2007年度入試

【大意】

【東邦・理】

大問1

 「誰一人として孤島ではない」ということわざは重要に思えないかもしれないが,多くの人は孤立した生活を送っていると,特に日本では多くの人が感じている。このような事態を避けるためには,様々な関係を持つことが重要だ。次のものが私たちの幸福感と成長に大切な5つの種類関係だ。

 

(1)                日々と接触,例えば店員,レジ係の人,アパートの管理人等との関係はあなたが地域の一員だという気持ちを確かなものにしてくれる。

(2)                近所の人や天気や最近の出来事についておしゃべりをできる人との関係は社交性を伸ばすのに役立つ。

(3)                より深い関係はあなたの視野を広げ,刺激を与えてくれる。これには同僚や生活の出来事について話したり,情報(週末の活動や食事,旅行,買い物等)を共有できる同じ集団に属する人々とのつきあいも含まれる。

(4)                親しい友人との関係はあなたの問題や失望,希望,喜びについて話し合うことができる人だ。こうした人は他の人を信頼する能力を伸ばすのに役立つ。

(5)                親友や家族は自分の弱点や怖いことを含む,自分の最も深い部分を話すことができる特別な集団の人々だ。彼らは私たちに自分の弱さ,お互いの必要性を思い起こさせてくれる。

 

 この5つ全ての交わりは何かしら違ったものを提供してくれ,全てのレベルでの関係を持つことが理想的だ。驚くことに,かなりの外国人は1つか2つのレベルの関係しか持っていない。内向的な人は1と2のレベルで見いだされる「ちょっとした会話」といった種類のものは表面的で,時間の無駄だと考える。一方,外向的な人は多くの友人や知人をたくさん持つことで刺激を受け,自分の時間とエネルギーを薄く広げる傾向がある。彼らはレベル4や5の関係の種類に求められる親近感の度合いを維持することはできないかもしれない。

 外国で住む時には,言葉の壁のために店員や近所のひとと関係を持つことが難しいことがある。しかし,こうした人との日常的なつきあいは,それが帰属感と暖かい友好的な感情を共有する機会を与えてくれるので重要だ。1週間に1度,地元の寿司屋で外食するとかコンビニやデパートの代わりに自営の店で買い物をするのを習慣にしたいと思うかもしれない。名前で呼びあう関係で知られるために。まったく知らない人との友好的な交わりも貴重な体験となりうる。あるアメリカ人の女性が言った。今日あったことなんだけど,私は疲れていて,タクシーに乗りましたが,運転手が親切で,私の日本語が上手だと言ってくれました。それこそが私の必要としていたことだったんです。

【大問2】

 

 その夏,兄と私は家庭教師と一緒にスイスに徒歩旅行に出かけた。私たちはお金が続く限り電車で旅行した。家庭教師と私は山登りをした。「私たちはウェッターーホルンとモンテローザに登りました。日の出がベルナー・アルプスの山頂を照らす壮観は壮大で素晴らしかった。私はマッターホルンに登りたかったが,この計画は家庭教師には指示されなかった。それは費用がかかるだけでなく大変危険だった。しかし,この分別は無駄だった。というのもある事故がローザンヌ湖で起きた。私は他の人の警告になるようにこのことを記録に留める。

 ある日私よりちょっと小さい少年とボートを漕ぎに出かけた。湖岸から1マイル以上いったところで,泳ぐことに決めた。私たちは衣類を脱ぎ,水に飛び込んで,大喜びで泳いだ。十分泳いだ時,ボートがおそらく100ヤードぐらい離れていた。風に水面を揺らし始めていた。ボートには小さな赤い日よけが船尾にあった。この日よけが風を受けて帆の役割をした。私たちがボートにむかって泳ぐと,それは離れていった。こうしたことが数回起きたあとで,多分距離は半分ぐらいになっていただろう。しかし,この間に風が強くなり始め,私たち二人,特に相棒は疲れ始めた。この時点では,危険などという考えは頭をかすめもしなかった。太陽がきらきら輝く青い水に働きかけた。山や谷の素晴らしい全景,陽気なホテルやビラがほほえんでいた。しかし,これまでになく死が近くにいることを感じた。死が私に寄り添って泳ぎ,時々ささやいていた。風が強まり,ボートを私たちが泳ぐことができる同じスピードで遠ざかっていた。近くに助けはなかった。助けてもらえなければ,湖岸に達することはできないだろう。私は泳ぎが得意だったが,死にものぐるいで泳いだ。2度ボートから2マイルのとこまで行ったが,その度に強風がボートを私の手の届かないところへ運んだ。極限の努力で,もっと強い風が赤い日よけをふくらませる一歩手前で,ボートの脇をつかんだ。私はボートに乗り込み,仲間の所へ漕いで戻っていった。彼は,疲れていたけれど,私たちに迫っていた危険には気づいていないようだった。私はこの重大な経験について何も言わなかったが,それを忘れたことはない。おそらく,このことを忘れない読者もいるだろう。

 

【拓殖・全日程】

大問1

 自己意識は全く無意識の可能性がある劣等感から引き起こされる。なんらかの方法で,私たちは他の人とは「違っている」と感じる。この孤立感によって人々を避けることによって可能性のある批判から逃れたいと思う。私たちは人と一緒にいて,くつろげることはない。なぜなら,人に興味を持つ変わりに,自分の外見や,自分はきちんと振る舞えているか,相手の注意を引きつけておけるか,自分のことが好きだろうか,などということに気をもんでいるからだ。

 私たちは他の人にいい印象を与えたい。私たちは常にこの欲求を意識して,いつも意識して,いい意見を得ようと努力している。私たちは鏡に映った自分の姿を見守り,その全ての動きを批判している人のようだ。私たちの目は自分に焦点が当てられている。私たちは他の人が気づきもしないような細かいことを心配している。

 人々がもっとも頻繁にする2つの質問は,「私はどう見えますか」と「私はどんな印象を与えただろうか」であるということは重要だ。

 最も幸福な人々はこのどちらにも気を煩わさない気楽な人物だ。突飛なことにならずに,自分の気に入ったような服装をし,いつでも自分らしさを失わない。難局を切り抜けるのに自分の人格を信頼する勇気と自信がある。

 私たちは一つの点で決心しなければならない。そして,それを早く行えば行うほど,幸せはより早く見つかるだろう。私たちはいつでも,みんなに好かれるわけでない。

 あなたは自分自身の理想と意見を持った人物として知られたいだろうか?それともみんなを喜ばせようとし,それゆえに,彼は八方美人だという印象を与える自物として考えて欲しいだろうか。

 最初の場合では,本当の友人ができ,こころが狭く,教条的であることを避ける良識があれば,あなたの敵でさえ,あなたのことを尊敬し,やがてはあなたのことを好きになりさえするだろう。

 2番目の場合では,あなたはたくさんの知り合いはいるが,本当の友人はいない典型的な「いい人」になるだろう。人々はあなたを一緒にいて楽しい人としてみなすかもしれないが,全幅の信頼を置くことは決してないだろう。

 

大問2

  あなたはもちろん,ただ,単語に触れたり,読書をしたり,話しをするだけでは,急速に語彙を増やすことは決してないと分かっている。計画が必要なのだ。

 毎日の生活で語を順調に増やす方法がある。それは大変簡単だ。

 小さな手帳を買いなさい。新聞や雑誌,本を読んだり,テレビやラジオを聞いていて,見慣れない単語に出会ったら,手帳に書き込みなさい。それから,辞書で引きなさい。それが何か難解か,極めて専門的な用語だとわかったら,たとえば,syzygy,「ウミユリの2つの腕の間の動かない結合部」のような,その単語はやりすごしなさい。生物学の教授になるために勉強しているのでなければ,それを使うことはないだろうから。しかし,もし,それがあなたの役に立ちそうな単語の気がしたら,それを所有しなさい。自分の個人的な財産にしなさい。何回も声に出して言いなさい。その定義を勉強しなさい。語源のノートをとりなさい。また,辞書に例があるのなら,それが使われる例文を辞書から写しなさい。それから,辞書の例文に沿った自分の文を書きなさい。

 これを全てしても数分しかかからないだろうが,この練習を毎日の習慣にすることが必要だ。そうすれば手帳のリストがだんだん大きくなり,あなたの英語力も伸びるだろう。

 

【愛媛・前期】

大問1

 彼らの最初のお互いの出会いは原住民とヨーロッパ人が同じように季節の移り変わりを強く意識する時代に起きた。それは人々が大変観察力がとぎすまされ,見たことのない植物に気づく時代だった。互いに親密に結びつき,見知らぬ人の噂が何百マイルも電話や放送,新聞の助けを借りずに伝わる時代だった。当時は印象や直感が強く,啓蒙運動とそれが強く求める科学的証明の時代の前だった。私たち,啓蒙運動とその科学技術の脅威の落とし子が4世紀半前に日常生活を導いていた直感や細かい観察のよさを評価するのは難しいことだろう。

 比較的少数の人々の集団が住んでいる質素な住みかの手から,強力な影響力が南西部に伝わっている。なぜ,そうなのか。おそらく私たちはここでの生活と人々の中に私たちが長らく忘れていた自分を見いだすのだろう。そして,彼らが作り出し,私たちが喜びを見いだす全てのことは究極的には基本的なものから生まれている。土,水,空から,信仰や希望,共同体が。おそらくその理由で,今のように私たちに語りかけてくるのだろう。

 人間の本姓は今あるような姿なので,私たちは生活を安定して,着実で快適な状態にしておこうとする。私たちは全ての問題は解決でき,困難や苦しみ,犠牲は避けることができるし,避けるべきだという考えに固執している。私たちは,自然の世界を締め出し,互いに距離を置くために科学技術を用いて,自然の力に引かれるのに抵抗する。しかし,私たちを人生の試練から分離する代償は多くの喜びを失ってしまうことだ。季節が進むにつれて,季節は私たちが見上げ,世界を新たな気持ちで見,意識と感謝,愛で,日々に遭遇することを思い出させてくれる。

 したがって,外部の人たちにとって重要なことは,文化がすることというより,どうして彼らがするかということであることは確かだ。季節に沿って過ごす生活は常に変化し,同時に変わらない。「そうだ,私は一緒に寄り添って,冬に春の最初のルリツグミを見,種をまき,収穫し,祝う話しするのがどんな気持ちだったか覚えている。」このことに喜びがあり,時に悟りがある。

 

大問2

 私が大変小さかった頃,私はすごく食欲があるという評判を得た。しかし,決して体重は増えなかった。母は私の摂取した食べ物は全て熱とエネルギーに変わるのだ言ったものだ。しかし,最近では十分にビールや酒を飲んでいるので,永久的な太鼓腹になっている。それはすぐに忘れてしまいたいようなことだ。ところでイギリスでは,ほとんどの子どもたちは,もっと食べたいのか,いらないのか自分で決めることが許されている。食事中に,母親は時々聞く。「もっと食べる?」とか「十分食べた?」と。子どもはこのような方法で責任感と自立心を教えられている。子どもが食べ過ぎると,お腹が痛くなったり,太る。私はそのことを学ぶのが遅すぎるように思えるが!

 子ども時代のある出来事がぬぐい去りがたく心に残っている。それはクリスマスの日だった。おそらく6,7才だっただろう。父が季節の七面鳥を切り分けており,私は父の大変近くに座っていたので,目をむいて,期待して,その美味しそうな肉をじっと見ていたに違いない。彼は七面鳥を私の前のお皿に一切れ,一切れ乗せ始めた。おそらく私は量の少なさに失望の表情をしたのだろう。はっきりはわからないが,突然,父は取り分け用フォークとナイフで七面鳥全部を持ち上げ,私のお皿の上に置いた。親戚やお客を含む家族全体が,このちょっとしたドラマを見ており,大笑いになった。それから,父は突然,七面鳥をお皿からとりさり,それと同じくらい突然に私が泣き出した。私のまわりの笑い声がひどく増した。彼らはみんな私の涙はまるごと食べられる七面鳥といった大きな褒美をなくしたことの失望によって引き起こされたと考えていた。実際には本当の理由はまったく違っていた。生まれつき恥ずかしがり屋な私は,このような注意が私に向いて恥ずかしかったのだ。私の涙は失望と言うより,こんなに目立ってしまったことの恥と惨めさによって引き起こされたのだ。今日まで,父は自分の解釈に固執し,機会があれば,いつでもこの話しを喜んでしている。

【高岡商科・法】

 大多数のアメリカの子どもたちは公立学校(すなわち,税金で支えられ,無料の学校)50州全てに全国的に指示された標準の制度がないとわかると人々は混乱する。それぞれの州は州独自のレベルや計画を自由に立てることができる。それらは質や施設,しつけ,学力レベルにおいて大変幅があるので,人々はしばしば学校教育のレベルのために州に(あるいは州から)引っ越す。

 さらに事態が混乱するのは,地域の学校区はそれぞれの州の枠組みのなかで,かなりの自由裁量の余地がある。都市やタウンシップ,地域学校はそれぞれ独自のカリキュラムや委員会,予算,規準がある。もっともこうした点は州が定める緩やかな指針に従わなければならないが。

 学校への支援は主に国家財源より州,地方レベルの税金から来る。連邦政府が教育に関与することがあるとすれば,地方財政が貧弱な貧しい州に対して行われる。国家財源はカリキュラムに影響を与えない建物や旅費,その他の補助費に与えられる傾向にある。先に述べたように,アメリカ人は自分たちの政府からの独立を用心深く守る。国家財源を受け入れた結果,政府がある種の影響力を行使することができる可能性があるとしたら,そのような財源はしばしば地区教育委員会(選出された市民)によって断られる。熱のこもった議論がある。大学レベルでは暴動やデモがあることもある。市民が連邦政府が例えば,科学研究や軍事訓練,他の特定のプロジェクトの支援を通してカリキュラムに強すぎる影響を与えていると感じたときには。私たちの祖先や今日の新市民がこの国に強力すぎる政府から逃れたいというあからさまな目的のためにやってきたから,この感情の根は大変深い。

 教育に対する地域の影響力のこの強調と同時に,例えばフランスやイギリスのような学校,大学レベルでの全国試験は存在しない。大学試験は,単科大学や総合大学への入学のために全国で実施されるが,これは連邦政府ではなく,民間機関が実施で,その使用は強制されていない。同様に,民間組織である国家医師試験委員会が医師の資格試験を実施している。こうした試験の結果はほぼ全ての州で認められている。もっとも各州は独自の試験制度があるが。このような形態は他の専門的職業でも一般的だ。

 この州と地域の独立は,上に述べられたように,公教育の質の本質的な相違,隣町同士でも,を生み出している。急激に成長する都市では,小学校と高校はほぼ全て過密である。近年,多くの学校は暴力や教師のストなどの問題に悩まされてきた。郊外や小都市では,公立学校は適切な施設や教師と生徒の妥当な比率,優れた学力レベルなどで,より落ち着いている。

 【日本女子・人間社会】

大問1

 私の子どもたちは,今ではみんな家族を持っているが,私が成長した日々は独特なものだったと考えているように見える。1993年,私が生後16ヶ月の時,私の母は私を1日だけロンドンの北西部,キルバーンでおこもりに預けて,5時半には引き取りに来ると約束して,そして,消えた。おかみさんは,大変多くの小さな子どもたちを引き受けていたので,私の母が,他の全ての母親と違って,その日,遅くに二度と私を連れに戻ってこないとは思わなかった。

 ラバリッヂの薄暗い3階建ての家が私の家庭になった。家には家具がほとんどなかった。カーペットのない床,傘のないガス灯,ネズミが一杯の古い肘掛け椅子。私の小さなベッドは2つの古い肘掛け椅子をくっつけたもので,私の寝具は1枚の毛布と何着かの古いコートを継ぎ合わせたものだった。私は今でも寒い夜にフトンを私の周りにかけたとき,その大きなボタンが私の歯にあたっているのを感じることができる。

 家には,猫がいたけれども,ネズミで一杯だった。そして壁紙には虫がおり,夜中に出てきた。場所はブラウンビールとタバコのにおいがした。

 しかし,私の養母は素晴らしかった。しかし,私が12才になる頃には,彼女の世話をしていた。彼女は夜頻繁に発作を起こして,私は痛みを和らげるために朝早く,彼女を散歩に連れ出したものだ。振り返ると,私はおかしなお古を着て,汚い子どもだったとわかる。そのようなことは私の家では重要ではなかった。私の想い出になっているのは笑いとハグのある家だった。

 しかし,私はおそろしい嘘つきになっていた。私はいつも私について物語をでっちあげていた。私は,私には愛らしい目と紙の,美しい母いるけれど,私のめんどうを見られない,なぜなら,彼女はファッションモデルで,仕事が忙しいからだ,と言っていた。大人になって,私を取り巻く悲しみや貧困を自分の目で見るようになると,私は弱々しく私の状況を変えようとした。

 1953年,私はPicture Post誌を通してロンに会った。その本にはペンフレンドのページがあった。彼は修理人で,何年か文通したが,私はもし彼が私たちの家の状態を見たら,私のことはもう相手にしてくれないだろうと思っていた。彼は私が住んでいるところを見ないのが一番だと考えていた。恐ろしいことに,彼は本当に一度予告なしに家を訪ねてきた。私は髪の毛にカーラーをして,床をふいたあとで,汚い膝でドアを開けた。彼は,「今日わ。バーバラがここにお住まいですか」と言った。「私よ」と私が言った。

 私の恐怖心は根拠のないものだった。彼は養父母を気に入ってくれ,私のことも気に入った。2年もしないうちに,私たちは結婚した。養父母はそのころには80代になっていたが,近所の人の車で結婚式にやってきた。養母は長いコートを着てスニーカーを履いていた。私の実の母が現れた。今は,色々な事を聞いておけば良かった思っているが,彼女は大変近寄りがたく思えた。実際他人同士のようだった。もっとあとになって,娘を産んだとき,私は彼女の住んでいる場所を見つけ,彼女の玄関口に行ったが,彼女は私を中に入れようとはしなかった。

 そのときには,キルバーンの家に別れを告げて,そうすることになんら心の痛みは感じなかった。しかし,今は大変快適だが,今でもあの若いころのことを思い返し,少し懐かしく思っている。ひょとしたら,今はものがありすぎるかもしれない。

 

大問2

 ヘンリー・チャールズ・ハロッドは粉ひきとして職業人生を始めたが,ロンドンのEastcheapで紅茶仲買人になるように進路を変えた。彼の顧客の一人にフィリップ・ヘンリー・バードンがいた。彼は1階建ての店の並びの1軒を所有するブロンプトンの食料雑貨商だった。バードンの仕事はうまくいっていなかった。ハロッド氏は彼と知り合いになって,長期信用貸しでお茶を提供した。そして1849年,バードンが続けられなくなったとき,ハロッドが仕事を引き継ぎ,都市から引っ越して,店の裏の家に住んだ。彼はその時50才近く,そこそこの収入と家族のためのいい家以外には野望もなかった。ブロムトンはシティの生活のあとでは快適だった。彼は店の手伝いに2人を雇って,ほそぼそと卸売りの仕事を続けた。

 彼の息子のチャールズ・ディグビイ・ハロッドは父に加わる前にシティーで青果商の仕事をしていた。それから1861年,チャールズ・ディグビィが20才の時,父はそれは遺産ではなく,支払うべき商取引であるという理解のもと全権を委譲した。若きチャールズ・ディグビイは3年で支払いを終え,結婚し,店の裏の家に引っ越した。その場所はその時にはブロムトン通り105番地になっていた。

 当時,店主は金持ちの顧客がつけでの大量販売を許すように求められていた。息子のハロッズはそれを全て変えることにした。彼は厳格に現金販売にして,その地区のどの店よりも低価格で高品質な商品を提供できる,と宣言した。

 方針は成功し,1868年までには彼は5人の助手を雇い,週千ポンド稼いでいた。彼は拡張するスペースが必要だった。そこで,家族をEasterに移して,家を倉庫と販売場所にした。5年後,家の裏庭に2階建ての別館を建てた,そしてその翌年,隣接した店の賃借権を獲得した。1880年にはハロッズは100人近くの従業員をかかえ,1883年には裏に建設地をさらに購入した。その年の12月,新しい建物がほご完成しかけて,クリスマス商品が一杯蓄えられて時に,火事で全てが破壊された。

 英国商店主の真の伝統で,ハロッズは災害に立ち上がった。彼はブロムトン通りの向かいのハンフリー・ホールを借りて,そこをクリスマス商品で一杯にし,近くに臨時のオフィスを借りた。元の敷地での再建が進められ,1884年9月に完成した。多くの新しい売り場があり,カーペットや家具の売り場まであった。

 ハロッドはWilliam Whiteleyとライバル関係にあった。ウィリアムのWestbourne Groveの店は10年もしないうちに小さな店から大きなデパートへと成長していた。Whiteleyは後にピンから像まで何でも提供できると主張した。ハロッドはより威厳を持って,Whiteleyより粋な顧客を集めることを初め,その第一歩として,承認された顧客だけのクレジットを導入した。

 【宮崎産業経営・前期】

 

 最近,アメリカの教育制度における男子の伸びに関する報告書が2つ出た。男子には危機があるとする人がいる。また,男子には問題があるとする人もいる。しかし,状況は男子が遅れているというより,女子が男子に追いついていると言っている。

 

 大学レベルで起きてた変化を調べている。ここでは,同じような問題がある。男性の状況を心配する人もいれば,女性の進歩の分野を誉め称える人がいる。

 

1970年,女性はアメリカの大学生の42%だった。現在では女性が約56%だ。

 

 「男子と女子についての真実」と呼ばれる最近の報告書はこの情報を含んでいるが,危機の証拠としてではない。研究団体「教育部門」で政策アナリストであるセラ・ミードが報告書を書いた。彼女は状況を次のように見ている。

 

そう,男性は女性よりも4年の学位を取る人が減っている。しかし,男性は以前よりも多く学位を得ている。ただ,女性よりその伸びが鈍っているだけだ。

 

男性は依然としてより博士号を得ている。それは医師や弁護士,教授になるのに必要な学位だ。さらに,男性はより権力の座につき,女性より平均して収入が多い。

 

 男性と女性が学校の授業でなぜ違うかについて多くの理論がある。最近の脳の研究に基づいているものもあるが,環境に中心をおくものもある。男子はアメリカの教育では敵意のある環境に直面しているという人もいる。

 

American Enterprise Instituteの実習職員であるクリスティーナ・ホフ・ソマーズは 「男子への戦争」という本を書いた。彼女は大学の男子の比率が低いことはアメリカの男子教育の深刻な問題を指していると言う。

 

 では,何人のアメリカ人が大学へ行くのだろうか。統計局は1975年にはアメリカの18%の男子が4年生大学へ行った。女性の11%に対して。2000年までには,男性の28%,女性の11%になった。統計局は1982年以来,毎年,男性より女性のほうが学位を得ていると言っている。 

 

 

【中部・前期】

多くの本や記事が誕生順の理論について書かれている。この理論を支持する人々は子どもたちが家族に生まれる順番は性格に影響を与えると信じている。この理論の主な特徴を検討しよう。

 

生まれ順の理論によれば,第1子,年長の子どもたちは生まれながらの指導者で,しばしば,大成功をおさめる。生まれ順を信じる人は,第1子は人生の最初の時期に両親と多くの時間を過ごすので,こうした子どもたちはしばしば両親の自分の行動ややったことに対する興奮を感知し,両親の注意を引きつけておきたいと願う。その結果,第1子は達成したいという気持ちが大きくなる。政治家やスポークスパーソン,重役は第1子だ。彼らはしばしば,自分に特権があるとか,人より優れていると信じている。一般に,第1子は注意深く,正確な人々だ。細かいことに注意を払う。彼らはまた,時間正確で,組織だっており,能力がある。彼らは物事を最初からきちんとやって欲しいと望み,びっくりすることは好まない。一方,年上の子どもたちはしばしば気分やで時に繊細さに欠ける。人々に対して押しつけがましかったり,断りの返事は受け入れない。時に,「物知り顔」のように見えることがあり,仕事を分担するのが不得意だ。主に,自分自身ほどに他の人たちを信頼していないからだ。第1子はまた親分ぶり,完璧主義者の可能性もある。

 

典型的な2番目の子は人間関係に長けており,人々を喜ばせる傾向があり,通例争いを憎む。彼らの基本的に必要としているのは,生活をスムーズにすることで,彼らのモットーは「なんとしても平和に」だ。彼らは通例冷静で,「流れに任せる」傾向がある。多くの真ん中の子は人当たりが良く,飾らない。彼らは人の話を聞くのが上手だ。生まれ順の研究者によれば,これは家であまり注意されていないためかもしれない。両親の注意を勝ち取ろうとするよりも,真ん中の子はしばしば家の外の他の人からの注意を求める。問題の両面を見ることに長けており,みんなを幸せにしたいと思っているので,彼らはしばしば良き仲裁者,交渉人になる。マイナス面は,真ん中の子は第1子より野心が少ないが,ずっと好かれたいと思っている。彼らは他の人を傷つける決定をするのが不得意だ。彼らはまた他の人が失敗したとき,自分を責める傾向にある。

 

家族の赤ん坊,末っ子は他の子どもたちはかなり違う。生まれ順理論は,末子が成長するまでには,親たちもしばしば年をとり,よりリラックスしている。その結果,この子への決まりは他の子どもたちに対するほど厳しくないかもしれない。典型的には,末っ子は面白く,気楽だが,また,自己中心的で,不安定な傾向もある。彼らは強い人に対する技術を有し,他の人を楽しませたり,話しかけるのが好きだ。彼らはたいてい簡単に友だちになり,すぐに他の人をうち解けた気分にさせる。彼らは外向的である。しかし,彼らはすぐにあきる傾向がある。彼らは排除されることに強い恐怖感があり,注意の幅が狭い。面白くなくなると,飽きてしまい,立ち去りたくなる。彼らは,いつも楽しいといった関係を見つけるという非現実的な期待を持っているかもしれない。もちろん,そのような関係は長続きなんかしないのだが。

 

最後に一人っ子がいる。一人っ子は大人とだけの時間を過ごした傾向ある。彼らは大人の注意を十分受けているので,彼らの動機は高い。一人っ子たちは仕事志向で,大変きちんとしており,がんばり屋で,信頼がおける。彼らは仕事や考え,細かいことをよく知っており,責任を与えられることを心地よく思う。しかし,兄弟,姉妹がいないので,しばしば,人を許さず,要求も多い。一人っ子は自分たちが間違っていたと認めなければならないが,批判を十分には受けとめない。他の人に対して,彼らは大変繊細で,実際,彼らの感情は傷つきやすい。

 

生まれ順の理論はきちんとした科学とより,一般の心理学の分野にあるが,生まれ順は正確に影響を与えるという主張には真実があるかもしれない。

 

立命館・2月2日

大問1

 幼稚園から,小学校そして高校と進む生徒ならば,おそらくその変化は今までの所比較的楽だっただろう。あなたが新しい生徒だと示すはっきりとした社会的あるいは他の指標がある。例えば,新入生として,たいてい一番年下だし,たいてい,一番新しい制服を着て,先生や自分より学校での経験のある人を見分けることは簡単にできる。大学では,こうした見分ける要因は存在しないか,見分けることが難しい。それゆえに,大学への移行は大きな挑戦だ。

 全ての新入生は自分たちに立ち向かう問題に直面するとき,同じように,この新しい環境になじめないと感じるのだと,肝に銘じておくことは重要だ。良い知らせは,新しい環境に移行するのに心の準備をすることがたくさんあるということだ。また,大学は新入生を助けるために多くのサービスを提供している。

 大学は高校とは大変異なる。あなたに与えられた機会や挑戦を十分活用し,学ぶのはあなたの責任だ。教授たちはあなたが宿題をするようにとか,授業に出席するようにとか,事細かな指示はしない。最初は大学は大きくてよそよそしく思えるかもしれないが,同じ状況の人がたくさんいるのだ。大学生活は大学が提供する友情や社交的な交わりの機会によって大変豊かになる可能性がある。高校から大学へ移行するのに役立つこつがここにある。

 まず,目標を見失わないことだ。長期,中期,短期の目的について考えるのが大変重要だ。長期の目標は学位を取得すること,中期の目標は今年度講座は首尾良く終えること,そして短期の目標は宿題を早めに始めること。目標があれば方向を見失わずに住むだろう。目標は現実的でなければならない。

 第2に目標達成の戦略を練ることだ。目標ができたら,それらを達成する方法を決める必要がある。目標とそれを達成するための戦略の両方を時々検討しなさい。なぜなら,やる気を持続するのに役立つからだ。戦略に対しては問題解決のアプローチをすすめなさい。例えば,大学のレポート作成に苦労していたら,学内の小論講座に出なさい。

 第3に,自尊心を維持しなさい。高校から大学に進むと恥ずかしかったら,ぎこちなく感じる人が多い。高校から大学に入ることができた能力と資質を思い出しなさい。あなたは知的で能力があるのだと証明したのだ。人々を知り合いになるにつれて,講義や個人指導を通じて,そして,キャンパスに慣れるにつれて,自信がついてくるだろう。

 第4に,あなたに何が求められているか理解しなさい。年度当初に,教授たちは講義で使われる教材,必読図書,学期末テストと課題の詳細に触れて,講義の概要を説明するだろう。これをしっかりと理解し,課題の締め切り日を学生手帳にはっきりと書いておきなさい。はっきりとしないことがあったら,教授にそのことについて話しなさい。学習プログラムに付け加えたり,除外する締め切り日に注意しなさい。

 5番目に,学期の初めから勉強をまとめておき,優先順位を決め,先延ばしはやめなさい。机に座ったら,すべきことをしっかりと頭に持ちなさい。ごちゃごちゃにならないように一度に一つの課題だけしなさい。はっきりしないことはなんでも,分かるようにしておき,あとで,教授かチューターに聞いて明確にしなさい。

 最後に,生活のバランスを保ちなさい。勉強は大切だ。しかし,それが監獄であってはならない。健全で,バランスのとれた生活をすることが大切だ。食事には新鮮な食べ物を取るようにしなさい。タバコやアルコールを避けるのは当然のことだ。定期的な運動をすることもまた重要だ。しばしば,不規則な生活で,夜遅くまで勉強することで,疲労を訴える学生は多い。勉強は早めに始めなさい。そして,学期を通して着実に続けなさい。生活にバランスをもたらすために友人とのつきあいもしなさい。くつろぐためには毎日なにか楽しめることをする時間を見つけなさい。

 

大問2

 

 「アウトバック」(オーストラリアの奥地)は人々がオーストラリア,赤い砂漠とカンガルーの広大な地域,を思い浮かべるときに思い出すイメージだ。実際には人口の85%以上は海外から車で1時間以内の所に住んでいる。シドニーのボンディ海岸(南東オーストラリア)から西オーストラリアのブルームのケーブル海外まで,海岸線は大陸を囲んで,3万6千キロに及ぶ。オーストラリアの人々も海外からの訪問客も何世代も楽しんでおり,長年にわたって,私たちの姿勢と活動は大きく変わってきている。

 オーストラリアの美しい海岸の多くは居住区内内にあり,都会の生活に海岸線を提供している。海岸は休日に行く場所以上のものだ。私たちの国民としてのアイデンティティと文化の重要な一部でもある。私たちの海岸は画家や作家,写真家に絶えず啓示を与え続けている。実際,全ての人が海岸では想像的な状態を享受できる。

 19世紀に,海の空気は「癒す」力がある,と定説ができた。それはオーストラリアのような天候では理想的なものだった。このために,人々は泳いだり,他の戸外の活動をするために海外を訪れる気になった。しかし,時代のつましさが,海岸で実際にできることを制限した。1903年まで,法律は朝6時から夜7時までの日中泳ぐことを禁止していた。

 この時代に人気のあった水着は「首からひざ」まであった。大きく,重く,濡れると全く実用にならなかった。きちんとした服装をして海岸を訪れる人も多くいた。「泳ぎ箱」も使われた。これは砂浜を進み,水にも入ることができる車輪付の小さな小屋で,人々ができるだけ水着を着ている姿を見られないようにするものだった。時代は変わり,水着は徐々に小さくなり,より体が出るようになり,しばしば新しい水着が登場するたびに物議を醸し出した。1950年代にはビキニが海外に行く若者たちの間で人気になった。現在では,認められる水着はウェットスーツ,ボードショーツから,様々なビキニまで幅がある。

 今日,海岸はレクレーションの中心で,スポーツや他の多くの種類の楽しみを含んでいる。あらゆる種類の個人,団体,家族の場所であり,そこでは,太陽と海,砂浜を楽しむために若者も年寄りも集まる。天気の良い日ならいつでも人々が様々な余暇にいそしみ,オーストラリア人の興味の多様性を証明している。クリケット,スノーケリング,サッカー,太極拳,釣り,泳ぎは海岸で見ることができる活動の一部だ。

 オーストラリアの海外には,大波,燃えるような太陽光線,危険な海洋生物といった危険もある。このために,オーストラリアは世界で初めて救助隊のクラブを最初に持つ国となった。Bondi Surf Bathers Lifesaving Clubは1996年に開講し,それ以来,何百ものクラブが全国に開かれている。毎年夏には,何千人もボランティアのサーフガードが海岸をパトロールし,応急手当をし,海岸線を安全なものにしている。

 過去200年間に渡る海岸利用の変化は風景に多くの物理的な変化をもたらしている。様々な種類の余暇活動によって,区域の変更や施設の建設が必要になっている。一つの例はボンディ・ビーチ・パビリオンだ。増大する海岸で泳ぎたい人に施設を提供するために建てられた。パビリオンは1911年に泳ぎの小屋と基本的な施設で開かれた。これは1920年代に更衣施設,トルコ・バス,商店街,ジム,それにダンスホールまで付け加えられた。

 現在では,海岸の近くにサーフクラブや喫茶店,ホリディ・リゾート,商店,駐車場を見つけることができる。私たちの海岸が人気あることは海岸が汚染にさらされ,また,海岸へ来た人たちが残されたゴミが残されている。海岸沿いの町の通りのゴミさえ,下水道から流され,最後には海岸にたどり着く。今後の世代が楽しむことができるように海岸の世話をするのは私たち全員の責務だ。

 

 

【神戸市外国語】

大問1

 私が映画について話をすると,人々は私をおかしげに見る。私は法律的には盲目であるので,そのような視覚媒体は私には無理だと確信している。実際には,私はおそらく実際の生活より映画の方がうまく見える。一つには,私は見るべき事を常に知っている。そして,映画では,世界が実際の生活より光がよくあたっており,より鮮明に色づけされ,無作為な点が少ない。映画制作者の任務は見る人が,特別な方法で物を見させることだ。映画の場面は重要なことを強調するために配置されており,見る人の目が画面のお上を行き来することがあっても,映像の構成がある特定の解釈を強要する。編集は幅広い要素を恣意的な方法で構成する。音楽や他の音声は単なるバックグランドの気を散らすだけのものではない。というより,雰囲気を設定し,動きの予兆をしめしたり,際出せたりする。

 もちろん,目が見えないことは時に映画では私のじゃまになるが,それは実際の生活においてじゃまになる程度しかない。私はスクリーンの大変近いところに座る必要があり,一緒に行った人に何が起きているのか聞かなければならないこともある。私は顔がスクリーン上の顔ほど拡大されても,それを見分けるのが難しい。映画の筋が2人の登場人物の肉体的に似ていることに依存していたら,私はこれが起きているだろうとわかっても,手助けなしに混乱を整理することはできないだろう。画面によるギャグはたいてい理解できない。もし,ある登場人物が「親愛なるジョン」で始まる手紙,すなわち脅迫状を受け取るとしたら,私は読むことができないだろう。しかし,最近はそのような場合,読むことができない観客を助けるために様々な技術を使うようになっている。

 ホラーおよびSF映画が特に問題だ。私はゴジラやフランケンシュタン,歩く死体は理解できる。というのもそれらは多かれ少なかれ,現実世界の物や人に似ているからだ。しかし,もし悪夢を見たかったら,私は目に見えない人についての映画に行く。目の見えない人がスクリーンに現れると,私に見えるのは本当に怖い。目に見えない人の映画は一般に大変悲惨なマイナスの偏見が並んでいるので,劇場から泣き叫びながら出て行かないでいるのが大変だ。映画に登場する目に見えない人は本当にかわいそうな運命だ。俳優たちは目の見えないことを,瞬きをしない,ゾンビのようなまなざしで,視線を上に向けて,表情に頼りなさを与えている。長いこと目が見えなかった登場人物でさえ本当に目が見えない人々が使う技術を何も習得しているようには思えることはめったにない。彼らは杖で手探りし,自分の盲導犬にぶつかる。電話のダイヤルを回すといった最も単純な日常の作業も果てしない困難のもととなる。もし,点字が読めれば,それを慣れない手つきでする。目の見える友だちは些細な技術の披瀝に驚く。彼らは言う。「どうした私だとわかったの」あるいは「どうやってこぼさすに注いだの?」と。そして,目の見えない人は彼らに,目が見えなくなって残念だ,と言い,もう一度だけ,愛する人や,故郷の懐かしい人々,雲間からのぞく青色をちらりとでも見れたらいいのに,と繰り返すことで,このコメントに答える。

 脚本家やディレクターはわざわざ観客に登場人物の目が見えないことを思い起こさせようとする。なぜなら目が見えないことは常に登場人物の存在の中心として理解されているからだ。働き回るのは不便ではなく,正常な生活には乗り越えることのできない障壁なのだ。映画の中の目の見えない人は頭の中には他に何もないように思われる。そのことは驚くにあたらない。というのも,経済的に自立していることはめったにないからだ。たいてい他の人の世話になるか,何らかの公的援助に頼っている。仕事があるとすれば,それは音楽と関係している。目の見えない人は音楽の才能に恵まれている,という一般の通念を確認して。あるいは古くから存在する目の見えない人の仕事,すなわち,ほうき作り,新聞売り,花売りなどに雇われているだろう。

 

視覚障害者である著者は現実世界より映画の方がよく見える。なによりも怖いのは視覚障害者が登場する映画だ。映画に登場する視覚障害者は誇張された動きで演じられ,障害者の生活ぶりも偏見に満ちている。

 

大問2

2002年,Shorter Oxford English Dictionary(SOED)が改訂され,前回1993年の改定以来,この言語に入ってきた3500の新語あるいは新しい語の用法が記録された。

 SOEDは2巻からなり,総計3792ページに及ぶので,”Shorter”というのは相対的な概念である。全20巻のOxford English Dictionary(OED)に比べれば,浜辺に寝ころんで読めるような量だ。前者は後者の規模を小さくした版である。OEDは1884年に最初に出版され,それ以来,世界で最も有名な辞書の一つとして君臨している。

 Oxford University Pressの本社にある7千万語のデータベース画面を検討する辞書編集者たちは息もつけない10年を過ごしている。「科学技術とコミュニケーションのスピードで,新しい語と語法がずっと速く確立されます」と42才の新版の共著者であるアンガス・スティーブンソンは語る。

 変化のスピードのために辞書が慣習的にやっている新語あるいは新しい語法を認めるやり方は時代遅れのものになっている。

 「伝統的には,単語は5年間にわたって,5カ所の違う場所で5回使われなければならないが,「テキスト・メッセージ」のようなものは早くに入った。というのでも,急速に幅広く使われるようになったからです」とthe trade and reference departmentの広報であるクレア・ターナーは言った。

 新語は,世界市場,SF,大衆文学,映画,ビジネス,政治といった早口でしゃべる分野から出る。

 かつてオクスフォードの辞書編集者がとりつく島のないようなやり方でできた時代もあった。「『テレビ』という語が一般に使われるようになったとき,ある学者が半分ギリシャ語で半分ラテン語の名前を持つような発明はろくなものにならないとこぼしました」とスティーブンソンは思い起こす。

 ヘレン・フィールディングのブリジット・ジョーンズの日記から生まれた表現である「独身者たち」とか,「粋な結婚者」は載せられたが,5年ルールで,J.K.ローリングの「まぐる」(ハリーポターの世界の非魔術者)は最近過ぎて入らなかった。

 SOEDは自身を歴史的辞書と称し,1700年以来,英語で用いられた全ての語を,最初に発せられたり,書かれた日にちと,その当時に意味をつけて,記録し始めている。定義には番号が付けられているが,その順番は,優位を示すのではない。標準的な辞書のような。むしろ話し言葉と書き言葉で登場した年代順の記録である。

 「重視しているのは,正しい語法ではなく,一般的な語法である。したがって言語純粋主義者やQueen’s Englishの俗物者はどこか他を見るべきです」スティーブンソンとそのチームは時代が経るにつれて最初の意味とは反対の意味をするようになった言葉に特に楽しんでいる。

 「私の大好きな語の一つがnonplussedです。それは常に混乱した,困惑した,という意味でした。しかし,アメリカでは反対の意味で使う人がいる資料があります。「ちょっと驚いたが,動揺はしていない」のような意味で。例えば「彼は動揺していないようにみせるために最善を尽くしていた」のように。スティーブンソンは秘密を知っているような顔を見せた。「本当はまちがった用法なのです」と言った。

 彼は探偵のような仕事は自分の職業を特に興味深いものにしている。もっとも全員に向いているわけではないが,と言った。「普通の人にとっては大変どうでもいいように見えることについて,同じような情熱を傾けて議論するのに何時間もかけます」

 彼はそんな経験の一つを思い出して目を輝かした。

 「動詞のtext。それは辞書編集者が大変興奮する類のものです。『あれ,textを動詞として使っているじゃないか。私たちはそんなことが好きなのです。

 

新語選定に奮闘する辞書編集者たち

10年ぶりにSOEDが改訂された。編集者たちは膨大な使用例を検討し,日々増加する新語からルールに沿って単語を選定する。歴史順で記録するこの辞書は実際の使用を反映し,その選定には激論が交わされている。

【南山・外国語】

(A)

 「耳が聞こえない」という言葉は大変一般的なので,耳の聞こえない度合い全てを考慮するのを難しくしている。「難聴」者がいる。補聴器を用いて多少聞くことのできるアメリカ全人口の1500万人ぐらいがこの人たちだ。私たちの多くはこのような親や祖父を持っている。自然の経過の中で様々なレベルの聴力を失った。1世紀前だったら,彼らはらっぱ形補聴器使っただろうが,現在では補聴器を使う。

 また,「強度の難聴」者がいる。こうした人の多くは小さい頃の耳の病気やけがの結果耳が聞こえなくなった人だ。彼らにとっては,難聴者と同じく,話し言葉を聞くことはまだ可能だ。特に現在入手できるようになっている新しい,高度な,コンピュータ化し,個人に合わせた補聴器を使えば。

 それから,「極度の難聴者」がいる。この人たちはどんなに技術が進歩しても人の話を聞く希望は全くない。全く耳の聞こえない人たちは普通の方法では会話はできない。したがって,唇を読むか手話,あるいは両方を使わなければならない。

 耳の聞こえないことの差異について論じるときに重要なことは耳の聞こえない度合いだけが問題ではない。耳が聞こえなくなった年齢もまた大切だ。デービッド・ライトはすでに言葉を身につけた後に聴力を失ったという。そこで彼は言葉を習得する前に聴力を欠いていたり,失った人々にとって耳が聞こえないことがどういうことか想像すらできない。

 彼は「耳が聞こえなくなった時は本当に幸運だった。7才までに子どもは私がそうであったように,言葉の本質的な部分を把握しているだろう。自然に話し方を身につけてあったことも有利だった。読書によって簡単に増やすことのできる語彙の基本を身につけていた。私がもし耳が聞こえない状態で生まれたり,私より小さいときに聴力を失ったらこうしたことはすべて身に付かなかっただろう。

 聴力が生まれたときからなかったり,言語を獲得する前に大変小さいときに失ったら,全く問題は別だ。こうした人にとって,聞くことが一度もできなかったので,音に対する幻想さえ決してない。彼らは全くの,打ち破られることのない音のない,沈黙の世界に住んでいる。こうした,先天的な聴覚障害者はアメリカ合衆国ではおそらく25万人ぐらいいるだろう。

 もし,大きくなってからだとして,耳が聞こえないことは,目が見えないことよりも「まし」かどうかは意見が分かれる。しかし,耳が聞こえなくて生まれることは,目が見えなくて生まれるよりはるかに深刻だ。少なくとも潜在的にはそうである。親の言うことが聞こえないので,耳が聞こえなくて生まれてくる人は,もし初期の効果的な方策がとられなければ,言語の習得において深刻な問題に直面するか,あるいは永久に障害をかかえる危険がある。

 人が言語において欠陥になることは,もっともひどい悲劇の一つだ。なぜなら,人間性と文化に十分に入るのは言語を通じてのみだから。友人と自由にコミュケーションがとれ,情報を獲得し,共有できるのは言語を通じてのみである。もしこのことができなければ,私たちは絶望的に障害を持ち,遮断されるだろう。そして実際,私たちの知的能力を十分に活用することがほんのわずかしかできないので,その結果,私たちは精神的に障害を抱えているように見えるかもしれない。

(B)

 マヤ族がお互いに競う方法の一つはボールゲームと呼ばれることすることだった。試合をするには直径20インチぐらいのゴムのボールを使った。それは大きさは様々な石のコート上で行われた。(これまでに見つかった最大のコートは長さ459フィート,幅114フィートだった)コートは内側にスロープになっている壁があり,石の輪が壁高くつり下がっていた。

 試合のゴールはボールをパスで回し,手で触ることなく,そしてボールを輪に通すことだった。リングは大変高く,選手たちは手を使うことを許されていなかったので,ボールをリングに通すことは大変難しかった。実際,選手がなんとかボールをリングに通ると,たいていそこで試合は終わった。さもなければ,ゲームはボールが地面に触れたときに終わった。

 多くの点でそのゲームは人々が現在やっているゲームやスポーツに似ていた。選手たちはチームとして,相手チームの選手を倒すために働いた。目標はボールをバスケットボールの時のようにリングに通すことだった。一つのルールはサッカーのように手でボールを触らないことだった。巨大な建物が試合のためにだけに建設された。試合は多くの人々を集めた。誰が勝つかで賭をすることは一般的だった。

 マヤのボールゲームは儀式的重要性で一杯の神聖な行事だった。宗教指導者が参加した。ほとんどの酋長や他の政府指導者と同様に。神聖な歌が歌われ他の宗教的な活動が試合の時の行われた。

 勝者は英雄として扱われ,盛大が宴が開かれ,試合に負けた罰はたいていひどいものだった。死だったのだ!試合に負けたチームのキャプテンは殺された。これは人間の生け贄は人々の農業,公益,全体の幸福がうまく続くためには必要だというマヤの信条に合致している。

 

【摂南・薬】

 世界保健機構は各国政府が今,鳥インフルエンザを阻止するために行動をしないと,世界的に蔓延する可能性があると報告している。国連の職員は鳥インフルエンザは700万もの人々を死に至らせる可能性があると警告している。死者数はウイルスが一般の人に入り込んだら,その強さによると言われている。

 これまでのところ,鳥インフルエンザは感染した鳥やその排出物の回りにいた人に主に感染している。WHOは9月終わりに6人の死者の報告があったと語った。この数字は2003年12以来の106の確認された症例の一部だ。ウィルスはアジア諸国でも見つかっている。専門家は渡り鳥がウィリスの広がりに一役買っていると言う。

 鳥に感染するウィリスは15種類のインフルエンザウィルスがある。職員は特にH5-N1ウィルスに関心を持っている。それは人間のウィルスと混じると,簡単に人から人へと広まる可能性がある。人と豚のような動物が人間のインフルエンザと鳥のインフルエンザと両方に感染するとそのようなことが起きるかもしれない。人間の体は鳥インフルエンザに対して免疫がない。人間の最初のH5-N1の症例は8年前に香港で報告された。6人が死んだ。労働者はウィルスの広まりを止めるために150万の鶏や他の鳥を速やかに殺した。何百万羽の鳥が最近の発症を止めるために農場の鳥が殺されている。

 鳥インフルエンザの治療に抗ウィルス剤が使われ,ある程度の成功を収めている。科学者はウィルスを守るかもしれないワクチンを持っている。しかし,アメリカ政府高官は大規模な発生に対処するには不十分であり,ワクチンの増産を要求している。また,アメリカ合衆国内での発生が起きたら,それを閉じ込めるために軍隊を使うことを提案する人もいる。米国務省は先週鳥インフルエンザによる脅威について話し合う国際会議を開いた。

 また,アメリカの科学者は最近いわゆるスペイン風のウィルスを作り直したと発表した。1918年の発生は5000万人もの世界中の命を奪った。科学者はスペイン風邪は鳥から来たとわかった言う。再生されたウィルスは最近の鳥インフルエンザがなぜそんなに強力なのか理解するのに役立つだろうと期待している。また,大規模な発生から守る方法を見つけることも期待している。

 

【金沢・前期】

大問1

 

 男性と女性ではほとんどどんな点でも異なっているので,買い物の仕方だって違わないことはない。男性買い物客に対する昔からの見解は,彼らはそれが好きだというわけではないので,買い物をあまりしない,というものだ。その結果,全ての買い物に関わること,包装のデザインから,広告,商品化計画,店のデザイン,レイアウトまで,全てが一般に女性買い物客に合わせられている。

 女性には確かに私たち買い物として考えているものに親近性がある。すなわち,店をゆっくりとした歩調で歩き,商品を検討し,商品と価値を比較し,販売員と会話をし,質問をし,試着し,最後に購入するということに。昔からほとんど買い物は女性が行い,たいていは女性は喜んでする。たとえ日常必需品を買うときであっても,その経験が特別な喜びを伴わないときでさえ,女性は信頼できる,頼もしくも,楽しそうにそれをする傾向にある。女性は買い物をつましく,上手にできる能力に誇りを持っている。私たちが赤ちゃん製品に関して行った研究では,聞き取り調査を受けた女性は商品の価格を暗記すると強く主張した。(さらに聞くと,そのほとんどが間違いだとわかったが)女性の役割が変化するのにつれて,買い物の行動も変化している。この点に関しては女性も男性化しているが,それでも,主たる購買者であることに変わりはない。

 一般に,相対的には,男性は勝手な行動をするように思われる。私たちは十分な数の購買客を測定し,断線は女性よりも店の通路を移動するのが早いとわかった。男性は見るのにも時間をさかない。多くの場合,男性を買うつもりのないものを見させるのは難しい。男性は品物がどこにあるのか,この点については他のどんな質問をするのも嫌いだ。男性は車を運転するように買い物をする。もし自分が探しているセクションを見つけられなければ,1,2回ぐるりと回り,それからあきらめ,助けを求めることもせずに店を出て行く。

 男性がせっかちに店を移動し,望みのセクション行き,何かを取り上げ,ほとんど突然に,買う準備が整うのを見るだろう。男性は見つけることの喜びなど持っていないようだ。男性が衣類を試着室へ持っていくときには,それを買わなくなる唯一のは理由はそれが合わないときだ。一方女性が試着するのは,購入過程の一部にしかすぎず,ぴったり合う衣類は他の理由で排除される可能性がある。ある研究で,試着した男性買い物客の65%はそれを購入したのに対して,女性は25%だとわかった。これは,試着室が同じ区域にあるのなら女性より男性売り場に近いところに試着室を置くということへの,格好の材料になる。もしそうでなければ,男性の試着室ははっきりと印を付けておくべきだ。というのも,もし男性がそれを探さなければならないとすると,そんな手間をかける必要はないと決めてしまうかもしれないからだ。

 もう一つの統計比較がある。買い物中に女性の86%が値札を見る。男性は,値札を無視することがほとんど男性らしさの手段だ。その結果,男性は女性客よりはるかに楽に高級品に乗り換える。男性はまた女性よりもはるかに提案を受け入れる。男性は店から出たいと思っているので,何にでもハイというのだろう。

 現在は,そのような買い物客は価値があるものと言うより問題児だと見ることができるだろう。しかし,男性客はしつけられていないということを念頭に入れれば,利益の潜在的な源ともみることができるだろう。いずれにしろ,男性は未だかつてなく買い物をしている。そして,この傾向は高まり続けるだろう。今まで以上に独身でいる期間が長くなるにつれて,父親たちが決して買う必要のなかったものを買うようにしなければならない。そして,長時間,一生懸命働く女性と結婚するので,買い物の義務をより多くはたさなければならないだろう。男性の買い物方法に注意を払い,買い物経験を男性に進んで合わせようとする製造業者や卸業者,陳列デザイナーは21世紀には有利になるだろう。

大問2

 10代の少女たちはほとんど何にでも,ちょっとがっかりしたことから,打ち消しようもないような悲劇まで,ほとんど同じような強さでいらだち,腹を立てる。若者は大変無邪気な意見でも無礼だと感じたり,すごい侮辱だと感じることもあることはよく知られている。多くのは母親は娘を見るだけで,娘を批判したとか,「太っている」と思っていると言ってとがめられると述べている。奇妙なことに,あなたの疑いの余地のない愛情のために,娘は安心して,あなたが関係のある,なしに関わらず,多くの欲求不満と敵対心をあなたにむけてもいいのだと感じる。自分はなんら正しいことを言うことも,行うこともできないと感じて,うんざりしている母親たちの仲間入りをしているだろう。

 娘との関係がさらに悪化することが時にあるだろう。35歳のシングルマザーのアンが述べているように。「今まで思ったこともないような程度の闘争と戦っているの。モーガンは13歳なので,私の話なんか聞かずに,返事もしなくていいと心に決めているの。彼女が私と対処するときは軽蔑しかないの。私たちの関係の行き着いた先にショックを受けて,これから先のことが怖いの。もしいつもお互いにいがみ合っていたら,どうやってこれからの数年間,彼女が過ごすのを手助けできるだろうか。どうやって彼女をアルコールやドラッグなどから守ってあげられるだろうか」

 母親たちは娘との関係がなくなってしまったと感じて絶望するばかりか,自分たちが持っていたかもしれない制御の糸を放棄することが怖くなっているのだ。

 

【芝浦工業・工・システム工】

博物館に入って,目の前の恐竜のスケルトンを見たことがあるだろうか。大変印象的な光景だ。細心の注意で復元するのに何ヶ月もかかった光景だ。それはどのように行われただろうか。時には前史時代の生き物のごくわずかな孤立した骨が発見されるだけで,全体の形は推測しなければならない。しかし,時には,科学者は絶滅してから長期になる生き物がどのようなものであったのか学習するのにより正確な方法がある。すなわち化石によってだ。昔に生きていた植物や動物の遺骸は化石と呼ばれる。この用語は「掘る」を意味するラテン語から派生した。

 生物が保存されるためには,2つの条件が必要だ。一つは,生物は腐蝕過程を遅らせ,清掃動物(死体を食べる動物)の攻撃を防ぐために,すばやく埋められなければならない。2つめは,生物は化石化できるように硬い体の部分がなければならない。

 ほとんどの動物の化石は,体が土壌によってすばやく埋められるような形で偶然死んだ生き物のものだ。例えば,河口でおぼれ死んで,海に押し流され,砂の中に埋まった動物は化石になったかもしれない。

 大多数の化石は地上の遺骸はより簡単に破壊されるので,水中で保存されている。また,海の底や他の水域の状態は特に保存に向いている。これは,バクテリアを除くと,遺骸を破壊する海洋生物は存在しない。

 化石は死んだ動物と植物の忠実な記録,過去の正確な痕跡である。数百万年前に海で泳ぎ回っている前史時代の魚を想像してみなさい。ある日,魚が死に,体が海の底に沈み,そこで,軟泥の中に埋まる。

 時間が経つと,肉は腐り,骨格だけが残る。骨格の痕跡が泥の中に残る。骨自体が破壊されたあとでも。長い年月が経つ。魚の痕跡を持つ泥が徐々に硬くなり,その上にできた岩の層の圧力で石にと変わる。

 数百万年後,人間がかつて海がああった同じ石の層を通って道を建設しようと決定し,魚の化石が初めて人間によって発見される。死んでから何百万年もたつ生き物が化石の中で完璧に保存されている。

 人々は何世紀もの間化石を見つけているが,それがなんであり,その秘密の読み方を理解したのはつい最近のことだ。長い間,人々は全ての化石は聖書にあるノアの洪水の間にできたと信じていた。水がとうとう引いたとき,多くの生き物が大地の上で移動できず,死に,化石になった,と。

 1769年に,二人の男,イギリス人とフランス人が生まれた。二人はいつの日か,ラテン語の大変古い(palaios),存在しているものの(onta)学問(logic)を意味する語からできた「古生物学」(paleontology)と呼ばれる化石の新しい学問を生み出すことになるのだった。絶滅した動物の学問はpaleozoology(古動物学)。絶滅した植物の学問はpaleobotany(化石植物学)。特定の地域の化石から過去の典型的な天候状態を確立しようとする学問はpaleoclimatology(古気象学)。古代の土地,海洋,川,山などの特徴をたどろうとする学問はpaleogeography(古地理学)である。

 イギリス人はウィリアム・スミスという地質学者で,ある種の化石が常に地球の地殻の同じ層で見つかることを発見した。スミスはそれぞれの層ができた年代を特定し,したがって,その層でみつかった化石の動物がいつ地球を歩いていたか見つけることができた。フランス人のバロン・ジョージ・キュビエは絶滅した動物を分類するのに外見ではなく解剖学的詳細を用いた。キュビエは生きている動物を分類するの使われている方法を絶滅した動物の分類に適用した。

 この二人の人物のおかげで古生物学は1800年代人気のある科学分野になり,人々はいたるところで恐竜や他の生き物の化石を見つけ始めた。そのような発見の一つが1822年,ギデオン・マンテルによってなされた。彼はイングランド,サッセックスで15フィートの高さのは虫類,イグアノドンの化石を見つけた。私たちは「は虫類」といった「恐竜」とは言わない,というのも当時,科学者はこの死に絶えた長くなる動物は現在のトカゲの先祖だと信じていたからだ。科学者はイグアノドンの歯が現在のイグアナの歯に似ていたので,この名前を選んだ。イグアノドンの発見によって,科学者は恐竜はは虫類だと決定することになった。イグアノドンはリチャード・オーウェンが「恐竜」という名前を作り出すほぼ20年前に発見された2番目の恐竜だった。

 イグアノドンは1億5900万から9千9百万年前に住んでいた。イグアノドンの化石はヨーロッパ,アフリカ,オーストラリア,アジア,北米,主にユタ州で見つかっている。それは4つ足,もしくは後ろ足2本で歩ける大きく,ゆっくり移動する恐竜だった。イグアノドンは長さ約9メートルに達し,立ち上がると5メートルになった。体重は約5トンだった。イグアノドンのもっとも際だった特徴は,5本指の前足で,それは手のようだった。

 イグアノドンは肉食ではなかった。ほとんどの時間,4つ足で,低い植物を食べた。木の葉っぱに達するために,後ろ足2本で立ち,その重い尾でバランスをとった。

 解剖学者であるリチャード・オーウェンがこうした絶滅した生物はそれ自身の特有の種であると結論したとき,事態が決着した。彼は当時,「恐ろしいトカゲ」を意味するギリシャ語のdeinosとsaurosから取られたDivosauriaと呼んだ。

 最大の化石の発見はまだなされていなかった。1871年,博物学者エドワード・コープがアメリカ西部に住んでいたことがわかっている全ての絶滅した動物の化石を集め始めた。しかし,コープにはライバルの古生物学者のオサニエル・マーシュがいた。レースはコープとマーシュの間で,誰が最初のその地区で最初の恐竜の化石を見つけることかできるということに発展した。

 競争は益のあるものだった。2人の間で,コープとマーシュはよく知られた長首のブロントザウルスを含む130種以上の恐竜を見つけた。

 化石を研究することで,科学者たちは地球と人類の歴史の中で重要なページのいくつかをつなぎ合わせることができている。ロッキー,アルプス,ヒマラヤ山脈はかつて水面下にあったことを証明した。科学者は海洋動物の化石が山腹の高いところで見つかっているので,このことがわかったのだ。化石によって,科学者はラクダの祖先がかつて北アメリカの平原を歩きまわっていたことがわかった。また,化石によって熱帯林がかつてアメリカとヨーロッパを覆い,多くの植物がかつて極地方で育っていたことも示されている。

【近畿・全学】

 ハリケーンは強風と激しい雨が伴う強力な嵐だ。ハリケーンという語はカリブ海のタイノ人の「風の悪霊」を意味する語からきている。人々はハリケーンを,特にアジアで起きるときにはサイクロンとか台風と呼ぶ。天気を研究する科学者,気象学者はハリケーンについて論じるとき熱帯サイクロンという専門用語を使う。

 ハリケーンは赤道上ではなく,赤道付近の海洋上で形成する。こうした嵐が形成するのにふさわしい条件が必要だ。海水は27℃以上でなければならないし,大気は暖かく,湿気がなければならない。

 暖かい空気の粒子は冷たい空気の粒子より分散している。暖かい空気は低気圧のポケットを形成し,一方,冷たい空気は高気圧域を形成する。ハリケーンは低気圧の区域だけで形成できる。暖かい海洋の水域は低気圧の空気を暖め,それによって空気は上昇し高い雲を形成する。暖かい空気が上昇するにつれて,高気圧が横から入り込み,風を作る。

 地球の自転は成長する嵐が回転するようにさせる。嵐が暖かい水の上に留まる限りは,それは成長し続ける。もし風が時速61キロに達すると,気象学者は嵐を熱帯嵐と呼ぶ。

 ハリケーンは中心が空洞の厚いリングのような形をしている。中心は目を呼ばれる。ここでは風が穏やかで,空には雲がない。時として人々は目が自分たちの上を過ぎるとハリケーンは終わったと考えて過ちを犯す。目の周りには強い風と大雨を生み出す高い雷雲がある。ハリケーンは数時間から数週間続くことがある。ハリケーンは冷たい水か大地を移動するまでは,なくなったり,弱まることはない。

 ハリケーンは何百万ドルもの被害を生み出すことがある。強力な風が家を破壊し,建物から屋根をはぎ取り,窓ガラスを割り,電線を切断する。嵐の大雨は洪水を引き起こし,強風によって作られた巨大な波も洪水を引き起こす。海はハリケーン中のいわゆる嵐のうねりでは海は3メートル以上に上がることがある。ハリケーンによる洪水によって,風よりも死者がしばしば出る。

 

「風の悪霊」の意味のハリケーンは赤道付近で,いく下で発生した風の風速が61キロに達するとハリケーンになる。発生したハリケーンは冷たい水か大地に達するまで続き,各地に大雨,強風,洪水による被害をもたらす。

 

 

「風の悪霊」が原義のハリケーンは,赤道付近で,暖かい低気圧と冷たい高気圧の条件が揃うと発生する。静かな中心部と強風,大雨を伴い,各地で洪水などの被害をもたらしながら,冷たい水か陸地に達するまで続く。

 

【学習院・経済】

【亜細亜・全学】

大問5

 ブロードウェイの上演中に,誰かの携帯電話が鳴った。20秒間この迷惑に耐えた後,俳優は場面を止めて,大きな声で言った。「その電話切って頂けますか」彼は長い承認の拍手喝采を受けた。

 まだ,組織された消費者運動になっていないが,現在ではアメリカに8千万台登場している携帯通信機器に対する怒りの反応の明白な兆候がある。かつてなく手に入れやすく,使いやすいので,携帯電話は,使用者が通りにいようと,雑貨店であろうと,国立公園の真ん中でも,連絡をとることができる。

 携帯電話での会話は対面の会話とは違う。たとえば,それはしばしばより声が大きい。というのも人々は相手に聞こえるには叫ばなければならないと誤って考えてしまうからだ。それに周りにいる人にはそれが一方通行なので迷惑だ。通りでは,携帯電話の会話は大変危険だ。ある研究によれば,携帯電話と使う人は他の運転をしている人より4倍交通事故を起こす可能性がある。

 不作法な携帯電話による行為の例は数多く存在する。次のことを考えてみなさい。携帯電話を使う人が,自分の電話を使うと決めて,自分のテーブルの人に迷惑をかけたくないと思った。そこでその人は体を回して,隣の席で食事している人と向き合い,その方向に向かって大きな声で会話をする。

 携帯電話を使う人は自分たちがどんなに失礼であったり,不注意かということがまったくわかっていないように思える。しかし,ほとんどの人々は無線電話を葬式やレストラン,映画館で使うのは適切ではないと思っている。携帯電話と使う人は,自分の習慣に対して謝ることはしない。ある渉外担当の重役は,ハンドバックに一つの携帯を,車に2台持っている。彼女はレストランや電車で話すことを全く悪いと思っていない。

 運転中の携帯電話の使用の罰は肉体的な怪我になる可能性がある。その結果,運転中の無線電話の使用を制限する法律を検討している自治体も増えている。

 

大問8

 アジアは巨大な人口を持つ惑星最大の大陸だ。世界最古の最も高度に発展した文明を有する一方で,アジアは過去2世紀の間に大きな変化を経験している。歴史的には保守的で,伝統的であるが,アジアの人々は西欧の力強い現代性の波に直面しなければならない。その結果,数多くの技術的進歩だ。

 1990年代後半,大きな経済的危機がアジアの人々を襲った。タイに始まり,危機はウィルスのように広まり,インドネシア,シンガポール,香港や他の地域へと影響を与えた。株式市場は崩壊し,何百万人もの人が失業状態になり,多くの人々が蓄えを失った。インドネシアでは状態が大変悪くなったので,スハルト大統領は退任を余儀なくされた。

 1990年代後半の経済危機はアジアの西欧化のいい点と悪い点の両方の例であった。ヨーロッパの技術と経済を輸入することで,アジア諸国は近代化と動的な成長を達成できた。しかし,ヨーロッパの科学技術を輸入する一方で,多くのアジア諸国は西欧の法制度を輸入できなかった。

 アジア内の地域統合はヨーロッパと北米よりも進行が緩やかだ。というのもアジア諸国は長く続く分割を克服できずにいるからだ。例えば,インドとパキスタンは地域によって区分されている。インドとパキスタンの平和的関係は極めて重要だ。特に両国が核兵器を保有するようになってからは。

 アジアは精力的に西欧の科学技術を受け入れているが,西欧の民主主義形態を受け入れるのは消極的だ。アジア諸国は依然としてエリート集団によって統治されている。しかし,多くの困難にもかかわらずアジアの将来は暗く,陰鬱というわけではない。アジアはよりよい生活に貢献できる多くの利点を有している。その中には古くからの文化的伝統,大変技術があり,勤勉な人々,それに多量の天然資源がある。西欧のビジネスマンたちは繰り返し,アジア社会が急激な成長と大量の消費をかかえて,自由市場経済になるように圧力をかけている。この種の動的な手段は経済的な富を生み出してきたが,多くの社会不安を作り出し,社会正義をもたらしていない。もしアジアが状態を改善しようとするなら,アジア自身が自分たちの文化と西欧から輸入した習慣の関係を再考しなければならない。

 

長い歴史を誇るアジア諸国は西欧の影響を受けて激動の2世紀を過ごしてきた。先の経済危機は西欧との関係のよい面と悪い面を示す好例だ。西欧の科学技術を取り込み成長する一方で,社会制度は伝統的なエリート統治だった。他地区に比べ地域統合は遅れている。アジアには潜在力がある。アジアの将来のためには自身の文化と西欧式のしきたりについて再考する必要がある。

 

アジアは西欧の近代化の影響を受けてきた。経済危機が示すように,西欧の影響には善悪両面がある。経済的繁栄の一方で,社会不安もある。アジアの潜在力を生かすには自己の文化と西欧の流儀の関係の再考が必要だ。