お気楽、お四国巡り 一般常識 人物

阿波に仏罰を下したのが、長宗我部元親じゃないの?。

「高知出身も、とやかく言われて大変ですね、はは。」
「ま、四国では有名な話しですからね。
やられた方は、いつまでも覚えていますよ。
いまごろ言われても、しらないけどね。」
「そうですよね。はは。」
「ほんとうは、長宗我部元親が、阿波の三次に仏罰を食らわしたんですけどね。」
「はー、なんです、それ?。」
「阿波の三好が、京都でやりたいほうだいやってたんですよ。
時の将軍まで、殺しちゃったんですよ。」
「はー、そりゃ、戦国時代だから仕方ないでしょ。」
「暗殺ですよ。」
「・・・・・・。」
「それと、家来の松永久秀が、奈良の大仏を焼き払いましてね。」
「・・・・・、えー、あの大仏ですか?。」
「そりゃ、そりゃ、仏罰下りますね。」
「そのとばっちりを札所が受けたんですかね?。」
「うーん、やっぱり、僧兵でしょ。」
「それと、天正の兵火で、何もかにも無くなったと言われてますが、
地元で大事にされてたら、みんなから寺宝なんか守られてるでしょ。」
「そう言えば、そうですね。」
「火災の時、本尊を村人が、避難させたって、よく寺の縁起にありますよね?。
それが札所では無いでしょ?。」
「鋭い指摘ですね。」
「地域とつながりがあったら、絶対に話しが残るでしょ。
だから、当時のお寺は、地域とは乖離した、軍事集団だったんですよ。」
「やられて当たり前ですね。」
「ま、これ知ってますから、言いたい人には、言わせておけば、いいんじゃないですか。」
「へー、高知の人は、大変ですね。」
「・・・・・、はは、そういうことですよ、はは。」

高知の人曰く、何言ってるの状態だそうです。
裏側を見ないと言うことでしょうね。
信長の比叡山焼き討ちも、歴史の流れを見たら、
仏罰が下ったのは、比叡山の方なんですよね。
長宗我部元親が、京都で暴れていた三好氏の本拠地、阿波を制覇したとき、
京都の方たちから、拍手喝采だったそうです。

○阿波へ仏罰を下したのはいつから?。

長宗我部元親が、天正3年(1575年)から開始。

○松永久秀の兵火

永禄10年(1567年)、大仏の頭部が落ちた?。

「戦国時代に仏頭は松永久秀の兵火によって焼き落とされ」

・三好家内部の、当主(三好義継)の後見と主導権を巡って、松永久秀と三好三人衆の間で争奪戦の時。

○将軍暗殺

1565年、足利義栄を将軍に就けるべく、
三好義継が、三人衆、松永久秀と謀っても
将軍の足利義輝を暗殺した。

○松永久秀

織田信長は徳川家康に松永久秀 (1510〜1577)を紹介するときに言い放った
「将軍殺し、主君の三好殺し、大仏殿の焼き払い、世の人が為し難い三つの悪事を行った」。

○三好三人衆

三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)
初めは松永久秀が主君(三好義継)を共同で補佐していた。

○密教と日本史について

軽い読み物としては、これかな?。
リイド文庫「たけみつ教授の 密教と呪術が動かした日本史」武光 誠著


○さらにさかのぼれば

戦国時代の火元は、応仁の乱。
この乱の首謀者は、香川・徳島の領主「細川氏」です。
お大師さんのお膝元からということですね。