お気楽、お四国巡り 札所の疑問・情報

なんだ、お大師さん伝説じゃないの?、太山寺の一夜建立の御堂。

「ハチ、ハチ、要注意です。
おっ、本堂の扉が開いてますよ。
いつも閉まってるから、ラッキー。」
「中は広いね、ふー。」
「ご本尊は隠れているから秘仏?。」
「ふー、7体あるらしいけど、見てみたいな?。
それじゃ、大師堂です。」
「カンカン、カン、こんにちわお大師さん。」
「「なむ だいし へんじょう こんごう」」
「・・・・・・、ちょっとなにしてるの?。
一気に次の札所を打って、今治に行くよ。
行きますよー、なに、見てるのー。」
「「一夜建立の御堂」です。」
「はー、また、お大師さんが妖術で作ったの?。」
「ちがう、ちがうよ、真野長者です。」
「なんです、その人?、知らないよ。」
「えー、炭焼小五郎だよ。」
「国東半島でお話聞いた人だよ。」
「えー、あの黄金伝説の?。」
「その人が、ここを立てたの?。」
「お大師さんの活躍なし?。」

伊予の52番太山寺。
ここを開いたのが、真野長者。
?????の人でしたが、炭焼小五郎と聞いた瞬間、
国東半島でお話を伺った方だとわかりました。
これ調べていたら、webで和讃を発見。
へー、状態になりました。

○このお寺に関するところは、

長者夫婦の娘「般若姫」が豊日皇子(用明天皇)の妃となって、
上洛のため船出する途中、伊予国高浜の沖で嵐に遭った。
信心する観音様のお陰で、竜雲山に導かれ命拾いをした。
そして、長者はお礼に御堂を建立した。

○縁起より(webより)

「霊場会HPより」

長者は豊後(大分)でふいごの炭焼きをしていたが、神のお告げで久我大臣の娘・王津姫と結婚、いらい運が開けて大富豪となった。
用明2年(587)、商いのため船で大阪に向かうとき大暴風雨に遭い、観音さまに無事を祈願したところ、高浜の岸で救われた。
この報恩にと一宇の建立を大願し、豊後の工匠を集めて間口66尺、奥行き81尺の本堂を建てる木組みを整えて船積みした。
順風をうけて高浜に到着、夜を徹して組み上げ、燦然と朝日が輝くころに本堂は建ち上がった。
いらい「一夜建立の御堂」と伝えられている。

「四国遍礼霊場記」より

瀧雲山護持院太山寺  和気郡
当寺天平勝宝年中聖武天皇の御建立なり。
本尊は行基ぼさつ唐土より得玉へる十一面観音の小像なるを長六尺乃尊像を作り其中に納められしなり
本堂の左に孝謙天皇立玉ふ石の塔あり。前に鎮守五社明神。石階の右に樹流あり。
前に地蔵堂其東に五智の如来。僧坊は東に構ふ。本坊の室前岩をきりとをし飛泉とす。
遊人塵心を洗却す
さし入に惣門前に池あり蓮きよくたてり。傍に弁才天祠あり
盆此境山高からねど。いと物ふりにたり。山乃めくり五里八町ありとなり

後冷泉院後三條堀河院鳥羽院崇徳院近衛院後白河法皇
御代々各御願として十一面観音乃像を作らせ此寺に安置し玉ふ皆歳月を記らる

○用明天皇と聖徳太子。

聖徳太子の父親。
第31代天皇(585年10月3日~587年5月21日)

この札所に、太子堂があります。

○真野長者祭り

四月の第3日曜日

福寿開運 真野長者大祭 
福当た付もちまき 午前十一時と午後三時 法要二時


○真野長者和讃(Webより)

帰命頂礼観世音 伊予の国なる太山寺 開基は真野長者なり 抑も由来を尋れば
豊後の国は臼杵なる 真名原村の産にて 三つの年に父上と 七つで母に死に別れ
孤子なれば炭焼の 又五郎にと育てらる 名を小五郎と改めて 炭焼くことを業とせり 
其頃奈良の宮中に 玉津姫とて宮女あり 顔に醜き痣ありて 世に縁無きを嘆きつつ
三輪明神へ願をかく 明神告てのたまわく 豊後の国は臼杵にて 炭焼小五郎なる人は
汝が連れ添ふ夫ゆへ 早く尋ねて行べしと 御告を受けて玉津姫 早速豊後へ下向して
小五郎殿に廻り逢ひ 明神様の告げなれば 妾を妻にし給へと 用意の黄金を見せければ
小五郎殿は夫を見て 斯様な物が宝なら 我炭小屋に数多有り さればと共に小屋に行き
見れば驚く黄金が 是や彼に有りければ 之が即ち宝ぞと 拾い集めし金銀は
忽ち積みて山となる 是より二人は夫婦にて屋敷や小屋を取広め 炭焼業を盛んにす
時に家屋も建ちあがり ここに八月十五日 わだまし祝う其席へ 天より月が飛び来り
玉津姫のふところに 入と見しぞ不測なる これ懐妊の印しにて さて月満て生れしは
玉の様なる女子なれば般若姫とは名付たり この姫君は美人にて 豊日皇子の妃とぞなる
小五郎殿は宮中へ 金銀財宝献上す 帝は富貴の模範とて 真野長者と賜りぬ
ここに用明第二年 長者は難波に上らんと 高浜沖を立れける 時に悪風吹き起り
船は波間に漂いて 帆柱は折れ櫓も楫も 折れて詮方なく計り 死を待つ外はなかりけり
この時長者は一心に 南無や大悲の観世音 生死の海のこの波を 救わせ給え観世音
船子の者も諸共に 御名を称えて祈るなり その時不思議や東なる竜雲山の彼方より
五色の光明輝きて 黒白も分ぬ闇の夜を 照し給えば忽ちに 波風静かになりにける
長者は胸をなで下し 舟手の者を差図して 光明たよりに楫をとり 先づ高浜に着くやいな
竜雲山によじ上り 見れば小さき庵あり 誰が祭りしか白雲の 峯に久しき昔より
尊容微妙の観世音 おわしますこそ尊けれ 我らの船の沈まんを 助け給いし有難さ
これ当山の御本尊 奥殿安置の秘仏なり 長者の喜びただならず御恩報謝のそのためと
末世利益の方便と 御堂を建立申さんと 国に帰りて大工等を 集めて御堂の木作りし
積み込む舟は一夜にて高浜港に着きにけり ここに御堂は建ち上り 日の出の空に聳ける
長者は大悲の霊験と 我が願成就を喜びて 報恩拝礼申されん この故一夜の建立と
樌と楔の無きことを この本堂の不思議とす 推古天皇十年に 玉津姫はみまかりぬ
それより長者は発心し 連城比丘を師とたのみ葷酒肉食更に断ち 偏えに菩薩の道に入り
推古天皇十三年 二月十五の夕暮れに 九十と七を一期とし 阿字の都に帰られき
人は一代その徳を 末代までも残されぬ 仰げばいよいよ太山寺大悲の御利益いや高き
登れば汗の出けれど この世のためや後の世を思えば何の苦もなしと詣る心のたのもしき
南無や大悲の観世音 助給えや観世音

○参照

いきなり最後の審判?。臼杵石仏。へリンク