お気楽、お四国巡り お四国の仏様

悪星を閉じ込めた?。星の岩屋。

なに、この伝説?。
お大師さんが、星を落とした?。
落としたやつを、 封じ込めた?。
これ、 どういうこと?。
封じ込まなければならない邪悪な星がいたの?。
えー、デススターじゃないの?。
えっ、落とした法力が、 七昼夜秘法?。
レーザービーム、発射したの?。
朝から晩まで、七日間?、疲れません?。
それにしても、このデススターって、何星なんだろう?。

・・・・・、数日後。

おお、ありますよ、あります。
お大師さんが、21番太龍寺の舎心ヶ嶽で、
北斗七星を拝して、悪星を祈り落とした伝説がでてきましたよ。
これこれ、これです、これ。
そう言えば、北斗七星にからんで、悪星がありましたね、これだな。

阿波の19番立江寺の奥の院、 星谷寺。
ここで、空海が悪星を閉じ込めたそうです。
空海が刻んだと言われる、ここの本尊の十一面観音と妙見菩薩、
そして、立江寺のご本尊薬師如来。
薬師如来、十一面観音、妙見菩薩が揃えば、北辰信仰、北斗七星ですね。
だから、 北斗七星に付随する悪星じゃないでしょうか。

○縁起

当地方に悪星出現云々の流言はびこり、人心悩めるを憐れみ、深山に分け入り、天際より落つる白滝後に大岩窟を控えたる仙境を発見し、七昼夜秘法を修せられ、衆生の迷いを取り除かれた、と伝えられる霊地である

○星の岩屋

正式名 岩屋山 星谷寺

場所 徳島県勝浦郡勝浦町大字星谷字大明神45
宗派 高野山真言宗
本尊  十一面観音
創建 (伝)延暦11年(792年)
開基 (伝)空海(弘法大師)


○19番立江寺、中津峰山、21番太龍寺

弘法大師が、太龍寺山の舎心ヶ嶽「21番太龍寺」から「中津峰山」の方向に「北斗七星」を拝して、悪星を祈り落とした。
中津峰山の南麓に、「星の岩屋・星谷寺」があります。
「中津峰山」の方向には、20番鶴林寺、星谷寺、19番恩山寺がありますが、これと関係は?。

○生不動のクス

樹齢約450年の樟の木。
かわいいデフォルメ不動明王です。
金属製の利剣と索をもっています。

○不動の滝(裏見の滝)

うーん、日本古来のおきて?からしたら、悪を祀って善に転化するので、
かなりのパワーがでているってことじゃない。
ひょっとして、お寺の瀧の裏へまわりこんだら、
その パワーをいただけるのかな?。
瀧=パワーの放出ってことかな?、勝手に解釈でした。
ちなみに、この瀧の右手の岩盤に不動明王が刻まれています。
磨崖仏でしょうか?。

○鳥居

・参道の二本の杉の木

階段の途中に、二本の巨木。
あたかも、鳥居の如くそびえ立っていました。
見方によっては、鬼の角。

・洞窟の鳥居

赤い鳥居と赤い祠が3つとひとつ?。

○御神体?

疑問なんだけど、落とした星は今どこにあるのでしょうか?。
いままで私が知っている知識からしたら、

1.「閉じ込めた」とあるので、滝がある岩盤の中(悪を善に変えて、そこから出ている水に霊験有り?)
2.妙見菩薩の祠の中
3.大師堂の中
4.お大師さんが刻んだ、十一面観音か、妙見菩薩の中
5.お大師さんが星から、妙見菩薩を彫った。
5.星(隕鉄)から剣をつくってお祀りしている。


○四国遍礼霊場記

  附取星寺  星谷
右立江より参十町はかりわきに。いはわき村といふに取星寺あり。此寺に大師釣召乃星といふ物あり。
厨子にいれ。蓮華座に安す。青黒色玲瓏として愛しつべし。

此所より二十町ほと隔て星谷といふに。星乃岩屋あり。三間四方もありなん。岩窟の口半斗に数丈乃瀧あり。
殆霊区ときこゆ。此岩上に取星寺乃星降れりといひ伝へたり。星石山と号す


星隕て石となる事。もろこしにもむかし
よりいひ。既に左伝に載侍つ儒乃説に天は積気とし。日月ハ陰陽の精。星ハ万物乃精といふ。北斉の顔之推論ずる事有。
凡人の憶説依拠にたらずといへり。俗間いろ々々にあやしむ皆あたらす。釈家の誇説もなき事あたはすといへとも。
大覚乃誠言は実験おほし星谷より行て坂本と云村あり。此一村は霜ふらずといふ。
むかし大師此所に宿し玉ふ夜霜いたくふり。此里人常に寒苦に堪かたしと愁るを大師聞しめて加持し玉ひしより。
此里霜を見すとなん。隣村には殊に霜ふかけれは。人奇とせざる事を得す


◎もう一つの星伝説(webより収集)

○お寺情報

妙見山 取星寺(しゅしょうじ)

札所 四国八十八箇所19番奥の院
場所 徳島県阿南市羽ノ浦町岩脇字松ノ本71
電話 0884-44-2779
宗派 高野山真言宗
本尊 虚空蔵菩薩
創建  (伝)延暦11年(792年)
開基  (伝)空海(弘法大師)
寺宝 大師鈎召(こーしょー)の星

○縁起

 当山は今から1200年昔、弘法大師さまによって開かれたお寺であります。
 お大師さまは18才の時、阿南市龍山に於いて求聞持という記憶力がよくなる修業をせられました。その時、大空に悪星が出現して伝染病が流行したり洪水が起こったりして住民は大変難儀しましたので、お大師さまは悪星を祈り落す御祈祷 (鈎召の修法)をしましたところ、お大師さまの念力に屈した悪星は忽ち落下して当山の松の木にかかりましたので、その星を拾い妙見菩薩と虚空蔵菩薩の二尊を彫刻して本尊としお寺を建立して取星寺と称しました。
 その後、足利時代後小松天皇が病気の時、時の住職増吽上人に勅命が下り、病気平癒の御祈念を致しましたところ、御全快あそばされたので天皇は大変御喜びになって、御礼に水晶の念珠と紫衣を賜りました。また増吽上人が三宝荒神を勧請して以来神徳赫々と輝いております。天保3年弘法大師一千年御遠忌記念事業として快典上人は山麓山頂にかけて四国八十八ケ所の代拝所たる新四国建設を発願し、師資25年の歳月をかけて完成しました。

○取星寺の昔話(webより)

 とんと昔、あったと。
 阿南市羽ノ浦町岩脇に取星寺がある。ここにも弘法大師伝説がある。
 お大師さんが三栗へ着いて、しばらくはここにおられたが、ほのとき、人や動物、農作物にいたずらする悪い星が天におるんを見付けられた。お大師さんはさっそくこの星をにらみ落とした。
 この星は、那賀川沿いを西へ西へ走って逃げ出したそうな。お大師さんはつかまえようと追いかけた。ところが、逃げ足の早い星をなかなかつかまえることがでけなんだ。
 やっと、今、星取寺のあるあたりで追いついたが、悪い星をつかまえるにはお大師さんはあまりにも疲れとった。しかし、早うつかまえんと星は逃げてしまう。もし、山ん中へ逃げ込んだらつかまえることがでけんようになる。ほんで、お大師さんは、自分の体をおどらせて悪い星に噛みついたそうな。
お大師さんが、やっとのことで悪い星に噛みついた。ほんで、人や動物、農作物に悪さをする星をやっつけることがでけた。
 ところが、お大師さんが星に噛みついたとき、この星は酸っぱかったそうだ。阿波の方言で、酸っぱいことを「すいい」というが、ほんで、ここに建てた寺を「すいしょうじ」と名付けたそうな。ほんで、近くのもんは、取星寺を「すいしょうじ」ちゅうてお参りにきよるんじゃ。
 こんな言い伝えもある。悪い星は星でのうて、ほんまは悪党じゃった。お大師さんが悪党をやっつけてから、村のもんは安楽に暮らせるようになった。
 取星寺も時がたつにつれて荒れ果てとった。ほこで、讃岐の与田寺(よだじ)から増吽上人ちゅうえらい坊さんがやってきて、りっぱに建て直したそうな。
 今では寺のあたりは公園となり、桜の名所としてよう知られとる。おーしまい。