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♪♪♪♪ 一度決めたら 二度とは変えぬ これが自分の 生きる道
泣くな迷うな 苦しみ抜いて 人は望みを はたすのさ ♪♪♪♪
「いいね,いいね,うんうん。」
「・・・・・・,えー,また,美空ひばり?。」 「はー,いいフレーズですよ,いいよ。」
♪♪♪♪ 泣くな迷うな
苦しみ抜いて。♪♪♪♪
「くー,来ちゃうね,来ちゃう。」 「ぜんぜん,全然感じませーん。」 「えー,なんでー,なんでー。」
♪♪♪♪ 胸に根性の 炎を抱いて 決めたこの道 まっしぐら 明日にかけよう 人生一路 花は苦労の 風に咲け。♪♪♪♪
「うおー,いいぞー。」 「もー,付き合いきれません,ふふ。」 「なんで,わかんないの,なんでー, 大豊IC,おっ,偶然?。
こりゃ,呼ばれてるね,寄り道するよ,はは。」 「えー,えー,えー,なんで?。」 「だって,ひばりちゃん,ここの来たんだよ。」
「はー,はー,はー。」 「それに,パワースポットだよ,3000年ものだからね。」 「えっ,えー,お大師さん生まれてませんよ。」
子供のときから大好きな美空ひばり。 なんと,高知に縁があっということで,札所へ行く途中で高速を降りてみました。
高知の長岡郡大豊町にある,樹齢3000年の巨木です。
きになるから寄ってみる。
車遍路道中で,高速道路を使い高知の札所へ頻繁に行っていたときから,
道路の傍らにあった「杉の大杉」の看板が,ずーと気になっていた。
それと,小3から美空ひばりのファンだったので,ずーと寄ってみたかったけど,
タイミングがあわなかったけど,今日(2019年07月06日(土))はあったので寄ってみた。 ナビが指し示す方向と,事前調べの方向が違うので,無視して道の駅へ。
そして,大型車の駐車場まで行ってったら,入山料200円なり?
おお,巨木
見るからにパワーがみなぎっいるというか,
治療跡が痛々しけど,こんもりとたたずんでいた, ・・・・・・,なんだろうな,この感じは,怖いと思わないのは,なぜ?
まわりに,人がいるからかな,ひとりになれば,怖いかも?
雨上がりで,周りの空気が湿っているけど,なんかさわやかだ,うーん。
私がいままで,感じてきた巨木の種類 神社仏閣にある杉は,一本が天まで届く感じか,幹のところから枝が何本(八本?)も伸びているやつの二種類に分類できますね。
一本のヤツはすがすがしき感じられるけど,何本もあるやつは,ちょっと不気味に感じるのは私だけかな。
勝手に持論なんだけど,木の下に何かかがあり,その影響で地上の木が変形するんじゃないでしょうか。
ここも,なにかを鎮守しているということでしょうか?。 杉の大杉(看板より) 国の特別天然記念物
この杉は,樹齢三千年以上とも言われ,二株が根元で合着している。
◎南の杉
根まわり二十メートル・根と幹の境界部十七メートル・樹高六十メートルである。
◎北の杉
根まわり十六.五メートル・根と幹の境界部十三.五メートル・樹高五十六メートルである。
◎指定
大正十三年十一月十二日であるが,新法により昭和二十七年三月二十九日に国の特別天然記念物に指定される。
昭和二十九年九月二十六日の台風九号,昭和四十五年八月二十一日の台風十号と二回に亘り,大枝折損の被害を受ける。
◎伝承
延喜十二年(九百十二)杉本太郎なる者が,この巨木のもとに「貴船大明神と共に祇園牛頭大王」の尊像を鎮祀したと言う伝説もある。
今を去る千年以前,既に大木であったことが語られている。
◎昭和三十八年三月発刊された高知県文化財保護委員会の「特別史跡名勝天然記念物図録」第九十六に杉の大杉のことが次の通り採録されている。
「長岡郡大豊町 杉 というところにある八坂神社の境内にニ株の大スギが立っているが,南側にあるものを南大スギ,北側にあるものを北大スギといい,両株はたがいに根本でつながっている。
南大杉は北大杉よりも大きく,幹はふつうの杉のように円柱状をなさず,南側の半面が三ヶ所で板状の大きな突角をなしている。
南大杉・北大杉とも主幹は高く位置して壮観を呈している。」と銘記されている。 大豊町教育委員会
・・・・・・,八坂神社?
来るまでしらなかったけど,この大杉は神社の境内にあった, それも八坂神社?なんで? 鎮座している二本の大杉は,推定樹齢3000年。
伝説から,「杉の大杉」は,須佐之男命(すさのおみこと)が植えた? なんと須佐之男命(すさのおのみこと)のお手植えだそうです。 須佐之男命=牛頭天皇(ごずてんのう)だから,ここが八坂神社?
だったら,なんでここに須佐之男命がきたの?,なんで杉なの?,なんで二本なの?,なんでこの場所なの?。わからず。 ま,推定樹齢3000年だからよしとする,・・・・・・。
京都の八坂神社(hpより) すさのをのみこと(素戔嗚尊),くしいなだひめのみこと(櫛稲田姫命),やはしらのみこがみ(八柱 御子神)を祀ります。
日本神話でも知られるように,すさのをのみことは,やまたのおろち(八岐大蛇=あらゆる災厄)を退治し,くしいなだひめのみことを救って,地上に幸いをもたらした偉大な神さまです。
八坂神社の歴史は,社伝によれば平安建都の約150年前の斉明天皇2年(656)と伝えられています。
都の発展とともに,日本各地から広く崇敬を集め,現在も約3千の分社が日本各地にあります。 嶺北広域行政事務組合hpより
伝説では,この大杉は素戔鳴(すさのおの)命(みこと)が植えたとされている。
『日本書紀』には素戔鳴命がひげを抜いて杉を,まゆ毛を抜いて楠を作り, この二つの木で舟を作れと言ったと書かれている。
八坂神社の祭神が素戔鳴命であるこ とからこの説が生まれ,“神代(じんだい)杉(すぎ)”ともいわれるようになった。
また,地方旧家の記録によれば「延喜(えんぎ)12年(912)杉本某なるものが,杉村大杉のもとに祇園午頭天王及貴船大明神の尊像を鎮祀云々」とある。
このことから1000年以上前に“大杉”の名称があったといえる。
大正14年(1925)の春に大杉を訪れた高知県出身の美文家大町桂月(おおまちけいげつ)は
「偉大ナルカナ土佐ノ杉村ノ大杉樹令ハ二千年ニ余レリ・・」 という碑文を残している
日本書紀第五
一書
第五にいう。素戔嗚尊が言われるのに,「韓郷には金銀がある。わが子の治める国に,舟がなかったらよくないだろう」と。
そこで髭を抜いて放つと杉の木になった。胸の毛を抜いて放つと桧になった。尻の 毛は槙の木になった。眉の毛は,樟(くすのき)になった。
そして,その用途をきめられて,いわれるのに,「杉と樟,この二つの木は舟をつくるのによい。桧は宮をつくる木によい。槙は現世の寝棺を造るのによい。
そのために沢山の木の種子を皆播こう」と。 この素戔嗚尊の子を名づけて五十猛命という。妹の大屋津姫命。次に枛津姫命。
この三柱の神がよく種子を播いた。紀伊国にお祀りしてある。
その後に素戔嗚尊が熊 成峰においでになって,ついに根の国におはいりになった。
『日本書紀 上』宇治谷 猛 講談社学術文庫
道の駅というよりも,普通のお店。
駐車場はそこそこ広いからとめてみたけど,建物が見当たらない,どこ?。
・・・・・・・,いつもみなれた道の駅が無い。 よくよくみたら,普通の民家みたいな,商店が駐車場のわきにあった。
こ,これが道の駅?,うそだよねとおもって,よくよくみたら,それらしい文字があった。
中に入ったら,半分食堂,半分売店,いつもの駅の道にある地元産品エリアがない,・・・・・。
碁石茶でしょ
ここの有名なのが,お茶なので,ドリンクと羊羹をゲットした,
ついでに,アイスクリンも食べた,なにげによさこいのイラスト付き,
・・・・・・,モンベルカードを持っていたら,オリジナルストラップがもらえたけど, カードなんかないよ,はは。
行列は嫌い
昼飯時に到着して,食事予定のところをみたら,・・・・・・。
20mぐらいの行列が,・・・・・・,とほほ。 駐車場があることを確認できたから,巨木の後によることにしたら,
2mの行列になっていた,店の中をのぞくと,相席?, 変なテーブルに変なソファーだった,・・・・・・・。
これじゃ,お客さん,入るキャパシティーは少なくしていない? ま,二度とここにはきそうもないから,今回は並んだけど,・・・・・。
さっさと食べろよとイライラした。
あえて,牛丼
有名なのか,「ひばり食堂」。
ここは,巨大なカツ丼が有名だと,教えてもらっていたけど, カツ=豚でしょ,店先には牛さんの絵が描かれている,
やっぱ,牛丼じゃない?,えっ,おしながきに,おすすめはいのしし丼? ラーメン?,この混雑にラーメンはないよね,はは。
・・・・・・・・・,哀惜のお兄さんはでかすぎなかつ丼,となりのわかものは,並みのカツ丼。 こりゃ,やっぱり,食えないよ,はは。
ミニカツ丼もあったけど,ここはあえて牛丼でした,はは。 相方もかつ丼じゃなくて,焼き肉丼でした,はは。
猫舌の渡しは,アツアツすぎて食べにくかったけど,胸焼けしなかったから,マズマズでした。 焼き肉丼はキムチ味でした,ふー。
それはそうと,美空ひばりはどこ?
なんかどこからか,川の流れが聞こえてきませんか,どこなんだよ,どこ?
場所がわからない,案内所で聞いたら,左手の奥? ここか,・・・・・・,変な岩石があるけど,なに?
へー,水車があるけど,なに? とか言っちゃって,ここにありましたけど,子供の時の写真?
へー,ボタンがあるよ,ボタン,川の流れというよりも, 悲しき口笛でしょ,はは,はー,高知だから龍馬残影って,知らない。
美空ひばりとの縁(大豊町HPより,ちょっと加筆) 別名「出世杉」
大杉の苑
美空ひばり遺影碑・歌碑がたたずむ大杉の苑
敗戦直後の混乱期に9歳でデビューした美空ひばりさんは,昭和22年(1947年の9月上旬)まだ美空和枝という芸名で地方巡業をしている途中,大豊町でバス事故に遭遇し九死に一生を得ました。
そして,一ヶ月半の療養後,町内にある国の特別天然記念物「杉の大杉」に「日本一の歌手になれるように・・・」と願をかけました。
帰京後,芸名を美空ひばりと改名し,文字通り日本一のスターへの道を歩んだひばりさんは,14歳の時(昭和27年(1952年))に,当時お世話になった方々への挨拶をかねて大豊町を訪れ,日本一の誓いも新たに「杉の大杉」に参拝したのです。
その後,昭和歌謡史に大きな足跡を残したひばりさんは,平成元年,日本中のファンに惜しまれながらこの世を去りました。
大豊町では,美空ひばりさんゆかりの地として,その業績を称え,いつまでも人々の胸に残るようにと,ファンやプロダクション,レコード会社など,数多くの関係者の全面的なご理解とご協力を得て,平成5年5月に杉の大杉のすぐ隣に「大杉の苑」を整備し,遺影碑と歌碑を建立しました。
・遺影碑
石 ・緑岩色(吉野川源流) ・高さ/2.2m ・幅/1.8m ・重さ/8t 遺影
・大きさ/60cm×80cm ・撮影年月日/昭和27年1月25日(ひばりさん当時14歳)
・高知市で公演を行い,翌日お礼の参拝に訪れたときのもの 贈る言葉 「幼き日大杉に誓いし夢 大輪の花となり ひばりの唄は 永遠に寝らじ」
・神津善行,中村メイコさん夫婦 オートサウンドシステム ・曲名/「悲しき口笛」「川の流れのように」「龍馬残影」
遺影碑の前にあるルーフコイル(3ヶ所)が感知し(2019/07/06ではボタンになっていた),それぞれの曲がある。
・歌碑 石 ・純コウレン石(吉野川源流)
・高さ/2.7m ・幅/3.7m ・重さ/上部分3t 下部分10t 歌碑 ・「川のながれのように」 作詞者:秋本康先生直筆
楽譜 ・「川のながれのように」 作曲者:見岳章先生直筆
人生一路 歌:美空ひばり
作詞:石本 美由起 作曲:かとう 哲也
一度決めたら 二度とは変えぬ これが自分の 生きる道 泣くな迷うな
苦しみ抜いて 人は望みを はたすのさ
雪の深さに 埋もれて耐えて 麦は芽を出す 春を待つ 生きる試練に
身をさらすとも 意地をつらぬく 人になれ
胸に根性の 炎を抱いて 決めたこの道 まっしぐら 明日にかけよう 人生一路
花は苦労の 風に咲け |