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「お遍路さんが多くなってきたね、そんな季節になったのか。」 「そういえば、歩き遍路さんも、何人か見たね。」 「おっ、札所の境内にお遍路すくないよ、ラッキー。 なにがラッキーなの?。 納経所が込まないからラッキーなの。 それってスタンプラリーじゃないの、はは。」 「おつとめ終わって振り返ったら、団体ツァーが来たよ。 おっちゃ、納経所へ添乗員さんがはいちゃったよ。 こりゃ、納経、時間かかりそうだね。」 「何団体なのこれ、中に入れないよ、もー。」 「ま、ま、だけどね、いろいろな意味で団体ツァーが嫌われているけど、とんだ迷惑だよな。」 「だれが、そんなこといい始めたのかな、いったい誰。 ま、団体ツァーがいたら、納経所で納経の順番がなかなか廻ってこないからもイライラするからじゃない。」 「うーん、団体ツァーのお遍路さんが、一人一人納経したら大変だよ。」 「そういわれてもね、なかなか順番が、来ないんだよね、計画道理に巡れないよ。 はー、そんなんでイライラしてもね。 目くじら立てなくてもいいんじゃない、時間がたてば順番は廻ってくるよ。 癒しの四国巡礼だよ、癒しどころか、イライラして団体ツァー憎しじゃ、それて卑しいだよ。」 「ほらほら、順番譲ってくれたよ、納経してもらったら。」 勝手に「十善戒」なんですけど、お遍路していると、必ずといっていいほど、納経の順番の話が出てきます。 団体ツァーに遭遇すると、順番が廻ってこないので、イライラする話です。 このイライラって、なんでしょう。 自分の思いどおりにすすまないからなの?。 この思いどおりって、なんでしょう。 おつとめ、納経という順番に時間がかかったということじゃないでしょうか。 「団体ツァーが来なかったら、いなかったら、さっさと納経も終わったのに、団体ツァーがジャマしやがって」ということでしょうか。 この図式が定着したのはなぜでしょうか、定着させたのは誰なんでしょうか。 聞いてもいないのに、吹聴したのは誰なんでしょうか。 これがお遍路の一面を表しているのが、わからなくなりました。 「不瞋恚(ふしんに)」って、「耐え忍んで怒らない」ですが、絶えるもなのにも「怒らない」ってことですよね。 怒りの顔をしないってことじゃないかな。 逆に顔に出さなかったら、ストレスたまってしまいます、どこでガスを抜いたら言いのでしょうか。 どこで、だれかが癒してくれるということでしょうか。 |