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いつ来ても善通寺は広いな、ほんとにひろい。
あの事件以来、本堂へは近づかなくなったけど、西側のところだけでも、ひろいよ。
おっ、炎があがってます、あがってまーす。 テンションあがちゃったよ。 今日は護摩の日かな?、久しぶりに見るね。
それじゃ、久しぶりに「親鸞さん」に会いましょうかね。
ここの親鸞さん、やさしいお顔しているよね。 親鸞さん自ら彫ったらしいけど、人柄がにじみ出てるね。 なんかしみじみとしちゃうよな。
それと、 いつも、ここのお堂に人がいないから、貸切状態。
私だけを見てくれる親鸞さん。
うーん、これ、いいかもね。 毎回、寄ちゃおうかな、はは。
75番善通寺、西側の伽藍、納経所の近くに、このお堂があります。
前々からここに親鸞上人のお堂があり、自分で彫られた仏様があるのを知っていましたが、 なかなか、拝見できることができませんでした。
何回かお遍路さんで善通寺を訪れていたら、やっと会えることができました。 これもご縁でしょうか。
○親鸞堂(解説書より)
別名「鎌田の御影」といわれていおり、日本で唯一の親鸞聖人がご自分で作られたものだそうです。
その由来は、上人62歳の時、関東地方を遊化の砌り、下総国鎌田荘(現在の千葉県市川市)吉田源五左衛門易幹という信者の家に留錫して朝夕法談しておられた所、上人ご帰洛に際し、吉田夫婦他数多の信者深く名残を惜しまれたので、上人は自ら木像を刻み誓いの一詩をその像の背中に刻み付け「讃岐善通寺は弘法大師生誕の霊地にて我が師法然上人は彼の地に詣でて自ら逆修の塔を建て給へり。
我も彼の地へ詣でなんと思えど、その願いを果たさず、願わくば、この像を彼の寺に送り今生の願望を遂げしめよ」と遺命せられました。その後、吉田家にて大切に供養していたが、しばしば霊夢に托して、早く善通寺へ送れよとのお告げがあり、遂に三代の孫、吉田源次左衛門年幹なる者、この像を送り来り、当山に納められたのであります。
○あの事件
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○背筋がゾツとした
2014年6月15日(日)、ちょうどこの日が「弘法大師御誕生会」だったので、稚児大師ご開帳の合間をぬってあいにいった。
なにげに、親鸞さんの目をみたら、背筋がゾクとした、なんでだろう。
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