・2014年08月28日(木)
黄泉の国の入口「黄泉比良坂(よもつひらさか)」
うーん、3日目は帰りなんだけど、時間があります、どうしたものかと英語の観光パンフレットをみたら、えっ、黄泉比良坂、???、Yomotsu
Hirasaka?、Underground?、なんじゃこれ。
ここにあったの?、とうことで松江からもJRで二駅なので、帰り道すがらよってみたものの、ナビのキーワードで検索しても出てこない、ネットで調べた住所入力(島根県松江市揖屋、島根県松江市東出雲町揖屋)しても番地がわからないから設定できず。
松江駅でもらっていた、パンフの位置を頼りに、適当に云ったら、看板を発見し、狭い道の行き止まりの駐車場に到着。
気合入れて歩いたら、なんだよ、駐車場のすぐ真上でした、うーん、巨石?、洞窟のふた?、一周して退散?したのでした。
ま、変なものがみえちゃったけどね、はは。
黄泉比良坂物語(Webより)
古事記や、日本書紀にあるこの神話を分かり易く、また古老の言い伝え等をまじえて、この物語としたい。
男神イザナギの命、女神イザナミの命の二神は、天つ神の「お前たち二人心を合わせて国土を生み、もろもろの神々を生んで、天の下の国と神々を立派に作るように」との仰せに従い、オノコロ島に立って、淡路、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州といわゆる大八洲の国土を作られ、次にはその国に住む様々な神々をお生みになり、最後に火の神をお生みになったが、この時イザナミの命は女の大切な女陰を焼かれてお亡くなりになった。
イザナギは亡くなった妻のイザナミに逢いたくて、あとを追いかけて黄泉の国へ行かれた。しかしここは死者だけのいる国であった。イザナギは大声で「我が最愛の妻イザナミよ。お前と二人で作った国はまだ作りおえておらぬ。早く還ってほしい」といわれた。けれどもイザナミは「それは残念でした。もっと早く迎えに来てくださったらよかったのに。私はもう黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。でもあなたがわざわざ迎えに来てくださったので、何とかして還りたいので、黄泉の国の神々に相談してみましょう。しかし私が返事を申し上げるまでは絶対に来られてはいけませんよ」と消えて行かれた。イザナギは待てども待てども返事がないので、とうとうしびれを切らし約束を破って真っ暗な黄泉の国へ入り、髪にさした櫛の歯を一本折ってそれに火をつけあたりをご覧になった。そこには体中に蛆のわいたイザナミの体が横たわっており、体の八か所には雷が生まれふた目と見られぬひどい姿であった。
驚いたイザナギは恐ろしくなって一生懸命逃げ還ろうとされた。ところがイザナミは「あれほどここへ来られぬようにと約束したのにそれを破って、私に辱をお見せになった」と大へん怒り、黄泉の国の魔女たちを使って大勢が追いかけた。追われたイザナギは、髪の飾りにしていた木の蔓を投げたら葡萄がなったり、櫛の歯を折って投げたら筍が生えた。魔女たちがそれを食べている間に逃げられたが、今度は黄泉の国の魔軍たちが大勢追いかけてきた。イザナギは黄泉比良坂の坂本まで逃げたところに折よく桃の木があり、その桃の実を投げつけてやっと退散させることが出来た。そこでイザナギは「お前が私を助けたように、この葦原の中つ国に暮らしている多くの人たちが苦しい目にあった時には助けてやってくれ」と仰せられオホカムヅミの命という名を、桃の実につけられた。
けれども最後にはイザナミ自身が追いかけてこられたので、イザナギは黄泉比良坂にあった大きな岩で道をふさいでしまわれた。その岩を中にしてイザナミは「あなたが約束を破ってこんな目にあわされたから、もう私はあなたの国へは還らない」といわれた。イザナギは「私は今でもお前が恋しくてならない。けれどもそんなに腹が立つなら仕方がない。別れることにしよう」とお互いに別離のことばを交わした。イザナミは「あなたがこんなことをしたからには、これから後あなたの国の人間を毎日千人ずつ殺す」といわれた。イザナギは「お前がそんなことをするなら私は毎日千五百の産屋をたててみせる」と仰せられた。そのようなわけで日本の人口は増えるといわれている。
このイザナミの命を黄泉津大神と申し、今の揖夜神社の祭神である。
このように記紀などからみると夫婦喧嘩の神であり、イザナミの命は不幸な神であったようにも受けとられるが、神は人間社会の不幸を救う存在として奉ったもので、神話の意図するものは夫婦仲良くすること、また女性は出産という大役を持つもので、産後が悪くて早く他界されたイザナミの命は女性の守り神となり後世あがめられた。今の揖夜神社の元宮は五反田にあり特に女性の諸病にはご利益があったと伝えられている。また桃の実の神オホカムヅミの命とは黄泉比良坂東方の山の上にある荒神森のことではなかろうか。
イザナミが黄泉の国に隠れた後をつけて通った谷を、今もつけ谷(付谷)といい、山坂道を追っかけ上がった坂を追谷坂(大谷坂)とよばれている。その峠には塞の神(道祖神)が祀ってあり、そこを越した所がヨミジ谷であって、ここに神蹟伝説の碑が建っている。この碑から西に行けば前記の付谷を渡り山越えして五反田、そこから勝負を越して須田方面に向かう。東方に行けば中意東越坂から、馬場に出て雉子谷を越えて高丸から安来市の岩舟方面に通じる。南方には山の峯道より上意東から荻山(京羅木山)や星上山に通じたのが大昔の道であったとは古老の語りぐさである。(比良坂神蹟保存会)
・2014年08月26日(火)
天気最悪の島根県。
レンタカー(アクア)で、出雲大社へ、約280kmを約4時間、中国山脈を越えたけど、強烈な坂ばかりで1500CCのアクアは、しんどかったです。
ま、こんかいの参拝理由は、「おかげ年」ということでした。
なんだよ、去年言ったのに、去年が最強じゃなかったのかよ、トホホということでした。
Webからコピペ(出雲大社のHPには、記述なし。)
2013年は出雲大社が60年に一度の本殿遷宮を、伊勢神宮が20年に一度の式年遷宮を、そろって迎えた記念すべき年でした。
遷宮翌年となる2014年は「おかげ年」。お伊勢参りから始まった風習で、遷宮翌年にお参りすれば、神様から特別なご利益(おかげ)を授かることができるとされています。
江戸時代には「おかげ参り」として社会現象にまでなりました。出雲大社でも、これまで遷宮翌年には景気が好転したり、縁結び効果で婚姻率が上昇したとか。
摂社・末社も含めると2016年まで続く出雲大社の「平成の大遷宮」。
2013年5月の本殿遷座祭後の遷宮事業として、出雲大社の境内および境外に点在する摂社・末社についても以下の通り修造が進められ、2016年2月完成。
平成25年(2013年)修造開始
7月 文庫
8月 南氏社
9月 北氏社
9月 素鵞社
12月 西十九社
12月 会所
平成26年(2014年)修造開始
4月 出雲井社
6月 祓社
7月 宝庫
12月 東十九社
平成27年(2015年)修造開始
3月 上宮
3月 因佐社
3月 湊社
4月 釜社
5月 銅鳥居