お気楽、お四国巡り 札所の疑問・情報

3000坪?、うわー、昔は広かったんだね。

「なむ だいし へんじょう こんごう」、ふー。
・・・・・・・・、あれれ、これはなに?。
昇り龍?、人?、お大師さん?、うーん、なんだろう。
「また、変なもの発見しちゃった?。」
「これこれ、これ、このレリーフ、何の物語?、解説がないな?、なんだろう。
ま、お遍路続けてたら、いつかわかるよね、はは。」
いままで気にしてなかったけど、この石の鳥居?。
・・・・・、はー、神様が二人?。
3000坪?、うわー、昔は広かったんだね、へー。
ひょっとして、ここの札所、神宮寺?。

阿波の16番 観音寺
狭い道に、狭い駐車場に、狭い境内。
車遍路さんが苦労するところです。
そして、境内もてんこもり状態です。
その中で、気になりだしたのが、大師堂の縁側置くにあるレリーフ。
何の物語なんでしょうか、しりたいな?。
いつか、きっとわかる日が来ますように。
そして、いままで無視し続けていた石の鳥居がある神社。
解説読めば、なんと3000坪?、強烈です。
この札所にあるということは、札所が神社の神宮寺だったのでしょうか?。


○「四国遍礼霊場記」寂本より

光耀山千手院観音寺
 
 此寺大師ひらき玉ふ名藍なり。朱堂華闕軒をかさね、棟を比。本尊御長六尺に作り、本堂に安ず。脇士不動・毘沙門なり。然とはいへども、日月の物を磨す、堂舎廃毀し、一宇なを全からず。茆窓夜月すさましく、人まれにして満砌苔花あざやかなり。
 州の太守光隆公信義ありて、遐方かほう踵を企てり。故に住持宥雄此廃替を太守に説、太守早く肯ひ、万治年中修復せられしとなり。今の堂より南の方半町ほどさりて、むかしの大門の跡あり。東西には坊舎のありし跡おほく見ゆ。
 近此当邑に鈴江氏といふ人うりて、本尊幷に両脇士そこねさせ玉ふを資財を投て修復荘飾し奉り、聖容莞爾として威光あらたならしむ。

○八幡大神宮・惣社大御神(境内の解説石碑より)

八幡総社両神社の由緒 阿波国の総社として、阿波国府の所在地に設けられた神社。
 国司の重要な仕事の一つに、管内の官社及び国司の崇敬する神社を祭祀することがあり、
奈良時代国司はこれらの神社に幣を奉り、これに詣ずるを例としたが、
平安時代中期以降、中央政治の乱れにより、地方行政も弛緩し、祭祀も規定通りに行われなくなり、
従来国司の祭祀してきた管内諸神社の神霊を国府(国司庁)に近いところに勧請し、参拝の便をはかったのが総社の起源である。
 当社はその総社と、近在の八幡神社を合祀したもので、安政三年(一八五六年)再建の棟札を存する。
 「寛保改神社帳」には「観音寺村惣社大明神」「観音寺村八幡宮」とある。
 なお、南方五〇〇メートルほどはなれた所に、面積約三千坪に及ぶと言われる当社の旧社地があったとされ、
「総社が原」の呼称が現在に伝わっている。

 主祭神  (八幡神社) 応神天皇   (総社) 阿波国式内社五十座

 阿波国の式内社は大麻比古神社を始め五十座四六社あり、
国府町内では大御和神社(府中の宮)、八倉比売神社などが式内社である。

平成二十一年十月吉日

八幡総社両神社氏子中
夢・ロマンの町国府協議会