お気楽、お四国巡り お四国の仏様

なにを言いたいのかわからないから解説してね、増上寺の五百羅漢。

・・・・・・・、ご、五百羅漢?。
お寺とかによくある、五百体の石仏?。
誰かに似た顔があるやつ?。
ふーん、ぶ、仏画?、はー、なにそれ?。
狩野?、へー、あの有名な狩野派?。
ふーん、仏画ね?。
なんじゃこりゃ、なんじゃー、説話?、なになに、なに?。
面白そうじゃない、わくわく、だね。

・・・・・・・、数週間後。

・・・・・・・・、なにこれ、なにこの解説?。
何がいいたいの、伝わってこないよー、なんだー。
五人の羅漢が、100枚あるから、五百羅漢?。
あれ、六人いませんか?、気のせい?。
うーん、今までの宗教知識を総動員しても、わかんねーよ、なんで、これ描いたの?。
ベースになるお経があるの?、説話があるの、わかんねーよー。
何を言いたいのー。
あれれ、れー、増上寺って、阿弥陀さんが本尊なのに、どこかで出てきました?。
鏡から後光?、えー、これ魔鏡じゃない?。
うおー、観音様?、密教法具?、えー、えー、極楽浄土はどこ?。
えーえーえー、七難?、それじゃ、七福はどこ、どこ?。
わかんねー、結局なにを言いたかったの?、伝えたかったの?。
よくわからない五百羅漢でした。
同時開催のイベントに出ないとわからないってこと?。

○勝手に質問だな。

1.説話、お経はなにをベースにしたの。
2.釈迦、舎利、観音、不動、鬼子母神、閻魔大王、阿弥陀?、民間で信仰されているもの全部登場なの?。
3.ほら貝、密教法具、行者がでてきたけど、密教との繋がりはなに?。
4.場面場面ででてくる植物は何を意図している?。
5.巨大なコイの口から出てきた子供はなに?

・・・・・・、質問ありすぎ

ちなみに、いろいろ質問したけど、回答になっていなかった、またもや、学芸員が出てこなかった、出張だそうだ。


○yab山口朝日放送開局20周年特別企画 大本山 増上寺秘蔵 五百羅漢 ─幕末の鬼才 狩野一信

2013年10月10日(木)〜12月8日(日)
[開館時間] 9:00〜17:00(入館は16:30まで) [休館日]月曜日
※ただし10月14日、11月4日は開館(翌10月15日〈火〉、11月5日〈火〉休館)
[観覧料] 一般 1200円(1000円)/シニア・学生 1000円(800円)

◎コレクション展セット券〈当日券のみ〉 一般 1300円(1100円)/学生 1100円(900円)
※シニアは70歳以上の方、( )内は前売りおよび20名以上の団体料金。
※18歳以下および高等学校、中等教育学校、特別支援学校に在籍の方等は無料。
※前売り券はローソンチケット(Lコード67706)、セブンチケット(セブンコード025-653)および県内各プレイガイドでお求めください。
[主催] 五百羅漢図展実行委員会(山口県立美術館、朝日新聞社、yab山口朝日放送) [監修] 山下裕二(明治学院大学教授)
[企画協力] 広瀬麻美(浅野研究所) [後援]九州朝日放送、広島ホームテレビ [特別協力]エフエム山口
[特別協賛] ミサワホーム中国

山口県立美術館
〒753-0089 山口市亀山町3-1 Tel. 083-925-7788

・展示概要

東京タワーを背景に広がる名刹、港区芝公園の増上寺。江戸時代には徳川将軍家の菩提寺となり、現在も浄土宗大本山として日本有数の寺格を誇るこの大寺院に、日本美術史上類をみない超大作が秘蔵されてきたのをご存じでしょうか。その名は「五百羅漢図(ごひゃくらかんず)」。今から遡ることおよそ150年前、幕末の江戸に生きた鬼才の絵師、狩野一信(かのうかずのぶ)(1816–63)によって描かれた、壮大なスケールの作品です。
江戸時代以降、仏教における聖人“五百羅漢”に対する信仰は庶民へと広がり、全国規模での流行をみせていました。石像や木像などが次々と作られるなか、一信が構想した五百羅漢図は、身の丈ほどの大きな掛軸全100幅(100枚)に、それぞれ5人ずつの羅漢を登場させ、総勢で500人の羅漢たちが、一大叙事詩を繰り広げていくというもの。このいまだかつてない大作の完成を目指し、30代の終わりから病で没するまでの約10年もの歳月、自らの命を削りながら、ひたすらに描き続けたのです。
その画面は、仏典や僧侶の教えに基づく真摯な学習成果をもとに、伝統的な羅漢図から最新の西洋画にいたる多彩な様式を織り交ぜた、巧みな筆遣いによって形作られています。異様なほどの細密さと極彩色が大画面を埋め尽くしつつ、衝撃的なシーンの数々が展開してゆくさまは、妖気ともいうべきあやしさを放ち、観る者に迫ります。 このたびの展覧会は一信の没後150年を迎え、「五百羅漢図」全100幅を一挙にご紹介する、西日本初の試みとなります。篤い信仰心と、絵師としての情熱によって生み出された、500人の羅漢たちが織りなす世界をご堪能ください。

・羅漢と五百羅漢信仰

羅漢とは本来“仏道修行の最高段階にある、尊敬されるべき人”のこと。なかでも五百羅漢は“釈迦の直弟子としてその教えを広めた500人の聖者たち”とされています。江戸時代には「必ず自分そっくりの像がある、亡き大切な人に対面できる」と広まり、五百羅漢信仰は大ブレイク。全国各地でさまざまな絵画や石像、木像が次々制作される空前の“羅漢ブーム”が到来しました。

・狩野一信

江戸本所林町(現在の墨田区立川)生まれの幕末の絵師(文化13年[1816]〜文久3年[1863])。江戸狩野派で学んだとされますがその履歴には未だ謎も多く、「五百羅漢図」の再発見を機会に、昨今急速に高い注目を集めている絵師の一人です。
本展では一信の優れた技量を伝える、成田山新勝寺の旧本堂壁画であった4×5メートルからなる迫力の「釈迦文殊普賢四天王十大弟子図」や、徳川家康を描いた「東照大権現像」をはじめ、近年存在が明らかとなった作品も合わせて展示します。

・特別展示

「釈迦文殊普賢四天王十大弟子図」安政三年(1856)~安政五年(1858)頃
大本山成田山新勝寺蔵

大本山成田山新勝寺に伝わる「釈迦文殊普賢四天王十大弟子図」は、一信が手がけたなかでも、最も壮麗な作品です。安政五年(1858)に完成した成田山新勝寺本堂(現・釈迦堂)のために描かれた壁画で、現在は4×5メートルからなる巨大な掛軸となっています。本展覧会では、一信の篤い信仰心を伝えてくれるこの迫力ある大作も、合わせてご覧いただきます。

☆五百羅漢構成

第1~10幅 羅漢の日常の暮らしぶりを表す場面
第11~20幅 自ら懺悔し、出家者や異教徒を教化する場面
第21~40幅 生前の罪により巡る地獄など六道から救済する場面
第41~50幅 12の衣食住に関する欲を取り除く修行の場面
第51~60幅 神通力を発揮する場面
第61~70幅 禽獣たちを手なづける場面
第71~74幅 竜宮に招かれ、供養を受ける場面
第75~80幅 仏像や舎利を洗い、寺院を建立する場面
第81~90幅 さまざまな天災、人災からの救済を表す場面
第91~100幅 須弥山のまわりにある4つの大陸を巡る場面

第1幅 名相(みょうそう)
第2幅 名相
第3幅 名相
第4幅 名相
第5幅 名相
第6幅 名相
第7幅 名相
第8幅 名相
第9幅 浴室(よくしつ)
第10幅 浴室

第11幅 授戒(じゅかい)
第12幅 授戒
第13幅 布薩(ふさつ)
第14幅 布薩
第15幅 論議(ろんぎ)
第16幅 論議
第17幅 剃度(ていど)
第18幅 剃度
第19幅 伏外道(ふくげどう)
第20幅 伏外道

第21幅 六道 地獄(ろくどう じごく)
第22幅 六道 地獄
第23幅 六道 地獄
第24幅 六道 地獄
第25幅 六道 鬼趣(きしゅ)
第26幅 六道 鬼趣
第27幅 六道 鬼趣
第28幅 六道 鬼趣
第29幅 六道 畜生(ちくしょう)
第30幅 六道 畜生
第31幅 六道 修羅(しゅら)
第32幅 六道 修羅
第33幅 六道 人(にん)
第34幅 六道 人
第35幅 六道 人
第36幅 六道 人
第37幅 六道 天(てん)
第38幅 六道 天
第39幅 六道 天
第40幅 六道 天

第41幅 十二頭陀 阿蘭若(じゅうにずだ あらんにゃ)
第42幅 十二頭陀 阿蘭若
第43幅 十二頭陀 常乞食(じょうこつじき)
第44幅 十二頭陀 次第乞食(しだいこつじき)
第45幅 十二頭陀 節食之分(せつじきしぶん)
第46幅 十二頭陀 中後不飲漿 一坐食節量食(ちゅうごふおんじょう いちざじきせつりょうじき)
第47幅 十二頭陀 衲衣(のうえ)
第48幅 十二頭陀 但三衣(たんさんね)
第49幅 十二頭陀 冢間樹下(ちょうげんじゅげ)
第50幅 十二頭陀 露地常坐(ろじじょうざ)

第51幅 神通(じんつう)
第52幅 神通
第53幅 神通
第54幅 神通
第55幅 神通
第56幅 神通
第57幅 神通
第58幅 神通
第59幅 神通
第60幅 神通

第61幅 禽獣(きんじゅう)
第62幅 禽獣
第63幅 禽獣
第64幅 禽獣
第65幅 禽獣
第66幅 禽獣
第67幅 禽獣
第68幅 禽獣
第69幅 禽獣
第70幅 禽獣

第71幅 龍供(りゅうぐ)
第72幅 龍供
第73幅 龍供
第74幅 龍供

第75幅 洗仏等(せんぶつとう)
第76幅 洗舎利(せんしゅり)
第77幅 堂伽藍(どうがらん)
第78幅 堂伽藍
第79幅 堂伽藍
第80幅 堂伽藍

第81幅 七難 震(しちなん しん)
第82幅 七難 震
第83幅 七難 風(ふう)
第84幅 七難 風
第85幅 七難 羅刹(らせつ)
第86幅 七難 悪鬼(あっき)
第87幅 七難 刀杖(とうじょう)
第88幅 七難 賊(ぞく)
第89幅 七難 枷鎖(かさ)
第90幅 七難 盗(とう)

第91幅 四洲 南(ししゅう なん)
第92幅 四洲 南
第93幅 四洲 南
第94幅 四洲 南
第95幅 四洲 東(とう)
第96幅 四洲 東
第97幅 四洲 西(さい)
第98幅 四洲 西
第99幅 四洲 北(ほく)
第100幅 四洲 北


◎法然上人八百年御忌奉賛 五百羅漢 増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信(webより)

展覧会名 法然上人八百年御忌奉賛 特別展「五百羅漢―増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」
会  期 平成23年(2011)4月29日(金・祝)~ 7月3日(日)
会  場 東京都江戸東京博物館 1階展示室 〒130-0015 東京都墨田区横網1-4-1
主  催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、大本山 増上寺、日本経済新聞社
監  修 山下裕二(明治学院大学教授)
企画協力 浅野研究所

出品作品

狩野一信「五百羅漢図」全100幅(増上寺蔵)
狩野一信「釈迦文殊普賢四天王十大弟子図」、「十六羅漢図」(成田山新勝寺蔵)
狩野一信「五百羅漢図」彩色下絵50幅のうちの10幅(東京国立博物館蔵)
(展示替えあり)
狩野一信「五百羅漢図」下絵12点(大松寺、大信寺蔵)
狩野一信 下絵及び資料

・五百羅漢とは

羅漢は釈迦の弟子として、すでにこの世にいない釈迦の残した法を求め、それを悟ったものとして人々に信仰されてきました。五百羅漢という形式の作例は、古くは中国・南宋時代(12世紀)の林庭珪(りんていけい)・周季常(しゅうきじょう)の合作によるもの(大徳寺、ボストン美術館、フリア美術館に分蔵)があります。中国で盛んだった羅漢信仰が日本に伝わり、輸入された中国絵画にならった南北朝時代(14世紀)の吉山明兆(きつざんみんちょう)によるもの(東福寺、根津美術館に分蔵)などが知られています。
そして江戸時代中期以降、各地で様々な五百羅漢の木彫、石像が盛んに制作されるようになります。五百羅漢を訪ねれば、いまは亡き大切な人に対面できるという信仰が一挙に広まりました。また制作に想像を絶する時間と労力が必要なことから、ひたすら打ち込んで造るという造像の功徳に対する願いも反映されて、「羅漢ブーム」ともいえる現象が起こりました。

・狩野一信とは

幕末の江戸に生きた、知られざる絵師・狩野一信(かずのぶ)(1816〜63)。 15世紀から19世紀までの約400年続いた狩野派の最後を飾る、異色の存在です。これまで、ごく一部の専門家の間ではきわめて高く評価されてきましたが、一般的にはまだほとんど知られていません。
一信は幼くして幕府表絵師・狩野章信に入門しますが、12歳のころに師は没し、以後ほぼ独学で絵を究め、寺院等の要望にこたえ、増上寺の五百羅漢図100幅をはじめとする入魂の大作を遺しました。狩野派の伝統的手法に加え、当時日本に伝わった洋風の陰影法、遠近法を積極的に取り入れたその画風は、従来の狩野派はもちろん、それまでの日本における絵画表現の常識を突き抜けた、強烈な表現意欲によるものです。一信は独力で磨き上げた技術を駆使し、幕末という不安な時代の空気を濃厚に反映した、新たな宗教観にもとづく絵を遺しました。

・狩野一信と五百羅漢

羅漢図は十六羅漢図、十八羅漢図、あるいは単体の羅漢や釈迦とともに描かれたものなどが知られていますが、一信はそういった過去の作例を学習しつつ、1幅に5人ずつ、計500人の五百羅漢を描く空前絶後の100幅を構想しました。それぞれ人の背丈ほどの大きさの画面(高さ約172cm、幅約85cm)いっぱいに、羅漢たちの修行や日常の姿、衆生を救済する様子が、その弟子、供養者とともに、さまざま場面の中に極彩色で描かれています。
一信は約10年の歳月を五百羅漢図の制作に費やし、その間、他の作品をほとんど描いていないと推測されますが、残念ながら、96幅まで描き終えた数え年48歳で病没し、残り4幅は妻・妙安(みょうあん)、弟子・一純(かずよし)らが補って完成させ、文久3年(1863)に増上寺に奉納されました。


○Webより

狩野一信筆《五百羅漢図》の制作方針―増上寺学僧の観点から―白木菜保子(九州大学大学院)

芝・増上寺に所蔵される絵師・狩野一信筆《五百羅漢図》(1854~1863/以下、増上寺本)は、2幅に10人の羅漢を表す100幅構成の全体に西洋画法や濃彩による着色を展開させ、仏教主題を迫真的に描きだしている。
1983年の河合正朝氏による詳細な報告以来、増上本の重要性は広く認知されてきたが、近年の江戸東京博物館における全幅展示と海外での展覧を機縁に、増上寺本と狩野一信の研究は新たな段階を迎えている。
本発表では、これまで十分に検討の及んでいない増上寺本の制作時における当寺の学僧たちの指導や助言を分析し、寺側から与えられた制作方針に一信がいかに向き合い、それを作品に実現させようとしたか考察する。
増上寺本に付随する大雲『新図五百大阿羅漢記』(1863)によれば、大雲は鵜飼徹定(1815~1891)、日野霊瑞(1818~1896)とともに一信に「羅漢の真容」を描くように指導したという。
とりわけ、「梵土の古儀」を表す「羅漢の真容」として禅月大師の応夢羅漢を是認する一方、李龍眠(張玄)様で描かれた羅漢図を中国化されたものとして退けた点に、学僧たちの観点が顕著にあらわれている。
日本の江戸時代までに制作された五百羅漢図は、一般に大徳寺伝来本(1178~1188/南宋)に代表される李龍眠(張玄)様の図像を規範として踏襲するばかりであったが、増上寺本は、学僧たちの制作方針をつよく反映し、伝統図像の採用を部分的なものに留めて新たに全体の図像を構想している点で革新的な内容となっている。
近世の人々は、五彩の瓦・塼といったモチーフに外国・龍宮・鬼の住処といった様々な「異国」をみる豊かな想像力を持っていたが、一信もまた、数多くの建築物の描写にこれらのモチーフを使用することを通して「梵土」の情景を表わしている。
一信が求められ増上寺本に実現させようとした「梵土」の情景は、現代から見れば日本や中国の要素も含んだ想像上の世界として認識されるが、それは釈迦の生きた時代であれ、同時代であれ、現実のインドを具体的に知見することができない条件下に生きた日本の絵師の限界とも言える。
一信が増上寺本に着手したのは、日米和親条約の締結を以って鎖国が解かれた1854年であったが、想像上の「梵土」がインドへと交替するには、今しばらく、近代の幕開けをまたねばならなかった。