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「真っ青な空、きもちいー。」 「お大師さんも、この空見てるかな?。」
「あそこに居たら見えないでしょ、はは。」 「・・・・・、おもしろくないなー、もー。」
「はは、いくらお大師さんが起きてても、扉が開いてなかったら、見えないよ。」 「はー、あんたは、その状態を見たの?。」
「み、見てません。 本で読んだだけです。 たしかね、そのお話は、iPadに入れておいたから、えーと、どこにあるかな。
あった、あった、これこれ、これ読んでください。」 「はー、読ませるより、あんたが説明したら早いけど、お話できないということは、
読み込んでませんね。」 「うう、そういうことでした。 だけど、お大師さんがお大師さんになったときなのは、最近読んだから解説できますよ。」
「はー、それどういうこと?。」
「空海さんが弘法大師って名前に変わったときの話です。」 「はー、お大師さんは、お大師さんでしょ。」
「うーん、○○大師って、何人も居るんだよね。」 「えー、お大師さんだけじゃないの?。」
「そういうこと、だけど、お大師さんといえば、弘法大師なんだよね。」 「そりゃ、お遍路さんたちの内輪の話でしょ。」
「・・・・・、お遍路するまえから、弘法大師って知ってたでしょ。」 「そういえば、そうだね、弘法も筆のあやまりとかことわざがあったね。」
「でしょ、だから、大師はいっぱいいるけど、お大師さんは、お大師さんなの。」 「へー、合言葉になってるんだね。」
「あ、あいことば?、うーん、あたってますね、はは。」
弘法大師空海。 空海さんがお大師さんになっときが、空海入定伝説がの始まりだそうです。
なんでも、もっと早く大師号がもらえなかったのかな、遠慮してたの? 調べていたら、いろいろ政治がらみで遅れたということでしょうか。
○弘法大師号までの経過
文徳天皇が、天安元年(八五七年)、大僧正の位を贈 清和天皇が、貞観六年(八六四年)、法印大和尚の位を贈
醍醐天皇へ宇多法皇が、延喜十八年(九十八年)八月、「諡号を賜らんことを請う表」 醍醐天皇へ観賢が、延喜十八年(九十八年)十月十六日、上奏
醍醐天皇へ観賢が、延喜二十一年(九二一年)十月二日、「本覚大師」の諡号を賜りたいと奏上
醍醐天皇へ観賢が、延喜二十一年(九二一年)十月十一日、「諡号、真言根本阿闍梨・贈大僧正・法印・大和尚位空海に追賜を被ることを請う事」奏上
醍醐天皇が、延喜二十一年(九二一年)十月二十七日、「弘法大師号」宣下
○弘法大師
弘法利生(ぐほうりしょう)、正法を弘めて人々を救済したと優れた功績から、「弘法大師」の諡号を賜った。
○お大師さん空海入定説
・伝説一
空海が、醍醐天皇の夢枕に現れ、
「高野山結ぶ庵に袖朽ちて こけの下にぞ 有明の月」と詠まれたそうです。
(衣は朽ち果てているが、有明の月の如く世を照らし続けている)
天皇は、破れ衣を召したお大師さまのお姿が忘れられず、御衣を贈られることになりました。
十一月二十七日「弘法大師」諡号の勅使少納言平惟助卿、御衣送賜勅使大納言藤原扶閑卿、廟使観賢僧正を高野山に派遣されました。
御廟の前で平惟助卿が勅文を奉読していると、廟中から、「われ昔 薩埵にあい まのあたり悉く 印明を伝う 肉身 三昧を証し慈氏の下生を待つ」とのお声がしたといわれています。
観賢僧正は、恩賜の衣・袈裟・念珠などを捧げて御廟の中に入ったが、尊容を拝するに、罪障の深きが故か、拝することを得なかったので、五体を地に投じ至心懺悔するや、雲霧晴れて満月出づるが如く、御入定の法体をあり拝するを得たといわれています。
観賢僧正が御廟から、玉川の御廟橋まで歩みを運ぶと、空海さまがお見送りされている姿に気づき、「南無大師遍照金剛」と御宝号をお唱えすると、空海さまは、「われ汝の仏性を送るなり」と言われ、お互いに合掌されお別れになったといわれています。
・伝説二
空海入定から、八十六年後の延喜二十一年(九二一)十月二十二日。
高野山金剛峯寺座主「観賢」の尽力で、醍醐天皇より弘法大師の号と檜皮色の衣がおくられた。
観賢が「弘法大師の号」の報告と「御衣」を捧げ、弟子の淳祐(菅原道真の孫)を連れて、奥の院御廟の開かずの扉をあけ石室に入った。
しかし、石室の中は霧がたちこめ、一寸先も見えなかったが、観賢が一心に祈ると霧がはれて、空海がうかびあがってきました。
その時、空海の毛髪と髭が伸びていたので、剃刀で髪を剃り、御衣を着せました。
だけど、修業不足の淳祐には、一面の闇のほかには何も見えなかったので、観賢が淳祐の手を取って空海の膝に触れさせたところ、
淳祐の手に、空海の移り香が染みこみ、生涯その香りが消えませんでした。 これ以来、淳祐は「匂いの僧正」と呼ばれるようになりました。
毎年三月二十一日には、御衣料の御下賜をうけて「御衣替」の儀式を現代に伝えています。
○今昔物語 第十一
引法大師、始めて建高野山語 第廾五
今は昔、引法大師、真言教諸の所に弘め置給て、年漸く老に臨給ふ程に、数の弟子に、皆、所※の寺※を譲り給て後、「我が唐にして擲げし所の三鈷落たらむ所を尋む」と思て、弘仁七年と云ふ年の六月に、王城を出て尋ぬるに、大和國、宇智の郡に至て一人の猟の人に會ぬ。
期形、面赤やし長八尺計也、青き色の小袖を着せり、骨高く筋太し。弓箭を以て身に帯せり、大小二の黒き犬を見せり。
即ち、此人、大師を見て、過ぎ通るに、云く、「何ぞの聖人の行き給ふぞ」と。大師の宣はく、「我れ、唐にして三鈷を擲て、「禪定の霊穴に落よ」と誓ひき。
我れ、期所を求め行く也」と。獵者の云く、「我れは是、南の山の犬飼也。我れ、其所を知れり、速に可教奉し」と云て、犬を放て令走る間、犬失ぬ。
大師、其より紀伊の国の堺大河の邊に宿しぬ。此に一人の山人に會ぬ。大師、此事を問給ふに、「此より南に平原の澤有り。是、其所也」。
明る朝に、山人、大師に相具して行く間、蜜に語て云く、「我れ、此山の王也、速に此の領地を可奉し」と。
山の中に百町計入ぬ。山の中は直しく鉢を臥たる如くにて、めぐりに峯八立て登れり、桧の云む方无く大なる、竹の様にて生並たり。
其中に一の桧の中に大なる竹の胯有り、此の三鈷被打立たり。是を見るに、喜び悲ぶ事无限し。「是、禪定の霊崛也」と知ぬ。「此の山人は誰入ぞ」と問給へば、「丹生の明神となむ申す。」。
今の天野の宮、是也。「犬飼をば高野の明神となむ申す」と云て、失ぬ。
大師、返給て、諸の職皆辞して、御弟子に所※を付く。東寺をば實恵僧都に付く、神護寺をば真済僧正に付く、真言院をば真雅僧正に付、高雄を棄て南の山に移り入給ぬ。
堂塔・房舎を其員造る。其中に、高さ十六丈の大塔を造て、丈六の五佛を安置して、御願として名づけつ、金剛峯寺とす。
亦、入定の所を造て、承和二年と云ふ年の三月廾一日の寅時に、結珈跣座して、大日の定印を結て、内にして、入定、年六十二。御弟子等、遺言に依て弥勒宝号を唱ふ。
其後、久く有て、此の入定のほらを開て、御髪剃り、御衣を着せ替奉けるを、其事絶て久く无かりけるを、般若寺の観賢僧正と云ふ人、
権の長者にて有ける時、大師には會孫弟子ににぞ當ける、彼の山に彼の山に詣て入定の※を開きたりければ、
霧立て暗き夜の如くにて、露不見りければ、暫く有て霧の閑まるを見れば、早く、御衣の朽たるが、風の入て吹けば、塵に成て被吹立て見ゆる也けり。
塵閑まりければ、大師な見え給ける。御櫛は一尺計生て在ましければ、僧正自ら、水を浴び浄き衣を着て入てぞ、新き剃刀をを以て御髪を剃奉ける。
水精の御念珠の緒の朽にければ、御前に落散たるを拾ひ集めて、緒を直く錘て御手に懸奉てけり。
御衣、清浄に調へ儲て着奉て出ぬ。僧正、自ら、室を出づとて、今始て別れ奉らむ様に不覚泣き悲れて、其後は恐れ奉て室を開く人无し。
但し、人の詣つる時は、上げる堂の戸自然ら少し開き、山に鳴る音有り、或る時には金打つ音有り、様※に奇き事有る也。
鳥の音そら希なる山の中也ど云へども、露、恐ろしき思ひ无し。
坂の下に、丹生・高野の二の明神は、鳥居を並て在す、誓の如ぐ此の山を守る。奇異なる所也とて、于今、人参る事不絶え、女永く不登ら。
高野の弘法大師と申す、是也となむ語り傳へたるとや。
○大師号 うーん、乱発しすぎてません?
| 大師号 |
僧名 |
備考 |
天皇 |
年 |
宗派 |
| 弘法大師 |
空海 |
774- 835 |
真言宗開祖 |
醍醐 |
延喜21(921) |
真言宗 |
| 道興大師 |
実慧 |
786- 847 |
空海の高弟 |
後桃園 |
安永3(1774) |
| 法光大師 |
真雅 |
801- 879 |
空海の弟 |
仁孝 |
文政11(1828) |
| 本覚大師 |
益信 |
827- 906 |
広沢流の祖 |
花園 |
徳治3年、延慶元年 (1308) |
| 理源大師 |
聖宝 |
832- 909 |
小野流の祖 |
東山 |
宝永4(1707) |
| 興教大師 |
覚鑁 |
1095-1143 |
新義真言宗祖 |
東山 |
元禄3(1690) |
| 月輪大師 |
俊芿 |
1166-1227 |
泉涌寺の開基 |
明治 |
明治16(1883) |
| 伝教大師 |
最澄 |
766- 822 |
開祖 |
清和 |
貞観8(866) |
天台宗 |
| 慈覚大師 |
円仁 |
794- 864 |
|
清和 |
貞観8(866) |
| 智証大師 |
円珍 |
814- 891 |
寺門派開祖 |
醍醐 |
延長5(927) |
| 慈慧大師 |
良源 |
912- 985 |
元三大師 |
|
|
| 慈摂大師 |
真盛 |
1443-1495 |
|
明治 |
明治16(1883) |
| 慈眼大師 |
天海 |
1536-1643 |
|
後光明 |
慶安元(1648) |
| 無相大師 |
関山慧玄 |
1277-1360 |
妙心寺の開基 |
明治 |
明治42(1909) |
臨済宗 |
| 微妙大師 |
授翁宗弼 |
1296-1380 |
妙心寺2世 |
|
|
| 円明大師 |
無文元選 |
1323-1390 |
後醍醐天皇皇子 |
|
|
| 聖応大師 |
良忍 |
1072-1132 |
祖 |
後桃園 |
安永2年(1773) |
融通念仏宗 |
| 承陽大師 |
道元 |
1200-1253 |
高祖 |
明治 |
明治12(1879) |
曹洞宗 |
| 常済大師 |
瑩山 |
1268-1325 |
太祖 |
明治 |
明治42(1909) |
| 見眞大師 |
親鸞 |
1173-1262 |
開祖 |
明治 |
明治9(1876) |
浄土真宗 |
| 慧燈大師 |
蓮如 |
1415-1499 |
中興の祖 |
明治 |
明治15(1882) |
| 証誠大師 |
一遍 |
1239-1289 |
開祖 |
昭和 |
昭和15(1940) |
時宗 |
|
円光大師 |
法然 |
1133-1212 |
|
東山 |
元禄10(1697) |
浄土宗 |
| 東漸大師 |
500回忌 |
中御門 |
宝永8(1711) |
| 慧成大師 |
550回忌 |
桃園 |
宝暦11(1761) |
| 弘覚大師 |
600回忌 |
光格 |
文化8(1811) |
| 慈教大師 |
650回忌 |
孝明 |
万延2(1861) |
| 明照大師 |
700回忌 |
明治 |
明治44(1911) |
| 和順大師 |
750回忌 |
昭和 |
昭和36(1961) |
| 法爾大師 |
800回忌 |
今上 |
平成23(2011) |
| 立正大師 |
日蓮 |
1222-1282 |
開祖 |
大正 |
1922(大正11) |
日蓮宗 |
| 真空大師 |
隠元 |
1592-1673 |
黄檗宗の祖 |
大正 |
1917(大正6) |
黄檗宗 |
| 華光大師 |
昭和 |
1972(昭和47) |
【賜弘法大師号1100年記念事業のご案内】(四国八十八ヶ所霊場会 HPより 2019/03/07現在)
○趣旨説明
2020年に弘法大師号を醍醐天皇から授与(延喜21年:921年10月27日)いただき1100年の記念の年を迎えることを記念し、
『賜弘法大師号1100年記念事業』と題しまして弘法大師号授与1100年記念事業で行う御詠歌札の授与のご案内を申し上げます。
○事業内容
各霊場の御詠歌を記載したお札を帳面とお軸を納経いただいた方に無料で配布いたします。別途、ご希望の方には100円で授与いたします。
これは四国霊場の88の寺院を巡ると集める事の出来る各寺院の御詠歌が印字されたお札で、掛け軸や額装または屏風仕立てにと自在に飾れるものとなっております。
@ 配布物 : 御詠歌札 A 配布期間 : 2019年5月1日〜2021年12月31日(2年8か月) B
配布方法 : 掛け軸 帳面を納経いただいた方に無料配布 別途希望者には100円で授与
2020年に大師号授与1100年記念、2023年に弘法大師御生誕1250年記念を迎えます。
四国霊場では上記の事業に加え、記念に年に向けて様々な事業を企画しております。
準備が出来次第、皆さまにお知らせいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。
この記念の年にぜひ四国の地へとお越しください。皆さまが素敵なご縁に出合えますよう、ご祈念申し上げます。
合掌
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