増加がある。しばしば,ケーキのような高エネルギーの炭水化物の食べ物への欲求が強まる。その結果,体重の増加がSADに苦しむ人から報告されている。しかし,最も危険なのはSADの肉体的な症状ではない。一般的な気分の変化は鬱と不安を含んでいる。それが,今度は,集中力の減退や関係の悪化,職場での問題,感染への抵抗力低下を彦起こす可能性がある。

 

 どんな人が特にSADを感じる可能性があるだろうか?間違いなく,最も重要な要因は人の体の科学的性質,すなわち,脳内の化学物質が光りの減少にどのように反応するか,ということである。次に外的要因がある。赤道から離れた場所に住めば住むほど,この症状にかかる可能性が高まる。なぜなら冬は日照時間が短いからだ。実際,冬の間光に当たる時間を減少させるどんな状況においても,SADにかかる確率を上げる。たとえば,長時間会社で働くといった。イタリアとスイスの2つの主要な研究に基づくと,人口の約9-10パーセントが様々な程度でSADの影響を受けている。しかし,実際にSADにかかった全ての人にとっては,それも軽傷の冬の憂鬱がずっと多くある。それも人の生活の質には影響を与える可能性がある。

 

 Rosenthal博士はSADの治療に特別な人口光を使うことを開発し,これはもっとも効果的な治療だと証明されている。必要な光りの量は個人によって変わる。一般的に市販の電灯は1万ルクスの光(ルクスは光りの強さの単位)を出す。この量の光はおおよそ戸外の光に相当するだろう。ほとんどの人にとっては,30分から60分間光の前でいれば,よい反応を得るには十分だ。しかし,人が鬱が他の医学的状態の為だといけないので,様々な治療方法について話し合うことが大切だ。

 

SAD「季節性情動障害」について

ローゼンタール博士は「季節性情動障害」(SAD)と日光不足の関係を発見した。冬の日光の減少は活動の減退や鬱,不安といった精神的な問題を引き起こす。日光不足が原因な場合,人工光に浴びるのは有効な治療法だ。(97)

 

U

 オスカーが湖に出かけようと提案したのは夕飯の後だった。彼とマグレーテはサラダとラム肉を食べ,サラダには白ワインを,肉と一緒に赤ワインを飲んで。彼らは満足していた。

 ヨナは一人息子で6才になったばかりだ。彼はマグレーテの父の名前をとってつけられ,彼の特長を備えていると考えられていた。彼の祖父母は彼にクリスマスに釣り竿を送っており,何回かオスカーは彼をボートから釣りをするように連れ出していた。ヨナは前の週末に,マグレーテがお昼にフライにしてくれた小さなマス,最初の魚を釣ったところだった。彼はそのことを大変誇りに思っていた。

 「明日の朝にしたほうがいいんじゃないの」彼女が聞いた。「もう8時半だよ」

 「そんなにかからないから」とオスカーが答えた。「約束したんだよ」

 彼女は皿を洗い,オスカーはテーブルを片付けながら白ワインを開けた。飲んだときには湖に出かけてはならならい,というのはマグレートが育った時の決まりだったが,今はそのことは話題にしないことにした。彼女は以前言ったことがあったが,オスカーはマグレートの父の決まりは彼らの家では適用されない,という意見を隠さなかった。いずれにしろ,彼は全く酔っていなかったし,マグレートは父子が海岸に行く前にヨナがライフジャケットをしっかりと身につけるようにした。

 そよ風が吹いており,ボートは釣りをするときに少し揺れた。最初の地点では運がなく,もっと沖に出た。そこでも何も釣れなかった。風が出始めると,オスカーはヨナに家に帰らなければならない,と言った。ヨナはもう少しいるように懇願した。オスカーは同意したが,マスは依然として食いつかなかった。「魚はもう寝ちゃったよ。だから,もう寝るよ」と彼は言った。

 ヨナは落胆して,うなだれた。

 「お父さんとでは釣れないよ。白いボートに乗っているようなおもしろいことも何もしないね。回転させたりしないね。」

 「白いボートの男とはヴィルヘルムだ。彼はおもしろがって,湖上で急回転をして,ヨナは興奮して彼を見守ったものだ。マグレートの父親は「全くばかげている」と言ったが,ヨナにはなんの影響もなく,彼は白いボートが海岸に大波を送っているのを見守ったものだ。

 「少し回転しようか」オスカーが聞いた。

 「絶対やらない」ヨナが言った。「白いボートの男のようには絶対回転しないよ」

 オスカーが回転したときは陸地からそれほど離れておらず,湖に向かって出て,スピードを上げた。安全の限界だと思う距離内で,再び減速する前に彼は左へ,右へと鋭く回転した。

 「楽しくないかい」と彼が来た。

 「ううん」とヨナ。「白いボートの人みたいじゃない。退屈だった」

 オスカーはまたスピードを上げて,今度は陸地に向かって。彼はいらいらして,家に帰りたかった。彼はできる限りスロットルを開き,舵柄を鋭く右へ押した。ボートは転覆した。

 二人は沈んだ。オスカーは水面に現れ,あえいだ。ヨナがどこにも見えなかった。オスカーはボートの周りを手で,バシャバシャとし,ヨナを見つけ,ヨナは水をはき出した。オスカーは片手でボートの脇をつかみ,もう一方の手でヨナを引き寄せた。水は彼らが陸地まで泳ぐには冷たすぎた。少年は泣き叫び,波が彼にかかる度に水を飲み込んでいた。

 

 

親子の乗った釣り船の転覆

夕食を終えたオスカーは息子のヨナにせがまれて夜釣りに出かけた。魚が釣れず帰ろうとした時,ヨナにボートを激しく回転するようにけしかけられ,無理な操縦がたたり,ボートは転覆,二人は夜の湖に放り出された。

 

V

 家猫は世界中で一番人気のあるペットだ。アメリカの家庭の3分の1は猫を飼っており,6億匹以上が世界中の家庭で暮らしている。にもかかわらず,この動物たちは親しまれているが,その起源を理解することは難しいことがわかっている。他の,かつて野生であった動物が人間に使えるために家畜化されたが,猫は食料あるいは私たちを助けるという点ではなんら実質的に貢献していない。したがって,なぜ,私たちの家の一般的な特長となったのだろうか。

 学者たちは古代エジプト人が初めて,3600年ほど前に猫をペットとして飼い始めと信じていた。しかし,過去5年間の研究によって,家猫の祖先と人間とその祖先の関係がどのように進化したのかの両点に新鮮な考察がなされるようになった。2004年,パリの国立自然博物館のJean-Denis Vigneは地中海の島キプロスで人間が猫をペットとして初めて飼った最も古い証拠を見つけたと報告した。彼は9500年前,性別不肖の大人の人間がそこの浅い墓に埋められたのを発見した。その小さなお墓の中には,約40p離れた所に,8ヶ月の猫があり,その体は人間と同じ西の方角を向いていた。これは人間が1万年前近くに猫と特別な関係を持っていたことを示している。

 猫の家畜化の始まりのおおよその時代を確立したので,私たちは人間がそもそも猫と特別な関係を築き上げてきた理由は何か,という古い疑問に取り組み始めることができる。他の家畜は具体的な仕事のために育てた人間によって野生から採用されたが,猫はおそらく自分たちのために見つけたチャンスのために人間と暮らすことを選択したのだろう。たとえば,家ネズミは猫を家の中に引きつけたことはほぼ確実だろう。長期間にわたって,こうした野生の猫は人間の環境に適応した。

 小さな猫はほとんど害を及ぼさないので,人々はおそらく一緒にいることを気にとめなかっただろう。人間は猫がネズミやヘビを殺すところを見て,一緒にいることを勧めたかもしれない。猫はまた別の魅力を有していたかもしれない。猫は人間との関係を築くのに役立つ特長を有していると考える専門家もいる。特に,猫はしばしば,「かわいらしい」特長を持っている。それは人間が育てたくなるような魅力として知られている。そうなれば,おそらくかわいらしいというだけの理由で,子猫を家に持ち帰り,飼い慣らし,猫に人間の家族に入り込めるようにしたのだろう。

 

家猫の起源と人間との関係の新しい知見

近年の研究で,ペットとしての猫は約1万年前キプロス島で始まったと分かった。猫が人間の社会に入ったのは,猫自身の選択で,実益のない猫をペットとして受け入れたのは,その生来のかわいらしさと魅力にある。

【名工大・前期】

T

1.多くの動物たちは,たとえば,ハト,イルカやラクーンでさえ,研究実験で自分たちの数字の能力をひけらかしている。しかし,ミツバチのような昆虫について研究したものはほとんどない。

 

 ミツバチはどのものが互いに似ていて,どれが違うかわかる。ミツバチは食料を得るために通る時に通過する目印を数えることさえできる。「1980年からずっとミツバチの研究をしていますが,実験結果に驚くことが多々あります」とキャンベラのAustralian National UniversityShaowu Zhangは言う。

 

 Zhangと彼のチームは20匹のミツバチがトンネルを通って飛ぶように訓練した。トンネルの入り口には2つか3つの点でマークされていた。トンネルのもう一方には,2つの出口がある部屋がある。それぞれの出口は2つか3つの青い点の模様のマークがある。もし,ミツバチがトンネルの入り口の点の数を覚えていれば,甘いごちそうを受け取れる。この訓練を繰り返すことで,ミツバチはもし点の数を合わせたら,褒美がもらえるだろうと学習する。ミツバチは70%の確率で砂糖のおやつを手に入れた。このことはミツバチは「同じこと」を関知できることを研究者に確認させた。

 

 科学者たちはミツバチはその組み合わせの法則を新しいパターンに適用できるか確かめたかった。ミツバチは2つの青い点を2つの黄色いバナナ,それから,3つの緑の葉と3つの黄色の星と合わせなければならないかもしれない。こうしたより困難な試験においてさえ,ミツバチは2つの物と3つの違いを区別できた。

 

数を数えられるミツバチ

 

数字の能力は動物だけでなく昆虫にもある。ミツバチが同じ数のマークを識別できれば,砂糖菓子を得ることのできるように訓練した。その結果,ミツバチは2つもしくは3つのマークの識別ができることがわかった。

 

2

 ほとんど全員がちょっとした臭いで昔の記憶がよみがえる瞬間を経験したことがある。ずっと忘れていた友人がつけていた香水かもしれないし,プールでのんびりしていた夏の化学薬品の臭いかもしれない。わずかな単純な分子がそのようなはっきりとしたイメージが浮かび上がるのは驚きだ。

 ある特定の臭いによって即座に子ども時代の思い出がよみがえることを研究しているAlan Hirsch博士によれば,臭いによって与えられる細かいことは思い出す感情ほど重要ではない。私たちの心はこうした思い出を変えて,それらを「良い時代」に変えるフィルターへと送る。

 

 当時悪く思えた経験が私たちの頭の中で再構築できる。なぜなら経験は今では永遠になくなってしまった私たちの人生の時代を代表しているからだ。たとえば,子ども時代の記憶は責任のない時代を代表している。したがって,私たちはその記憶を理想的な形に変えるかもしれない。たとえ私たちの経験した経験の多くが当時は困難なものであったとしても。

 

臭いがもたらす昔の思い出

臭いで昔のことを思い出すことがある。臭いによってもたらされる記憶は,昔の細かいことでなく,それによってもたらされる感情が重要だ。臭いによって昔のことがよき時代の思い出として,人の頭によみがえる。

 

3

Henry Faulds184361日スコットランドで生まれた。医学を修了した後,彼は1873年に日本に派遣され,東京で筑地病院を設立した。

 

1870年代,フォールズは日本の遺跡の調査に参加し,割れた茶碗にそれを作った人の指紋に気がついた。彼は現代の指紋の研究を始め,その考えをチャールズ・ダーウィンに手紙で伝えた。ダーウィンはその手紙を親戚のFrancis Galtonの回した。

 

1880年,フォールズは指紋に関する論文をネーチャー誌に発表し,犯罪者を逮捕するのに使えると述べ,どのようにことができるか提案した。まもなくして,William Herschel卿が同じ雑誌で手紙を発表し,そこで彼は署名の方法として指紋を使ってきたと説明した。

 

1886年,フォールズはイギリスに戻り,彼の指紋方式をロンドン警察に提供したが,ロンドン警察はその申し出を断った。2年後Galtonが論文を出し,Herschelがフォールズより前に指紋の使用を提案したと述べた。このことで,フォールズとHerschelの間で手紙による争いが起きた。これあ1917年まで続き,その年,Herschelがフォールズが指紋を犯罪者逮捕に使うことを提案したのだと認めた。

 

指紋の捜査利用を提案したスコットランド人

スコットランド出身の医師フォールズは日本での遺跡発掘作業中に指紋に興味を持ち,研究をすすめ,犯罪利用の可能性を論文で提案した。彼が指紋利用を提案した最初の人物だと確定するまでに30年の年月がかかった。

 

4

ウミガメは地球上に何百万年の存在しているが,絶滅の危機にある。彼らの主な脅威は食料として殺す人間だ, the California Academy of Sciences Dr. Wallace J. Nichols は言う。

 

最近のニュースはウミガメ狩りを減速させるかもしれない。ニコラス博士や他の研究者たちがウミガメが殺虫剤や水銀,カドミウムといった重金属を含む多量の汚染物質を海から吸収していると発見した。こうした毒素はカメにも人間にとっても健康にとって有害なものであり,両者の体に永久的な被害を引き起こしうる。ウミガメはまたサルモネラ菌を運んでいるが,これは人間にひどい下痢を引き起こす。研究によれば,カメの肉を食べて,病気になり,死んでしまう人も多い。

 

もしあなたがアメリカ合衆国出身ならおそらく夕食の料理でウミガメを食べたことはないだろう。ウミガメの7つ全ての種はアメリカ合衆国の絶滅危惧種保護法で保護されている。この法律によってこうした動物を傷つけたり,殺すことは違法になっている。

 

「まだウミガメを食べている子どもや大人たちが世界中にいます」とニコールズは説明する。「私たちの最初の目標はウミガメを助けることだった。現在では,私たちは海中の有毒化学物質の潜在的危険性への認識を高めたいのです」そして彼はまだカメの肉やスープがおいしい料理になると考えている人々に考えを伝えたいと考えている。彼は人々に私たちは海を守るべきだ,というより大きなメッセージを理解して欲しいと願っている。「海の健康,海の動物たちの健康,そして私たち自身の健康は全て関係している。長いこと,私たちは本当にはその関係を結びつけなかった。「今やきれいな海はそこから得られる食料のためにも本当にいいことがはっきりしている」

 

ウミガメを食べることの危険性

人間の漁によって絶滅の危機に瀕しているウミガメは多量の汚染物質を含んでいる。ウミガメ研究者のウォーレス博士はウミガメを守り,それを食べる人間の健康のために海の浄化の重要性を訴えている。

 

エンジンの燃焼

内燃機関が車を動かすには1)酸素とガソリンを燃焼室に取り込み,2)圧力をかけ,3)それを燃焼させ,可動部分を動かし,4)燃焼物を排気する,4つのステップが必要だ。(81)

 

U

 フランスとスペインの間の山岳地帯に押し込められた小さな国アンドラに行くのは容易ではない。空港も鉄道もなく,一番近い都市トゥールーズも少なくとも車で2時間かかる。

 

ピレネー山脈の高地にあるこの小さな国の秘密は何だろうか。おそらく,その立地が比較的ストレスのない生活様式を生み出しており,少なくとも最新のアメリカ統計局の推定によれば,アンドラはそれによって長寿レースにおいて世界王者になっている。

 

平均的なアンドラ人は少なくとも85才まで生きること期待できる。これはこの惑星上のどの場所よりも長い。アンドラの人々に会うと,長生きの概念はみんなの頭の中にはなく,よい生活をし,健康に生活することがほとんど全員に会話にのぼることがすぐにはっきりする。町の医師から山の中で羊と一緒に暮らす老人まで,おいしい,自然の食品を食べ,斜面の上り下りで自然とする運動について話をする。

 

老人のためのアンドラ病院院長Albert Font医師は山の中で生活することは,一般に,心にも体にもいいのだと確信している。「こんなに健康なのはこの自然環境があるからです」と語った。

 

しかし,この陸地に囲まれた小さな国においてさえ,時代は変化しており,年寄りの世代はファーストフードやテレビゲームといったものがゆっくり広まっていることが若者の寿命にマイナスな影響があるのではないかと心配している。

 

山国アンドラの健康の秘密

ピレネー山脈にある小国アンドラの平均寿命は世界一だ。自然環境に恵まれ,充実した生活を心がけ心身共に健康な生活を送っている。一方,生活様式の変化で若者の寿命は将来縮まるのでは心配する人もいる。(95)

 

X

@「タイガースがんばれ!」群衆の誰かが叫んだ。オレンジと黒で書かれたプリンストンのプラカードを振り上げながら。その熱狂的なファンはつい最近,金曜日の夜,新たに設立されたCollegiate Star Leagueに初の国際大会を見るために集まった約60人の一人だった。それは最近大学のスポーツ登録に加えられたものだ。プリンストンと北京にあるTsinghua大学の試合開始はフィールドやコートでは起きておらず,寮のラウンジの巨大スクリーンで起きていた。そこにはSFビデオゲームのStarCraftがオンラインで表示されていた。一年生のMona Zhang,一年生,実況中継で,プリンストンの選手がコンピューターに向かって,別室におり,彼の敵は6800マイル離れていた。

 

A次世代の大学対抗にようこそ:電子スポーツだ。最近,ハーバードやエール,MIT,オハイオ州立,テキサス,Calバークレイ,ジョンホプキンス,オバーリンを含む27の大学がStarCraftをやるためにリーグに加わった。4校が準決勝へ進み,その試合が今週末開催される。決勝は今月末に開かれるはずだ。プリンストンの13名からなるチームSmashCraft Heroesは早い段階で敗れたが,新リーグの牽引者Zhangは競技の将来について興奮していた。「StarCraftがアメリカへ見るスポーツとして紹介するのに手を貸している」と彼女は語った。

 

BBlizzard Entertainmentによって開発され,1998年に導入されたStarCraftTerran(人類)Zerg(異星人の昆虫族)Protoss(異星人)の3者の銀河戦争に関わっている。それぞれの種族は特別な特長や武器,技術を有している。競技者は一つを選び,戦い毎に経済や研究,軍事能力をを作りだす。大学リーグでは,試合は5ラウンドからなる。

 

Cビデオゲーム市場はアメリカでは200億ドルの産業であるが,韓国とはかけ離れている。韓国ではプロのStarCraftチームは企業のスポンサーを持ち,e-スポーツは何百万ドルも生み出している。数万人ものファンを決勝戦に引きつける一流選手はプロの野球選手がアメリカ人にとって知られていると同じくらい韓国の聴衆には親しまれている。18才のZhangはメリーランド州に生まれた中国系アメリカ人でYouTubeで韓国の試合を英語のコメント付きで見てからゲームに取り付かれ始めた。

 

D工学を勉強中の中国出身の大学院生Ke Wanはそれぞれの世界を細かく説明した。Zergは数が多く素早い。Terransは知能の高い戦略家で個々のProtoessの部隊は極めて強力だ。Wanはそれぞれを実際の世界にたとえた。「Zergは中国のようだ。大人口に依存している。アメリカはProtossである。なぜなら個人の価値観を強調しているから。そしてTerranはロシアすなわち旧ソ連であり,巨大なハイテク戦争マシーンだ」彼はTeranを,ZhangZergを演じた。「一番自分の性格に近いものを選んでください」と彼女は言った。

 

EZhangが最初プリンストンでStarCraftリーグの考えを出したとき,彼女は笑われた。しかし,なんとか他のプレーヤー,主に工学の生徒たちをあちこちで見つけた。「実際それがしたのは私たちが組織し,放送したプリンストン対MITの試合でした」彼女は2月のリーグ開幕戦について語った。Zhangは小学校来の友人でMITにいるYang Yangとの試合を設定した。「プリンストン,MIT両校とも宣伝ビデオを作りました。私たちは全員YouTubeStarCraft協会,キャンパスニュースでイベントを宣伝しました」と彼女は言った。

 

Fオープン戦のために,観客はポテトチップスやドーナツを持ち寄った。10人ぐらいの人はノートパソコンを持ってきて,試合を追ったり,自分でゲームをした。Zhangと一緒に実況中継をしていた3年生の化学専攻の学生であるPeter Liu200APMできると語った。すなわち,1分間に200動作(動作とはキーボードやマウスをクリックすること)である。「指が腫れています」Protossである彼が言う。プロの韓国の選手は500 APMまでできる」ヒューストン大学3年で経済学専攻で20才のYang Monはチームのコーチだ。「メンタルな準備が必要です」とProtossであるMonは言う。その晩には試合の準備に5時間から10時間過ごすつもりだ。それぞれの戦略には有利な点と不利な点がある。それは「じゃんけん」に似ています。プリンストンチームの紅一点であるZhangTsinghuaのチームメートの唯一の女性と対戦する。Mouをマイクを持った。「女性の優位を目指す戦いになるでしょう」試合は緑「プリンストン」とベージュ(Tsinghua)のロボットとして,始まり,しっぽのついた三角形を振りながら,ゼリー状の繁殖プールが画面を埋め始めた。

 

H「そこだ,そこだ」Liuは緑の羽をしたZerglingsTsinghua’の半分できた防御を攻撃し始めると興奮して言った。Tsinghuaの基地から炎が上がった。今では立ち上がって,聴衆は足をならし,拍手をした。その晩最初のプリンストンの勝利であった。しばらくするとZhangが満面の笑みを浮かべ,何人かのチームメートとハイタッチをした。もちろん,たとえば,プリンストンのフットボールチームに比べれば,団体は小さい。ファンや選手たちはおそらく簡単にタイガースのロッカールームに入ることができるだろう。「本当に素晴らしい試合でした」Liuは群衆に話し,私たちはもっと多くの人々が運動場を出て,ゲーム室にくるようにすることだ

 

ネットで対戦:新たな大学生の国際大会

 

新たに始まった大学生の運動系国際大会は,ネットでStarCraftというゲームをする「スポーツ」だ。参加者も熱気にあふれ先進国韓国にはプロの選手までいる。主催者の学生は大会の発展を願っている。

 

【青山学院・経済】

 ひょっとしたらヨーロッパの2000年の歴史全体でもっとも素晴らしい世紀は15世紀だろう。当時,偉大な画家,偉大な詩人,偉大な建築家,彫刻家,科学者,教養のある人がそれまでになく生きていた。当時,人は機敏で鋭く,熱意に満ち,想像力に満ち,生命力に満ちていた。

 

 この素晴らしい世紀はイタリアでもっとも輝いていた。しかし,この栄光の始まりはそれに先立つ2世紀前に存在していた。1250年にはすでにフロレンスの貴族が宮殿で輝いており,ギルドが構成され,都市は明敏で生き生きとしており,偉大なことをなす準備が整っていた。1265年に最初の世界的なフロレンス人,ダンテ・アルギエーリが生まれた。

 

 彼は裕福な市民の息子で,その時代としては最高の教育を受けた。当時,学校は全て修道院に付属していた。大学でさえ,修道士が主な教師であった。というのも,修道院の要塞の平穏と隔離の中で,修道士はこの世に存在する全ての本を何百年間も研究することができたからだ。修道院の図書館では,手書きで羊皮紙に書かれたヨーロッパの本が注意深く保管されていた。ベンチに静かに腰をかけ,修道士たちはゆっくりと,そして美しく古い本を写本した。すべてラテン語で,そして新しい,きれいな本を作った。しばしばきれいに色づけして。そして,写本しながら勉強をした。当時,もっとも教養のある人は毎日,修道院の静かな敷地内で教えたり,出かけて大学で講義をしたり,宮殿の若者のグループに教えたり,あるいは裕福な家族で家庭教師をしたりした。

 

 ダンテはまず僧侶から教わり,それから学校へ通い,それから,彼にいろいろな教科を教えてくれる様々な巨匠のもとを訪れた。そのあいだずっと,35才になるまで,彼はフロレンスにおり,大学へ行くことはなかった。これは当時としては珍しいことだった。中世には,自分の大学,たとえばオックスフォードの先生や博士について聞けば,徒歩か馬で出発した。学生の灰色のマント着て,無人の道を穏やかに旅し,別の大学へと移動した。そこで多くのイギリス人が北部からオックスフォードへ,そしてオックスフォードから,学期を終えるとフランスやイタリアのどこかへと出発した。みんな彼が学生だとわかった,そして,その学識の故に尊敬した。もし修道院にくれば,すぐに客人として受け入れられた。それから,数日間は隠遁生活をし,院長やもっと本が好きなブラザーたちと学んだ教科について話し合い,図書館で本について研究し,それから,修道院をたたえるような詩をラテン語で書いてから,また旅に出て,パリの有名な大学まで行く。そこに少し落ち着き,偉大な教師の話を聞いたかもしれない。そして,パリから出発,イタリアまで南下し,ボローニャやパドバ,サレルノの偉大な大学に向かって徒歩や馬に乗って行く。実際ほとんどお金は必要なかった。手紙を書いたり,他の事務的な仕事をしていくらからのお金を稼ぐこともできた。大学に来ると,歓迎されることを確信していた。

 

 当時のヨーロッパは現在のようなヨーロッパではなかった。もし,ある人がキリスト教徒ならば,全ての国は彼の国である。というのは,全ての場所は彼が息子である教会だから。もし,教育受けているとすれば,彼はラテン語を話し,ラテン語は全ての教会関係者のことばであり,いかなる立場でのヨーロッパ人の言葉であった。彼はヨーロッパ人であり,キリスト教界の一員であった。彼は全ての人が移動する道を旅し,主要道路にはすべてのヨーロッパ人がいた。人々は外国人や外国語に気にしなかった。というのも文明国にはいつでも風変わりの一団であふれており,僧侶たちはどこの国にでも所属できた。そこでイタリアを出る学生たちは平然と北へ向かう道路をとり,怖がることもなく歩いて,アルプスを越え,ドイツへ帰郷した。彼はコンスタンツ湖の近くのサンガルの大修道院に向かったものだ。そして,そこで,門番に挨拶を叫ぶ。誰も,彼がイギリス人か,アイルランド人,ドイツ人,イタリア人かなどと聞かなかった。彼はラテン語で修道僧と話をし,同じ仲間として受け入れられた。それから,夜になると,うわさ話や話をした。したがって,私たちは多くのイギリス人,アイルランド人,スペイン人,イタリア人がサンガルを訪れことを知っている。滞在して,修道僧になった人もいれば,ドイツ農民の教区僧になった人までいた。常に大きな,そして静かな交流が起きていた。ヨーロッパは国境が決まった壁を作り始めた15世紀以来一度もなかった教会の一つの領域であった。

 

自由な流動性を持った13世紀のヨーロッパ

15世紀に花開くヨーロッパの文化の基礎は13世紀の活力ある社会で築かれた。学問は修道院を中心に行われたが,学生はヨーロッパを自由に移動でき,共通言語のラテン語を通し学問を深め,交流し,広めた。

 

 私たちの体は余分なカロリー(私たちが必要とせず,さもなければ脂肪として蓄積するカロリー)は余分な熱を発生させることで,燃やすか排出するように設計されている。この傾向は食べ物の熱効果と呼ばれている。それはなぜやせた人は多量の食べ物を食べることができるのに,体重が増えないのか説明するのに使われる。

 

 私たちの大きさを決めるのは私たちが食べる食べ物というよりは,私たちの体がそれに対して何をするの,すなわち,私たちの代謝である。だから,ニンジンのカロリーは本質的にはニンジンケーキと同じなのに,実際には自分の体がどのようにカロリーを扱うのか(新陳代謝させる)によって,ある人は他の人より,脂肪としてカロリーをより多く残す。また,このために食事で脂肪の量を下げることが必ずしも全員をやせさせるわけではない。

 

新陳代謝が個人によって異なる方法は主に私たちが祖先から得た遺伝子によって決定される。祖先もまた異なった体型だった。こうした違いが私たちがおおよそ同じ量のものを食べても,よりやせた人もいれば,より太った人もいることを説明する。意志の力では私たちの遺伝子の構成を変えることはできない。それは私たちが減らそうとしている体重以上に害を引き起こす形で,戦い続けることを私たちに強制する。

 

 ある種の外的なストレスのたまる状況とか,時には妊娠と関連して,短期間で多量の体重が増える人もいる。しかし,これはほとんどの人が大きくなる方法ではない。「ほとんどの人にとっては,肥満は体重の増加と減少が交互に来るような緩やかに進行する状態なのです」そして,私たちのほとんどは,こうした減少が食事制限の結果であった。

 

 私たちの新陳代謝は生まれたときから存在し,私たちの本当の体型を決定するのに主な働きをしている。成長している子どもの頃,私たちは体を形成するのに多くの栄養を必要とする。この時期,私たちの体は幼児期の赤ちゃんの脂肪から,思春期の女性らしい体を形成まで様々な割合で脂肪を蓄積する。この成長期間にどのくらい体内に脂肪を蓄積するかは主に新陳代謝の違いによって決定される。それで標準的な,かなり高脂肪のアメリカの食事を食べる子どもにも痩せた子もいれば,より太った子もいるのだ。大人になると,もし,満足行くまで食べて,適当な量の肉体運動をすれば,私たちの体は大きさにおいてはかなり一定である。老齢化と新陳代謝の年を取ることの自然の結果として体重が増加する人もいるが。

 

 年を取るのにつれて増えるのが正常な体重の量は体の型によって変化するように思われる。「食べ物と仲良くする」の中で,Susan Kanoは私たちにWilliam Sheldonと彼の同僚たちが20年間にわたる体重と年齢に取り組み,私たちの体型がどのくら私たちの体重は年齢と共に変化するか予測できることを見つけた。「一般的にectomorphs外胚葉型[頭脳型]の人(軽い骨で,痩せている人)は年を取ってもほとんど体重は増えない。一方,endomorphs内胚葉型の人(よりふくよかで柔らかい体型になりがちな人)mesomorphs中胚葉型の体格の人(筋肉質の人々)は通常のカロリー摂取でも,かなり体重が増加する。したがって,年齢による体重増加はそれが自然な人もいれば,そうでない人もいる。

 

ちょっと,痩せようという社会的な強要がなく,私たちが満足するまで健康と楽しみのために食べ,強くなり,ストレスを発散させ,そして楽しみのために適度な運動をし,その結果起きる体の大きさの多様性を喜んで受け入れるように奨励される社会に住んでいるのを想像してみなさい。私たちはおそらくたくさんの違う体の大きさの人々を見るが,健康な個人個人は太り気味からやせ気味,また元に戻るといった激しい変化はしないだろう。ほとんどの人は年齢と共に起きるゆっくりとした体重増加を含む正常な変化を示すことを許された安定した快適な体を享受するだろう。

 

 残念なことに,私たちは人々に痩せようとして,絶えず体重を変化させるように圧力をかける文化に住んでいる。私たちの多くは食事制限を実行し,何回も繰り返す体重の増減のサイクルに苦しんでいる。私たちは私たちの体の大きさへの影響と向き合う必要がある。

 

自然な体型と体重増加

体の大きさは遺伝子,新陳代謝の量によって決定され,人によって体重の増加は異なり,年と共に増える体重も個々に異なる。体の大きさや体重には多様性があり,ダイエットなどで無理矢理制御するものではない。

【早稲田・理工】

T

A】社会的規範とは人々が社会や集団内での行動様式を規定する文字になっていないきまりである。こうした規範は長期的には安定性をもたらし,社会が腐って混沌とした状態になるのを防ぎ,大変化さえゆっくりと起きるようにしている。しかし,この規範は個人が社会に合わせるように強力に影響を与えている。たとえば,1950年代のある研究がこのことを大変はっきりと示している。大学の新入生が無作為に保守的な学生か進歩的な学生と暮らすように配置された。研究者たちはこうした新入生が徐々に先輩の価値観や信念を受け入れたことを観察した。

 

B】他の研究は人々は人々は規範とは矛盾する直接的な証拠がある時でさえ集団に従うことを示している。たとえば,ある研究では,人々は紙に引かれた線の長さを推測するように求められた。人々の推測は自分の目で,集団が間違っていることを分かった場合でさえ集団の規範に従った。

 

C】社会規範はしばしば集団内の創造性を抑制する。創造性が「箱の外で考えた」結果であるかぎり,集団は通例創造的な個人に報酬を与えることはなく,代わりに無視するか,完全に集団から押し出しさえする。このことはしばしば多くの企業に取っては不利に働く。企業は自分たちの組織に想像力のある才能ある人物を引きつけようと努力しているが,そうした人たちは規範に合わせようとするプレッシャーのもとで非生産的になってします。

 

D】企業に限らず教育制度においても,この規格にはめる傾向に苦しめられている。日本政府への理科教育の諮問委員であるKurokawa Kiyoshiは高等教育誌に,「私は大学制度の出る杭は打つといったやり方には本当に腹が立っている」と宣言し,さらに,「我が国の若者は秀でることが許されていないのだ」とも不満をもらした。

 

E】創造性に出会う(そして,社会的規範の影響を克服する)一つの方法はAdarves-Yornoによる研究から学ぶことができる。研究の一つ目のパートにおいて,参加者の2つの集団にポスターを作ることを求め,それとなくそれぞれの集団に言葉とイメージについての概念を与えた。一つに集団には言葉の重要性を強調し,もう一方の集団にはイメージの重要性を強調した。研究者たちはまた集団の成因であることを強調して個人の集団内のアイデンティティーを強調した。後で2つの集団は研究者によって提供された90%のイメージからなる冊子を判定した。彼らの判定では参加者たちは次のような集団の規範と創造性を同一視した。「ことば」の集団は「イメージ」の集団より冊子を低く評価した。同じ研究の別の参加者による2番目のパートでは最初のものと似ているが,集団のアイデンティティーより参加者の個人のアイデンティティーが強調された。結果として,参加者の判断は逆であった。すなわち創造性は集団の規範とは一致しないものとして認識された。

 

F】ホンだの前会長河島喜好は創造性を奨励する別の方法を見つけた。すなわち規範に合わせようとすることを取り除くことで。彼はホンダが重役が若者がどのような種類の車が欲しいのか理解できずに活力を失っているのではないかと心配した。そこで彼は自分のスタッフに若いメンバーを集め,若い消費者にアピールする車の設計をした。彼は重役がチームの活動に口を挟まないことを約束し,うまく社会的な規範の影響を減じた。結果は大ヒット車ホンダ・シティーだった。

 

【社会的規範と個人の創造性】

社会や集団内に存在する社会的規範は個人の創造性に影響を与える。研究によれば,個人の判断は集団内の規範に影響を受け,創造性は排除される傾向にあるので,創造性をはぐくむには規範への対処の仕方が重要だ。

 

U Section A

 来週3つの中間試験があり,締め切り間近の社会学のレポートがある。さらに悪いことに,アルバイトでは6時間余計に働くことになっており,車はおかしな音を出し始めている。もしこのような週だったら,おそらくストレスの影響を感じるだろう。幸運なことにストレスは簡単な3段階プランで軽減できる。

 ストレスに対処する最初のステップは自分の状況を調査し,自分の態度を変えることだ。ストレスを引き起こしているのはなんだろうか。多くの人と同様にあなたは大変多くの活動を引き受けてしまって,圧倒される感じかもしれない。この問題に対処するためにはストレスの原因となっている全てのことをリストにしてみなさい。それからそれらをひとつずつもししなかったとしたら引き起こされる深刻度に応じてランク分けしなさい。たとえば中間試験がうまくする必要があり,学校や仕事に行くのに車が必要だ。従ってゲームがどんなに楽しくても,週末は勉強と車の修理に費やすべきだ。リストのことが終わったら,それらを消しなさい。このテクニックは時間をより効率的に管理するのに役立ち,自分で自分の生活をコントロールしていると感じられるだろう。

 ストレス軽減の第2のステップは規則的に運動をすることだ。人々が大変なストレスにある時,体は余分のアドレナリンを作り出しており,それは心拍数を上げ,血中の糖度を増大させる。こうした体の変化によって,今度は人々は汗をかき,神経質に感じるようになる。しかし,一日20,30分運動すれば,糖の高濃度によって作り出された余分なエネルギーを使い果たし,ストレスの肉体的な症状はおそらく消えるだろう。運動が習慣になるように計画を立てたスケジュールによって運動をしなさい。そして,睡眠を妨げられないように寝る時間,間際まで運動することはやめなさい。運動によって,平静になり,自分の忙しい生活様式により効果的に対処できるようになる幸福感を感じるだろう。

 さらにストレスを軽減するためには毎日,心の運動をしなさい。静かな部屋で,快適な椅子で足を床につけ背筋をまっすぐに座りなさい。目を閉じて,呼吸の音を聞きなさい。ゆっくりと鼻から息を吸い,数秒間息を止め,それからゆっくりと口から息を出しなさい。目はまだ閉じたままで,美しい南国の浜辺を想像しなさい。そこでは,きれいに澄んだ青い水のなかに浮かんでいる。静かな海流があなたを流していくとき,白い雲が空を横切っていくのを見る。静かなそよ風の音を聞く。気持ちは静かで安らかになる。もし,この心的運動を毎回20分ぐらい行えば,あなたの心身はよりリラックスするだろう。

 

ストレスに対処する3つの方法

忙しい毎日の仕事のためにストレスを感じたら,やるべきことを整理し,優先順位をつけ実行する。ストレスで出た体内のアドレナリン対策のために運動をし,さからに精神的にリラックスできるように瞑想をする。

 

Section B

B】石炭やガソリン,油といった燃料が燃やされると,イオウや炭素,窒素の酸化化合物を大気中に放出する。こうした参加化合物は大気中の湿気と化合し,硫酸や炭酸,硝酸を形成する。雨や雪が降ると,こうした参加化合物がいわゆる酸性雨として地球上にもたらされる。

A20世紀を通して,酸性雨は地球環境の安定と質に対する主な脅威として認識されるようになった。この酸性のほとんどは北半球の産業国,アメリカ合衆国,やカナダ,日本,それにほとんどの東西ヨーロッパの国々で作り出された。環境組織は排出を減らす計画を実行し,こうした計画はある程度成功をおさめた。1980年から1999年の間に硫酸(SO2)の排出はアメリカ合衆国では約40%減少し,ヨーロッパで65%ほど減った。こうした努力にもかかわらず大きな被害が世界中の生態系にもたらされた。

C】酸性雨の影響は人間の命を含む多くの生命体に大被害をもたらしうる。しかし,その影響は湖や大河,小川や植生にもっともはっきりと見て取れる。水中の酸性はほとんど全ての生命体を殺す。1990年代初頭までに,何万もの湖,特にノルウェイやスェーデン,北米北部において,酸性雨によって破壊されていた。

D】酸性雨によって突きつけられた脅威は地理的な国境には制限されない。というのも吹いていく風は汚染物質を地球中に運ぶからだ。たとえば,多くの研究はアメリカ合衆国の中西部の石炭による発電所から出る汚染がカナダ東部とアメリカ合衆国北部の州での深刻な酸性雨問題の究極の原因だという結論を支持している。酸性雨の破壊的な影響はまた,自然環境だけに限らない。石や金属,セメントでできた建築物もまた被害を受けたり,破壊されたりしている。ヨーロッパの大聖堂やローマのコロシアムを含む世界の偉大な歴史的建造物のいくつかが酸性雨による被害の兆候を示している。

 

地球全体に影響を及ぼす酸性雨

大気中に放出された物質からできる酸性雨は地球環境の脅威として認識され,原因物質の排出削減の努力がされているが,その影響は大きい。地域を限定せず湖沼や川,さらに建造物にも大きな被害をもたらしている。(98)

 

W Section B

 あなたが成功しているアイスクリームの会社を経営しており,他の数社がアイスクリームを包装,販売するフランチャイズを購入するのに興味を示しているとしよう。(「フランチャイズ」はある会社から,その製品やサービスを販売したい人に与えられる許可である)あなたの会社は現在市場のシェア(市場占有率)の10%があり,ちょうど終わる年度に1000万ドル儲けるだろう。来年度には2つの重要な目標がある。すなわち収益を増やすこととシェアの拡大である。利益はフランチャイズの初期費用の為に500万ドル減るが,シェアは20%まで増大すると見積もっている。一方,フランチャイズしなければ,利益は2000万ドルまで上昇し,シェアは15%しか増えない。このことを下のような表にする。

 

選択肢

目標

フランチャイズ

非フランチャイズ

利益 (100万ドル)

5

20

シェア (%)

20

15

どちらが賢い選択だろうか。決定はフランチャイズ化しないことからくる追加の1500万ドルの利益がフランチャイズ化で得られる追加の5%のシェアは多かれ少なかれ価値があるかどうか,という点に集約される。この疑問を解くために,even-swap methodとして知られている方法を適用できる。

 第一に,目的を相殺するのに必要な変化を決定しなさい。フランチャイズ化しないことで得られる1500万ドルの利益の利点を相殺できれば,決定はシェアだけに依存するだろう。

 第二に,他の目的の変化が必要とされる変化を補填するものを評価しなさい。どのくらいのシェアの増加が1500万ドルの利益の減少を補填するか決定しなければならない。細心の分析後,3%の上昇で1500万ドルの損失を補えると決定する。

 第三に,同等価値の交換をする。表の中では,シェアを3%上昇させる一方でフランチャイズ化しないことで利益を1500万ドル減らす。書き直した結果(500万ドルの利益と18%のシェア)は価値において元々の結果(2000万ドルの利益と15%のシェア)と同等である。

 第四に,現在関係のない目的を相殺する。2つの選択肢の利益が同等となったので,利益は排除できる。決定はシェアの問題となる。

 最後に,優勢な選択肢を選ぶ。フランチャイズ化が明確な選択だ。しかし,フランチャイズ化の選択は3%の上昇が1500万ドルを補うと決定すればよりよい選択ではないだろう。

【上智・国際関係法,文】

【上智・国際関係法】

1】人間は社会的な生き物である。私たちは単に人といるのが好きだ,といた些細な意味で,あるいは,私たちは互いに依存している,といったありきたりな意味で社会的ではない。私たちはもっと基本的なところで社会的なのだ。すなわち,ただ,正常な人間として存在するためにも,他の人との関わりが必要なのだ。

 子どもたちは,この事実のもっともはっきりとした実例を提供してくれる。もっとも受け入れられるには時間がかかったが。1950年代になるまで,心理学者たちは,親に子どもの自立を促すためには,愛情や世話はかけないようにと助言していた。それから,マディソンのウィスコン大学で心理学の教授であるハリー・ハーローが赤ちゃんアカゲザルに関する一連の影響力のある研究を生み出した。

 

2】彼は50年代半ばに偶然,発見をした。当時,実験用サルをインドから輸入する代わりに自分で繁殖させて,類人猿研究所のお金を節約することにした。幼児のサルの育て方を知らなかったので,彼は当時の病院が人間の幼児を世話をする方法,すなわち,十分な食料と暖かい毛布,おもちゃ,それに感染が広がらないように他の幼児とは孤立して世話をした。サルたちは丈夫に,病気にかからず,野生のものより大きく育った。しかし,サルたちはまた著しく情緒に障害があり,ボッと眺めたり,長いこと一カ所で体を揺り動かしたり,繰り返し自分の檻の周りを回ったり,自分を気づけたりする性行があった。

 

 ハローや彼の大学院の学生は最初、何が問題なのか分からなかった。食事や証明の当たりかた,使った抗生物質まで検討してみた。それから,ハーローの素晴らしい自伝「グーン公園での愛」のなかで,著者デボラ・ブラムが詳述しているように,研究者の一人がサルたちが柔らかい毛布にしがみついていることに気がついた。ハローはサルがちが未熟児保育器内で足りないものは母親ではないだろうかと思った。そこで,奇妙な実験で,サルたちに人工的な母親を与えてみた。

 

3】研究では,一人の人工的な母親はテリークロスでできた人形で,もう一方はワイヤーでできていた。彼は人形がより心地よく見えるように人形の内部に暖房機を入れた。赤ん坊たちはワイヤーの母親をほぼ無視したが,布の母親には強く引きつけられるようになった。彼らはそれを愛撫した。その上に体を丸めて寝た。怖いときにはその人形に走り寄った。代わりのものを拒み,「自分たち」だけの母親しか望まなかった。アカゲザルの赤ちゃんが抱こうとするとき,母親の体から無作為に鋭い釘が飛び出すようにしておくと,釘が引っ込むのを辛抱強く待ち,それに抱きつきに戻った。しかし,代理の母親にどんなにしっかりとしがみつこうと,サルたちは精神的には異常のままだった。

 

 誕生後の完全な孤立の影響に関する後の研究で,研究者たちは実験に使われたサルたちは,普通のサルたちの中に放されると,たいてい感情的なショック状態になった。その特徴は自閉的,自分を引っ掻いたり,体を動かすことだ。「3ヶ月間孤立させられた6頭のサルのうち,1頭は解放後,食事を拒み,5日後死んだ」とハーローは述べた。他のサルたちと数週間一緒にいれば,大半は適応したが,もっと長期間に及んだサルはそうはならなかった」と書いた。「12ヶ月間孤立すると,ほぼ,動物たちを社会的に抹殺してしまった。彼らは永久的に引きこもり,まるで虐待を誘っているかのように,頻繁に攻撃を受け,のけ者として暮らした。

 

4】この研究によってハーローは有名になった。(そして,また悪名高くも,というのも彼の研究への嫌悪によって動物権運動が加速するのに役立った)他の心理学者たちも同様に無視された,親のいない子どもたちへの深く,持続する悪影響の証拠を見つけた。病院は育児室を両親に開放するように求められた。そして,子どもたちは食べ物や保護のためだけでなく,頭の正常な機能の為にも育ててくれる人間が必要なのだということが広く受け入れられるようになった。

 

 私たちはこうした教訓を大人たちに当てはめることに躊躇してきた。そもそも大人は十分にできあがっており,独立した存在で,持ち出すことのできる内面の強さや知識を持っている。私たちには子どものように他者に依存するようなことはないでしょ。しかし,実際にはそのように思える。ここでは,使えるサルの実験は多数ない。しかし,人類は囚人制度を含む何万という人間の実験を作り出してきている。そして,そこから描かれる全体像はかなり動揺するものだ。

 

 最も害の少ない実験の中には,長期間にわたって自ら孤立する人々のものがある。たとえば,長距離,一人で航海する人は何ヶ月も海洋に出ることになる。彼らはあらゆる種類の物理的な恐怖,たとえば,すさまじい嵐,50フィートもの高波,水漏れ,病気など。しかし,多くの人にとって,彼らが報告する最も圧倒的な困難さは,「心が破壊されるような孤独」とある航海した人が形容したものだ。宇宙飛行士は厳密に閉じ込められた孤立の中で長期間耐えられる能力で選抜される必要がある。そして,彼らは社会的な接触のために無線と映像によるコミュニケーションに頼るようになる。

 

乳幼児期の社会的な関係の重要性

心理学者ハーローは1950年代,アカゲザルの飼育から乳幼児期の他者との関わりが心の発達に大きな影響を与えることを発見した。現在では赤ちゃんと他者との関わりが重要視されているが,これは大人にも当てはまる。(98)

 

1】私たちは読み書きに関してはめちゃくちゃな状態にある。私たちは常にイギリスの子どもたちが本を読んでいないのではないかと心配している。次から次へと出る報告書では,他国と比較すると,子どもたちの読み書きのレベルはどんどん置いていかれていることが明らかになっている。フィンランドが読み書きのレベルと同様に最近の子どもの幸福度においても1位にいることは興味深いことだ。フィンランドと幸福については後述。

 

 私は教育そのものに部分的には責任があるのではないかと思っている。皮肉なことに,教育は私たちの文学が大きく花開くことに責任があると同時に,大変多くの人たちに,文学は彼らのためでなく,ある種,教育を受けたエリートたちのためのものであるという印象を与えることにも関与している。その結果,私たちの社会の多くはそれ自身の物語から分離されるようになっている。この疎外はあまりに容易に起こる可能性がある。 一つ,物語をしよう。

 

2】かつて本に囲まれて育った少年がいた。家には壁がなかった。ただ,本だけがあるように見えた。寝るときには,母親がベッドに座り,本を読んであげた。Masefield, Kipling, Lear, De la Mare, Shakespeareなど。そして,母親がそれを愛していたので,少年も愛した。彼は母親の声に,彼女の笑い声に,目に浮かべた涙の中にそれを感じることができた。彼は楽しみを愛し,悲しみを共有した。彼は言葉の中の音楽を愛した。彼は物語の時間が終わって欲しいとは一度も思わなかった。

 

 それから,「学校へ行きたくもなく」行った。黄色くかすんだロンドンのスモッグの中を葉の茂った道をとぼとぼと。それ以来,物語は魔法の力を失った,それは音楽を奏でることもなくなった。言葉はきちんとした字で,適切に綴られ,適切に句読がなされなければならなかった。言葉はもう物語を語るものではなく,名詞と代名詞と動詞だった。後に言葉は書き取りや理解に使われ,全てが試験され,成績をつけられた。無数の赤い×と斜線が血の出る傷口のように練習ノートをいっぱいにした。言葉の恐怖,失敗の恐怖が全ての喜び,全ての魔法の力を消し去った。毎日,ますます単語が死んでいった。この少年がロンドンのフェニックス劇場でPaul Schofieldがハムレットを演じるのを見るのに連れて行ってもらう晩まで。彼は詩の中に音楽を聞き,それを再び愛した。そして,大学の学生だったとき,机の端に座って,Gawainthe Green Knightを読んでくれた教授に会った。教授がそれを読むと,彼は全ての単語を体現し,全てのことばを愛した。学生である彼もだ。後に,小学校の先生の時,若者は一日の終わりに自分のクラスに物語を読んであげたものだ。自分の好きな物語だけを。こうした物語がつきると,自分の物語を作った。そして,彼は物語作者となり,作家となった。現在では物語がない,物語を読まない,作らない生活は想像できない。

 

3】私は長年にわたって教えて,書いて,物語が子どもに与える影響について知っており,私たちと物語の古いつきあいを復活させる方法について幾分か考えがある。

 

 私たちの考えは変わらなければならない。私たちは読書が学業の成功へのはしごだと主張することを止めなければならない。教育商品として,知的成長を助けるために飲むべきある種の錠剤としてだけ扱われるので,それはしばしば逆効果となり,最終的には遠ざけてしまう。

 

 もちろん,私たちは学校で文学を学ばなければならないし,学ぶべきだが,まず私たちの子どもには物語への愛情を吹き込まなければならない。

 

 そして,そうするためには,両親や教師は自分たちも物語への情熱を持たなければならない。彼らはそれを伝えるのだ。子どもたちは,あなたが本気で,それを感じ,それを愛している,と知らなければならない。そして,教師は空きを見つける必要がある。訂正,政府はカリキュラムの中に空きを教師に与える必要がある。少なくとも1日に30分は子どもたちに物語を読んであげられるように。教師たちを教育しよう。責めるのではなく。教師を解き放ち,信頼しなければならない。彼らを抑制しているのは,子どもたちが小さすぎて,対処できないときに教室に恐怖を持ち込んでいるのは,テストであり,目標なのだ。

 

4】フィンランドでは違う方法でこうしたことをする。フィンランドの子どもたちはもっと長いこと家にいる。我が国の子どもたちが学校で目標志向のカリキュラムに沿って机についてから何年もの間,遊んで,物語を語る。おそらくその為にフィンランドの子どもたちはより幸せなのだろう。そして,おそらくそのために読み書き競争で高い点を取るのだろう。ひょっとしたら私たちがしているように,馬の前に馬車を置くことはしてこなかったのだろう。彼らは子どもたちに物語とともに成長し,それらを楽しむ時間とゆとりを与えている。それゆえに関係はゆっくりと,有機的に発達し,強制されない。

 

 私たちは読みを教えることについて,synthetic phonics等について頭がいっぱいになっており,そのどれもそもそも子どもたちが読みたいと思わない限り,役に立たないことを忘れている。まず動機,すなわち馬車の前に馬が来なければならない。私たちはみんな子どもが学習する気にならない限り,学習過程に無力感,抵抗が生まれることを知っている。子どもたちはこうした素晴らしい物語に触れられるのはこうした言葉だと知っていれば,読むことを身につける困難さとずっと進んで対処するだろう。もし,本当に子どもたちが生涯,読書を続けて欲しかったら,私たちはいずれにしろ馬車より馬の方がずっと楽しいということを忘れないようによくできるだろう。

 

 

英国での子どもたちへの読書回帰への道(17)

 

イギリスの子どもたちの本離れの一因は学校教育にあるかもしれない。まず教師に読む楽しみを身につけてもらい,読み聞かせの時間を確保すれば,子どもたちは読む楽しみを知り,動機ができ,状況は改善するだろう。(99)

 

 戦争があたかも遠く,別の土地で起きているかのように感じさせるありとあらゆる物語があった。難民が私たちの町を通過し始めて,初めて,それは私たちの国で実際に起きているのだとわかり始めた。何百マイルも歩いてきた家族は親戚がどのように殺され,自分たちの家がどのように焼かれたか話してくれた。彼らを気の毒に思って,滞在場所を提供する人もいたが,ほとんどの難民は断った。というのも戦争は最終的には私たちの町まで到達するだろうから。こうした家族の子どもたちは私たちを見ようとせず,薪を割る音やパチンコで鳥を追っている子どもたちによって放たれた石がブリキの屋根に落ちても,飛び跳ねた。戦争地域から来たこうした子どもたちの中にいる大人たちは私の町の長老たちとの会話中,物思いにふけっていた。疲労と栄養不良の他に,彼らの心をむしばむこと,もし彼らが私たちに全てを話したら,認めることを拒むようなことを見たのは明らかだった。時々,私は通行人が話してくれた話の中には誇張されているものもあると思った。私が知っている戦争は本で読んだり,Rambo: First Bloodのような映画で見たもの,それにBBCニュースで聞いた隣国リベリアでの戦争だけだった。10才の私の想像力は難民の幸せを取り去ったものを理解する能力を持ち合わせていなかった。

 

少年が目の当たりにした戦争の影(15)

戦禍に追われた難民が少年の町に来た。これまでよそ事だと思っていた戦争の悲惨さが難民の話や難民のおびえた様子から伝わってきたが,まだ幼い少年には戦争が奪ったものを真に理解することはできなかった。(96)

 

イエスは教えと説教に長い時間を費やした。そのようにしたときには,彼はしばしば特別の意味のあるたとえ話を用いて話をした。ここにその一つがある。

 

 ある日,いつものように,大勢の人々がイエスが話すのを聞きに来た。群衆にはあらゆる種類の人々がいた。

 やってきた人の中には大変信心深い人もいた。彼らは神の法律を確実に理解するために一生懸命勉強したような人たちだ。彼らはきちんとした人々で本当に自分が正しいと考えることをしようとした。不運なことに,自分のことに誇りを持ちすぎ,間違ったことをした人々を見下すような人もいた。

 イエスを見にやってきた人の中にはそれほど信心深くない人もいた。実際,悪いことをしたことで評判になっている人も群衆の中にはたくさんいた。彼らはイエスのことが気に入っているようだった。それはおそらくイエスは彼らを歓迎されている気分にしてくれたためであろう。

 信心深い人たちうめいた。「もしイエスがあいつらみたいな友人を持っているとしたら,どんな教師に彼はなるだろうか。彼らとそんなに長い時間過ごすことで,自分も彼ら同様悪くしている」

 イエスは自分について彼らが言っていることを知っており,次のような話をした。「自分が羊飼いだと思ってください。100匹の羊のいる羊飼いです」

 いい数だ。ちょうどいい羊の群れだ,と聴衆は思った。

 「1匹の羊を失ったとしましょう」とイエスは続けた。

 99匹残っている,と聴衆は思った。まだ,十分な群れだ,しかし,1匹を失うことはいらいらすることだ。

 「皆さんはどうしますか」イエスが尋ねた。

 「失った羊を探せ」群衆の誰かが叫んだ。「群れの世話は誰か他の人に任せて。いつだって,ちゃんとできる子どもが2,3人はいるものだ」

 「もちろん」イエスは言った。「残りの羊は牧草を食べさせておいて,あなたは出かけて,いなくなった羊を探します」

 「そして,あなたもあきらめません」羊飼いが叫んだ。

 「逃げ出した羊たちは遠くまで行く可能性がある」ともう一人が付け加えた。「探し続けなければならない。何マイルも歩いたこともある。そんなことをするのに,お金を払って手伝ってもらうなんてできないことだ」

 「その通りです」イエスは言った。「ちゃんとした羊飼いなら,いなくなった羊が見つかるまで探し続けることはみんな知っています。それから,捕まえて,家に連れ帰るでしょう。それから何をすると思いますか?」

 「宴会だ」と羊飼いが叫んだ。「友達全員を呼んで」

 「大きな祝宴を用意するでしょう」とイエスは同意した。「そして,ここが肝心です。なぜなら,悪いことをした大きな変化をしたときに天国で起きることを少し似ているからです。悪いことをした人がついに自分は自分の人生を台無しにしているとわかり,悔い改めようと決意するとき,天使たちが応援している声が聞こえそうです」

 「いい話だ」と聴衆の何人かが叫んだ。イエスは自分たちのことを話しているのだ分かったのだ。

 「羊飼いがしている大変な仕事をよくわかっている」と農家の人々には頷く人もいた。

 「ばかげている」と宗教指導者の中にはつぶやく人もいた。「彼は気が変で,大変危険かもしれない」

 悲しいことだが,本当だ。イエスと宗教指導者はお互いにうまくいかなかった。しかし,他の人々は羊が羊飼いのもとに群がるように,彼に群がった。

 

イエスの説話:羊飼いとはぐれた1匹の羊

イエスの説教には信心深い人から罪を犯した人まで様々な人が集まった。信心深い人は快く思わなかったが,罪を犯した人を群れから離れた羊にたとえて,神はそのような人をみつけ,導いたことを祝うのだ,と説いた。