「龍燈桜?、なんじゃこりゃ。」 「えっ、知らないの?、勉強不足というより、常識でしょ。」 「知らないものは、知りません、はは。」 「開き直り?。」
「・・・・・・・、ふー。」 「うーん、字からしたら、龍がここに来て、火をふいた?。」 「・・・・・・・、ど、ドラゴンじゃないよー。」
「だったら、なに?。」 「昔々、竜宮城から竜女が、ここまで川をさかのぼり。」 「えっ、乙姫様じゃないの、亀に乗ってないの?。」
「・・・・・、そして、一刀三礼しながら観音様を彫られたのが、ここのご本尊です。」 「おっ、お大師さんが彫ったんじゃないの?。」
「だから、竜女が、彫ったの?。」 「乙姫様じゃないの?。」 「・・・・・・、ちがう、竜、女の竜なの?。」
「ふーん、ふーん、ふーん、川を登った。」 「うっ、ひょっとして、川を登らないよね。」 「はは、なんでわかったの?。」
「えー、一人でお願いします。」
伊予の58番仙遊寺。 なにげに、境内で石碑発見。 なんと、「竜燈桜碑」。
この札所の縁起に登場する、竜女伝説でした。 札所というよりも、お大師さんがらみで、登場する竜。 ここの竜も女性でした。
ちなみに、お大師さんのお加持水がありますが、 これが流れ流れて、龍登川になったんじゃないよね。
○縁起「霊場会hpより」 天智天皇(在位668~71)の勅願により、伊予の国主・越智守興公が堂宇を建立、本尊の千手観音菩薩像は天皇の念持仏として、
海から上がってきた竜女が一刀三礼しながら彫って安置したとされる。 このことから「作礼山」が山号となり、竜宮から届けられたという伝説もある。
さらに仙遊寺には、阿坊仙人という僧が40年にわたって籠り、七堂伽藍を整えるなどをしたが、養老2年(718)に忽然と姿を消してしまったという伝説が残っている。
寺名はその阿坊仙人に由来している。
弘法大師が四国霊場開創の折にこの寺で修法をされたとき、病に苦しむ人々を救済しようと井戸を掘り、また荒廃していた七堂伽藍を修復して再興、寺運は興隆した。
この井戸は旧参道の脇に残り、「お加持の井戸」として多くの諸病を救ったと伝えられ、信仰されている。
江戸時代には荒廃して本堂と12社権現だけとなっていたが、明治時代の初期、高僧・宥蓮上人が山主となり、多くの信者とともに再興に尽力した。
宥蓮上人は明治4年、日本最後の即身成仏として入定している。境内には、上人を供養した五輪塔がある。 ○龍燈桜「霊場会hpより」 仙遊寺の本尊は千手観世音菩薩です。様式などから推定すると平安時代末ぐらいの作とされています。
この制作には興味深い伝承が残っています。昔、竜女が海から竜登川を伝って作礼山に登り、立派な観音様を作りました。
竜女が一刀刻むごとに三度礼拝し、何日もかけたということです。出来上がると竜女は再び竜登川を伝って海に帰りました。
その後、毎年旧暦の7月9日になると、決まったように竜燈が竜登川を伝って作礼山を登り、仙遊寺にある桜の木にかかったといわれています。
この伝承は海洋信仰と観音信仰の結びつきをよく現わしています。
観音信仰でよく聞かれるのは海中から引き上げられる観音像の話で、ついで嵐で難破しそうになった船を救う観音様の話ですが、
仙遊寺の場合も海から竜女が川を溯って本尊を刻むという海との関係の深さを表すものとなっています。
とくに竜燈は、船にとっては現代の灯台と同じもので、とても大切なものです。
古代の修験道では、修験者が海の見える山頂から海を礼拝したので、仙遊寺に竜女伝説が残っているのも納得できる話ですね。 (webより) 龍女(仙女)が、海から龍燈川を登り「作礼山」で、一刀刻むごとに三度礼拝し、何日も何日もかけて観音様を作りました。
観音様が出来上がると、龍女は再び龍登川を下り海へと帰ってゆきました。
・龍登川の近くにある鳥生の「衣干」は、龍女が川を登るとき、川尻の「衣干峠」でしばらくの間休み、衣を干したところです。
また、「拝志」は、龍女が海へ帰る途中に、作礼山の方をふり返って、観音様を何度もうやうやしく拝したからだそうです。
そして、旧の「7月9日」には、「龍燈」が龍登川を登り、仙遊寺にある桜の木に燈ったそうです。
桜の木は龍燈桜と呼ばれていましたが、明治時代ころまで見ることが出来たということです。
その跡へ昭和二十九年(1954)に、高野山の金山大層正が、ボタン桜を植えられましたが、この木も枯れてしまったそうです。 ○竜燈桜碑(句碑) 伝説の竜女は海に帰ったが、旧暦7月9日になると毎年川を上って竜燈を境内の桜の木にかけたと伝わる。その桜の跡に立っている石碑。
「人相のかねおしまるる、さくらかな」の句碑(石碑が劣化しすぎて、よめません。) ○「四国遍路日記」澄禅より 夫れ(八幡宮)より山を下りて猶南へ行く、野中の細道を通りて佐礼山にかゝる。
此の山は見れば小山なれども屏風を立てたる様なる山にて小石まぢりの赤山也。 足の踏む所も無くして中々上り兼ねたり。二町辛苦して山上に至る。
佐礼山、本堂東向き、本尊千手観音也。大師此の観音の像を海中より求めさせ給ひ、山を開き安置し給ふと也。
廿八部衆二王は湛慶作なり。寺は仙遊寺とて山下にあり。 ○「四国遍礼霊場記」より 佐礼山千光院仙遊寺
此寺天智(ち)天皇(わう)乃勅願(ちよくくはん)といへり。
*(しか)しより御代々の綸旨(りんし)院宣(いんぜん)御教書(みけうしよ)あまたありときこゆ
本尊長(たけ)六尺千手(しゆ)観(くわん)音なり。
八幡より上る事坂(さか)二十町ばかり。孤峯(こほう)崔*(さいしゆつ)として。異(い)木おほし。
麓(ふもと)は田畑(はた)縡(かんはた)のことく布(しき)。
遠(とを)く滄海(そうかい)を望(のぞ)めは島嶼(とうしよ)波(なみ)に泛(うか)へり。
左(ひたり)は今治(いまはり)乃金城(じやう)峙(そはた)つ。
逸景(いつけい)いつれの処(ところ)より飛来(とびきたる)惟(たヽ)画図(ぐわと)に対(たい)することしとなり
○結局どうして造ったの?。 竜女さんが、 1.山まで来た理由 2.観音様を造った理由
3.どうして観音様にした理由 3.毎年灯した理由 以上がわかりません。 日本昔話風に解説したら、わかりやすいかもね。 浜辺で倒れていた女の人を若いお坊さんが助けた。
山に住む若いお坊さんのところへ、女の人が来てお寺の手伝いを始めた。 いつしか、子供が生まれた。 坊さんが子供を作ったと村人が騒いだ。
女の人は、山を降りた。 子供がお母さん恋しさに泣き止まない。 女の人が山に帰り、自分の代わりに観音様を造った。
そして、一年に一回、桜の下で、家族と会った。 |