「遠いな、遠いよ。
次の札所、まだまだだよ。
お大師さんに、ここら辺に札所作っておいてもらいたかったな?、はは。」
「修行、修行、南国土佐は修行です。」
「・・・・・、わかっているけど、遠いな。」
「お遍路さん?。
お茶飲んでいかない?。」
「あっ、ありがとう、助かります。
高知の札所は、離れすぎて遠いでしょ。」
「はは、それ、さっき話してた処なんですよ。
だけど、土佐の人は優しいから、助かります。
お遍路さんが、困っていたら、すぐに助けてくれるじゃないですか。」
「・・・・・・、今の時代はね。
昔、お遍路さん達に、
高知は「土佐は鬼国、病気になっても宿がない」って、言われてたんですよ。」
「「おにごく」でしょ、有名な話しですね。
あれは、あれで当時の世情から、仕方なかったんじゃないですか。」
「えっ、そうなの?。」江戸時代からブームになった、お遍路。
天変地異で、すごい?ことになったみたいです。
四国外の、食うに食えない人たちが、四国へ流れ込み、
四国内の、食うに食えない人たちが、四国内で溢れた、
治安維持のタメに、領主が統制した。
○土佐が鬼国と呼ばれた訳。
南国土佐なので、冬場にすごしやすいと他県から土佐へ流入したのを規制した。
関所で排除したから、札所が巡れなくなり、伊予で土佐の分をまとめて、納経された。
○遍路ブーム
・社寺参詣ブーム
江戸時代の中期、元禄年間(1688〜1704)前後から、
民衆の経済的上昇に伴い、社寺参詣(お伊勢、金比羅等)が一般化し発展した。
また、四国遍路も庶民の参加が目立つようになった。
・ガイドブック発行
庶民の遍路ブームは、宥辯真念(ゆうべんしんねん)が、
「四国邊路道指南(1687)」という、ガイドブックを発行してから。
○遍路へ出される。
季節的に、農繁期で人力が必要なときはその土地で生活し、閑散期は人減らしのために、
巡礼・遍路へ出された。
○天変地異から飢饉
寛永の大飢饉、寛永19年(1642年)〜寛永20年(1643年)、全国(特に東日本日本海側の被害が大)
享保の大飢饉、享保17年(1732年)、 中国・四国・九州地方の西日本各地、特に瀬戸内海沿岸一帯
天明の大飢饉、天明2年(1782年)〜天明7年(1787年)、 全国(特に東北地方)
天保の大飢饉、天保4年(1833年)〜天保10年(1839年)、 全国(特に東北、陸奥国・出羽国)
元禄の大飢饉(1695〜96)
延宝の飢饉(延宝年間 1674年〜1675年)
天和の飢饉(天和年間 1682年〜1683年)
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