昔,多くの人は人間のようなロボットを作る夢を持っていた。チェコの作家カレル・チャペックは始めて「ロボット」という言葉を作った。それはチェコ語の「強制労働」という意味の単語から派生した。
もし私たちがこの意味を受け入れれば,ハイテクによってすでにロボットを創り出すという夢は実現していることになる。
しかし,こうした産業ロボットでは満足しない人もいるだろう。そういう人たちはロボットが仲間やペットのように交わえるように頭脳や性格を持つことを期待している。
科学技術はまもなくそうしたことを可能にするだろうが,これが望ましいということにはならない。私は望ましくないと思う。なぜ,ロボットが私たちがするのと同じことをすべきなのだろうか。私たちができることはなんでも,私たち自身がすべきだ。
ロボットは私たちができないことをすべきだ。そして,ロボットはペットになるべきではない。
わたしたちは他の人たち,例えばお年寄り,子どもたち,障害をかかえて人々など,人間性を欲し,科学技術は望んでいない人たちの面倒をみるべきだ。
仮想現実の「アイドル」が若い男性の心を今とらえているが,これは奇妙だと私は思う。しかし,多くの人たちにとって,それは全く普通のことなのだ。ロボットのように。
私は,毎日使っているが,コンピュータも電子機器も好きではない。もしそれらが私に話しかけ,人間のようにふるまったら,私はびっくりして,逃げ出したくなるだろう。
私は日本の製造業者が人間と交わう様々なハイテクロボットを開発,販売していることを大変うれしく思います。
今はファービーやアイボは買わなくても,テレビで見たり,新聞でそのことについて読むだけでうれしくなるのです。
私が子どもの頃,鉄腕アトムで勇気のあるやさしいロボット少年の冒険について読んだものです。そして,いつの日かロボットと友達になりたいと思いました。だから,私の夢が実現したと思います。
私は娘たちとロボットについて話すのが好きです。というのも,そうすることは,将来について語ることを意味しているからです。近い将来,人々はロボットなしでは生活できなくなるでしょう。
とりわけ,私はロボット盲導犬の考えに興味があります。ビデオカメラや音感知器で交通や歩行者信号だけでなく道路の障害物を認識する能力があれば,そのようなロボットは目の不自由な人だけでなく,お年寄りにも役に立つでしょう。
最近の新聞の記事によれば工学教授と彼の研究チームがそのようなロボットを開発中だそうです。私はロボット犬がアトムがちょうどしたように人々を助けるようになることを期待しています。
コンピュータによって機械と動物の差を埋めることが可能になっている。
多くの種類の高度で,役に立つロボットが登場しているように思われる。たとえば,「感情」を表し,人間の顔を認識,話し,音楽を演奏し,ダンスをするようなロボットといった。
ロボットはまもなく人間が家事や掃除,買い物をするのを助けることができるようになるだろう。一方で,高度な防犯システムや娯楽機能も提供しながら。特に,介護サービスのできるロボットはお年寄りにとっては便利だろう。
しかし,新技術にはいい面と悪い面がある。「車社会」が無数の交通事故を起こし,大気汚染を引き起こしたように,「ロボット社会」が予測もしなかったような被害を引き起こすかもしれない。
無謀な操作をされれば,ロボットは危険な機械になりうる。最悪のシナリオでは,私たちはロボットが家事をする人にとってかわったあと,日常生活を送る能力を失う危険性に直面するかもしれない。
ロボットは知能と感情に関しては人間に劣っているということを忘れてはならない。将来,私はロボットではなく,人間に面倒を見てもらいたい。
私はロボット社会が生きているものへの尊敬の念を深めることを可能にすることを期待する。私たちはロボットに依存することなく,いかに機械と効果的に交わるか考えるべきだ。
最新の遺伝学的スクリーニングの技術を使った家族が何世代にもわたる問題から開放されて,母親の早発性アルツハイマー病を患わない女の子の赤ん坊を出産した。そして,この成功の知らせに対して,かなり人が,それは「デザイナーベビーを作るドアを開いたと心配して意見を寄せているとアメリカ医学会誌が伝えた。「今回は早発性だ。次回はいとも簡単に知能,ピアノの達人,あるいは遺伝子要素を確定できるものならなんにでもなるかもしれない」ミネソタ大学生命倫理センターのジェフリー・カーンは言う。「問題は私たちがすべきかどうか,ということだ」
私たちが遺伝子に手を加えることをすべきかどうかは,今後の重要な問題になるだろう。しかし,今回の場合は見当違いの強調のように思える。この例では,両親が子どもの潜在能力を伸ばす例というより,病気や苦しみを除くという人類の長年の願いの輝かしい例だからだ。自身も遺伝学者である母親には40歳もの若さで患者を不自由にしてしまう珍しいアルツハイマー病の遺伝子を渡す確率が50%あった。医師は彼女のいくつかの卵子をとり,悪い遺伝子を見つけるために分析し,それがない遺伝子だけを使った。
2つの一般的なはっきりとした目的の混乱,一方では苦しみを和らげ,一方では人間の潜在能力に磨きをかけようという,混乱が遺伝子研究の成果を利用する議論にひろく存在している。
新しい技術が間違った使用の潜在的可能性があるので,再生の技術は常に特別な注意を必要としている。痛みを和らげるのと生命を改善するスペクトラムに明確な線を引くことは間違いなく長期にわたる社会的な大事業となるだろう。しかし,その線の正確な位置は不明確だと言うのは,その線が存在しないとか,引けないということではない。本当に道徳的,法的に,アルツハイマーといったひどい病気を予防するのと,さらに優れたピアノ演奏家を創り出そうとするのを区別する方法がないと信じられるだろうか?そう言うことはそのような希望を提供する技術への間違ったアプローチの仕方だろう。
日本人の英語教師がラオス政府の要請に応えてラオスに派遣される。これはラオスの学生は英語を母国語とする教師より,母国語が英語でない先生からより言語を学習できるだろうと考えたためである。
以前は,ラオス政府はアメリカ合衆国,オーストラリアから英語教師を招いていた。しかし,生徒の英語を話す能力は期待したほど伸びなかった。なぜなら,英語を母国語とする英語の先生の流暢さ,速さについていけなかったからだ。
このことから官僚は日本人の英語教師を招く決心をした先生は流暢な英語を話す必要はないし,ラオスの人々は日本人からより早く学ぶことができるだろうという考えに基づいて。
JICAのラオス事務所長によれば,教師たちはラオス国立大学と高校に配置されるそうだ。
言語の習得には語彙や文法を学ぶ以上にすべきことがあります。また,様々な話す場面について理解する必要があります。また,教科書で与えられた規則は実際に言葉の使われ方の信頼のおける道案内ではないこともわかるかもしれません。規則はそれでよいのです。規則なりに。しかし,時に規則が行き過ぎることがあるのです。
それぞれ言葉を話す社会には様々な話題を出す状況や使われたり,発音される特定の語,使われる声の調子について確固たる考えがあります。アメリカで話をする人たちは演説のような公式の話には冗談をかわすのとは違ったある決まりが求められます。しかし,いつ,何をどのように言うのか,といった問題はそのことよりはるかに些細なことなのです。
英語は通常,聞き手に義務を押し付ける「しなければならない」と聞き手に助言を与える「〜すべきです」,聞き手がすでにしたいと思っていることに許可をあたる「〜してもよい」の間には明確な区別があります。ほとんどの場合,「してもよい」は最も丁寧で,「しなければならない」がもっとも失礼です。しかし,英語を話す外国の人はたいてい,ある発話の場面では,そのせい反対が正しいことを知らずに,実際には丁寧なつもりで言ったことが無礼だと思えて,侮蔑されたと思うかもしれません。このことは話し手の本当の意図がわからないために起こるのです。
アメリカの家庭に夕食に訪れ,招待してくれた人が彼のために特別に準備した食事を出し,「これを食べなきゃだめよ」と言う状況を想像してみてください。英語の文法を知っているが,発話の状況を知らない外国の話者はこの発言を失礼だと思うかもしれません。というのも,彼は「しなければならない」は彼に何かをしろ,という直接の命令だと考えるからです。アメリカ人の主人はもちろん,自分たちがいったことは「これを食べたほうがいいですよ」と言ったら,丁寧さがたりなずに言っているだろう,ということを知っているのです。さらに「これを食べていいですよ」は実際にはこの発話の状況では大変失礼な発言でしょう。たとえ,文法的には外国に人にとってはもっとも丁寧な選択肢のように思えたとしても。
ゾウを見る人,特に自然の状態では,その大きさに感銘を受けない人はいない。しかし,ひょっとしたら,ゾウのもっとも素晴らしいところは鼻の柔軟さと多彩さであろう
ゾウの鼻は長さ1.8メートル,太さ30センチそして6万の筋肉を有している。ゾウは木を持ち上げたり,橋の建造に使われる時には,注意深く巨大な材木を場所におくことができる。ゾウは鼻を鉛筆に巻きつけて,小さな紙の上に絵をかくことができる。先に2つの筋肉質の伸びているものを使えば,とげを抜いたり,ピンや硬貨を拾ったり,ビンのコルクを抜き,おりのドアの錠を横に移動したり,別のゾウにしかとることができないくらいコップを壊すことなくしっかりと握ることができる。先は大変繊細で,目隠しをされたゾウはものの形や感触を特定することができる。
野生では,ゾウは鼻を使って木から果実を摘み,やしの木からココナツを振って落とし,体にほこりをかける。ゾウはまた,わなを避けるために,歩く地面を調べたり,井戸を掘って水を飲むにも使う。
ゾウは鼻を呼吸するのに使って,深い川の底を水中の中を潜水艦のように何マイルも歩いたり泳いだりできる。様々な音を出して,鼻でコミュニケーションをとる。鼻によって,草むらに隠れている蛇や1マイル先の食べ物のにおいをかぐことができる。それは本当に驚くべき道具だ。
広場がロンドンだけの特徴ということは全くない。どの大都市にも,パリのコンコルド広場,ニューヨークのタイムズ・スクウェアのような壮大な市民の空間があるが,居住区と商業区の両方の発展の計画として徹底して広場を利用してきた都市は他にない。また,脇に道路分の隙間を残し,建物のテラスから見下ろされ,囲まれている広々とした長方形の空間という広場の概念は英国人の発明でもなかった。誰かがあなたに何を信じ込ませようとも。しかし,それはロンドンっ子に喜んで受け入れられ,好まれている,今では伝統的な,イギリス的であるとみなされている。ロンドンは今でも最新のロンドンの広場を作るのに関わりたいと熱心に思っている建築家やプラナーがたくさんいる。住所としての,「広場」という用語は他の追随を許さない格式があり,その結果,大変乱用されすぎた名前だ。それゆえにロンドンにいくつの広場があるのか言うのは実際は無理だ。
ロンドンの広場は大きさ,形,機能どれをとっても頼りになる統一性はない。一般の人のレクレーションに利用できる大きな,緑の多い場所もあるし,私有地で鍵の所有者にか開放されていない公園もある。また,騒音,亜鉛,二酸化炭素に汚染されすぎて,ハトと酔っ払いしか長いこといることができないような道路に浮かぶ島程度のものもある。公園がロンドンの特徴と開放された空間の多様性に寄与しているのは確かだ。
人類は大きな地上に住む哺乳類としてはもっとも移動する。そして,徒歩で移動するだけでも,一つの人間の集団は数年のうちに数百マイル平方の地域に散らばることができる。こうした状況では言語は人類の他の文化的特質と同じように,言葉が常に変化し,最初は小さく,それから大きくなる違いが地域的,社会的特徴をつけるために使用されるという事実を考慮に入れると,多様化する。しかし,他の社会的特質と違って,言語はコミュニケーションの必要不可欠なメディアの役割をはたし,それゆえにコミュニケーションが保たれなければならないとすれば,多様化しすぎることはできない。しかし,つい最近までは,コミュニケーションはほとんどの人にとっては,地域,家族内ほぼ限られていた。このことは,もしもともと単一であった集団が移動で分割された場合,もともとあった極めて統一された言語が多様化し,2つの新しい集団同士のコミュニケーションが難しくなるか,困難になることを防ぐものはほとんどなかった。私たちは従って,どのようの異なった言語が生まれ,言語が異なった民族や異なった国家を特徴付けるものになりうるかわかる。
私の人生で金銭的にもっとも大変だった時期はシラキュース大学の学部生として過ごした数年でした。この大学にはニューヨーク州のRegents奨学金で進学できたのですが。授業料のほかに部屋代や寮費や他の費用などお金を捻出する必要性がありました。何にもまして,学業が振るわず,農場での仕事が待っている家に送り返されるのではないか,という不安が常につきまとっていました。
シラキュースでは一週間に私がゆるすだけの時間,時給1ドルで大学図書館で働ける特権ありました。これが私の最初の「本当」の仕事でした。自分のことを大人と思えたのです。でも,未熟で,世間知らずで,おろかだったので,女子学生クラブに入部し,この衝動的な行動のために,財政的にも,精神的にも,長いことを代償を支払うことになるのでした。私はどのくらいの目に見えない費用が毎月,私の請求書の書かれるのかわかっていませんでした。それは悪夢のようでした。常に思っていなかったような特別な徴収金や費用がありました。それに罰金も。私は図書館で働いていたので,数々の集まりやクラブの活動に欠席しなければならず。その行事のたびに罰金が課せられました。「儀式」の集まりに欠席すると,罰金はより高額でした。そこで,私の財政では許されず,親近感もなかった学生クラブをやめようと気持ちが私を襲いました。私は自分がそんな間違いを犯してしまったなんて信じられませんでした。でも,女子クラブに入るのは,無警戒の魚が,中に泳いでいって,向きを変えて逃げ出すことができない,恐ろしいほど精巧な魚のわなに似たところがあります。そこで,私の時間労働の数パーセントは女子クラブの費用を払うのに使わなければなりませんでした。
私はずっと図書館が好きでしたが,あふれんばかりの本がつまった図書館の書庫で働くのは怖い面もありました。当時すごした年月の私の記憶は,幻覚を生み出すくらい薄暗い迷宮のそれです。その幻覚とは本という宇宙あるいは墓場でした。いつの日にか作家になることが夢の19歳にはあまり励ますようなものではありません。最初の給料明細をもらった時に,私の給料の多くが所得税になってしまったとわかったのは,私の人生でも大きなショックのひとつでした。私は1時間1ドルで働いているのではなく,70セントぐらいで働いていたのです。司書が親切に指摘してくれました。「私たちみんな同じなのよ」
私は図書館が閉まる11時まで働いたものです。それから,住んでいる女子学生会館に戻り,騒々しかったり,仲間のにぎやかさのなかで静かな場所を探し,1時か2時まで勉強したものです。貧乏ということは精神的に屈辱的だけではなく,不都合なものです。いつのまにか,したいことができないために,したくもないことをしているのです。金持ちの人の中で貧しいことは,自分が部外者で,それに不思議なことですが,特権が与えられているように感じます。奨学生として,私は楽しい会館のスパイでした。法的契約に署名して,強制的に楽しい会館に入らなければ良かったのですが。
私は,卒業して,離れるまで「神聖な仲間意識」から開放されることはありませんでした。私がずっと抱えていた学業が上手くいかないのではないかという不安が過剰保障を引き起こしたに違いありません。というのも,私は卒業生代表になったのです。40年後,最近なくなった父の書類に目を通していたら,私の人生を大きく変えたニューヨーク州Regents奨学金の額を見つけることになりました。それは年500ドルでした。
最近の調査によれば,日本での車の使用は人口が減少するために2030年以降減り始めるそうだ。実際,日本での車の使用はすでに道路上の車の数を減らすのに作用するいくつかの要素がある。この中には橋や道路を使用するための高額な料金や,高額な駐車料金が含まれる。しかし,今のところ,交通渋滞は英国,日本を含む多くの国での主要な問題である。
英国はヨーロッパでも車の所有率が最も低い国のひとつだが,渋滞は最悪で,特にロンドンでは道路の渋滞はもっとひどい。どうしてこうなるのだろうか。一つの理由はフランスやドイツといった他国より国が込み合っており,新しい道路や高速道路を作るのが難しい。もうひとつはイギリス人はヨーロッパの他国に比べて費用がかかり,近代化が遅れている公共交通機関より車を使うことを好む。
どうやった渋滞は解消できるだろうか。一つの方法は英国の運転する人のお金の支払い方を変えることだ。現在,彼らは燃料を買うとき税金を支払い,毎年自動車税を支払っている。しかし,ほとんど全ての道路は料金を取らずただである。提案されている一つは道路の使用料を請求することである。その最初の導入はおそらくロンドンで,例えば,自動車使用者は市の中心部に入るのに5ポンド支払わなければならない,といったものだ。ラッシュアワー時に移動する人はもっとお金を払わなければならない,といったより広範な道路使用料の請求の計画もある。
しかし,道路でお金を取るにはいい点も悪い点もある。もし,一日あたり定額だったら,例えば,ロンドンへは5ポンド,タクシーやトラック運転手といったかなりの距離を運転する人にはいいだろう。しかし,課金される地区のほんのすこしだけ中に住んでいる住民にとっては不公正だ。もし,道路への課金がロンドン内,といった市内だけなら,課金される地区へ入るのを避けて,少しだけ外の地区でより大きな渋滞が発生する可能性もある。もし,公共交通機関が改善されなければ,車利用者は魅力的な選択肢を持たないままお金を払うのを強制されるだろう。
道路への課金の技術はまた,自動化するように開発中である。そのような自動化は衛星が車の位置を追跡するために使われ,それは政府が誰かがいつでもどこにいるのか情報を得ることができる結果を持つ。これはプライバシーへの脅威と見られる。ひょっとしたらもっと簡単な渋滞を緩和する方法は日本で多くの人たちがやっているように,子どもたちを歩いて,あるいは公共交通機関を使って学校へ行かせることだろう。英国のほとんどの地区では子どもたちの大多数が来るまで学校へ行く。その結果,子どもたちを学校へ連れて行く車がラッシュアワー時の交通量の20%を占めている。
日本では将来車の使用が減少するという研究があるが,その一因に道路の使用料徴収がある。英国の交通渋滞はヨーロッパでも最悪だが,この解消方法には,都市部での自動車利用に課金することが考えられ,その技術も開発中だが,問題も多い。手っ取り早い方法は,子どもの登校に車を使わないようにすることかもしれない。
オックスフォードにいたとき,友達がいなくて,気がヘンになるのではないかとしばしば思いました。しかし,今では閣僚から靴直し職人にいたるまで多くの友達ができたことをうれしく思います。そして,みんなのことが大変好きです。ただ一つ用心していることがあります。私は彼らとの仕事のことは避けることにしています。みんな私に親切です。でも,仕事のことでかかわると,とたんに彼らにがっかりさせられたことがよくありました。私は頻繁に彼らのことを誤解しています。これは長い間の私の疑問でしたが,最近になってこのことについてあることがわかりました。
日本では私たちは全ての侍を支配してきた不文律,すなわち見えない精神があります。それは武士道,大和魂と呼ばれているます。イギリスにもまた古いイギリスの心とも呼べる不文律,見えない精神があります。日本の心は名誉です。一方イギリスの心はビジネスです。名誉のために多くの侍は最愛の友とも死にいたるような争いをしました。そして名誉のためには父は子どもを刺し殺しました。イギリスではビジネスが日本の名誉と同じくらいの力を持っています。私はしばしば私のイギリス人の友人が表情を変えて,こぶしでテーブルを叩き,「これはビジネスだ」というのを見ます。ビジネスでは笑いは真剣になり,酔っ払いは酔いがさめ,友だちは口論をし,愛人たちは互いに別れます。ビジネスのためにはイギリスの夫は妻と裁判をするでしょう。もちろん,イギリスの多くの人々が名誉のための多くのことをするのも知っていますが,日本では商売をするのは商人だけです。
商売の精神を的確に追及すれば,名誉の精神に劣らず立派なことです。二つとも同じ結果になるでしょう。名誉を重んじる人は公正な商取引をするでしょう。そしてもっとも立派なビジネスマンは名誉を重んじるでしょう。私が思うにこれがイギリスが英連邦の長である理由だと思います。しかし,イギリスの心と日本の心が間違った方向に行くと,二つとも限りなく醜いものになってしまうでしょう。イギリスの心は大変卑しくなるでしょうし,日本の心はあまりに気の短いものになるでしょう。それらは薬のようなものです。もし,きちんと飲めば,命を救ってくれるでしょうが,間違って飲むと,死にいたるでしょう。それでも,どのくらいの人が常に正しいでしょうか。私たちはみんな人間であることをこころにとどめておくべきです。いつでも完璧というわけにはいきません。そこで,私たちは互いの気持ちのために互いを許さなければなりません。私は日本人ですから,私は間違って,名誉のために友情を捨てる傾向が生まれつきあります。私は人が暖かい友情以上に数シリングでも儲けることに我慢ができないのです。
商売の心が劣った人によって間違った方向に行くと,許しがたいことです。こうした人々は私は「soft」だから,私のことを利用できるとしばしば考えます。私のことをなんて誤解しているのでしょうか。お金のことで彼らと争わないのは,私たちの高貴な人間性を傷つけないようにする私の礼儀にしか過ぎないのです。しかし,私に恐れる人がいるのでしょか。いません。たとえ,全世界が私の敵になろうと,恐れることはありません。私のひどいことをした人を私はどうするでしょうか。彼らには一言しかありません。「永遠にさようなら」彼らとはそれ以上の友情を持つことはできないのです。私たちの間の全てが終わるのです。
現在ではイギリスに友人がたくさんできたが,イギリス人とのつきあいで用心しているのは仕事のことは避けることだ。最近わかったことだが,日本人は名誉を重んじ,イギリス人は仕事を重んじる。日本人が名誉のためになんでもするように,イギリス人は仕事のためにはなんでもする。両者も正しければ,素晴らしい結果をもたらすが,一歩踏み誤るとひどいことになる。仕事のために私を利用する人は私は許すことはできない。
大きな試験の前には,よく寝ることが教科書を読むことよりいいだろう。このことは少なくとも,民間の知恵である。そして,行動心理学の形をとった科学がこの知恵を裏付けている。しかし,このような行動学の研究では睡眠がどうして記憶に良いのかとい敵対する理論の区別をすることはできない。ある理論では睡眠は恒久的な記憶が形成されるときである。もう一方の理論では記憶は実際には日中に形成されるが,夜不必要なことを洗い流すために「編集」される。
この違いを見るためには,寝ている人の脳を調べる必要があるが,それは難しい。しかし,10年に及ぶ苦労のあと,ベルギーのCyclotron Research Centreのピエール・マッケ率いるチームがそのことに成功した。マッケ博士とチームは何が起きているのか示すのに必要な証拠を集めるためにうるさい医療機器のなかで充分な数の人に寝てもらうように頼んだ。
ベルギーチームが興味をもった睡眠のある段階はREM睡眠である。この時,脳と体は活動的で,心臓の鼓動や血圧は上昇し,目がまるで映画を見ているかのようにまぶたの裏で前後に素早く動き,脳波は目覚めている脳波に似ている。人々が不思議なことに,夢はめったに覚えていないが,夢の中で前日の出来事をつい体験するもっとも可能性の高いのは,たいてい10分から25分続く,睡眠のこの時間の間である。
マッケ博士は日中仕事をこなすときと,その晩に夢を見る時の脳を研究するためにPETを用いた。仕事は6箇所のうち1箇所からでる光に反応してできるだけ速くボタンを押すことだった。この仕方を学習するにしたがって,反応は速くなった。彼らは光の登場は時にパターンに従っていることを知らなかった。これはローリーズ博士は「人工的な文法」と呼んでいる。にも関わらず反応時間の減少はパターンがないときより,パターンがある時のほうが速く学習した。言い換えると,無意識のうちに学習していたのだ。
PETスキャンは楔状葉(大脳後頭葉にある小さな物)が4時間に及ぶトレーニング中もそれに続くREM睡眠の時にも活発だったが,睡眠の他の段階ではそうでないことを示した。しかし,スキャンは人工的な文法を学んだ人より,無作為の明かりの点灯をみた人のほうがREM睡眠時の楔状葉の活動はめだって少ないことを明らかにした。
さらに,文法を学んだ人は,無作為のパターンにさらされた人と違って,楔状葉とは離れている脳の部分,たとえば,すでに文法や連続的な学習と関係することがわかっている尾状核での活動が増えたことを示した。学ぶことが多い人(すなわち,単に機械的にボタンを押す作業以上に人工文法を学ぶ)の脳はより活発である。「編集」理論では無関係な刺激の数がそれぞれの場合同じだからそのことは予測しないだろう。そして,試験を受けた人々が学習をやめることに抵抗して学習しているという残りの疑念を払うために,起きている時の反応時間は寝たときよりずっと速かった。
研究チームは従って,記憶に関係する神経系統はREM睡眠中の再活発によって強化されると結論した。特に脳が学習している題材に固有の構造を感知した時には。
猫と行きすがり以上の関係を持った人なら誰でもおそらく,主人が帰ってくるのがわかったり,ドアを開けて外に出たり,中へ入るために窓を引っかいたり,猫は耳と耳の間に何か注目すべきものを持っているのだと示唆するような他の芸当ができる猫を知っているだろう。
一方,私たちの多くはほとんどどんな刺激にも反応することができず,めちゃくちゃにしたり,知能の限界を超えて,踏み外し,怪我をしたり,芸を覚えることが決してなかったり,自分のして欲しいことを決してわかってもらえないような猫も知っている。
賢い猫がいて,それほど賢くない猫もいることははっきりとしている。人間と同じように,素晴らしい知能を示す芸ができる猫がいれば,できない猫もいる。しかし,種として猫が知的であることを否定することはできない。
もちろん,誰もいままで猫の知能検査を開発した人はいないし,シャムネコといった特定の種の言われている知能の優位性を証明した人もいない。しかし,猫のいくつかの特徴を見れば,猫は考えることができる,と信じられる。
一つの手がかりは猫の用心深さだ。他の多くの動物たちは危険がわかるほど賢くない。もう一つの手がかりは好奇心だ。「猫は生存していくのに極めて重要ではない状況でも物事を探検する。これは単に生存するために必要なことを超えた,確かな知能の印である。猫にはまた問題解決能力がある。自分の身の回り鋭く観察して,問題の答えを導き出し,それから他の状況にも解決方法を適応できる。
猫はまた独立心旺盛で,自分自身の意思を持っている。パブロフの犬のように,褒美をもらおうと思って行動を繰り返したり,ボタンを押すのと違って,多くの猫はそんな実験に関わったらすぐに寝てしまうだろう。こうした猫の何匹かはあまり賢くないと判断されるかもしれないが,議論の余地はあるが,猫はただ独立を行使し,協力を拒んでいるだけなのだ。
猫の脳は,活動状態にあるためには,常に環境からくる情報と刺激を処理する必要がある。刺激のない環境での猫の脳の活動を記録する脳波図を見ると,猫の脳は思考や思いを蓄えずに徐々に基本的な体を維持するだけのレベルへと閉じていく。
この実験はまた,小さいときから脳を「訓練」されない子猫が正常に機能するように成長しないことの説明にもなる。もっとも知的な猫は猫を扱い,一緒に遊び,猫が楽しんだり成長するために様々な刺激を提供する人々によって育てられ猫たちである。
猫には賢い猫もいるし,そうでない猫もいる。猫はかなり賢いと考えられる。それは用心深さと好奇心の強さからわかる。犬のように単純な繰り返しを嫌がる独立心からもうかがえる。猫の脳には絶えず刺激が必要で,刺激がないと,退化し,常に様々な刺激を受けて育った猫は大変賢くなる。
新薬の発売は医学会では大変大きなことだ。それを作った会社は気前の良いパーティを開くだろう。株式市場はそのニュースに反応するだろう。医師たちはあふれんばかりの試供品と景品をもらうだろう。そして,米食品医療局が直接の広告の規制をはずしたので,一般大衆もまた新聞,雑誌,テレビでの広告活動にさらされるだろう。
医師として,私はしばしば新薬について読んで,私に処方を望む患者から話を聞く。彼らにとっては,私は保守的に思えるに違いない。彼らが受けている薬剤治療がうまくいかない限り,私はたいてい,変えるのをいやがる。患者はより新しい薬はより良いと思い,私は古い薬で充分だ,と考えている。
そこで,私は最近出された新薬の投薬に関係する安全問題についてのJournal of the American
Associationの報告で,私が正しかったことを証明された気分になった。ハーバード大学医学部が行った分析によれば,過去25年にわたって,FDAが承認した548の薬のうち,優に20%は承認時にはわからなかったり,公表されなかった深刻な,あるいは生命にかかわるような作用があるとわかった。16の薬は市場からその後撤退したが,それまでに何百万人という人がその薬にさらされていた。この薬のうち7つは副作用が重大で,1002人の死亡原因にかかわった可能性があるとされた。
どうしてこんなことがおこりえるのだろうか。研究報告書の主任執筆者のKaren Lasser博士に質問をぶつけた。彼女は言う。「基本的には,薬が一般に発売される前に適切な研究がなされないのです」彼女が指摘するように新薬は初め比較的少数の,以前は男性の傾向があったが,人に試験される。より細かい副作用が現れるのは薬が一般大衆に売り出され,多くの女性,子ども,お年寄りに飲まれるようになってからである。
医薬研究と業界団体はこの研究に反対して,「誤った情報と誤解を与える見解」と呼ばれる声明を発表した。製薬会社は全ての投薬には危険が伴い,新薬の中には承認して初めて発見される重要な付加的な利点があるものもあると指摘する。
しかし,最新の薬をあまりに積極的に売る製薬会社は問題の一部である。「彼らは大衆と医師たちにより利益が出るが,より危険な新薬を使わせようとしているのです」研究の共著者の一人Paul Allen博士は言う。
これは患者がこころに止めておくメッセージだ。新薬の宣伝をたくさんみるからといって,あなたが飲んでいる薬がもう好ましいものではないと考えてはいけません。そして,新しい薬に変えるのなら,予期しない副作用に備えなさい。もっとも一般的な悪影響には肝毒性,心臓病,胎児の損傷が含まれる。
進行中の重要な新薬が充分にないと言っているのではない。もしそうすることに健全な理由があれば,私だって患者に新しく発売された薬を処方することは確かだ。しかし,本当に必要なときに限られる。そして,悪影響に関して監視の目を怠らないだろう。
増加し続ける人口に直接関わる特別な問題は世界的な食料不安が増大していることだ。様々な理由で,消費者の食料需要は提供する能力を上回り始めた。以前は利用可能な食料備蓄の唯一の需要の原因として人口増加に焦点があてられていたが,今日では同じくらい重要な需要源が明らかとなった。それは豊かさである。個人所得が増大するのにつれて,購買力が上がり,それに伴ってより質の高い食べ物,とくに肉,卵,牛乳,乳製品といった動物関連の食べ物への需要が伸びている。肉を食べることは穀物利用としては効率が悪いと考えられる。アメリカ合衆国では1ポンドの鶏肉を作るのに3ポンドの穀物が必要で,その比率は豚肉では5対1,牛肉では10対1となる。結局,アメリカ人は消費する穀物全体の80%は間接的な消費である。まず,えさにそれを使って,それからその肉を消費する。こうしたデータの基礎には,アメリカ人は年間1トンの穀物あたるものを消費し,一方,貧しい国の住民はその5分の1を消費している。我々の国境を越えると,経済が成長しているが,それに対応する農業がない国でも動物性たんぱく質への食欲が増大している。それゆえ,北米の農業販売の60%はすでに充分食べている人々の国へと行われている。現在,先進国の約10億の人々は最低限の栄養に必要なものを別の20億の人々に提供するのに充分な穀物を家畜や鳥にえさとしてやっている。過去20年間にわたって,世界の豊かな少数の国では肉の消費が倍になっている。しかし,このことが一人当たりの肉の消費量が倍になっているためではない。この部分でも多少の上昇はあるが。むしろ,より高質のたんぱく質が豊かな食事を買えるお金を持っている人が倍いるのだ。その結果,世界人口は1.6%,農業生産は2.5%増えているのに対して,世界の食料需要は年3%で増え続けている。
アメリカ合衆国の1975年から77年にかけての穀物収穫が大豊作だったことは私たちにも,世界にとっても良いことだ。あふれんばかりの穀物量と穀物の低価格はこの高生産性の印だ。しかし,食糧生産の大増加は人口がもっとも速く増えている場所では起きていない。生産で儲けるには近代的な,灌漑,殺虫剤,除草剤,肥料,遺伝工学,機械化を統合するエネルギー集約型の方法を必要とする。貧しい国が食糧生産で後れを取ったいくつかの理由のうちの一つは農家の人たちが,充分な肥料,灌漑,改良された種,殺虫剤,貯蔵施設,輸送といった適切な技術を利用できないことにある。世界の貧しい国が自分の必要性を補うために世界の食料市場に駆り出されている。しかし,自国の増大する需要が価格を引き上げているより豊かな国とそこで競争しなければならない。高騰する食料価格が購買力を追い越した厳しい価格競争にさらされて,貧しい国ではますます貴重なドルで食料を買えなくなっている。したがって,今日,販売できる余剰食糧をかかえた生産国と,買う金がある豊かな消費国と,世界の食糧市場で効果的に競争できない低所得の消費国がある。世界の飢餓は豊かな国の経済システムによって推進された枯渇によって支えられている。いくつかの予測によれば,世界の農業は300億人まで養える能力があるという。食糧不足に見えるものは,実際には,経済力の不均衡な世界的な配分かもしれない。こうした差別的配分が常に増大する飢えた人々を生み出している。その結果は世界のある地域での飢餓,とくにインド亜大陸,アフリカ,南米諸国での飢餓と他のいくつかの国での食料過多である。
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1896年カナダ,クロンダイク川の近くで金が発見される。シアトルから全世界にむけて,ニュースを配信。何千という人が一攫千金を求めてクロンダイクに向かった。ほとんどの人はアラスカまで船で行き,馬,犬ぞり,徒歩なのでクロンダイクへ向かった。クロンダイクへ行くには2つある峠のどちらかを越えなければならなかった。馬あるひとはホワイト峠と呼ばれる,距離的には長いほうを選んだ。チルクート峠のほうが危険だった。急な坂で,一回では荷物を運びきれず,少しずつ何回かにわけて頂上まで行かなければならなかった。氷を削って階段を作る。雪や岩がしばしば崩れ落ちてきた。こうしたなだれで60人近くのひとが死んだこともあるが,何千人という人たちがわたった。
こうした峠を越えると,山師と呼ばれる炭鉱夫たちは船を作って,湖をわたり,川を下った。多くの命が失われたが,生き延びた人たちは金が豊富なユーコン川河畔の炭鉱の町ドーソンに着いた。川で金を見つけて財産ができた。1年の8ヶ月は凍えるような北極の冬のあので,こうした男たちは世界から隔絶していた。ある男が船で一頭の牛を連れてきた。かれは牛乳1杯5ドルで売った。別の男は新聞を持ってきた。彼はその新聞を160ドルで売った。それを買った男は彼がテントで新聞を読むのを聞かせて1ドルとった。犬ぞりや船でより多くの新聞が到着するようになるまでに,その男は1000ドル以上稼いでいた。
クロンダイル川から金鉱堀は北部カナダ中へと行った。金持ちになった人もいるが,多くはだめだった。最後には,ほとんどの男たちは金が発見し尽くされたので,家に戻ったが,何千という人が北極の野生に見せられた。彼らは残って猟師,農夫,店主になった。
ペットのオウムが最初の一言を言うときはわくわくする,特にそれが自分の名前だったりしたら。オウムの中にはお祈りや詩一編全部を覚えているものいる。しかし,オウムが話すとき,自分が行っていることがわかっているのだろうか。オウムはただまねするだけなのだろうか,それとも私たちが思っている以上に賢いのだろうか。自分の話すことの意味を理解できるだろうか。
研究者イレーン・ペパーバーグによれば,ほとんどのほかの動物と違って,オウムには人間の発話を簡単に真似できる声道がある。ペパーバーグはまた,オウムは成鳥を真似ることで野生でも他の仲間とコミュニケーションをとれる,と言っている。そのことは,ペットのオウムが持ち主の言うことを繰り返す行動を説明するのに役立つ。しかし,話すことは必ずしも理解を意味しない。
ペパーバーグはNorthwester大学でどのくらいオウムは本当に学習することができるのか調べる実験をした。1977年,彼女はペットショップでヨウムのアレックスを購入した。アレックスは最初は普通のオウムに見えた。しかし,まもなく,彼がどんなに才能があるか示し,自分が大変知的な鳥であることを証明した。
ペパーバーグがアレックスに鍵を示すと,アレックスは「鍵」と言う。それからペパーバーグはそれを彼に手渡す。アレックスは正確に物の名前をいうときだけ褒美をもらう。ペパーバーグは誰もオウムが物の名前を言えるとは思っていなかった,と語った。今では,アレックスは紙からペンにいたるまで100以上の物の名前を言える。アレックスはまた,名前,形,材質の名前も学習した。物に対する個々の単語を教わった後の,次の段階はただ,「ペン」というのではなく,「青いペン」という2つの概念を結びつけることだった。
何年もの学習のあと,アレックスはすこし退屈してきた。彼は鍵と言い,それをくちばしで受け取り,それから床に落とした。時々,同じものの名前をいう練習の間に,何か別のものを頼んだ。アレックスは「コルクが欲しい」というかもしれない。好奇心一杯のこの鳥は新しい物を見せられると「それが何か教えて!」とも言うかもしれない。
新しいもの色について聞かれると,アレックスはいつもしていること以上ことをする。彼は名前に簡単に「青」「緑」といった単語を付け加える。アレックスがよろこんで名前を言わせ続けるために,ペパーバーグはしばしばおもちゃ屋へ行って,変わった人形や動物を探してくる。
ペパーバーグの実験はオウムが言葉を使えることを証明していない,という人もいる。ペパーバーグはアレックスは人間と全く同じように言葉を使っていないが,彼は考えを表現するために言葉を実際使っているのだ,と答えている。
毎金曜日の晩,ある奇妙なことがパリの通りや小路で起きる。インターネットや携帯電話,人づてに情報を得て,人々がスケートをはき,フランスの首都を横断する15マイルのスケートに集まる。昨年の夏の最も暑い日に,このFriday Night Feverと呼ばれる異例の行列はちょっとした都市一都市分2万5千人の人を集た。今年,毎週のローラースケートのコースを企画しているコンピュータ技師のボリス・ベロは少なくとも3万5千人の人がこの行事に参加すると予測している。
すでに,Friday Night Feverhや有名な伝説である。カリフォルニア,ローラースケート協会会長のデイヴィッド・マイルズは「パリへ代表を送ることを考えています。ロス・アンジェルからくる人もいます。いつパリへ行くのかと,何回も聞かれます」マイルズによれば,サンフランシスコでは全米最大の「ナイト・スケート」が毎週金曜日に開かれている。普通で,350人,すなわち天候が暖かくなれば,フランスの首都で待ちわびている人々の1%の参加がある。
フィーバーは大変珍しいことで,何人かの社会科学者は研究のため毎週訪れている。彼らは自分たちの国の将来を目撃しているのではないかと思っている。ここにはありとあらゆる人々が集い,交流している。郊外に住む技師,アンドレ・バロンは「男性だろうと女性だろうと,友だちを作りにやってきます」と言っている。彼は1999年5月以来スケートをしている。当時は仕事仲間は運動が足りないと彼のことをからかっていた。
3回笛が吹かれると,スケートをする人はパリ南部の近郊から10時に出発する。3マイルにも広がって,集団はライトアップされたルーブル,凱旋門,エッフェル塔といった記念物を通り抜けていく。
週ごとの行事に随行するために2年前,パリ当局は世界初のローラースケート舞台を結成した。しばしば事故があり,怪我をする人がいます,と18人の警官の長,パスカル・ファービニは言う。時々,スケーターが通り過ぎるのに,20分以上赤信号にさえぎられたパリのドライバーは怒って,人間の流れを力ずくで進もうとする。
スケートは1993年に始まったが,2年後のゼネスト中に急速に広まった。ほぼ1ヶ月,パリの地下鉄や他の大量輸送機関が機能せず,人々はスケートで仕事に行き始めた。今では,大多数のパリジャンにとっては金曜日の夜の定期的な一部となっている。
通りを歩いていると,しばしば憂鬱な気分になる。理由は通りに並んでいる店が減少し,特に本屋が次から次へとたたんでいる。個人経営の店は広々とした敷地を持つ大規模量販店が彼らの領分を侵すのにともなって,撤退を余儀なくされている。かなりの数の店が閉まったり,シャッターが下りている商店街を形容する言葉,「シャッターの下りた通り」を目にすることは珍しいことではない。大規模量販店はたしかに顧客にとっては便利である。しかし,この便利と交換に人と人とのこころの結びつきは弱まっている。重要な顧客にとっては大変な損失である。多くの小規模から中規模の書店が絶滅寸前にあるという事実は特に私には重くのしかかる。
この国の書店が直面している深刻な状態は国立国語研究所の研究者による読書力に関する最近の研究によって,予想外の焦点があてられた。研究では,2120人の小・中・高の生徒,256人の教師を調査し,教師の60%が生徒たちの日本語力は自分たちが子どもの頃より落ちていると感じていることがわかった。さらに,中学,高校の先生たちだけに質問を限ると,この数字は驚くことに,78%まで跳ね上がった。私はこの数字は驚くべきものだと思う。何人かの高校の先生は生徒は「頻繁に使われている漢字の書き方を知らない」「教科書で使われている多くの漢字が読めない」「学級日誌が書けない」と言っている。
生徒たちの日本語力の低下の原因は何だろうか。調査対象の39%の教師は問題は昔ほど本を読まない大人や教師に責任があると答えた。問題の根源についてたずねられたほとんどの教師は「本は読まない」と書いた。電車に乗っている人たちを見てみなさい。明らかに読書をしている人の人数が減っている。代わりに目立つのは携帯の画面を眺めて,ボタンを押している人の数だ。昔は通勤客はマンガに没頭し,日本の奇妙で,典型的な場面だと笑われたものだ。このような通勤客は減少しているように思われる。
日本人は本を読まない限り日本語力を伸ばすことはできないだろう。そして,言葉はどんな国の文化でもまず第一にある基本である。かつて,日本の教育制度は全ての日本人に読み,書き,そろばんを教えようとした。読むことと書くことは日本語の体現だと考えられ,そろばん,速くて正確な道具,は国の伝統的な計算道具だった。時代は変わり,読み書き,そろばんを強調することは過去の遺物のように見られる傾向がある。しかし,読み書き,そろばんという昔の教育には教育の成熟に関して,一部真理もあるのだ。
全員が自分なりに読めるようになる。私の場合,それは小学校に入ったときに両親が買ってくれた本だった。その本の題名は忘れてしまったが,今でもはっきりとそれを家までもって帰ったことをはっきりと覚えている。もし人々が読むことをやめたら,本屋はシャッターを閉めるしか道はないだろう。そして,近所の書店がなくなってしまったら,私が子どもの頃感じたような幸福感を感じる機会は失われてしまうだろう。もちろん,本や書店からだけ手に入るものではない,家や学校,それぞれの地区にある図書館も読書の機会を与えてくれる。そうであっても,書店が消えていくという事実はそれでも象徴的である。
人々の日本語力の低下は次世代の国にどんな意味を持つだろうか。私は通りを歩くたびにそんな考えがよぎる。そして私は元気な気持ちになるのに大変苦労する。
極北からアフリカまで,エーゲ海から大西洋まで,ユーロはヨーロッパ12カ国,3億の人々に統一通貨を与え,1月1日日常的な現実のものとなった。新ユーロ硬貨と紙幣が元旦の夜12時に大陸のほとんどで標準通貨となった。政治家たちはユーロが平和と繁栄をもたらすだろうと予言した。
史上最大の金融転換は順調な滑り出しをした。ローマ帝国以来,ヨーロッパで最も広範に使用されるお金の船出にはトラブルらしいことはなかった。しかし,ヨーロッパの人々は自分たちが使い慣れたドイツマルク,フラン,リラがなくなることに対処し,ユーロと慣れ親しまなければならない。
「ユーロがヨーロッパの勝者だ。戦争によって引き裂かれた1世紀の後,私たちの大陸はとうとう平和における力,アイデンティティ,統一,安定を確立した。」フランス大統領ジャック・シラクは2002年1月1日に語った。
EU15カ国中,12カ国に紙幣,硬貨が到着したことは経済ブロックのもっとも野心的なプロジェクトの印となり,ヨーロッパの人々に,たまたま地理的に近い,といった感情以上のものを共有しているのだ,という証拠を与えている。人々が朝早くから並び,現金支払機から新紙幣をおろすために並んたように,一般的にはユーロの登場はヨーロッパ中で興奮して迎えられた。
自分のことをほかの人が自分を見るように見ることについて表現したロバート・バーンズの言葉を覚えているだろうか。私たちのどのくらいが突然,外国人の目を通して,外界から自分の姿を見させられた経験をしたことがあるだろうか。その経験について充分に語られているとは思わないが,私の言いたいことを表す2つの例を挙げたい。
アフリカの酋長,彼とは東アフリカの彼の国で会ったことがあったが,60歳を有に超えてから始めてイギリスにやってきた。彼は自分の国を離れたことがなかった。そこでの地位は高く,尊敬されていたが。彼は飛行機で,いわば,数時間のうちに,自分自身の素朴で慣れ親しんだアフリカの環境からロンドンの複雑で移動する人ごみへとやってきた。私の友人が彼が到着した翌朝,彼を訪れ,具合はどうか,楽しんでいるか尋ねた。アフリカの酋長は気分はいいが,その朝早くに怖い経験をしたと語った。彼が言うには,彼は通りを見てみようと出かけ,ヴィクトリア駅にいた。彼は言った。「もちろん電車を見に行ったのです。鉄の門の,鉄の手すりの近くに立って,汽車が入ってくるのを見ていました。この怖い光景を見たのはここでした。というのも,汽車が私の立っている場所にだんだん近づいてきて,ドアが一斉に開き,貴社はまだ動いているのに,たくさんの人たちが飛び出て,静かに,私のほうにむかって走り出したのです。彼らは槍のように傘を持って,顔は構えて笑っていませんでした。私は何か恐ろしいことが起きるのではないかと思いました。それで逃げたのです」これだ。8時50分でも9時15分でも,通勤電車がどれであろうと,ロンドンの駅に到着する電車がある。そして,このアフリカの老人が彼の初日に私たちを見たような私たちがいるのだ。この光景には情けないほど面白い面があるが,私にとっては少なくとも,笑顔には多少の不安も入り交ざっている。
次の光景はもっと鋭い。にぎやかで笑い顔のアフリカの村,そこでは,挨拶はいたるところでかわされ,全ての家が開放して立っている。そこから来たばかりのナイジェリアの女の子がロンドン郊外に下宿した。彼女が来た最初の日曜日に,彼女はイギリス人の友人と散歩をした。通りは殺風景で,人はおらず,パッとしなかった。家々のドアは閉められ,多くの窓のブラインドは下ろされていた。こんなことには慣れっこになっている友人はナイジェリアの女の子に,どうして震えて,黙っているのか聞いた。少女は言った。「怖く感じるの。死者の町のようだわ」
これらは本当の話だ。この話は私の心を鋭くついた。なぜならアフリカで7年以上過ごしてイギリスに住むために戻ったばかりで,こうした話が,私の国に初めて出会った2人のアフリカ人の目を通して私の国と私の人々を垣間見させてくれるからだ。このアフリカ人は二人とも数週間もすれば,ここでもくつろげるようになることはわかっている。というのもアフリカの人たちほど適応力を有している人に会ったことはないから。しかし,この第一印象はそこのこめられた批判があるように貴重である。というのも国民として表しているもはそれまでさらされたことのないような形で批判の対象になっているからだ。
アメリカ西部地区最大の湖はグレートソルト湖である。この湖は州都ソルトレーク市のすぐ外,ユタ州北西に位置する塩水内陸湖である。河川や川がグレートソルト湖に流れ込むが,水は流れ出ることがなく,このため,塩分と湖の大きさの両方に大きな影響を与えている。
グレートソルト湖は淡水の川の水が流れ込むが,実際には世界の大洋より塩辛い。塩は川や河口から毎年湖に流れ込む二百万トン以上の鉱物からできる。塩の成分であるナトリウムと塩化物が湖の鉱物成分の大部分を占めているのだ。
グレートソルト湖は通常の広さである1700平方マイルか長期的な気象状況に応じて大幅に変化しうる。大雨の時期には,湖の大きさは流れ込む河川の莫大な水量によって大規模に膨れることがある。1980年には,湖は2400平方マイルの大きさまで達したことがある。この大きさは蒸発によって,時に極端までに減少することもある。
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フロリダ州,マイアミの医師たちはマイアミ総合病院で最近起きたことに驚いている。13歳のマーカス・ジェントがほぼ7時間,公式に「死」んでいたが,医師たちは彼を生き返らせることができたのだ。
マーカスは何人かの友だちと浜辺で泳いでいた時海流によって引き出された。彼は泳ぎがあまり上手くなく,まもなく水中に沈んだ。彼の友だちが彼を捜索した。浜辺の監視員が20分後遺体を見つけた。
彼はマイアミ総合病院に運ばれ,そこで医師たちは蘇生を試みた。医師たちはマーカスが少年だったので長時間にわたって努力した。医師たちは,彼には健康な体があるので,生き延びることができるかもしれないと考えた。
彼らは正しかった。これは何時間も「死んだ」として登録されて生き返った最初の事例だ。マーカスの状態は良好で,医師たちはこの事故のあとでもわずかな問題しかないだろうと予測している。
(3)電話が鳴ったとき,家族でのパーティがたけなわでした。クレイグ先生が電話に出ました。彼は注意深く聞くと,言いました。「すぐに行きましょう」「行かなければ行けないの」妻が尋ねました。「急患なら,行かなくきゃ」クレイグ先生が答えました。「もし遅くなることがあれば,起きて待っていなくていいから」クレイグ先生は車で夜の外へ出ました。彼は思いました,もし急がなかったら,間に合わないかもしれない。そう考えると車のスピードを出しました。1時間運転をした後で,家に着きました。全ての明かりがついていました。家族全員が起きているとすれば,状態は悪いに違いない,と医師は思いました。女性がすぐに玄関のドアを開けました。「まぁ,来てくださいましたね。わたしの娘なんです。6歳ぐらい眠たげな子どもがパジャマを着て現れました。母親が言いました。「言ったでしょ。寝なさい。そうしないとお医者さんを呼ぶって。わかった」彼女は子どもに向かって叫びました。「そうしたからね。ほら,お医者さんよ!」
(5)食べ物の無駄をなくす一つの方法は食べられないまま残される食べ物の量を減らすことだ。しかし,レストランは顧客のより少ない量の食べ物を,という要求にどのようにこたえているだろうか。
「個々のお客様が要望なされば,ライスの量を減らすことができますが,メインの料理を半分に減らすことは難しいです。」レストランチェーン店のデニーズの職員は言っている。
西洋フードシステムズはこの関心事に同じ答えをしている。「ライス以外で,少ない量のものを提供するのが難しいです」と
スープ,サラダのハーフ・サイズや小を提供しているレストランはいくつかあるが,食の細い大人に対する少量の肉を提供するレストランはほとんど皆無である。
いわゆるお子様ランチは主に小学生に限られているが,スカイラークとガストでは3年前に大人にお子様ランチを提供し始めた。店では,60歳以上のお客には子どもと同じ料金でお子様ランチの注文を受けているが,中学生から59歳までの人たちには200円の通貨料金を請求している。
「バランスの取れた食事を取りたいが,大人の量を全部は食べれないというお年寄りのお客様に食事を提供しています」会社の広報の人は言っている。
次の文を書いたL.A.Hillはたくさんの短編を書きました。彼はわかりやすい表現を使って,ウィットとユーモアに富んだ短編を書くのを得意としていました。読者は彼の書いた文章に表現されたウィットとユーモアを楽しむでしょう。次の文では,著者は夫に,夫は彼女の話を聞いていない,ということをわからせるために,妻が出す面白いなぞについて語ります。
フレッドは自分は大変頭がいいと思っていて,特に数学についてうぬぼれていたが,自分のことをあまりにすばらしいと思っている人たちによく起きることだが,彼は気が短く,ほとんど他の人たちが話していることを聞かなかった。彼は特に妻の話を聞くのが下手で,彼女はよくそのことで強く不平を訴えた。
それである日,彼女は考えを思いついた。彼が仕事から家に帰ってきたとき,彼女は言った。「フレッド,私は面白なぞをおもいついたの」
「あぁ」彼は答えた。
「でも,私の言うことなんか聞かないでしょ」ヘレンはそっぽを向いて夕食の支度を始めた。
「もちろん,聞くよ」フレッドが怒って言った。「いつだって,話すことは聞いてるだろ」彼は怪しいことを言い続けた。
「じゃ,数学の問題よ」ヘレンが続けた。
フレッドは馬鹿にしたように笑って,思った。「一瞬で解けないような数学の問題なんか見つけられるわけないじゃないか」
ヘレンは始めた。「じゃ,いい?あなたはバスの運転手だと思って。バスには42人の人がいます。最初のバス停で5人が降りて,8人が乗りました。次のバス停では誰も降りず,3人が乗りました。さて質問です。『バスの運転手の名前はなんと言いますか』」
この時まではフレッドは問題の簡単さに馬鹿にして笑っていました。「思っていたよりもっと馬鹿らしいぞ」と思いました。でも,頭にきました。「バスの運転手?どうしてその人の名前がわかるの?」彼は聞きました。
「ほら!あなたは人の話を聞かない,って言ったでしょ。問題の最初にあなたがバスの運転手だって言ったじゃない」
仕事を幸福の原因に置くべきか,不幸の原因に置くべきかということはひょっとしたら疑わしい質問とみなされるかもしれない。極めてやっかいな仕事も確かにたくさんあるし,過度の仕事は常に大変苦痛だ。しかし,私が思うに,仕事が量的に過度でないと仮定すれば,とってもつまらない仕事だってほとんどの人にとっては何もしないことよりは苦痛ではないと思う。仕事には仕事の性質と働く人の能力に応じて,単なる退屈しのぎから,極めて崇高な喜びまでありとあらゆる程度がある。ほとんどの人がしなければならないほとんどの仕事はそれ自体は面白いものではないが,そのような仕事であっても,ある種の大変よい点がある。まず,何をするか決める必要もなく,一日の大半の時間を埋められる。ほとんどの人々は,自分の選択によって,自分自身の時間を自由に埋めることを任されると,すべき価値があって,充分気持ちの良いことを思いつかずに途方にくれてしまう。そして,何に決めようとも,なにか他のことをしたほうが快適だったろうに,と感じて悩んでしまう。知的に余暇を埋めることができることは文明の最後の産物であり,現在このレベルに達した人はほとんどいない。さらに,選択をすることはそれ自体やっかいなことだ。並外れた独創力のある人を除くと,命令があまり不快なものでなければ,一日の1時間1時間に何をすべきか命令されることはそれはそれで好都合なことである。ほとんどの怠惰にしている金持ちは,苦役から解放された代償として,口ではいえない退屈に苦しんでいる。ときには,アフリカで大きな獲物を捕らえたり,世界を飛行機で回ることで苦痛は軽減するかもしれないが,そのような感覚の数には限りがある。特に青年時代を過ぎてからは。したがって,より知性的な金持ちの男性は自分たちがほとんど貧しいかのように一生懸命働き,一方,金持ちの女性はほとんど,地球を揺るがすような重要性があると強く思いこまされている,無数の細々としたことで忙しくしている。
それゆえに,仕事は先ず第一に退屈防止として望ましいのである。というのも面白くないけれど,必要な仕事をしている時に感じる退屈さは,自分の生活で何もすることがない時に感じる退屈さと比べたら何でもないからだ。仕事のこの利点に関して,もう一つの利点が関連している。すなわち,休日が来た時に,その休日がずっとおいしく感じられることだ。人が元気がなくなるまで働く必要がないとすれば,怠惰にしている人が見つけられるよりずっと多くの熱意を自由な時間に見出す可能性がある。
ほとんどの給料をもらう仕事と,自営の仕事の一部の第2の利点は仕事には成功の可能性と野望をかなえる機会があることだ。ほとんどの仕事では,成功は収入で測られ,私たちの資本社会が続く間,このことは避けられない。これが適用できる当然の尺度でなくなるのは最高の仕事に関わる場合だけである。人が収入を増やすために感じる欲求はより高額の収入がもたらすことのできる余分の慰めを求めるのと同じ位くらい,成功に対する強い欲求である。仕事がどんなに退屈であろうと,名声を築きあげる手段であるとすれば,その名声が世界全体であろうと,自分のまわりの世界でしかなくとも,仕事に耐えられるようになる。目的の連続性は長い目で見ると,幸福のもっとも重要な要素の一つであり,大多数の人にとって,これは主に仕事を通してやってくる。この点では,生活が家事で占領されている女性は男性,あるいは家の外で働く女性よりはるかに不運である。家庭の主婦は賃金を受け取らず,自分を向上させる手段を持たず,夫には当然のこととしてみなされ,(夫は実際には妻のしていることを何も見ていないが)夫には自分の家事ではなく,他のことで評価されている。もちろん,このことは美しい家と美しい庭を持ち,近所の人たちの羨望の的になっている暮らし向きのよい女性には当てはまらないが,そのようは女性は比較的少数で,大多数の人にとって,家事は他の種類の仕事が男性や専門職についている女性にもたらす満足感をもたらすことはできない。
あなたの著者との契約は様々な理由で切れるかもしれない。例えば,退屈,説得力に欠ける,嫌悪,苛立ち,落胆,パニックなど。あなたは意識的にある本をもうたくさんだときめつけるかもしれないし,それを何気なしに本棚に仕舞い込んで,代わりに何か違う本を手に取るかもしれない。ひょっとしたらもう一度契約について再交渉したいかどうか見るために残りのページをさっとめくるかもしれない。もう一度チャンスを与えるかもしれない興味深い展開があるかどうか確かめるために。あるいは自分の予言が正しいかどうか調べるために最後のページを覗くかもしれない。
もしあなたが自信が持てないのなら,あなたは自分が失敗したと考えながら,本を後にすることになるかもしれない。もし何百人というほかの人たちがこの本を読んで楽しんだとしたら,なぜあなたは楽しまないのか?自分に何か悪いところがあるのではないか。あなたは何らかの点で読者としてふさわしくないのではないか。この敗北感は大変危険になりうる可能性があり,次回は危険をおかしたいとは思わなくなることもあるだろう。本を途中で投げ出すことはしばしば仕事をやり残したような感覚を生むことがある。このことはもしあなたがその本について考え続け,それを読み終えなくても,どのようにその本が影響を与えたか考え続けることがあれば,前向きに評価できる。しかし,もしあなたが本当に感じていることが失敗や敗北だとすれば,中途半端でやめた感覚が長く残る可能性がある。
著者と読者の契約とある特定の本に関する自分自身の読書カーブを理解すれば,あなたはなぜあなたがあきらめたか分析するのに役立つだろう。自分の責任だと感じないことが重要だ。これと似たような他の事例で,自分の好みのために選んだものを追い出すことを考えてみれば,そこにはなんら失敗の含意はない。もし新しい服を買いに行くのなら,自分に似合うものを見つける前にたくさんの洋服を着てみる。もし,家に帰ったときに似合わないと思っても,すぐに自分の能力に疑念を持ち始めることはない。もし,食事に出かけて自分の好きではないものを目乳から選んでも,時間とお金を損したことに対して怒っても,感情的に,知性的に自分はふさわしくないと感じることはない。
人々は難しい本だけを投げ出すとしばしば思われている。これはもう一つの読書に貼られた制限的なレッテルだ。読書人口はどうしようもないくらい,「大衆的な本」を読む人と,「難しい本」を読む人に分けられている。実際にはほとんどの人は両方を読み,ある人にとって「大衆的な」ものは別の人には「難しい」のだ。本を投げ出すのは難しさとは関係なく,著者の言いたいことがあなたに届くかどうか,ということである。どの著者がどの読者に話しかけるのか予測するのは不可能だ。6人の人に6冊の本を渡してみなさい。そうすれば,誰がどの本が好きか,ということでいつでも驚くだろう。
誰か他の人が言ったことが,あなたが自分には閉じられたと思った本を開けることがあるかもしれないが,そのようにはならない本が常に残っているものだ。このことは必ずしも本のタイプと関係しているわけでなく,どのタイプの本でも起こりうることだ。過去の古典,最近のフィクション,新しい実験的な作家など。
あなたは読者として自分の重要性を,また,あなたには自分の好みや趣向に対する権利があるのだ,ということも認識し,尊重しなければならない。良き読者になるためには,読み終えた本の数ではなく,あなたが自らとろうとする危険,著者との契約であなたが提供する関わりの質なのだ。もし,うまく付き合えない本に実際出会ったら,自分を責めることはせずに,気楽にやり過ごしなさい。海にはもっとたくさんの魚がいるのだから。
世界中では約6万平方キロメートルの土地が毎年砂漠になる。これは広大な土地,九州と四国を合わせたのに等しい土地が毎年生産力を失っていることを意味している。この状況はアフリカが特に厳しい。総面積の3分の一ほどが砂漠化の危機にあり,このことが農業人口の80%近くの人に影響を与えている。砂漠化の最大の原因は人為的なものであり,その中には過剰な作付けや土地の管理の不行き届きが含まれ,こうしたことと開発途上国の人口爆発とが結びついている。
1996年には,砂漠化対処条約が施行され,それ以来,ごく少数の国が国レベルで行動計画を進めている。しかし,世界的な砂漠化に関する認識はいまだかなり低く,基金は枯渇している。アフリカが最終的にもとの緑の美しさに回復することができるかは不明のままだ。
バナナは安いフルーツで,一房200円ぐらいでスーパーマーケットで買うことができる。しかし,長い間日本では高級なフルーツだと考えられており,主に病院の入院患者やお祭り事の為に買われた。
バナナの地位は1960年代後半,日本が大量のこの果物をミンダナオ島から輸入するようになって劇的に変化した。日本とアメリカ合衆国の4つの大企業がこの時期にミンダナオにプランテーションを作った。こうしたプランテーションには除草剤をバナナ果樹園に撒く飛行機用の1500メートルの長さの滑走路がある。こうした企業では何千人という労働者を雇っている。今日日本で販売されるバナナのほぼ75%はミンダナオ産である。
2001年以来のモルジブでのわたしの生活は日本で生きた20年以上の間に経験してきたこととは全く違ったものです。
私にとっての最初に困ったことはモルジブ語でした。私は人々が私に言っていることがわからなくて,悲しく思いました。そして,私の言おうとしていることを人々にわかってもらえませんでした。しかし,お互いに分かり合えなかったので,私は彼らが私に言っていることを聞こうとしてもっと努力しました。話すときにお互いの目を見ることで,私たちは言葉を超えた形でコミュニケーションができました。それは奇妙なことですが,今そのことを思うと,私たちの間の距離は互いの実際の言葉をできなかったときより短かったように思えます。
2番目に困ったことは食べ物でした。この国の食べ物は全て辛いです。私はあまりからい食べ物は好きではないので,最初,夕食にモルジブの人の家に招待されたときはいつも,食べ物のことが心配でした。もっとっも招待されたことはうれしかったのですが。しかし,時間がたつにつれて,それに慣れてきました。最近では辛いモルジブの料理はおいしいと思い始めています。
私にとって3番目に困ったことは,よく言うと,気楽な人々の国民性でした。私の仕事は幼稚園の先生を指導することです。一度幼稚園の先生たちを集めて,先生たちのために研究授業をしたことがありました。しかし,何人かの先生が教室を出て行きました。というのも,彼女らが言うには,自分たちの休み時間だから,だそうです!いくつもの笑い話のような間違いを経験してからは,モルジブの人々が今ではますます好きです。
私のここでの人気はあと8ヶ月で終わります。私は毎日を大切にしたいと思います。そしてモルジブの人たちと私が互いに学びあい,新しい発見ができればいいなと思います。
母親のための最初のお祝いは古代ギリシャで開かれていた。そこでは春のお祝いが神々の母であるレアを祝して開かれた。イギリスでは17世紀中に,人々は四旬節の4番目の日曜日に「母の日曜日」を祝って,自分たちを害から守ってくれる霊力に感謝を表した。この時代,イギリスの多くの貧しい人々金持ちの家働き,召使たちは自分の家から遠くはなれて,住んでいたものだ。母の日曜日には,しかし,家に帰り,母親と一日を過ごし,母のケーキと呼ばれる特別なケーキを食べた。
アメリカでは,母の日は最初,1872年,ジュリア・ホウによって提案された。ホウは,有名な歌「リパブリック賛歌」を作曲した人だが,母の日を平和の象徴と考え,毎年,マサチューセッツ州,ボストンで母の日の集まりを開いた。
フィラデルフィアのアンナ・ジャーヴィスは母の日を休日にするのに成功した。19世紀後半,アンナ・ジャーヴィスの母は南北戦争で息子たちを失った母親たちをたたえる方法として,「母の友情の日」を確立しようとした。小さい頃,アンナ・ジャーヴィスは母が庭の手入れをするのを手伝った。その庭は白いカーネーションで一杯だった。1907年,5月の第2日曜日,彼女の母親が亡くなった2年後,ジャーヴィスはウエスト・バージニア州グラフトンの母親の教会で母をたたえて式を開いた。彼女は式に大変感動して,母親をたたえる公式な休日を設立する運動を始めた。1910年,ウエスト・バージニアは母の日を認める最初の州になった。
彼女自身は母親になることはなかったが,ジャーヴィスは政治家に母の日を祝日にするよう説得する手紙を書き始めた。そしてとうとう成功した。1914年,ウッドロー・ウィルソン大統領は公式に母の日が5月の第2日曜日に開かれる国民の祝日だと宣言した。
しかし,人々はこの日を金儲けのために使い始め,休日は商業化されたので,ジャーヴィスはとうとう1922年母の日の祭りを止めようとした。彼女は女性たちが,基金集めのために白いカーネーションを売っている母親の同窓会で平穏を乱したかどで逮捕さえされた。白いカーネーションはジャービスの母親のシンボルだったのだ。「これはわたしが意図したことではない」ジャービスは語った。「私はそれを感謝の日にしたかったので,お金儲けの日にしたかったのではない」
1948年,84歳で亡くなるまでには,ジャーヴィスは自分が設立した祝日の商業的な,あるは金儲けの側面を止めさせることができなくて,悲しく思い失望していた。彼女のなくなる直前,ジャーヴィスは親友に,母の日を初めたこと自体を後悔している,と話した。彼女がこの言葉を話したのは世界中から届けられた母の日のカードで一杯の病院の一室だった。
写真家であり環境保護論者でもあるフランス人ジェローム・ハティンにとって,オーストラリア,タスマニア州の青いきのこは森の精への窓に見えた。「きのこは破壊に直面している熱帯雨林を監視しているように見えた」33歳の彼は言った。彼は今この青のきのこのイメージを計画中の環境団体のロゴ,すなわちシンボルに使う計画である。
写真取材のための森への旅がハティンを深く感動させたのはこれは初めてではなかった。1998年以来,彼はイタリアやカナダ,メキシコ,チリ,オーストラリア,ニュージーランド,インドといった国を含む国へ古代の木々,その中には1万年にもなるものもあるが,写真を撮りに訪れている。例えば,メキシコでは,彼がフィルムに収めた杉の木は最古,最大で,直径58メートルもあった。彼は2001年初めて日本に来た。それ以来,彼は仙台,山形県東根,名古屋と訪れた。屋久島(九州の最南端より30キロ南)彼は朝霧の中,7200歳の古い縄文時代のスギの前で鹿の写真を撮った。
ハティンは常に自然と野生生物を愛し,1998年にその愛と写真を融合させた。多くの文化で古い木が尊敬され,崇拝されているとわかり,彼はそれらを写真の撮ることは人々が森の巨木とそれらを取り巻く生態系を守る重要性を理解するのに役立つだろうと信じた。
「人々にわたしの古い木々の写真を見せることで,わたしは環境を守ることの重要性について教育したいのです」と語った。しかし,それは簡単な仕事ではない。多くの場所で,彼は古い森が消失しつつあり,過度のゴミ,汚染が微妙なバランスで均衡を保つ生態系を破壊している。国連食糧農業機関によれば,森林破壊の世界的な速度は1990年代は1年平均900万ヘクタールだった。
前の9月,世界資源機関は世界の生態系の状態の広範な低下を報告した。研究によれば,世界の木の種の9%が絶滅に直面し,熱帯雨林の破壊はおそらく年間13万平方キロを上回り,世界の元森林の30%は農業に転換されている。しかし,ハティンは希望を持っている。というのも自然への愛を彼と共にする世界中の多くの人たちと会っているからだ。他の人たちに情報を与え,自然破壊に反対する行動を呼びかけるために,彼はプロジェクターを使って本物の木の大きさを見せる写真展の開催を計画している。
はじめはブラジルで使われていたが,ガラナと呼ばれる薬草は近年ますます多くの北米の消費者によく知られるようになっている。彼らのおかげで,ここ数年ガラナはアメリカの健康食品市場での地位を確固たるものにした。ガラナという名前はグアラニスからくるが,これは南アメリカ原住民の一部族で,彼らはそれをわたしたちがチョコレート風味を使うのと極めて似通った形で,様々な種類の料理使っていた。
グアラナから取れる種はたいてい鞘から取り出し,油を使わずに炒る。それから,細かい粉になるまでつぶし,水と混ぜ,ペースト状になるまで圧力を加える。ペーストは短い「棒」に成形して乾かす。このスティックはほとんど匂いがないが,刺激性のある苦い味がする(ちょうどチョコレートのように,それほど油っぽくないが)これを薄く切って,水に入れる。今日,ブラジルの飲料業界では同じ手法を用いてそれを人気のあるドリンクにしている。グアラナはまた時にアルコールと混ぜて,もっとエキサイトな飲み物にする。
歴史的には,グアラナの茎,葉,根は中南米では魚を殺す薬として使われてきている。アフリカでは,グアラナは様々な病気の治療に使われている。グララニス族はお腹の病気の予防,治療にも使った。1900年代初頭のある医師たちはグアラナを偏頭痛や他の頭痛と同様に心臓が弱ったり,顔色が悪いときの治療法だと記述した。しかし,今日ではグアラナは心因性の頭痛と精神疲労に主に使われており,この目的にはより少量のグアラナは多量のグアラナより効果的だと報告されている。にもかかわらず,薬としてグアラナを飲むことには,心拍数の増加や体温の上昇といったマイナスの効果もあるかもしれない。グアラナにはカフェインを含むコーヒーと同じ成分の多くを持っている。また,体にも同様の影響がある。
グアラナの食欲を減退させる力は従ってカフェインの成分によるもので,それはまた元気が出てきた感じになるのに一役かっている。グアラナはまた減量製品の中にも見つけられるが,心臓病を患っている人は極めて慎重に使われるべきである。グアラナを長期間使用しても悪影響はないように思われるが,コーヒーに敏感な人は,ちょっとした腹痛とか神経が高ぶるとか,グアラナに同様な反応をするかもしれない。
健康で,気分がよくなるほかに,コーヒーと同じようにグアラナはアマゾン地方の農家には利益の多い作物である。他の作物の合間を速く,大きく成長するので,収入と同時に収穫も増やしている。
中国パンダの約10%の居住地である臥竜は国内33の保護区最大で,これまでのところ最も人気がある。臥竜では観光客はこの悲劇の動物の悲しい状況に思いをはせるありあまる機会がある。中国にしか生存せず1984年に絶滅危惧種のリストに加わったこの熊は数十年にわたって頭数が減少している。臥竜の森でのパンダの数が145頭まで落ち込んだことを示す1974年の調査によって,政府は30万エーカーの土地を保護区に確保した。それはほとんど効果がなかった。1986年の最新の調査ではわずか72頭のパンダしか住んでいないことがわかった。現在では,科学者たちは,臥竜のパンダ数は1986年の水準を下回っているのではないかと思っている。
現在科学者たちはなぜ動物たちが消滅しているかわかった。ミシガン州立大学の生態学者である劉建国率いる研究チームが1965年,1974年,1997年に撮影した衛星写真を比較し,地上を調査した。この努力によって,臥竜の森は1975年に保護区になってから顕著に悪化していることがわかった。パンダの生息地では,保護区が作られる以前より早いペースで実際消滅しており,保護区のすぐ外の森さえ急速に消滅している。 科学者は問題を確定すると,原因は明らかになった。観光である。中国当局は毎年3万人の観光客が訪れると言っている。地元紙は1年14万ぐらいだと言う。全員がパンダ保護区が作られて以来,観光が一気に盛んになったことを認めている。
問題は観光客自身にあるのではなく,観光客を迎えるために起きた産業にある。最大の原因はこの地区の特産,豚肉の燻製にある。湖南省で育った劉氏は言う。「昔は誰も燻製の豚肉は売りませんでした。でも,より多くの豚肉を買うより多くの観光客がいれば,地元に人たちはもっと作ろうという気になります。より多くの豚肉を作るためには料理のための燃料の材木が必要になるのです。」電気は利用できるが,それには金がかかる。薪はただで,木を切るだけでいいのだ。
伐採は違法だが,地元の人たちは標高が低いところの広大な森林を切りひらいてきている。数年前,山腹をより高く登りはじめて,パンダが暮らしている場所に近づいた。繊細な熊を脅かすのに多くはいらない。地元民の人口が1975年から1995年の間に70%増加し,4260人になり,問題はさらに悪化した。
保護区の近くの住民が資源を求めて,絶滅危惧種と競争しているのは珍しいことではない。自然保護運動家への課題は地元民に地元の生息域を破壊しない観光産業から恩恵を受ける方法を与えることだ。臥竜地区では,たとえば,地元の農家の人々がガイドを勤め,手作りの民芸品を売り,民俗舞踊を披露している。「地元の人たちが生活費を稼ぐ方法を見つけるのを助ける必要があります」WWFのパンダ専門員Karen Baragonaは語る。「何もないところで環境保護はできないのです」
第1問
戦争とスポーツの言語的,文化的な深いつながりは長年にわたって言及されてきており,最近の出来事がびっくりするくらい強烈にこうしたつながりを明らかにしている,と言っても全く目新しいことではない。しかし,明らかな用語の類似性を取り除いたとしても,アメリカのスポーツとアメリカの軍隊は9月11日以来,際立って対の状態にある。見方によっては,スポーツはばかげていて,意味がないように思えることもあるが,文化的な重要性を際立って表しうることには疑問の余地はない。たとえば,タイミングは意図的でないにしろ,アメリカの攻撃がペンシルバニア,ベテラン・スタジアムでの日曜日の試合開始と同時に起きた偶然の一致には強力な象徴的意味があり,アメフトと戦争の深い関連をより強固なものにしている。
スポーツと戦争は少年を男にする役割において常に手と手を取り合っている。有名な英国人がかつてワーテルローはイギリスのパブリックスクールのラグビー場で勝利したと語ったことがある。(ワーテルローは現在のベルギーにあり,ナポレオンが最終的に敗北した村だ)アメリカン・フットボールの生みの親であるウォルター・キャンプはアメフトチームを「軍隊」,試合をすることを「砲撃行動」,コーチすることを「用兵」と呼んだ。初期のアメフトは現在「地上戦」(パスを使わない)と呼んでいるものに大幅に頼り,従って地面の領土を求めてたたく軽武装男たちが重要視された。これは第一次世界大戦の戦闘形態で,塹壕の男たちに虐殺のないソンム川(ソンム川はフランス北部の川で,第一次世界大戦で英国軍とドイツ軍の激しい戦場であった)もっと前の戦争からの戦略のヒントもあった。1892年,ロリン・デランドはV 字形攻撃フォーメーションを考案した。これはボールをもつテールバックのために,進行するブロッカーの集団の慣性力を用いて,道を切り開く,アメフトのプレーだ。ナポレオンの軍事行動を研究してからのことだった。
数十年にわたって,アメフトの技術は戦争の技術のように進歩した。そして,より最近では,このスポーツは空中に向かった。一試合で獲得できる陣地の4分の3までもが,「爆弾」と「正確な空爆」(すなわち,迅速で正確な攻撃)それに短いパスで得られる。もしあなたがアメフトファンでもないのに,どこかできいたことがあるような気がしても,驚くにはあたらない。おそらくイラクやコソボを思い描いているだろう。実際,現在までのところ,戦争のアメフト化の最高の例は湾岸戦争で,その戦争ではテレストレイター(専門化がテレビ画面に線を引いてどこでパスが捕まったとか,ミサイルが煙突を落ちたかどうか示すことができる機械)や即時の再生(攻撃がアメリカ国民にわかるように)のようなアメフト放送の技術が使われたのだ。そして,この3月には,これは私の作り話ではないが,あるケーブルテレビでは「ウォーゲーム」と呼ばれる試験的な番組を放送した。この番組では実際の米軍軍事行動について解説する実際のアメフトの解説者をメインにすえた。
ブッシュ大統領自身も,幾分評判は悪いが,国の大ファンである。彼はテキサスでプロ野球チームの共同オーナーとして知られるようになった。大統領が目を見開いて,スポーツ選手を敬愛する態度はほとんど感動的なところもあるが,最近の文脈で心配なのは,スポーツは時には人生について適切なたとえを提供しうるが,それが世界に開いたある人物の唯一の窓であってはならない。ブッシュはそうではないか,と思うだろう。私たちの隠喩はある種の宇宙の理解の仕方を含意している。時には隠喩は啓示や新しい洞察を提供する。しかし,時には複雑さを光沢で隠し,重要な相違を破壊する。そして,時には話す側の単純な理解不足を露呈してしまう。私がこのことについて考えるのは,タイムズ誌が9月22日にブッシュは公の場で威厳を持つようになったが,「プライベートではいまで背中をたたか,野球用語を使い,時に,テロリストは私に対してホームスチールはしないと約束している」報道したことだ。そして,その時私はブッシュがミシガン州でこの3月に不況の脅威が地平線に広がりつつあるときに言ったことを思い出した。「アメリカ経済は長い,長いレースの最初の区間を走る偉大な選手のようなものだ。息は切らしているが,基本的には頑強だ」と。
U 1920年代までは,居住に適した土地でまだ探検されていないようなところはないと考えられていた。世界第2位の島ニューギニアも例外ではなかった。ヨーロッパの宣教師,植民者それに行政官たちも海岸沿いの低地にしがみついて,島中央部を走る危険な山脈で住める人はいないだろうと確信していた。しかし,実際海岸から見える山は一つではなく,2つの山脈に属し,その山脈の間には多くの肥沃な谷が交差する温暖な高原があった。100万人の石器時代の人々がこの高地に住み,4万年間にわたって他の世界から隔絶していた。覆いは本流の一つの支流で金が発見されるまでとられなかっただろう。それに続くゴールドラッシュが多くの多くの炭鉱者をひきつけ,その中にオーストラリア人のリーヒーが含まれていた。彼は1930年5月26日仲間の炭鉱家と運搬人として雇った現地の低地に住む人々と山へ金を探しに出かけた。高原に登った後で,リーヒーは反対側の草の生えた広い場所を見て驚いた。夜までに彼の驚きは驚愕に変わった。というのも遠くに明かりの点が見え,それは谷に人が住んでいる明らかな印だったからだ。リーヒーと仲間は武装し,爆弾をかき集め,眠れぬ夜を過ごしたあとで,高地の人々と最初の遭遇をした。驚きはお互い様だった。リーヒーは日記に書いた。
原住民が見えたときにはほっとした。男たちは,正面で,弓矢で武装し,女たちはサトウキビの茎を持って背後にいた。彼が女たちを見た時,現地の運搬人の一人がすぐに戦いは起こらないだろうと私に言った。私たちは手を振って来るように言った。彼らは数歩進んでは私たちを見るために立ち止まり,近づいてきた。とうとう数人が勇気を奮いだして近づいた時,彼らが私たちの外見でびっくりしているのがわかった。私が帽子を脱いだとき私の近くにいた人々が恐怖で後ずさりした。一人の老人が口を開けて前へ進み,私が実在のものかどうか確かめるために触った。それから彼はひざまずき,手で私の足をさすった。それは足にペンキが塗ってあるかどうか確かめるためだろう。それから私のひざに手をまわし抱きつき,藪のような頭を私に擦り付けてきた...女たちと子どもはだんだんと近づく勇気が出てきた。まもなくキャンプは多数に人々で一杯になり全てに人が走り回り,一斉におしゃべりをし,自分たちの知らないもの全てを指差した。
あの「おしゃべり」が言語だった。みしらぬ言語。1960年代まで発見されることになる800の言語の一つなのだ。リーヒーの最初の出会いは一つの民族が他の民俗に遭遇するたびに,人類の歴史で何百回となく起きたに違い場面の一つを繰り返したのだ。私たちが知る限り,それらの全てはすでに言語を有していた。言語を持たない部族はいまだかつて発見されていないし,ある地域が以前言語のなかった集団へと広がる言語の「ゆりかご」として機能したという記録もない。
他の事例でも同様に,リーヒーが訪れた人々が話す言語は単なるキイキイ叫ぶ声ではなく抽象的な概念,目に見えない実体,それに複雑な論理の積み重ねを表現できる媒体であった。高地の人々は互いに熱心に相談し,色の白い人の性質について意見の一致をみようとした。主だった意見は彼らは祖先で,この世に新たに再生した体と人間の形をした脂っこい魂,あるいはひょっとしたら夜骸骨に戻ったものかもしれない。この問題を解決するだろう経験的なテストをすることにした。高地の人の一人が思い起こしている。「私たちの一人が隠れ,彼らがトイレに行くのを見守った。彼は戻って言った。『天から来たあの人たちはあそこへトイレへ行った。そこを去ると,多くの男たちが見に行った。それがひどいにおいだとわかると,彼らは言った。『肌の色は違うかもしれないが,ウンチは私たちと同じようにひどいにおいがする』
複雑な言語が偏在しているということは言語学者を畏敬の念で満たす発見であり,言語は単なる文化的発明ではなく特別な人間の本能の産物ではないかと疑う最初の理由である。文化的発明はその洗練さにおいて社会によってかなりの幅がある。社会の中では発明はたいてい洗練性のレベルと同レベルにある。骨に線を彫って数を数え,木に小枝をこすっておこした火で料理する集団もある。コンピュータを使い,電子レンジを使う集団もある。しかし,言語はこの関係を破壊する。石器時代の社会もあるが,石器時代の言語といったものはない。今世紀初頭,文化人類学言語学者であるエドワード・サピアは書いている。「言語の形となれば,プラトンはマケドニアの豚飼いと散歩し,孔子はアッサムの首狩りの野蛮人と散歩するようなものだ」
社会は厳しい。この厳しい社会で生きていくために,親が子供のためにしてやれることはいろいろとあるだろう。たとえば,子供に他の人とどのように接するかを教えることは,親の重要な仕事の1つである.
ある日父が立ち上がって口から血を出した。急いで病院へ連れて行った。医者が言うには腸のどこかが破裂したとのことだった。彼は家へ戻されたが,数日後同じことが起きた。3回目の後,医師たちは,もう一度起きれば,死ぬかも知れないと言った。
私たちは父が肝臓移植が必要だとずっと知っていた。ただ,そんなにすぐに必要になるだろうとは思っていなかった。しかし,突如彼と母は飛行機でロスアンジェリスの医療センターの移殖医師に会いに行った。医師たちは,肝臓移植希望者のリストに載せると言った。すなわち,誰か健康な肝臓を持った人が亡くなったとき,彼がその肝臓をもらうのだ。しかし,アメリカでは1回につきリストには約18,000人の人がいる。彼がどのくらい待てばよいのかわからなかった。
医師たちはまた生体肝移植と呼ばれる手術についても両親に話した。死んだ人の肝臓を使う代わりに,病気の肝臓と健康で生きている人の肝臓の一部を入れ替えるのだ。肝臓は元通り成長するので,このことができる。
不運なことに,3人のドナー候補中一人ぐらいしかマッチしない。母はダメだった。そこで,兄と姉と私のうち誰がかってでるか話し合った。クリスには養う家族があって,危険すぎるように思えた。ベッキーと私は二人ともやってもいいと思っていたが,彼女のほうがやせていて。それは手術には適していた。しかし,医師たちが手術を始めたとき,彼女の血管の二本がくっついていて,手術を大変危険なものにしていることがわかった。
ベッキーについてわかったとき,私はLAへ直行した。そこでは両親は手術についての決定を待っていた。医師は私に血液検査や体力テストといった基礎検査をした。それからより細かい検査をした。なかに大規模で気持ちの悪くなるようなものあった。そして私は手術を間違った理由,たとえば,お金をもらっているとか,お父さんにもっと愛して欲しいと思っているとか,そんな理由でやっているのではないということをはっきりさせるために心理学的な検査も受けなければならなかった。
やっと医師が電話をくれたとき,知らせはいいものではなかった。お父さんも私も太りすぎで,これが重大な問題を起こすかもしれない,ということだった。提供者の肝臓の脂肪の比率が高いと提供された人の体でその肝臓が生き残るのが難しくなる。特に被提供者も太りすぎの場合は。もち私がドナーになりたいのなら,私は14キロぐらい減らさなければならないだろう。お父さんは9キロ減らさなければならないだろう。私は気にならなかった。できると思っていたからだ。
家に着くとすぐにお母さんは健康食を買い始め,私には看護助手としての仕事に持っていく特別食を作ってくれた。私は水泳を始めた。最初,数回往復するのがやっとだった。しかし,がんばって,しまいには私は1日100回往復できるようになった!10週間でほぼ18キロ減量して,100キロから82キロに減った。医師たちは私のことをほんとうにえらいと思ってくれた。しかし,重要なのは外見がどう見えるかではなかった。問題は中身がどうか,ということだ。私の肝臓は15%の脂肪率だったが,減量した後では,2%まで落ちた。
手術のときになると,考えられることは痛みはどんなだろうか,ということだけだった。私は怖かった。最後に覚えているのは注射針が私の腕に刺さるのを見ていたことだった。それから私は起こされていた。痛みはひどかった。鼻とのどから巨大なチューブが出ていて呼吸が大変だった。2日後,私は立ち上がるように言われた。私は体を折り曲げた。お腹が本当に痛くて,足もとても痛かった。でも,私は歩かなければならなかった。それが私が回復する最善の方法だったのだ。
最初傷口を見たときには,痛みをもっと激しく感じた。傷口は長く,腫れていた。傷口を見ればいつでも私が経験したことを思い出すだろう。いくつかの重要な教訓を学んだ。それは生命がいかに大切か,自分の健康に気をつけることが,本当に,本当に大切だ,ということだ。
私は現在ずっとよくなっている。しかし,昔より疲れやすい。私は数週間仕事を休んだが,今は復帰している。私はずっと何か重要な仕事をしたいと思っていた。そして,今や,特に,もっとよく患者の世話をしてあげたいと思っている。私は痛みや病気を通して看病されることはどういうことかわかっている。それに体重を抑えている。父も同じだ。彼も素晴らしくやっている!回復は実際には提供者より被提供のほうが簡単だ。お父さんは気分の悪いのに慣れていて,移殖が終わるとすぐに父の体が喜び始めた。それは,「おい,ずっと調子がいいぜ。どんなもんだい」といった感じだ。みんなが私の名前,エンジェル・モリーナは象徴的だという。私は父の天使だと。でも,私は自分のことをそんなふうには考えていない。誰でも私がやったことを厭わずやるべきだ。結局,それはたいしたことじゃない,と本当に思っている。
顔の記憶は人間の生活と社会の重要な特徴である。といのも人間の顔は個人の性,年齢や人種を特定するのに役立つからだ。動物の生活ではにおいが主要な役割をしているので,動物が顔を認識したり,覚えられるのかはっきりしない。しかし,一般的にはほとんどの動物は顔を認識していないように見える。一方,ほとんどの人間は極めて簡単に1000にのぼる顔を覚えており,その一部の名前を思い出すこともできる。もっとも年をとるにつれて,また他の記憶喪失の理由も起因して,この数は減少することも付け加えなければならないが。努力すれば人々は1万枚の異なった顔の写真の3分の2ぐらいは覚えられるようになる。これは人間のことばと比較すべきだ。言葉では10万語ぐらいまで覚えることができる。次のような事実で事態は容易になっている。つまり,顔には50の基本的な型があり,それは警察の犯人の確認の中心となっており,裁判で有罪判決になった50%は顔の記憶に基づいた面通しの整列か目撃者の証言に基づいているのだ。
他の人より顔を認識するのが得意で,絵画を特定し,その絵画を描いた画家を当てるのが得意な人もいる。そして,当然のことだが,記憶は知らない顔より友だちや有名人のよく知っている顔に適しており,当然,疲労やストレスで衰える。
顔を特定することは通例,顔に名前をあてることが含まれる。なぜなら顔は名前より覚えやすいからだ。顔の長期記憶の試験では,人は過去50年にわたって見た顔の70%を覚えているが,名前の20%しかわからないことがわかっている。名前の想起は言語の記憶システムと結びついている。しかし,顔の記憶は顔の認識を担当する細胞に基づいた機能である。こうした細胞は顔の特徴に敏感で,性,年齢,健康等の情報を提供する。この情報は人間関係には極めて重要である。
イタリアの偉大なルネサンス期の芸術家,レオナルド・ダ・ヴィンチは絵画に関する彼の本の中で顔の記憶について論じ,芸術家たちにちょっと見ただけでモデルを覚えるためには,顔を4つの部分,すなわち額,鼻,口それにあごに分けることを助言している。もっと最近では,心理学者たちが詳しく顔の認識過程を検証した。これはかなり早い段階に始まる技術である。生まれたての赤ちゃんはぼんやりとした像しか見ることができないが,赤ちゃんの視力は急速に発達し,まもなく抽象的な場面より顔の絵を見ることを好むようになる。ほとんどの赤ちゃんが最初に見るのはたいてい,人であり,まもなくすると表情や気分を解釈するようになる。
もともとは,顔の認識の研究は主に様々な脳障害のある人々に関する報告に基づいていた。こうした人々の問題は視力の喪失から近親者が確認できなかったり,鏡に映った自分がわからなかったりと幅がある。顔の記憶は家,乗り物や動物いった対象物より性格だということがわかっている。近年,顔の認識のメカニズムや方法の理解はかなり進歩している。顔を認識するために使われる方法はコンピュータにも適用され,銀行や空港の建物への入り口での防犯システムの一部としてまもなく使われるだろう。
園芸番組を聞いていたらある鉢植えの植物について専門家言っていたことに感銘を受けた。目を出し始めたら水をやるな,と助言。植物がストレスを感じるようにしなさい,そうすればもっともっときれいな花をつけます。
この助言は医師に言われていることに全て反する。ストレスは体に悪い,と言う。ストレスが全ての病気の原因である。働きすぎによるストレスは早死につながることもある。新聞や雑誌記事はストレスの減らし方,それを完全に回避する仕方について教えてくれる。誰もストレスに対していいことを言わない。
にも関わらず,ストレスが植物にいいのなら,人間にだって価値がありはしないのか。考えれば考えるほど,あるように思われた。ある程度の緊張感やストレスがなければ,私たちは怠けて,義務を怠りがちだ。全ての学生は一年中,規則正しく勉強して,そうすれば,怖がらずに試験に臨めると知っている。実際にはほとんどの学生は最後の最後までこの勉強を放置し,急いで失われた時間の埋め合わせをしようとする。
同様に私たちの多くは締め切りが近づくまで問題の対処を先延ばしする。毎年,私は全てのクリスマスカードや手紙を期限前に書いて,どたばたするのは避けようと決意する。緊張感が高まって初めて仕事を仕上げようと真剣に仕事を始めるのだ。
他の分野でも,満足感が入り込むと,創造性や好奇心が窓から出て行く。「神の不満」と呼ばれている(なんでも,現状への創造的な不満)が進歩を生み出す。そしてこの不満がストレスの一種なのだ。
従って,私にはある程度のストレスは人類の進歩には必要のように思われる。どのくらいがよくて,どのくらいが害があるのかが問題なのだ。
ストレスがたまる活動を長期間要求する方針の会社に雇われている人は同情されるべきだ。というのも過剰なストレスは生産性に反するからだ。自営の人たちは自分の最適なストレスの程度を選ぶ自由度が高い。どちらの場合も成功するためにはストレスの期間の前にある程度の心構えが必要だ。
そこで,話題になっている鉢植え植物と同様に,最初充分に水をもらい,それからしばらく自分だけでがんばるようにされれば,私たちもまた過保護の,決して努力をしたことのない人よりより多くの,より素晴らしい花を咲かせるかも知れない。
英国を訪れる人は住民の変な行動に驚く。最悪のミスは列に並んで順番を待たずにバスに乗ることだ。列のほかの人は声に出して不満を言うだろう。人々は列に割り込む人には感情的に反応する。新聞の見出しは早く手術をしてもらうためにお金を払う人への怒りを表明する。列に並ぶことは国民的な週間であり,順番を待つことは礼儀正しく,良いマナーだと考えられている。
最近,喫煙は大変評判が悪く,今ではタバコを吸う英国人は減っている。多くの会社では会社での喫煙を禁止している。公共の場での喫煙はだんだんできなくなっている。喫煙はロンドンの地下鉄,映画館や劇場,ほとんどのバスでは許可されていない。よその家で,「タバコを吸ってもかまいませんか」と聞かずにタバコを吸うのはマナーが悪いと考えられている。
一方,国によっては通りで食べるのは行儀が悪いと考えられているが,英国では人々が道を歩きながら,特に昼時に,軽食を手にしているのを見るのは普通のことだ。英国人は夜小さな子どもたちをレストランで見ると驚くかもしれない。というのも子どもたちはたいてい夜遅くにはレストランには連れて行かないし,人前やレストランで騒げば,大変失礼なことだと考えられている。100年程前には「子どもは聞くより,見るべきだ」と言われたものだ。というのも子どもたちは全く公の場には参加しなかったからだ。最近では子どもたちはより活動的な役割をはたし,多くのパブやレストランで受け入れられている。
良いマナーと悪いマナーはある国の社会的な規則を構成し,本に書かれていることは少ないので学習することはいつもやさしいわけではない。こうしたきまりは社会が発達するにつれ変化することもある。たとえば,女性は女性にはふさわしい行為とみなされなかったため,20世紀初頭にはパブに入らなかった。今では男性も女性も自由にパブでお酒を飲み,女性はより公の生活に組み込まれている。
私たちは別の国から来た人はその人の国では完璧に罪のない行為なのに,失礼なことをしていると考えるかもしれない。社会的規則は歴史を通じて伝えられたので文化の重要な一部である。英国人は次のような「暗黙の規則」に当たる表現を持っている。「郷に入っては郷に従え」
引っ越してまもなく,隣の人が車で夕食に来た。200フィートも離れていない近所を車で訪れるのも珍しくない。アメリカでは誰も歩かない。
最近の研究のよれば,アメリカ人の85%が運動不足,そのうち35%は全くの運動不足。平均的なアメリカ人は1年に75マイル,1週間に1.4マイル,一日350ヤードにもならない。私だって怠け者だが,これはいささかショックだ。
アメリカに帰国するにあたって歩いていける店がある町が良かった。ハノーバーは小さな,典型的なニューイングランドの大学町。散歩には最適な場所だ。町の人はほぼ全員歩いて5分以内のところに店があるが,私が気づいた限り歩いている人はいない。
私は家にいるときにはほぼ毎日歩いて商店街に行く。郵便局,図書館,書店,喫茶店など。これは生活の大切な一部で徒歩以外でやろうとは思わない。人々はこの奇妙で風変わりな行為になれているが,来た当初は近所の人が車の速度を落として,乗るかどうか聞いてきた。
「同じ方角ですから」私が断ると,まだ言った。「全くかまいませんから」
「本当に楽しんでいますから」
「あなたが,つよくそうおっしゃるのなら」そういうと,しぶしぶ,まるで事故現場を離れるような幹事で,罪悪感まで感じて離れていったものだ。
なんでも車を使うことのなれすぎて,足を使って,何ができるのか確かめることさえ思い浮かばないだろう。たとえば,先日,私が近くの町で,子どもをピアノレッスンの迎えに待っていると地元の郵便局の外で車が止まり,私の年恰好の男性が車から飛び出て,中へ入っていった(エンジンをかけっぱなしで,これも私をかなりいらだたせることだが)彼は3,4分中にいて,出てきて,車に乗り,隣の雑貨店まで76フィート(これをするには歩いて測るほどいいことはないが)進み,またエンジンをかけぱなしで,中に入った。
そして,問題はこの男性が本当に健康に見えたことだ。彼がかなりの距離ジョギングをし,テニスをし,ありとあらゆる健康的なことをしているは確かだが,同時に,こうした活動をするために車を運転していることも確かだ。ばかげている。私たちの知人のひとりが先日地区のジムの外に駐車場が見つからないと嘆いていた。彼女はそこに週数回行って,ウォーキングマシーンで運動をしている。ジムはせいぜい玄関から歩いて6分の距離だ。どうして歩いていって,マシーンでの運動を6分減らさないのかと聞いてみた。
私がすこし足りないかのように見て,行った。「でも,マシーンによるプログラムがあるの。私の距離とスピードを記録していて,自分用に調整できるの。」この点に関しては自然はいかに不足しているのか思い浮かばなかった。