|
「パン、パン、パン。」
・・・・・・・・。
「何も反響しないよ。
なんでなんで、鳴かないよ。」
「はは、そりゃ、真下で叩かないと、鳴かないよ。」
「本堂へ、入れないの?。」
「・・・・・・、入れません。」
「ふー、残念。」
「それじゃ、私たちが遍路ころがしに、泣かされないように、
お大師さんにお願いして、出発進行!。パンパン。」
「・・・・・・・、私は泣きませんよ。」
2012年は、逆打ちですが。
干支で言えば辰年です。
お寺によれば、天井などに龍がいます。
だから、
お寺=龍というイメージがありますが、
わたし的には、龍=大雨=洪水=被害=悪神というイメージがあるのでした。
調べていると、
龍が、お釈迦様の修行を助けた、守ったということで、
仏教では、守護神?になっています。
ちなみに、お寺=龍=鳴き龍は、11番 藤井寺でした。
○龍の天井絵(2015/09/16 9匹)
・本堂の天井(六匹)
1番霊山寺(四角形でとぐろ,東画伯) 15番国分寺(円形でとぐろ) 11番藤井寺(円形でとぐろ,泣き龍) 37番岩本寺(四角形のパネル組みでとぐろ) 56番泰山寺(長方形) 85番八栗寺(円形でとぐろ)
・大師堂の天井(一匹)
29番国分寺(四角形でとぐろ)
・仁王門(一匹)
35番清瀧寺(四角形でとぐろ)
・縁側の廊下(一匹)
21番太龍寺(長方形,持仏堂の縁側)
○あるそうですが、まだ未確認です、2015年現在
48番 西林寺 本堂
○「11番 藤井寺」 林雲渓(はやし うんけい)
場所 本堂 鳴き龍 昭和五十二年
地元の吉野川市(旧鴨島町)出身の日本画家(南画)、林雲渓の作。
本堂を全面改修した昭和五十二年に描かれたもので、30畳ほどの大きさ。
○「21番 太龍寺」 竹村松嶺(たけむらしょうれい)
場所 納経所右横の持仏堂の縁側(縁側が長くて狭い?ので、龍が伸びています?。)
龍天井 明治三十四年
京都で幸野棋嶺に師事し四條派の画法を学んだ高知県安芸出身の 竹村松嶺(1876~1945)の大作であります。 御釈迦様御誕生の際 難陀龍王、烏波難陀龍王が浄水を濯いだ事により自由に天に昇り 雲を作り雨を降らすことが出来るとして、請雨、止雨を祈願する為に 農・林・水産業を営む方に厚く信仰されて居ます。 尚他に六龍王を加えた龍王を八大龍王と称します。
○「35番 清瀧寺」 久保南窓(くぼなんそう)
場所 仁王門 「蛟竜図」「天女図」、明治三十三年(1900年))
蛟竜図は、八方にらみの龍
久保南窓((柳太郎1848~1917)の明治33年の作品で、
一枚の大きさは縦165cm、横180cm、特製の天井板四面に竜を中心に配し、
両側に天女の舞い姿が雄大に描かれている
(天女図は気がつかず?、うわさでは、外されて宝物館にあるそうです。)
(解説より)
明治33年(1900)清滝寺の楼門建立に際し、地下の画家久保南窓の揮毫した天井画「蛟龍図」「天女図」の二組が奉納された。竜は中央二面に続き、天女はその左右二面に描かれ、墨痕鮮やかで流暢闊達な筆致に極彩色が施されており、近郷天井画の白眉である。
久保南窓(柳太郎)(1848~1917)は、高岡村走寄に生まれ、生家は米穀商を営んでいたが生まれつき画才に富み、弘瀬洞意(絵金)に学び、また青木南溟に私淑し、南画もよくし地方画家として名声を博した。近郷の社寺に得意の絵馬絵の佳作を多く残している。のち高知市に転住し、中央の画展にも出品して度々賞を受けた。
大正6年(1917)没、墓所は高知市小高坂にある。
○「56番 泰山寺」 地元の無名
場所 本堂
地元では有名な画家が書いた。
画家が高価な板を用意し,それに書いたそうです。 先々代の住職のときなので,名前はわからないそうです。
だから,いまでは龍の上に載っている仏様もわかりません。
○仏教と龍
お釈迦さま
誕生したときに産湯として香水を掛けて清めた。
嵐に遭遇したのを守った。
寺院の天井
防火の守り神?として、龍、蓮及び雲など水に関係のあるものが絵かがれています。
また、「天井」という言葉も、「天の井水」が語源だそうです。.
○参照
お釈迦さんのバースデー。龍が降らしたの?。へリンク。
天上天下唯我独尊ポーズ
は、ジョントラボルター?。 へリンク。
|