室町時代の百科事典といわれる「塵添あい嚢鈔」(じんてんあいのうしょう)に、そのくだりあり。
「大師の御影の上に山端に,佛形を図するあり。これなにごとぞ。
これは讃州善通寺にこの仏像御筆ありと云々その御影に書き加えるか。
いま所々にこれあり。
その起こりをいふに、讃州多度の郡屏風の浦はご誕生の地たるによって、
彼ここに還って遍覧し給しに、海岸浦の松、尋常の姿にあらず。
丹青の綵を交えたる事、屏風を立てたるがごとし。
仍て此の地名あるなり。
此地勝境たる故に大師練行し給時、弧峯の上片雲の中に、釈迦如来安祥として形を現し給いき。
大師歓喜のあまり則その姿を写し留め御座しける也。
それよりしてこの山を我拝師山とも号し、又湧出嶽ともなずけ給うものなり。」
醍醐三宝院のこの様式の御影の軸表紙に「善通寺形大師」と題されている。