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「こっち、こっち、あんたはこっち。」
「こんばんわ。」
「あんたも亭主と一緒に、よくお遍路してるね。
疲れない。」
「はは、疲れます、うるさくて、はは。」
「でしょ、飲んで飲んで。」
「くー、おいしいー、これ、おいしい。」
「おいしいやろ、土佐の酒は、飲んで飲んで、自分でついでね。」
「うわー、これがさわち料理、すごい量。」
「作るのに大変でしょ。」
「はは、まーね。
これだけの人が来るから、逆に便利なんだよね。
後から後から料理を出さなくて楽だよ。」
「へー、そうなんだ、合理的だな。」
「おとこ同士で飲んで、食べて、勝手にさわぐから楽々。
食べてる、これおいしいよ。」
「へー、なんですこれ。」
「鯖の姿寿司。
この酢がいいでしょ、酒に合うんだよね、これこれ、グビグビ。」
「うえー、すごい飲みっぷり。」
「はは、あんたもほんとはいける口でしょ。」
「ゲッ、酒飲みは酒飲みがわかるってこと、ゲッ。」
「くー、うめーなー。はは。」
「内の嫁がね、・・・・・。」
「おー、始まったよ、姑のグチグチ。」
「それでね、今度のあの人ね、なにしてのかね。・・・・・。」
「えー、政治の話、ふーん。」
「孫がね、かわいくてね、・・・・。」
「こんどは?。
「うーん、土佐の女性も話し好き、はは。」
「あれ、男性陣が騒いでいますよ。」
「あっ、酒が無くなったんでしょ。」
「持って行かなくていいの。
そんなの勝手にするから、気にしない気にしない。
男は男、女は女どうしだから、いいのいいの。
日頃から、そうやって飼い慣らしているの、はは。」
「えー、飼い慣らし。」
「そうそう、手のひらで転がしてるのよ、はは。」
「あのー、聞いてもいいですが?。」
「なになに、なに?。」
「「はちきん」ってなんですか。」
「はは、はちきんね。」
「一言で言うと男勝り。」
「えー、なんで、それが「はちきん」なんです?」
「聞きたい?。「はちきん」って、どんな字を書くかしってる。」
「し、しらない。」
「八っの金と書いて、「八金」なの。」
「はー、八っの金、なんでせすそれ。」
「はは、八っの金玉。」
「おとこに金玉が2個有るから、ハの金玉で、4人ってこと。」
「えー、それどういうこと。」
「はちきんの女性1人は、あとこ4人分のパワーがあるってことなの」。
「はは、酒のネタだけどね、はは。」
「はちきん一人に、いごっそう4人ですね。」
「ま、いごっそうね。」
「頭が固くて、いつまでたっても、タダこねる子供だからね、はは。」
「ふーん、そういう意味が、みなさんの豪快さを見たら納得しますね、はは。」
「そういうこと、はは、飲んでる?」
いやー、女子部もすごかったそうです。
土佐の女性も豪快で、飲む飲む、しゃべる、しゃべる。 とまらないそうです。 土佐のお客の合理性をかいまみたということですね。
このシステム?を考えついた先人の女性陣は、すごいなと思いました。
「女が男を飼いならしです」が、この土地では共働きの家庭が多く、自然に子供が家事に協力するので、
子供のときから自分でできることは自分でするようになるそうです。 「はちきん」は
あくまでも、「はちきん」=「八金」は、あくまでも下世話なお話と言うことだそうで。 女性陣は、たとえが悪いからと敬遠していました。
変な質問して、すみませんでした。 ちなみに相方の報告によると、酔いつぶれた方はいなかったそうです。
女子部が酔いつぶれしまったら、男子部を介抱できないからと、笑っていていましたが、
土佐の女性は遺伝的にお酒に強いんじゃないでしょうか。そうとしか思えません。
○お客ってなに?。
ネットで検索したら、すばらしい解説がありましたので、ここに勝手に乗せました、ごめんなさい。
お客は宗教的(民俗学的)にみて、神聖な「直会」から派生したということですね。
・高知県女性問題アドバイザー・民俗学研究者 / 岩井信子 著より
土佐では酒宴のことを広く「お客」と言うが、このお客と言う言葉は土佐の宴の伝統的な性格を秘めていると私は思っている。
例えば「○○さんの息子は秋にはお客だそうな」のお客は、結婚を意味するし、「先輩の初孫のお客に招(よ)ばれている」のお客は、名付け=誕生祝いのことである。結婚や名付け、初節句、成人、賀の祝いをはじめ、厄年厄除け、門出(かどいで)や送別、それに花見、月見の宴も、およそ酒汲み交わす集という集(つどい)はすべて「お客」。土佐のこの「お客」は神祭(じんさい)の直会(なおらい)と同義語であり、もとは斎(いわ)い、祝う宴を言う語であったと思われる。
土佐の祝宴に「大杯」(おおさかずき)という儀式がある。杯台に載った朱塗りの大杯と焼鯛が酒席の一人一人に回ってゆくものであるが、これは神に供えた酒と肴を一座のすべての人が飲み合い食べ合うことであり、神と人が一つに結ばれる儀式である。花見、月見も、もとは豊穣を予祝して行なう神人共食の宴であった。故に、土佐の酒席はその性格の必然として皿鉢料理と土佐式献杯となる。
土佐式献杯は目下から目上に杯を差す。会席や本膳料理形式をとる他県とは反対である。他県では目上から目下へ、である。もし目下から杯を差そうものなら相手を目下扱いしたこととなり先方の不興を招く。これが土佐では「向こうの席に恩師が見えている」と杯を持って席を立ち「あちらに会社の部長がいる」とそちらへ出向く。こうして次から次へと献杯をして歩く。目下からの献杯は目上に対する敬意の挨拶である。受けた杯は飲み干して返し、こうして一しきり互に杯を交わし合って歓談する。
あちらでは日頃の恩顧に感謝をのべ、こちらでは近況を語り合い、この人とは思いがけない再会を喜び合い。他県の人はこの光景に驚く。「動きまわる」「自席にいない」と。しかし、土佐では生酔(なまよ)いや取り澄ました態度は招いた側にもまわりの人にも非礼となる。一人一人がおおいに飲み、語り、宴席を盛り上げることがマナーである。だから一人所在なげに自席にいる人を見れば見知らぬ人であっても杯を差し、たちまち歓談の輪に引き入れてしまう。そこに親密な出会いが生まれる。敬意の献杯に対しては目上もまた屈託なく目下に杯を差す。目上も目下を目下扱いしない。即ち土佐の宴は、神の前には人皆平等「杯に摧参なし」、人を身分の上下に隔てないのである。
私どもは土佐人(びと)の気質が育んだ宴の作法をより磨き、広く他県に土佐の文化を発信したい。土佐弁は荒いと言われるが、土佐人の心はナイーヴである。酒に弱くて人をもてなせるものかと献酬に「精進」し、酒豪にと「成長」する。相手を酔い潰すほどの献酬は土佐のもてなしの表現なのである。
酒の国土佐の、男が酒豪なら女性もまた飲みっぷり見事で当然であろう。土佐の女性と酒の背景には「男女は対等」の潜在的な土佐の意識がある。南は太平洋、北に急峻な四国山地を背負い、陸の孤島と言われた土佐では女性は男性と同じ仕事をし、男も女も主体的に暮らしを営まなければならなかった。男に養われ男に依って生きたのは一握りの階層の女性でしかない。土佐の男女が対等に生きた証は伝統的な行事や儀式、生活習慣の中に様々に見ることが出来る。
例えば葬式、人生の終焉を弔う最も厳粛なこの儀式において、男女は平等にその役割りを担っている。また土佐の女正月のしきたりにも夫と妻が互にいたわり合って生きてきた美しい証を見ることが出来る。戦後までの、女性地位の長い冬の時代にも土佐の男と女、夫婦は主と従の関係にはなかった。夫と妻は家庭でも地域社会の単位としても一対の主体であった。
酒席においても土佐の女性は男に侍るのではない。男に互して、おおらかに酒を酌み交わすのである。
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