お気楽、お四国巡り お四国の仏様

脇役の伝説があるけど、馬頭観音さんは、命令しただけ?。

「おいおい、おい。馬頭観音さん、出番とられちゃった?。」
「はー、なんのこと?、また、あんたのウンチク?。」
「うっ、ウンチク?。
いやー、これは有名な話なんだけどね、なんでだろうね。
ほんとだったら、馬頭観音さんのド憤怒と手に持った武器で、
退散させた伝説が聞きたかったな、はは。
ひょっとして、ここのお寺の主役は、阿弥陀さんじゃないの?。はは。」
「はー、さっさとウンチク聞いてやるから、離せよ、前ふり長すぎ。」
「はは、聞いてくれる、実はね、お遍路さんの天敵、長曽我部元親が、・・・・・。」
「えーと、昼ごはんはなにに、するかな、なにがいいかな。
この近く、食堂あったかな、うーん。」
「それで、それで、それでね、ご住職が切りつけられて、あれ、聞いてる?。」
「聞こえてます、ふふ。」
「えー、阿弥陀さんが対活躍した活劇だよ。
聞かなきゃダメだよ。」
「うっ、それを先に言って、ふふ。
それで、どうしたの?。」
「だから、・・・・・・、なの?。」
「・・・・・、完璧に知らないでしょ?。」
「うっ、うー、ごめんなさい、はは。」

讃岐の70番本山寺。
この札所には、二つの伝説があります。
一つ目が、大師一夜建立の本堂。
二つ目が、太刀受けの阿弥陀如来。
ここの本尊は四国八十八ケ所霊場唯一の馬頭観音さんです。
その脇には、阿弥陀如来さんと薬師如来さんです。
うーん、観音様は阿弥陀如来の化身なので、脇に控えるのは考えにくいんですが、
いろいろあったんですね。
地獄極楽と阿弥陀如来を調べていたら、この阿弥陀さんを発見したので、
ここに解説がありましたので、載せて置きます。
ほとんとうだったら、馬頭観音さんが大活躍したら、すごかったかも。

○質問したいけど

なんで、ここを本陣にしようとしたの?。
なんで、このとき、讃岐の領主が助けに来なかったの?。
(敗戦していた後?)
なんで、馬頭観音さんじゃなくて、阿弥陀如来さんなの?。
なんで、阿弥陀如来さんは、右のひじから血が流れていたの?。
(ここを切られた理由、ここで太刀を受けた理由)
そして、阿弥陀如来さんの、ジェスチャーはなに?。
切りつけた兵士は、どうなったの?。

○太刀受けの阿弥陀如来(webより)

 戦国時代のことである。土佐の長曽我部元親が讃岐を平定しようとして阿波から乱入してきた。
そして本山寺に来てここを本陣にしようとした。
当時の住職はここは殺生禁断のところだから立ち入っては困るといって、長曽我部軍のいうことを聞かないでいた。
すると兵士たちはやにわに住職を一刀のもとに斬り殺してしまった。
こうして中へ入ろうとすると、なんと斬り殺したと思った住職が本堂の縁側に立って兵の乱入をこばんでいるではないか。
これは不思議だと思って兵士たちがよく見ると、赤い血のあとが点々として本堂の内陣の中まで入っている。
なおも跡をたどると、厨子の中にまで血のあとはつづいている。
厨子の扉が少し開いているので中をのぞいてみると、脇仏の阿弥陀如来の右のひじのところから血が流れていた。
さては阿弥陀如来は身代りになったのかと、長曽我部の軍は早々に退いていったという。
それから後、この阿陀如来は身代りの阿弥陀如来というようになった。

○大師一夜建立の本堂(webより)

 弘法大師はこの寺の本堂を建立するために、讃岐の山々に用材を求めたが得ることができなかった。
そこで阿波の井内谷の山にまで出かけ、用材を伐り倒した。
今も井内谷には多比大師(たびたいし)というのがあるが、それはその折に大師が滞在した跡であるという。
 それから阿波と讃岐との峠を越えて讃岐の国へ下りて来て、本山の近くまで来た時に一本の柱を落した。
それに大師が地蔵菩薩を彫りつけたのが、今に残る枯木の地蔵であるという。 
 大師は用材がととのうと、この本堂を一夜で建立したが、この建物は今では重要文化財となっている。


○四国八十八ヶ所霊場開創1200年 ご本尊のご開帳 6月9日~22日、11月10日~23日

100年ぶりの前立がご開帳でした。
かぶりつき状態で拝めました、どこかでみた造形でした?。
金色でした。
拝観料は300円、記念の「さんが」付でした。
ちなみに、本尊の厨子のわきに不動と愛染明王がいましたが、
基本的な並び方じゃなくて、向かって右に不動、向かって左に愛染明王でした。
この配置に、どんな意味があるのでしょうか?。

○札所の馬頭観音様

確認できたのが、

土佐の

31番 竹林寺は、本堂の中
33番 雪蹊寺は、お堂あり