「近くに、あるんだけど行ってみない。」 「はー、温泉?。」 「はは、お寺。」 「えー、お寺に温泉が湧いてるの?。」
「はは、よっぽと温泉に入りたいの?。」 「そう言うこと、はは。」 「じゃ、私だけ行ってくるよ。」 「えー、何のお寺?。」
「一遍上人。」 「し、知らない。行ってらっしゃい。」 「もー、えーと、ここの近くなんだけど、ここかな。
あそこかな、あった、あった、一遍上人生誕地 宝厳寺。 上人の坂?、南無阿弥陀仏?。 あれれ、普通のお寺、庶民的だね、へー。
なになに、ここも写真?、本物みれないの?。一遍上人立像。 えっ、懸仏?」
伊予で生まれた、一遍上人。
札所で言えば、伊予の45番岩屋寺、50番 繁多寺。 讃岐の78番郷照寺。 道後温泉の本館の近くに、 生誕地がありましたので、
札所の感覚で訪ねてみましたが、 普通のお寺でした。 寺宝で、懸仏があるとのこと、見てみたかったな。 やっぱり、鏡の裏の仏さまは、
南無阿弥陀仏の阿弥陀如来でしょうね。
○一遍上人
延応元年(1239年)伊予国(ほぼ現在の愛媛県)の、
豪族「河野(別府)通広(出家して如仏)」の第2子として生まれる。
○宝厳寺略縁起(石碑より)
宝厳寺は寺伝によると天智天皇七(六六八)年斎明天皇の勅願で国司乎智宿袮守興が創建当初は法相宗、その後天台宗に転じたあと時宗が隆盛し、弟子の仙阿がここに住むようになって正応五(一二九二)年寺が再建され時宗に改めたとある。
時宗の開祖一遍は河野通広の第二子として延応元(一二三九)年に生まれた。幼くして僧門に入り文永十一(一二七四)年時宗を開き翌年熊野の地で神勅を受けて「南無阿弥陀佛」と記した念佛札の賦算を始めた。
弘安二年には信濃国佐久郡で念仏踊りを始めた。
その後正応二(一二八九)年神戸真光寺で死すまで全国各地を念仏遊行し一所不住捨聖遊行上人と尊崇された。
宝厳寺は一遍誕生の地といわれ門前にある「一遍上人御誕生旧跡」の碑は河野一族の得能通綱が建立したものである。
○懸仏(かけぼとけ)(解説看板より)
懸仏は、鏡に神・仏像の半肉鋳像をつけ、また線刻して、社寺に掛けて拝んだもの。 神仏習合により、鎌倉・室町時代にかけて成行した。
これが有ると言うことは、このお寺は神宮寺だったのかな、だとしたら神社はどこ?。
○お寺情報
宝厳寺(ほうごんじ)
場所 愛媛県松山市道後湯月町5-4
TEL 089-946-2418
○焼失してしまった
2013年8月10日午後2時15分頃、本堂と、隣接する庫裏の計約270平方メートルを全焼した。
本堂は燃え落ち、内部に安置されていた国指定重要文化財の「木造一遍上人立像」(室町時代、高さ1・1メートル)が焼失した。
うーん、このレベルの仏像になったら、火災から守るために、コンクリート製の建物に保存させられていなかったの?。
○河野・越智一族
札所も支配してたの?。河野一族。へリンク
文殊院八塚群集古墳なの?
。へリンク
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