お気楽、お四国巡り 札所の疑問・情報

おっ、石清水八幡宮?、元札所です。57番栄福寺。

「池、池はどこ、どこなのー、ありませーん。」
「・・・・・、目印の犬塚池?。」
「見当たらないということは、いつもの迷子ですね、はい、ここまでです。」
「えー、明日の行程がおかしくなるから池を探します。」
「そんなの知らない、さっきの札所で、今日は打ち止め決定。
迷った、あんたが悪いんだよ。」
「うう、とほほ、ほっ、はあー、えー、えー、なんじゃこれ?
「伊豫一社 五十七番 石清水八幡宮」?。
57番?、栄福寺じゃないの?。」
「あー、それね、江戸時代の話でしょ、お遍路さんの常識です。」
「・・・・・、だったら、お参りしないとね、よっしゃー。」
「一人で、ご勝手に、旅館で待ってます、それじゃ。」
「えー、えー、えー、同行二人だよー。」

57番栄福寺から58番仙遊寺へ行こうと思ったけど、
まよって、お隣の石清水八幡宮へ着いてしまいました。
うーん、ここも神仏習合の名残りでした。

○由来(webより)

社伝によれば貞観元年(859)河野深躬が勝岡に創建し、勝岡八幡宮と称した。
永承年間(1046〜52)伊予守・源頼義は河野親経と協力して八幡山に遷し、
山城国の石清水八幡宮に倣って社殿を造営し、石清水八幡宮と称したとされる。

行教上人が宇佐八幡より八幡大神を奉じて山城国の男山(石清水八幡宮)に向かう途中、
嵐にあって当地の沖を漂流中、望見した八幡山の山容が男山に似ていることから、八幡宮を勧請したともいう。
東山麓の参道脇にある社号標に「伊豫一社 五十七番 石清水八幡宮」とあるように、
江戸時代までは四国八十八ヶ所の57番札所であった。
また、伊予国の一国一社八幡宮だったようだ。
明治の神仏分離以降、札所は旧別当の栄福寺に移された。

○祭神

石清水八幡神社

品陀和気命(ほむだわけのみこと)
足仲彦命(たらしなかつひこのみこと)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)

○四国遍礼霊場記

石清水八幡宮

 当社鎮座(ちんざ)乃年祀(し)。緬*(はるか)にて彷彿(ほつ)たり。人の口碑(かうひ)に伝る所。
当国今治(はり)乃辰巳(たつみ)方乃海渚(かいしよ)に衣干(きぬほし)といふあり。
是は此神海(かい)中よりあがらせ玉ひ御衣(ぎよい)乃湿(うろ)へるをほさせ玉ふ所なるの故(ゆへ)に。
かくいふとなん。其後(そのヽち)勝岡(おか)へ移(うつ)り玉ひ。又それより乾(いぬい)にあたれる山。
城南男(しやうなんおとこ)山に似(に)るがゆへに。此(こヽ)に移(うつ)し奉りて。
豫章記(よしやうき)に載(のす)なり。
源(みなもと)乃頼義(よりよし)当国の刺史(しヽ)となり。在国乃間。
河野(かはの)親経(ちかつね)と心をあハせ。
国中四十九ケの薬師(やくし)堂。八ケ乃八幡宮を立ツと。
当社(たうしや)其(その)随(すい)一也。当山翠微(すいび)に清泉(せいせん)あり。
是(これ)によつて石清水(いわしみづ)と号(かう)し。
北に長河(か)めぐれり。淀(よど)川に相似(あた)り。山麓(ろく)に弥陀堂を構(かま)ふ。
彼(かの)地の極楽寺に異(こと)ならず。牛王(ごわう)堂。大塔(たう)のあと及ひ三所に華表(くわひやう)のあと等歴然(れきせん)たり。
凡(およそ)城南男(おとこ)山乃風景(ふうけい)をのつからあり。有力(ゆうりよく)の人夜半(やはん)にこヽに負(をい)来(きた)るかとおもほゆとなり。
祭礼(さいれ)三ケ(か)の神輿(しんよ)をわたし奉る。四十余町の東濱(とうひん)衣干(きぬほし)に至(いた)る

 当社其時(そのとき)乃御供領(くうりやう)そこはくあり。能寂(のうじやく)寺の録(ろく)中に載(の)れりときこゆ。
いにしへより能寂(のうしやく)の僧侶(りよ)当社に奉事(ふじ)し。毎歳(まいさい)の法華会(ほつけゑ)。
金剛般若会(こんがうはんにやゑ)等(とう)其外(ほか)諸(しよ)神事(しんじ)執行(しゆきやう)し。
国家(か)泰平(たいへい)。万民(みん)豊饒(ふねう)乃勝術(じゆつ)に擬(ぎ)す。むかしは其供費(くひ)の料田あり。
いまに契券(けいけん)残(のこ)るとなり。
 麓(ふもと)乃弥陀堂の基趾(きし)に就(つき)て浄寂(じやく)乃比丘(びく)軌幽(きゆう)一堂(たう)を立(たて)。
遍礼(へんろ)人乃寄宿(きしゆく)の所とせり
 当社昔日(むかし)露寝(ろしん)廊廡(らうぶ)珠(たま)をちりはめ。水晶簾(すいしやうすだれ)垂(たれ)て。日月を入(いる)。
中世鬱攸(うつゆう)の災(さい)にかヽり。一時に煙(ゑん)雲にのほりぬとなり
 頼義(よりよし)乃嫡男(ちやくなん)義家(よしいゑ)は八幡大神に祈(いのり)て生(うめ)るか故に
八幡太郎と名(なづ)く頼義(よりよし)安倍(あべ)乃貞任(さだたう)を征(せい)し。
東夷(とうい)を定(しづ)む。此時相州(さうしう)鎌倉(かまくら)に八幡の社(やしろ)を立。義家(よしいゑ)脩復(しゆふく)し。
頼朝(よりとも)公(こう)明威(めいい)を抗(あぐ)るに至(いたり)て祖宗(そそう)をあがめ。
宮廟【マダレに苗】(きうべう)を改(あらた)め。鶴岡(つるおか)に迂(うつ)し。花構(くはこう)豊敞(ほうしやう)となれり。
皆頼義(よりよし)の遺烈(いれつ)なり
 当社奉事(ぶじ)乃僧(そう)院長福寺ときこゆ。今は浄寂寺といふとなり