お気楽、お四国巡り 遍路の知識

古ぼけた道標の願主、中司茂兵衛。

歩いてシールを探しますが、どこにあるのかな。
えーと、こんの矢印に従って、あれ、これはなんですか。
石柱、手のレリーフ、なんじゃ、これ。
・・・・・。
あれっー、この石柱、埋まっていない。
道路工事かな、坂道工事したからかな、埋まっているよ。
・・・・・。
おっ、手のレリーフが、こっちとあっちを示しているよ、へ。
逆打ちと順打ちかな、この方向だと。
・・・・・。
うおー、あの石柱が、ブロック塀と一体化。
うーん、どけるにどけられないと言うことか。
・・・・・。
うっ、ここにも石柱があるけど、てんでバラバラ。
どこからか、集めてきたの?。

歩き遍路をしていると、矢印のお遍路シールを探します。
探していると、古ぼけた石柱(道標)に出会います。
それは、昔、昔といっても明治から大正時代に設置されたものだそうです。
昔も、お遍路さんのために、道しるべが必要だったんですね。
ちなみに、この石柱、「中司茂兵衛」という方が、四国をお遍路をしながら立てていったそうです。

○中司茂兵衛(略歴)

「生き仏」とあがめられた、彼は、
1847年(弘化4年)~1922年(大正11年)
19歳から76歳まで、お遍路人生を57年間。
巡拝回数280回目の巡拝の途中で病に倒れた
「生まれきて 残れるものとて 石ばかり 我が身は消えし 昔なりけり」。

○石柱の特徴

88回目の巡拝、42歳のときから、現存確認されているものは、約240基。
碑文 「○○度目為供養 周防國大島郡椋野村 願主 中務茂兵衛義教」
大きさ 地上高「最大180センチ、平均124.7センチ」
方向指示 基本的「手形」矢印
方向    「順打ち・逆打ち双方向」

○出身地と四国

周防大島が出身なんですが、ここにも島八十八箇所があります。
なんでかなとおもっていたら、ここの島の方と四国が関係していました。
それも寺や神社とです。
四国で活躍(江戸時代(寛政)~大正時代、約130年間)された宮大工さんが、長州大工といわれ、この周防大島の大工さんだそうです。
ひょっとして、札所のお寺なども、手がけているのではないでしょうか?。