お気楽、お四国巡り 札所の疑問・情報

ろ、録音なの?、80番国分寺の伝説の鐘。

ふー、間に合いました、間に合いました、セーフです。
閉館まで、30分あるからOKだね、はは。
冬場だと、この時間、境内にお遍路さんいませんね。
貸し切り状態ですよ、はは。
ここの鐘ならしたことがなかったから、鐘ならしてみるかな?。
・・・・・・、えっ、なに、これ?。
料金入れ?、ボタン?、えー、録音なの?。
な、なんでやねん?。

讃岐の80番国分寺。
ここの伝説の梵鐘は、録音再生です。
うーん、管理維持の為でしょうか、うーん。
ほんとに突いて、変な鳴き声聞かされてもイヤだな、はは。

○伝説

1.讃岐国分寺跡資料館HPより 

昔、香川郡の安原郷にある百々渕には大蛇が棲み、村人を困らせていました。
弓矢の名人「戸次八郎」は、国分寺の千手観音に祈り、その矢を持って大蛇の退治に出発しました。
八郎は、鐘をかぶって現れた大蛇に矢を射掛け、見事討ち取ったのです。
その鐘は国分寺に奉納されたということです。

慶長14年(1609)、国分寺の鐘がよく鳴るというので、高松の殿様の生駒一正は持ち帰るように命じました。
時を告げる鐘にしようとしたのです。
命令を受けた人たちは、鐘を運ぼうとしましたが、実際以上に重く運搬作業は難航しました。
それでも多くの人々を動員して運び、御城下の時を告げる鐘にしたのです。
しかし、高松の街に様々な怪異が起こるようになりました。
あろうことか、殿様まで病にかかってしまったのです。
鐘の音は、国分へいぬ(いぬ・・・讃岐の方言で「かえる」の意味)国分へいぬ、と聴こえたそうです。
鐘の祟りと悟った人々は、鐘を国分寺に返すことを決めました。
国分寺に返すときは、鐘は大変軽く運搬作業はスムーズに行われたといいます。

*香川郡の安原郷(現在の高松市塩江町)

2.Webより

 井原郷安原山に大蛇が住んでいて、付近の山人や農民がそれに恐れ、交通も絶え生業も妨げられた。
 そのころ別子八郎という剛勇の青年がこの地にいた。
力強く弓の名手だったので、この大蛇退治の命が八郎に下った。
八郎は安原山の別子に仮屋を建て大蛇の現れるのを待った。
ある時、大風のような音をたて大蛇が現れたので、八郎は剛弓を引いてこれを射たが、
カンと音がして矢は立たず、幾度射っても同じことで矢も尽きたので、しかたなく我が家に帰った。
翌日再び大蛇を見つけ、矢継ぎ早に射たが前日と同じであった、その時大蛇はもはや八郎の矢も尽きたものと思い、
頭にかぶっていた鐘を脱ぎ大きい口を開いて、今にも八郎をひとのみにしょうとした。
八郎はただ一筋残していた最後の矢で、大蛇ののどを射ったので、たちまち血を流しながら逃げ去った。
この大蛇は安原下鮎滝の童洞の渕に住んでいた龍であった、八郎は大蛇を退治することができたのは、
日ごろ信仰の観音様のお陰であると その脱ぎ捨てた鐘を讃岐国分寺に寄進した。
それが今も国分寺に伝わる讃岐第一の名鐘である 

 慶長十四年(1609)に、讃岐の藩主生駒一正はこの鐘のよい音を聞き、高松城に備えて時の鐘にしょうと寺へは
代わりに堂の修理に使うよう田地一町を寄付して高松へ持ち帰らせた。
ところが高松でつくとよい音で鳴らず、その音が「こくぶへいのう」と聞こえたという。
そのうえ城内にいろいろな怪異があり、一正が病気にかかりなどしたので、
だれいうとなく鐘のたたりであるといいだした。
藩では寺へ一正の病気が全快するよう、本尊に祈念するように申し付け、鐘は寺へ返した。
高松へ持ち帰る時には何十人もの人が何日もかかったが、返す時には八人ばかりで一日で国分寺へ帰りついたという。
その後だれが作ったか、「鐘がものいうた 国分の鐘が もとの国分へいのうというた」の俗謡が流行したという

3.Webより

あるとき、猟をしていた別子八郎の前に大蛇が現れ、八郎は急いで弓を射ましたが、大蛇は疾走して逃れました。
これを追った八郎は国分寺の関の池に至りましたが、疲労困憊して強く射ることができなくなっていました。
大蛇が大きく口を開けて八郎を呑み込もうとした時、八郎は雁股(かりまた)の矢で大蛇の咽を射たところ、ただの一矢で大蛇は倒れてしまいました。
この大蛇は常は大鐘をかぶってあらかじめ矢の害を防いでいました。
それで強く射ても倒すことができなかったのです。それが八郎を呑もうとする時、その鐘を脱いでしまい、それで一矢で倒れてしまったということです。その鐘は今国分寺にあるといわれています。

○伝説への疑問?

1.なんで大蛇が鐘を被っていたの?。
2.なんで曰く付きの鐘なのに、お祓いして運ばなかったの?。
なんで見返りに土地もらってるのに、悪さしたの?。
3.鐘が来る前から悪いことが起こっていたから、それを祓うために鐘を使ったんじゃないの?。
その効き目がなかったから、返したの?。

○歌があった

鐘がものいうた国分の鐘が、もとの国分へいぬというた

○参考書籍に使えそう?。

「梵鐘遍歴-霊場の古鐘をたずねて」

著 眞鍋 孝志
判 型 B5判
ページ 220頁
ISBN ISBN4-8283-0823-7
発行日 2002/04/08


塩江町

偶然?なのでしょうか、五色台と塩江町のつながり

・80番国分寺の大蛇の鐘

怪物 鐘をかぶった大蛇
暴れた場所 安原郷(高松市塩江町)にある百々渕
弓の名人 戸次八郎(高松市塩江町出身)
仏様 80番国分寺の本尊千手観音
怪物が絶命したところ 国分寺の関の池

・82番根香寺の牛鬼

怪物 牛鬼
暴れた場所 五色台
弓の名人 山田蔵人高清(高松市塩江町出身)
仏様 82番根香寺の本尊千手観音
怪物が絶命したところ 五色台の定が淵
参照 みんなそろってるよ。ショッカー戦闘員と仮面ライダー遅いな。 へリンク


香川大学資料より

②国分寺

鎌倉時代後期に建立された本堂は、国の重要文化財に指定されています)。
本堂前に並んでいる大きな石は、国分台周辺から産する板状節理の発達した讃岐岩質安山岩で、創建当時の金堂の礎石と伝えられています。
また、現在の国分寺の本堂は、讃岐国分寺の講堂の位置にあたり、本堂を支える30個の礎石も讃岐岩質安山岩で、講堂の礎石を転用しています)。
境内の南東の位置には15 個の礎石があり、五重塔の礎石と伝えられています。心礎を含む2石が花崗岩である以外は、板状節理の発達した讃岐岩質安山岩が使われています。花崗岩でできた心礎の上には、流紋岩質火山礫凝灰岩製の七重の塔が建立されています)。

③国分台南麓

国分寺の北には台地状の五色台が広がり、その南部に国分台(標高407m)があります。国分台山頂を取り囲む崖は、讃岐岩質安山岩溶岩から構成されて
います。本岩は風化すると赤褐色の粘土状となります。国分台では讃岐岩質安山岩の赤色風化殻が讃岐岩(サヌカイト)によって被覆され保存されています)。
サヌカイトは瀬戸内火山岩類に属する古銅輝石安山岩で、ガラス質で緻密、硬質で、かつ流理に沿ってエッヂ状に割れやすい性質があります。打撃によってナイフ型石器などを容易に作ることができます。国分台遺跡からはサヌカイト製の石器が多数見つかっています)。
国分台南麓には、山頂から崩れてきたサヌカイトの岩片が散らばっています。地表付近に分布するサヌカイトの岩片は、表面が白く風化膜で覆われていたり、風化によって流理に平行な細い凸凹が発達し、ノコギリのようにギザギザしています。