「えー、まさかこれを見るためだけに来たんじゃないよね。」 「・・・・・・・。」 「そ、その沈黙?。うえー、もうかんべんして。」 「・・・・・・・、お大師さんが、ここの洞窟で修行したんですけど。」
「伝説でしょ。」 「石手寺で見た手形と同じものか確認したかったのだけどね、はは。」 「弁天さんと周りの童子は同じゃないの?。」
「いや、だから、お大師さんの手形が見たかったんですけど、はは。」 「ガラス張りのケースの中だから、裏返すことはできないませんね、ふふ。
残念でした、ふふ。」 「・・・・・・、スッポンポンの弁天様と、八臂弁財天が拝めたからOKとしますか、はは。」
「ほんとうは、そのスッポンポンを見たかったんじゃないの?。」 「うっ、はは、ふー。」 「参道のメガ天ぷら丼で許してやるよ、ふふ。」
「えー、ラッキー。」 「はー。」
江ノ島の弁財天さんに呼ばれたというべきなんでしょうか。
三重で交通渋滞に阻まれて、うん十時間の運転の末に、到着でした。 今は神社が中心だけど、仏教の弁財天が有名なので、
辺津宮(へつのみや)の左隣にある六角形の奉安殿に、それぞれが鎮座していました。
○神社情報
江島神社「http://www.enoshimajinja.or.jp/」
場所 神奈川県藤沢市江の島2丁目3番8号 電話 0466-22-4020 ○縁起(hpより) 伝説によれば、鎌倉には昔、五つの頭を持つ龍がいて悪行を重ねていました。
そこへ弁財天が天から舞い降り、天女に恋心を抱く五頭龍を諭し、悪行をやめさせました。 この五頭龍をまつるのが龍口明神社(鎌倉市腰越)です。
その後、五頭龍は海を離れ、山に姿を変えました。これが現在の藤沢市龍口山です。 そして、天女の天下りとともに出現した島が現在の江ノ島。
天女は江島神社に奉られている弁財天です。 江島神社には弁財天堂があり裸弁財天像が奉られています。 ○社伝(hpより) このいわれに、弘法大師空海の修行の一部が明記されていました。
社伝によると、欽明天皇十三年(552年)に、「欽明天皇の御宇、神宣により詔して 宮を島南の竜穴に建てられ
一歳二度の祭祀この時に始まる」とあります。
これは、欽明天皇の勅命で、島の洞窟(岩屋)に神様を祀ったのが、江島神社の始まりであることが記されてます。
欽明天皇は、聖徳太子よりも少し前の時代の天皇で、 この頃、日本では仏教が公伝され、日本固有の神道と外来の仏教が共に大事にされていました。
江島神社は、当時は、海運、漁業、交通の守護神として祀られ、
御窟(おんいわや)を本宮といい、奥津宮を本宮御旅所、中津宮を上の宮、辺津宮を下の宮と呼んでいました。
その後、文武天皇4年(700年)に、役小角という修験者がこの御窟に参籠して神感を受け、
泰澄、道智、弘法、安然、日蓮などの名僧が、次々に行を練り、高い御神徳を仰いだと伝えられています。
それから後、仏教との習合により江島は金亀山与願寺と号し、 源頼朝は鳥居を奉納し、北条時政は参籠し、龍の三つの鱗を授けられ、それを家紋としました。
また御宇多天皇は、蒙古軍を撃ち退けた御礼として、江島大明神の勅額を奉納されました。
このように朝廷及び、武将を始め、庶民の信仰も篤く、江戸時代には、江島弁財天への信仰が集まり、 江ノ島詣の人々で大変な賑わいを見せました。 ○弘法大師伝説 参照 お大師さんの手形に、ハイタッチ、低すぎかな。へリンク ○一遍伝説 四国の札所と関係ある一遍さんの、 一遍上人の島井戸「一遍成就水」がありました。 ここで修行?されたそうです。 ○自然豊 ずーと、岩窟の方向へ進んでいくと、なんとリスが数匹、戯れていました。 |