善光寺は中まで入れて、おつとめ出来そうなんだけど、わからないよ。」
「はー、なんのこと?。」
「おつとめの仕方です。」
「観音霊場のお礼参りだから、観音経はあげないとダメなのかな?。」
「ご本尊、観音様かな、わかんないよ。」
「私に聞かれてもわかりません。」
「あそこにお坊さんが居るから聞いてみたら。」
「あのー、おつとめ、観音経をあげるんでしょうか?。」
「・・・・・・・。」
「解答なしです、何聞かれているのかわからないオーラーです。」
「ショボン、誰もわからないのね、ショボン。
ご本尊、なにかもわからないけど、観音霊場のお礼参りだから、
観音経も織り交ぜて、おつとめです、はは。」
「うっ、さっきから観光客?、参拝客が一杯で、ちょっとはずかしいね。」
「ま、京都の清水寺に比べたら、数が少ないから、気後れしないよ。はは。」
「それじゃ、うやうやしく御仏を礼拝し奉る・・・・・・・。」西国三十三所霊場を廻っているときに、気がついたのがお礼参り。
四国八十八ヶ所霊場の、1番霊山寺へのお礼参りとは、ちがっていました。
岐阜県で結願いして、お隣の長野の善光寺へ、お礼参りだそうです。
この善光寺の、ご本尊は阿弥陀如来です。
観音様が阿弥陀如来の化身なので、繋がりはありますね。
だけど、おつとめの仕方がわからなかったのでした。
○難波の堀江に投げ捨てられた阿弥陀三尊。(各寺院のHP縁起より)。
敏達天皇14年(585年)に、物部守屋、中臣勝海の手によって難波の堀江に投げ捨てられた3体の仏像(阿弥陀三尊)。
・阿弥陀如来
善光寺(長野)
「善光寺縁起」
御本尊の一光三尊阿弥陀如来様は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、欽明天皇十三年(552年)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。
この仏像は、仏教の受容を巡っての崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられました。
後に、信濃国司の従者として都に上った本田善光が信濃の国へとお連れし、はじめは今の長野県飯田市でお祀りされ、後に皇極天皇元年(642年)現在の地に遷座いたしました。
皇極天皇三年(644年)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました。
・勢至菩薩は、安楽寺(太宰府天満宮)
・聖観音菩薩
甚目寺(じもくじ 愛知県あま市)、「http://www.jimokuji.or.jp/」、50年に1回開帳
推古5年(西暦597年)のこと、伊勢甚目村(いせはだめむら)の漁夫、龍麿という人が、江上庄の入り江(現在の甚目寺の東南約200m.あたり)で魚をとっていました。
その網に黄金の聖観音像がかかり、歓喜した彼は入り江の北にお堂を建て、像を納めました。
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