「ま、ネタなんだけど、遍路のいわれ知ってる。」 「はー、それ常識でしょ。」 「西国が巡礼で、四国が遍路でしょ。」 「遍路の元は、辺地でしょ。」
「今昔物語に出てくるんでしょ。」 「ほー、知ってるじゃない?。」 「はー、常識ですよ、常識、お遍路本に必ずありますよ、ふふ。」 「だけど、その辺地だけど、今昔物語の内容知ってる?。」
「・・・・・・・、ふー、知りません。」 「いきなり、辺地と出てきて、安心したらダメだよ。 それで内容を読まなかったら面白くないよ、辺地。
四国を巡っていたら、馬にされちゃったんだから。」 「えー、馬、馬頭観音になちゃったの?。」 「うっ、それは、わかりません、はは。」
「ごまかしていませんか?。」 「ギク。」
四国遍路の原型として、よく取り上げられる今昔物語。 内容を読んだら強烈です。
そんなことがおこりえるところが、四国なんですね。○「今昔物語集」巻三十一 通四國邊地僧行不知所被打成馬語 第十四(四国の辺地を通る僧知らぬ所へ行きて馬に打ち成さるる語 第十四) 今は昔、佛の道を行ひける僧三人伴ひて、四國の邊地と云ふは、伊予・讃岐・阿波・土佐の海邊の廻なり、
其の僧共、其こを廻りけるに、思ひ懸けず山に踏み入りにけり。深き山に迷ひにければ、浜邊に出でむ事を願ひけり。
終には人跡絶えたる深き谷に踏み入りにければ、彌よ歎き悲しみて、荊・蕀を分け行きける程に、一つの平地有り。
見れば、垣など拵ひ廻らしたり。「此こは人の栖にこそ有りぬれ」と思ふに、喜しくて、入りて見れば、屋共有り。
譬ひ鬼の栖なりとも、今は何がせむ。道をも知らねば、行くべき方も思えで、其の家に寄りて、 「物申さむ」と云へば、屋の内に、「誰そ」と問ふ。
「修行仕る者共の、道を踏み違へて參りたるなり。何方へ行くべきにか教へ給へ」と云へば、
「暫し」と云ひて、内より人出で來たるを見れば、年六十餘計なる僧なり。形糸怖し氣なり。
呼び寄すれば、「鬼にても神にても今は何がはせむ」と思ひて、三人ながら板敷の上に昇りて居たれば、
僧の云はく、「其こ達は極じ給ひぬらむ」と云ひて、程無く糸清氣なる食物を持て來たり。
「然は、此は例の人なめり」と糸喜しく思ひて、物打食ひ畢てて居たる程に、
家主の僧、糸氣怖し氣に成りて人を呼べば、怖しと思ひて有るに、來たる人を見れば、恠し氣なる法師なり。
主、「例の物共取りて來たれ」と云へば、法師、馬の轡頭と笞とを持て來たり。
主の僧、「例の樣にせよ」と俸つれば、一人の修行者を板敷より取りて引き落す。
今二人は、「此は何にせむずるぞ」と思ふ程に、庭に引き落して、此の笞を以て背を打つ。
慥かに五十度打つ。修行者音を擧げて「助けよ」と叫べども、今二人何がは助けむとする。 然て亦衣を引き去けて、膚を亦五十度打つ。
百度打たるれば、修行者 に臥したるを、主の僧、「然て引き起こせ」と云へば、
法師引き起こしたるを見れば、忽ちに馬に成りて、身振打して立てれば、轡頭を※て引き立てたり。
殘の二人の修行者此れを見るに、「此は何なる事ぞ、此の世には非ぬ所なりけり、
我れ等をも此くせむずるなりけり」と思ふに、悲しくして、更に物思えで有る程に、亦一人の修行者を板敷より引き落して、
前の如く打てば、打ち畢てて亦引き起こしたれば、其れも馬に成りて立てり。然れば、二疋の馬に轡頭を※て引き入れつ。
今一人の修行者、「我れをも引き落して、彼れ等が樣に打たむずらむ」と思ふに、悲しければ、憑み奉る本尊に、
「我れを助け給へ」と心の内に念ずる事限無し。其の時に主の僧、「其の修行者をば暫く然て置きたれ」と云ひて、
「其こに有れ」と云ひつる所に居たる程に、日も暮れぬ。
修行者の思はく、「我れ馬に成らむよりは、只逃げむ。追ひて捕へられて死なむも、命を棄てなむ事は同じ事なり」と思へども、
知らぬ山中なれば、何方へ逃ぐべしとも思えず。亦「身を投げてや死なまし」と樣々に思ひ歎く程に、家主の僧、修行者を呼べり。
「候ふ」と答ふれば、「彼の後の方に有る田には水は有りや、と見よ」と云へば、
恐づ恐づ行きて見るに、水有れば、返りて、「水候ふ」と答ふ。「此れも、我れを何にせむとて云ふにや」と思ふに、生きたる心地も爲ず。
而る間、人皆寢ぬる時に、修行者、「只逃げなむ」と偏へに思ひ得て、負をも棄てて、只身一つ走り出でて、足の向きたる方に走る程に、
「五六町は來ぬらむ」と思ふに、亦一つの屋有り。「此こも何なる所ならむ」と恐しく思えて、走り過ぎむと爲るに、屋の前に女房一人立ちて、
「彼れは何なる人ぞ」と問へば、修行者恐づ恐づ、「然々の者の此く思ひ得て、身を投げても死なむとて罷り候ふなり。助けさせ給へ」と云へば、
女、「哀れ、然る事有らむ。糸惜しき事かな。先づ此こへ入り給へ」と云へば、入りぬ。
女の云はく、「年來此く疎き事共を見居たれども、我れ力及ばず。但し其こをば構へて助け聞えむと思ふ。
我れは其この御しつらむ御房の大娘なり。此こより下に然許去りて、丸が弟なる女房御す。
然々有る所なり。其の人のみぞ其こをば助け聞えむ。『此こよりぞ』とて、其こへ御せ。消息を奉らむ」と云ひて、
書きて取らせて云はく、「二人の修行者をば、既に馬に成して、其こをば土に堀り埋みて殺さむと爲つるなり。
『田に水や有る』と見せけるは、掘り埋まむが爲なり」と云ふを聞くに、「賢くぞ逃げにける、暫しの命も有るは、佛の御助なり」と思ひて、
消息を取るままに、女に向ひて手を摺りて、泣く泣く臥し禮みて、走り出でて、教へつる方を指して「廿町許は來たるらむ」と思ふ程に、片山邊に屋有り。
「此こなめり」と思ひて、寄りて、人を以て、「然々の御文奉らむ」と云ひ入れたれば、使取りて入りて、返りて、「此方へ入り給へ」と云へば、入りぬ。
亦女房有りて云はく、「我れも年來疎き事と思ひつるに、姉の亦此く云ひ遣せたれば、助け聞えむと思ふなり。但し、此こには極じく恐しき事有る所なり。
暫く此こに隠れて御せ」とて、一間なる所に隠し居ゑて、「努々音な爲給ひそ。
時既に吉く成りぬ」と云へば、修行者、「何事ならむ」と恐しく思ひて、音も立てず、動かで居たり。
暫し許有れば、恐し氣なる氣はひしたる者入り來。生臭き香薫ひたり。恐しき事限無し。
「此れも何なる者ならむ」と思ふ限に入り來て、此の家主の女房と物語など打して、二人臥しぬなり。聞けば、懐抱して返りぬ。
修行者、此れを心得る樣、「此れは鬼の妻にして、常に來て此樣に懐抱して返るなりけり」と思ふにも、極めて氣六借し。
然て女房、行くべき道を教へて、「實に奇異しき命を存し給ひぬる人かな。喜しと思せ」と云へば、
修行者、前の如く泣く泣く伏し禮みて、其の所を出でて、教へけるままに行きければ、夜も曙方に成りぬ。
「今は百町許は來ぬらむ」と思ふ程に、夜白々と成りぬ。見れば、例の直しき道に出でぬるなりけり。
其の時にぞ心落ち居ける。喜しと云へば愚かなりや、其こよりなむ人里を尋ねて行きて、
人の家に這ひ入りて、然々の事の有りつる樣を語りければ、其の家の人も、「奇異しかりける事かな」と云ひけり。
里の者共も聞き繼ぎて來たりてぞ問ひ合ひたりける。其の逃げて出でたりける所は、※國※郡※郷なり。
然て彼の二人の女房の、修行者に口固めける事は、「此く有り難き命を助け聞えつ。
努々此かる所有りつと人にな語り給ひそ」とぞ返す返す云ひけれども、修行者、「然計の事をば何でか然ては止まむ」とて、普く語りければ、
其の國の人の年若くて勇みたる、兵の道に堪へたるは、「軍を發して行きて見む」など云ひけれども、道の行方も無かりければ、然て止みにけり。
然れば彼の僧も、修行者の逃げぬるを、「道の無ければ否逃げじ」と思ひて、急ぎても追はざりけるにこそ。
然て修行者、其こよりなむ傳はりて京に上りたりける。其の後、其の所を何こに有りと云ふ事聞えず。
現はに人を馬に打ち成しける、更に心得ず。畜生道などにや有らむ。彼の修行者の、京に返りて、二人の同法の馬の爲に殊に善根を修しけり。
此れを思ふに、「身を棄てて行ふと云ひながらも、無下に知らざらむ所には行くべからず」と、修行者の正しく語りけるを聞き傳へて、此く語り傳へたるとや。 |