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「あのー、聞くのはルール違反なんだけど、なんでお遍路してるの?。」 「四国に来たら「癒される」って聞いたからです。」 「へー、癒されるね?。 それで、癒された?。」 「地元の人たちが親切で、やさしいから、なんか癒されましたね。」 「ふーん、そうなのか、癒されたのか?。」 「もー、さっきから変な事考えてません?。」 「はは、昔の人の欲張り遍路に比べたら、軽いって思っちゃった。」 「はー、欲張り?。」 「はは、これ知ってました?。 知ってたら誰でも思いますよ。」
四重五重の罪でも、一度巡礼すれば、地獄に堕ち、責苦にあうことはない。 たとえ貧賤孤独の身でも、一度巡礼すれば子孫繁栄し、高位高官に昇ることができる。 たとえ短命無宿の身でも、一度巡礼すれば福寿とも繁栄し、身は仏家に生まれかわる。 たとえ難治の重病をうけた者でも、一度巡礼すれば、現世安穏、後生善所に生まれかわる。
「・・・・・・・、こりゃ、私たちお遍路したらダメだね。 これ知らなかった方がよかったかもね。」 「どういうこと?。」
最近読んだお遍路解説本に、現世利益をもとめてお大師さんにすがる遍路というものがありました。 うーん、昔の人たちは、すごかったのかこれが普通だったのか?。 ほんの30年前、1980年代初期までのお話でしょうかね。 いまも、現世利益追求のお遍路は続いているのでしょうか?。 「補陀落世界」というキーワードがありますので、西国巡礼がらみの十徳でしょうか?。 お遍路、巡礼の書籍を読む前に、この「巡礼の十徳」を理解していれば、遍路とは何かかがわかりやすいですね。
○巡礼の十徳
1.末代の衆生信心があって、一度巡礼すれば、たとえ極悪罪人といえども、罪業霜のごとく消え、安楽に自己の住所にいることができる。 2.四重五重の罪人でも、一度巡礼すれば、地獄に堕ち、責苦にあうことはない。 3.大邪の心を持った家といえども、巡礼の行者に一夜宿を貸し、食を施した者は、六道の苦患を免れる。 4.心のけがれた凡夫でも、一度巡礼すれば、仏わが身に添い、影に従って冥加を垂れたまい、福を授かり禍を除いてくださる。 5.我欲慳貪の家でも、巡礼の行者に随喜の志あれば、水火夭死の難を救われる。 6.貧賤孤独の身でも、一度巡礼すれば子孫繁栄し、高位高官に昇ることができる。 7.短命無宿の身でも、一度巡礼すれば福寿とも繁栄し、身は仏家に生まれかわる。 8.不信不実でも、一度巡礼すれば、ついには補陀落世界に往生し、六根の清浄を得られる。 9.難治の重病をうけた者でも、一度巡礼すれば、現世安穏、後生善所に生まれかわる。 10.汚穢不浄の男女でも、巡礼するものは末世末代までも同行である。
一度は父のため、一度は母のため、一度は自身のため、三たび巡礼せよ。 影身に添うて保護し、悪事災難は菩薩身代わりとなって受け、貧者には福を授け、 病者は治癒させ、子なきものには子を授け、短命の者には長寿を与える。
○三回巡ればOKってこと?。
巡礼の十徳の中から切り出した所で、下記の部分は何を意味しているのでしょうか。 最低でも三回巡らなければ、ダメってことなの?。
一度は父のため、一度は母のため、一度は自身のため、三たび巡礼せよ。 影身に添うて保護し、悪事災難は菩薩身代わりとなって受け、貧者には福を授け、 病者は治癒させ、子なきものには子を授け、短命の者には長寿を与える。
○よく言われる遍路理由。
最近、四国遍路の番組等で連呼されているのが、No.1にある「癒し」でしょうか。 「巡礼の十徳」は、負のイメージがつきまとうので、それを敗色するために言っているように感じるのは、 私だけでしょうか?。
No.1 自分探し(信仰というよりも、癒し、リフレッシュ)。 No.2 追善供養(亡き人の冥福を願うため)。 No.3 予修供養(自らの生前中に、自らの死後の冥福を祈る。生前に修行して、死後の修行を軽減する。) これは信仰心がないとわからないよね。
○現代常識外
現代の常識では考えられないけど、これを知ったら遍路しているのが納得します。
参照 地面の下にパワーが宿ってる?。ねじれ竹。 へリンク。
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