「時間ある?。 ちょっとだけならありますよ。 それじゃ、刈萱堂によってくれる。」 「はー、なんで?。」 「えー、高野山に来たらここでしょ。」
「悲しい、悲しいお話だよ。」 「あー、石童丸?。 母親が不倫して、相手が仏門に入ったヤツでしょ。
それなのに、追いかけて、ストーカーしたやつでしょ。」 「・・・・・・・・、ふー、悲しい悲しい親子の話です、ふー。」
「だから、不倫でしょ、ストーカーでしょ。」 「・・・・・・・・、もういいよ、もう。」 「はは、それで絵本買ったの?。」 「この絵本、子供が聞いたらどうするのかね、不倫だよ。」
「もー、いいよ、もー、いいよ。」 「えっ、人魚?。 はー、お母さんの念持仏?。 うわー、強烈。」
「だから、女の人は怖いでしょ。」 「納得。」 「見ていかないの?。」 「怖いからスルーです、あなただけどうぞ。」 「えー。」
よくよく考えてみたら、かるかや物語。 不倫とストーカーですね。
以下解説看板より
○学文路苅萱堂
学文路苅萱堂(かむろかるかやどう)は、正式には如意珠山能満院仁徳寺(にょいしゅざんのうまんいんにんとくじ)と呼ばれる真言宗の寺院である。江戸時代に入って学文路を登山口とする不動坂が高野参詣の表参道となったことで、謡曲「苅萱」、説教節「かるかや」などで知られる千里御前(ちさとこぜん)ゆかりの地として、苅萱堂は女人禁制の高野山へ参拝が許されなかった女性を対象とした唱導(しょうどう)の場として賑わったという。
○人魚のミイラ
石童丸の母の遺宝として苅萱縁起中で参詣人に示された。推古天皇の世に蒲生川(滋賀県)で捕れたとの寺伝がある。
和歌山県 学文路苅萱堂所蔵 橋本市指定有形民族文化財
・この人魚のミイラは、滋賀県の蒲生川で千数百年年前に捕獲され、中世萱堂聖によって広められた「石童丸物語」を今に伝える絵解きとして、現在まで大切に保存されてきた。
○人魚のミイラ 元ネタ(近江国蒲生寺村小姓ヶ淵人魚の由来より)
今から千四百有余年前、近江国蒲生寺村の観音草堂にそれはそれは美しい尼層様が住んでおられ尼僧様に三兄妹の小姓が寺村の小姓ヶ淵に住みながら仕えておったそうです。
ある年いつもの年とは違い、日照りが続きどの田も地割れができ、稲は立ち枯れ、他の作物にも影響がでて大干ばつになりました。
村人たちは困り果て寺村の側を流れる佐久良川(当時近江国蒲生河)の小姓ヶ淵より「はねぎ」を利用して水をかいだし田畑を潤すことにしましたが、それもすぐに底をつき困りはてていたある日、小姓ヶ淵に行ってみると冷たい清水で小姓ヶ淵が満杯になっていました。喜んだ村人たちはその水に、手を合わせ拝みながら田畑に水を入れるのですがすぐに空になります。水がなくなって村人達が困るとまた水が淵に溜まる。この事が繰り返し行われるようになりました。
不思議に思った村の若者が、夜こっそりと淵に行ってみるとそこには観音堂に仕えていた三兄妹の小姓が、その姿は人間ではなく『人か魚か』見分けがつかない姿で、奥より水を入り口の淵へ尾を利用して水を跳ね出している光景を目の当たりにしました。若者は今見たふしぎな様を誰にも話さずにいたのですが、やがて村人達の間に、小姓ヶ淵に「不思議な物がいる」という噂が立ちました。その噂は村から村へ広がり話を聞いた心ならず者が、夜中にその淵に行き、投網により一物を捕まえてしまいました。
それはなんと人魚だったのです。
以来、不思議な物として豪商らにより人から人へ渡り歩きましたが、あるお方が観ずるところがあって、この奇物をいたずらに俗家に秘しても、益なしと、川合願成寺に納められ、この人魚は立派なお厨子に安置され、観世音の御加護をうけ安らかに眠っています。
後の一体は、蒲生河をさかのぼり小野村までのぼりましたが、ついに捕獲され死んでしまいました。村人は人魚塚を造り手厚く葬ったと言われております。
また、残りの一体はたまたま近江国蒲生野へお布教をされておりました弘法大師さまのお供をし、高野山魔萱堂仁徳寺観音堂へあがったと言うことです。
○伝説とロマンの里
「カムロ」という地名が初めて史料に見えるのは、平安末期の文治4年(1188年)で、村名の所見は、鎌倉末期の文暦2年(1235年)である。いづれも「高野山文書」にあり、当時高野山の寺領であったことがわかるが、地名にも村名にも「禿」の字が用いられている。
天正13年(1585年)豊臣秀吉の紀州征伐の時、高野山寺領は、全て没収された。天正19年から20年にかけて、東隣りの南馬場や西隣りの九度山などは、高野山寺領として認められたが、ここはそのまま紀州藩領として引き継がれ、その頃から「學文路」と書かれるようになった。
江戸時代の学文路は、高野参詣の表口として賑わい、「紀州續風土記」には、家数179軒8才以上の人数709人とあり、「紀州國名所圖會」には、この村には旅館が多かったことやなかでも刈萱堂心にゆかりのある玉屋旅館の繁盛ぶりなどが記されている。
今も「学文路苅萱堂」を筆頭にして「物狂石」や「梅天神」など伝説を秘めた旧跡が多く、街かどにたたずむ古い道標は、往時へのロマンをかきたててくれる。
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