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「へー、土佐でもやられちゃった?。」 「はー、なにー?。」 「南国土佐でも札所がやられてるみたいだよ。」 「はー、長宗我部元親?。 地元でも暴れたの?。」 「四国を束ねるまえに、地元の土佐を束ねたときにね。」 「へー、札所、怨まれてたんだ。」 「・・・・・・、お大師さんのご加護も通じなかったんだね。」 「・・・・・・、運命でしょ。」 「はー、それ、なに?。」 四国のお遍路歴史で、長宗我部元親といえば札所の壊滅です。 88ケ所の縁起で、かならず語られる部分ですが、 長宗我部元親の地元でも、札所がやられていました?。 だけど、縁起的には一箇所のみでした。 ○降参しなかったから? 仁井田五社として、五人の領主が管轄していたけど、一人が降参しなかったようです。 その一人が、札所を管轄していたのでしょうか?。 長宗我部元親の仁井田窪川攻めの際の古書「土佐国編年紀事項」より。 『元親進みて仁井田郷に至る 西蔭山の城主仁井和泉守藤原宗勝、 本在家城主福良丹後守藤原宗澄、 窪川城主山内備後守藤原貞清、 志和城主難波権介藤原宗茂等 皆不戦して降る』 |