お気楽、お四国巡り 札所の疑問・情報

えっ、太古の昔にも、ここを荒らしてた、南海の悪魚伝説。

「はは、うまいね、ところ天。
黒みつがいいね、つかれた身体が胃袋から癒されるね、はは。」
「霊験あらたかなお水が使われているから、そんじゅそこらのところ天とちがいますよ、ふふ。」
「パワーウォーターってことですね、はは。」
「そう言えば、ここの縁起に、悪魚ってあったでしょ。」
「ああ、あれ、ヤマトタケルの子供さん、讃留霊皇子(さるれおうじ)が退治したやつでしょ。」
「それそれ、それ。」
「その悪魚ね、土佐から来たらしいよ。」
「はー、その時代から、土佐のやつらが、札所を荒らしてたの?。」
「・・・・・、それって長宗我部元親と混同してません?。」
「根っこの土佐は同じでしょ。」
「はは、はー。」

讃岐の79番天皇寺の近くにある八十場のところ天。
そこに太古の昔より、霊水、パワーウォーターがあります。
伝説を調べていたら、悪魚は土佐から出現して、阿波、そして讃岐と荒らし回ったそうです。
土佐と言えはクジラですが、クジラが瀬戸内海まで入ってきたと言うことでしょうか、
調べていたら、「年貢を積んだ船を襲い」とありましたから海賊ですね。

○八十場伝説

景行天皇の時代に、瀬戸内海で暴れていた悪魚を、讃留霊皇子(さるれおうじ)が八十八の兵士とともに、退治したけれど、その悪魚の毒気にやられて倒れてしまいました。
その時、この泉の水を汲んだ童子(横潮明神)が、勇者達に水を飲ませると、たちまち蘇ったので、八十蘇場の清水と呼ばれるようになりました。

○景行天皇(けいこうてんのう)

第12代天皇(在位:景行天皇元年7月11日(71年8月24日) - 同60年11月7日(130年12月24日))。
子供に日本武尊がいます。

○『三大物語』より

明和五年(1768年)もので、私が聞いた読んだ伝説に近いものです。

景行帝の二十三年、南海に大魚有り。恒に土佐の海南に居む。
時に阿波の鳴門、讃岐の椎の門、伊予の水碕の間に出遊し、突兀として涛を起こし、舟を覆へして人を食ふ。
是に於て舟行殆ど絶えぬ。南海の刺史、闕に詣りて奏す。
帝迺ち播磨の武夫に命じて曰く「汝往け。維持懋よや。」
武夫、倭武尊に譲りて曰く「神武雄略臣皇子に如かず。」
帝曰く「兪。」
迺ち倭武尊に命じて曰く「往けや、其れ能く勲有れ。」
越に明年春正月、尊、京師より歩かして吉備の穴の海に至り、大魚の動静を噉ふ。
時に大魚椎門に居て、尊の舟を覘ひ之を呑まんとす。
遽てて之を遁避く。是に於て艨艟を造り、兵刃を設け火攻を具へ、而して之を待つ。
大魚南溟に入りて、其の所在を知らず。廼ち諸しうに命じて、其の去来を察せしむ。
尊、穴の海に次して以て之を待てり。吉備武彦が女穴戸武媛、尊に寵せられて武鼓王を生む。
秋八月、大魚鳴門を出て、暴を為すこと已甚し。是の時風悪く湓流雷の呴凌がごとく、涛山の頽るるがごとく、以て舟すべからず。
二十五年春三月、大魚椎の門に至る。尊、之を聞きて、来て綾川の上に次す。
迺ち壮士八十人を率ゐて艨艟に乗り、又潜かに猛火を舟中に匿して、誘ひて大魚をして之を呑ましむ。
火腹中に炎て、腹胃倶に焚けぬ。
且つ刺すに兵刃を以てすれば、大魚遂に漂ひて、安益の市福江の浦に至る。
八十人の者皆毒に触れて、酔へるが如く死ぬるが如し。
尊、独り自若たり。
童子有り。
瓶水を持ち来て尊に献す。
尊之を飲むに形愈清明なり。
八十人をして之を飲ましむれば、則ち須臾に咸蘇す。
因て名づけて八十蘇の水と曰ふ。天皇に在り。
向の童子は、蓋し地主横潮の神なり。

○パワーストーンはサヌカイト

この泉の源泉というか、山にはサヌカイトがあるので、この石のパワーが溶け込んでいるということでしょうか。
それと、ところ天のお店近くにある、水が流れ出てきているところの周辺の石たちもサヌカイトです。
飲んだときに、音が聞こえてきたらすごいよね、考えすぎですね。