TOEFL異論!

これまで,「日本人の英語力は他のアジア諸国の英語力に比べて低い,なぜならTOEFLの平均点が他の国より低いからである」という論法について反論してきたものです.


TOEFLの平均点について

 教員生活10数年にして初めてTOEFLの試験を受けた.いまさら留学ということでもなく,いままで受験したことのなかったTOEFLの点数を参考のために知っておきたかったからである.さらに毎年数名であるが,かならずTOEFLの試験について質問をする生徒がいる.そうした生徒に対して適切な助言を与えるためには自分で受けた経験も必要だろうと考えたからである.

 さて「日本人のTOEFLの平均点が世界的なレベルで低位に位置し,従って日本人の英語力は相対的には貧弱である」という議論がある.この説は決して目新しいものでなく10数年続いている議論であろう.しかし,私にはどうも納得できない議論でもある.

 各国別の平均点の算出の仕方が明らかにされていないことが最大の問題である.もし総受験者の単純平均(これは容易に算出できるだろう)であれば,私たちの議論は恐ろしく危うい前提の上に進められているといわざるえない.

  第一に受験者の質を吟味しなければならない.アメリカ・カナダへ留学しようとする受験者が一体どのような教育背景にあるかは,国の事情によって大いに異なる.生活水準が劇的に向上し北米大陸留学に強い意欲を持つ日本人がもっとも一般的な受験者であることは想像に難くない.国によっては経済的にも教育環境的にもその国で最も恵まれた人たちで構成されている可能性がある.

 第二に母集団の違いにある.我々は日常的に母集団が大きくなれば平均点が相対的に低下することを知っている.受験産業による模試の結果にしても,母集団の違いを考慮にいれて平均点を比較しなければならない.然るに圧倒的多数の受験者を抱える日本と他国を単純平均で比較することはさしたる意味をなさないことになる.地方の高校の平均レベルの生徒までTOEFLを受験したりする.彼女/彼らが現状の力でTOEFLで高得点を獲得することはきわめて困難であると考える.こうした若者まで含んだ平均点で他国の平均点と比較し,分析をしているとすれば「日本人英語の世界的英語力」は統計的にさしたる意味をなさいない議論となってしまうであろう.

数字はいったんはじきだされると一人歩きを始めてしまう.このような数字に振り回されないためには,その数字が算出された過程を熟知すると共に,数字の持つ意味を科学的・客観的に分析すべきだろう.


日本人の国際的英語力

 旧聞ながらTOEIC Newsletter 33(Nov. 1990)を入手しました.この号では「日韓スコア比較とDATA&ANALYSIS」と題して,韓国と日本のスコアを比較しています.(韓国(対象期間):89年5月〜90年4月,日本(対象期間):87年〜89年)

 TOEICでは受験に際して様々なアンケートをとり,最近の電算処理能力を利用して分析しています.年齢別,男女別はもちろんのこと,職業別(54種!),役職別(役員から新入社員まで),さらに「業務上英語を必要としている人で代理の地位の人の平均点(509点)」とか「海外で英語を使う生活を6ヶ月以上した課長の平均点(639点)」,また「3回めの受験した人の平均点(456点)」とか「テレビ・ラジオで英語を学習した人の平均点(460点)」(以上全て韓国の場合)といったように,面白いようにいろいろな角度から平均点をはじき出しています.

 さて,この報告で私の長年いだいていた「英語を母国語ないし,公用語としない国の英語力に比較して日本人の英語は本当に相対的に劣るか」という疑問に答える資料が見つかりました.

数年前,英語科でタイ旅行をしたとき,「日本と同じくらい英語が通じない国」の骨董品店で買い物をしました.華僑である主人と奥さんは英語を○十年学んできた我々と対等に英語で話をしました.これには正直驚きました.逆に東京の下町の骨董品店の主人と英語教師が対等に英語で話し合えるとは考えられないからです.この経験からも日本人の英語力がそれほどりっぱであると強弁する気持ちは毛頭ありません.一方,国際的な英語の試験の平均点で日本人の英語力を診断する場合には客観的な資料が必要です.

 

   韓国におけるTOEICスコア (May, 1989-April, 1990)               

                   

 

TOTAL

人数

公開テスト

268.3

267.9

536.2

4,649

IP

203.1

218.4

421.5

49,207

TOTAL

208.6

222.7

431.3

53,856

                                                                        

   日本におけるTOEICスコア (May, 1989-April, 1990/IPは2年間分)

 

 

TOTAL

人数

公開テスト

293.0

261.5

554.5

54.877

IP

213.6

194.4

408.0

356.095

TOTAL

224.2

203.4

427.6

410,972

 

  公開テストとは一般の個人による申し込みです.IPとはInstitutional Programの略で企業による団体受験のようです.

 この表で特筆すべきことは個人で自発的に受験した受験者数は日本が韓国の10倍以上もいるにも関わらず平均点で18点も韓国を上回っていることです.一方企業単位の受験では日本が下回っていますが,韓国の受験者数が4万9千と少ないこと,業務上英語を必要としているとした人が1万5千(31.3%),英語を使う国に6ヶ月以上滞在した人が2000人,という数字からもわかるようにかなり英語を使う人が受験したと考えられます.一方日本の受験者は2年で35万人,1年平均17万人余.この受験者の数の差を考慮にいれた時,日本人受験生は大変善戦していると判断できるのではないでしょうか.

 さらに「日常生活のニーズを充足し,限定された範囲内での業務上のコミュニケーションができる」(Cレベル)と判定された受験者が韓国では2万人余(37.9%)に対して日本では16万2千名余(39.5%)(C-以上と判定された人数,ただし,韓国と日本では『統計処理の理由から』レベル設定の区分は『近似値』を使用している)います.この数は素晴らしい数と言えるのではないでしょうか.

ちまたの英語教育では「日本人は英語力が劣る」という前提で話を進めます.確かに英語を母国語として話す人と比べると明らかに劣りますが,他の国の人の英語と比べて本当に劣っているのでしょうか.この表からわかることは少なくとも韓国の人たちに比べて英語力がことさら劣っているとは決して言えないこと.わが国には英語を積極的に学んでいこうとする熱心な学習者をたくさんかかえていること.企業においても英語をそこそこに使いこなせる人がすそ野広く存在しているということです.私にはTOEICの Newsletter No.33を見る限り,けなげな日本人英語学習像が浮かび上がってきます.さて,皆さんにはどうこの表が読めるでしょうか.


日本と韓国の英語力

 大手予備校である河合塾がきわめて興味深いプロジェクト「東アジア大学入試統一試験比較分析プロジェクト」を実施しました。全国的な1統一一試験を実施している日本,韓国,中国の東アジア3か国の試験問題を比較検討し,その一部は各国語に翻訳して実際に受験生に受けてもらおうというものです。(詳細は河合塾から発行されている報告書および進学情報誌 Guideline 199611月号などを参照。)

その中に韓国の問題として次のようなものがありました。

 

3  [45] 次の文の直前の段落に来るべき内容として最も自然なものは?

As you become a teenager, however, you may sometimes begin to question adults' ideas, instead of blindly accepting their ideas as you did when you were a small child.  You gradually become aware that you are a unique person with your life style.  To put it another way, you will find that you want to put your life together in the way that you think is best for you.

@若年期の創造的思考

A青少年の身体的変化

B若年期の利己的な態度

C青少年期の精神的彷徨

D若年期の従順的性向

(正解D)

 

4次の文の直後の段落に来るべき内容として最も自然なものは?

(問題文省略)

  この問題は韓国の試験がより実践的な志向を明確にしているものとして取り上げられたようですが,日本の受験生にはショックであったようで,「正解に納得がいかない」「今までやったことのない問題で分かりにくかった」といった意見が出され,正答率も日本・中国が目立って低かったそうです。

 私がこの問題を見てすぐに思い立ったのは次のような問題です。

(問題文省略)

42.The paragraph following the passage most probably discusses...

 (問題文省略)

51.The paragraph before this one most probably discussed the...

 ほぼ,同意の質問ですが,これはTOEFL模擬問題集からとったものです。韓国の問題はTOEFLReading Sectionの問題の形式を手本にしているようです。

 日本人の英語力は韓国の英語力に劣るかといったことを問題にしたことがありました。この問題を考える上で貴重な資料が提供されました。全人口4,400万人,大学進学率34%に対して統一テスト受験者は84万人(日本は50数万人)。この受験生たちが日本の受験生よろしく統一テストの形式に模した試験を受けて訓練されているとすれば,TOEFLでも,「今までやったことのない問題」という日本の受験生に勝ち目はありません。韓国と日本の「英語力の差」の一つが解明された思いです。なお,河合塾の試みは「私たちはごく身近な隣国でこういう日本と同じような統一試験が実施されているかどうかということも知りませんでした。ましてやその内容を知るはずもない,といったのが私たちの『国際化』の時代の一般的な現状です」(Guideline 11.1996)といった外向きの視点を提供してくれた点でおおいに意義あることだと思います。


TOEFL,センター試験と英語力」

TOEFLの平均点を国際比較して,日本人の英語力を分析する試みは昔から行われている.私はこの平均点で,日本人の英語力を分析する傾向には危惧の念をいだき,見えざる論敵に対して,過去3回「英語教育」(大修館)のFORUM欄で発言してきた.(92年1月号「TOEFLの平均点」,92年3月号「日本人の国際的英語力」,97年1月号「日本と韓国の英語力」を参照)

私が最も危惧するのは,受験集団をきっちり分析するわけでも,個々の国の英語教育事情に立ち入らず,平均点だけを問題にする傾向がある点だ.このようなことが安易に行われれば,英語教育の現場を自ら首を絞めて,TOEFLの平均点上昇に奔走することになりかねない.

すでに55万人余が受験するセンター試験が高校生の「英語力」を診断する道具となって久しい.各予備校,受験産業が実施するリサーチ結果は当該の高校の設問別平均点などが集計されるだけでなく,近隣の高校との平均点比較,自校の過去の生徒との偏差値による比較,県別比較などさまざまな形で報告される.ある予備校の1997年度センターリサーチ(40万人余りが協力)では,現役生だけの科目別県別平均点順位が公表され,1位の奈良県(152.2点)から47位の沖縄県(123.6点)まで並んでいる.この平均点はいかほどの意味を持つのか.センター試験の英語は試験として完成されたものであり,高校生の英語学力を忠実に反映しているという前提があるのか.あるいは,リサーチにどういった生徒がどのような形で協力したのか詳細に検討しているのか.こうした分析なくして,単純に奈良県の英語教育がかなりの成果を上げているとは即断できない.

このような数字が政治家の手にわたり勝手な分析がなされればどうなるのか.本県では当時下位に低迷していたセンター試験の平均点を前面に打ち出し,長野県高校教育の低迷としてやりだまにあがった.そのために「学力向上(?)予算」が計上され,現場はセンター試験の平均点アップに奔走することになった.4年の歳月が流れ,今年度は本県の英語の平均点は私の記憶では初めて全国平均をわずか下回るものの(平均が140.3点で,長野は139.5点),22位と半分以上のところに位置した.

何が起きたのか.答えは簡単,高校入学直後からセンター試験で点の取れる教材を採用し,センター試験の模擬試験や演習を増やしたのだ.

私はセンター試験のことを「ヤラセ試験」と呼んでいる.出題者が「出すぞ,出すぞ」といって作問し,受験者が「出るぞ,出るぞ」と準備をして,実際,予想したとおりの形式,出題内容で試験が実施される.今年度の新傾向とされる会話問題も昨年の6月頃大学入試センターから例として提示され,それに準じた「新作問題」が作問され,ほとんどの受験生にとっては目新しいものではなかった.かくして,50万人もの生徒が受験するテストの平均点が7割にも達する通常の定期試験では考えられないような試験が出現した.良心的にこの関係を崩して出題すると,とまどう受験生のために平均点が低下,出題者が責められる.(過去他の科目でそんなことがあったと記憶している)センター試験は最も対策のたてやすい試験となった.

本誌6月号の「TOEFLと入試センター試験」は絶妙の組み合わせといえる.いずれも対策が可能なこと.平均点が勝手に一人歩きしていること.その意味で沖原氏の「トフルのスコアーをもとに一国の英語教育の成果を論じるには十分慎重でなければならない」というまとめは傾聴に値するが,さらに一歩踏み込んで,この種の分析があった場合には,具体的に問題点を指摘し,その分析が危ういものであることを指摘し続けていかねばならないと考える.


《その2:日本人の国際的な「英語力」〉

 私はこのテーマがでるたびに本欄を通じてささやかな反論を繰り広げてきた。またしても同じ論調が紹介

され,さらに「中・韓・日大学生の英語力比較」といった報告が登場した。この種の主張に対する私の反感はTOEFLの平均点といった根拠の危うい数字をもとに議論を進めていくことにある。「日本人の英語力は国際的に低い」といった論調に新たな研究結果が加わりさらに危倶は強まった。

 

<TOEFLは真に英語力の指標となりうるか〉

「英語力」比較にTOEFLが指標として使われている。TOEFLについては見解が異なるかもしれないが,たとえば,550点のスコアが必要だという生徒は,練習問題の反復学習と何回かの受験で半年もあれば50点は上昇するといった対策可能なテストだと考えている。したがって,TOEFLのスコアが正確に「英語力」を反映しているとは思えない。『現代英語教育』(11月号)に韓国の「大学修学能力試験」全問題が掲載された。この問題と日本のセンター試験,個別学力試験,私立大学の入学試験と比較してみればよい。膨大な量と単問形式の問題。1回しか放送されないリスニングテストは16(29%)にも及ぶ。この問題しか韓国の大学進学希望者は受験しないという(「韓国の大学入試」(『英語教育事典』アルク,1997))。中・日・韓では,TOEFLの問題を編集して出題したそうであるから,少なくとも,この受験勉強とTOEFLの形式が大幅に重複する韓国と,形式,量も全く違いごく一部の生徒しか「対策」をたてないリスニソグテストを課される日本では,その結果(勝負?)は明白である。

 

〈受験生の母体の検証は十分か〉

 高校現場でも外部模試といわれる英語の試験で,他校と比較したり,自校の過去の生徒との比較をしたりする。年度によって,悪かったり,良かったり。試験の問題の質に加えて自校受験生の質,母集団の質など,可変要素が多く,点数の比較は根拠の危うい単なるお遊び的比較になっていることもしばしばである。同じ高校生といっても,高校が違えば,同じ試験でも高校単位の平均点は大幅に変わってくる(手元にたまたまある某模試の長野県内高校別平均点でも103点から38点までの幅がある)。今回の3国の比較はまず,受験生の質の検証を明確にすべきである。3国の大学生はどのレベルの生徒が受験しているのか,各国の「大学生」の位置づけ(進学率等)など,明確にすべき点は多い。

 日本の大学生に限れば,「受験者中,○○年度センター試験を受験した学生は○○名で,その平均は○○点であった」といった数値を示していただければ,日本代表の学生の「英語力」がだいたい察しがつく。どういった観点でどのような受験生を抽出したのか,少なくとも雑誌での記事では明らかになっていない。

 ご存じのように共通一次,センター試験が登場して以来日本の大学はきめ細かな偏差値による輪切りが進行し,同じ大学生といった範疇ではくくることのできない多様な大学生が登場している。わずか700名あまりの大学生をとって,その「実力」に検討を加えるならば,少なくともその大学生は日本の大学生全体のどこに位置するのか明確にしてほしい。

 統計的にある集団とある集団を比較するときには,さまざまな専門的な手続きが必要かと思う。今回も一次データが出た時点では慎重に分析を加えたと思うが,その根底の比較する相手が妥当であったか,という点で大いに疑問が残る。3か国代表の大学生について,十分な紹介が欲しいところである。