お気楽、お四国巡り お四国の仏様

梵字?をまとった波切不動。36番青龍寺。 

「納経所でもらう、御影なんだけど、
ご本尊を模写したものだよね。」
「だから、御影っていうんじゃないの?。」
「おっ、これこれ、これみて、すごくかっこいいよ、これ。」
「どれどれ、どれ?。
えー、なにー、これ、すごいじゃん。」
「ご本尊も、こんなになっているのかな?。
すごーい。かっこいいー。」
「うう、絶対、見てみたいよ。
この、お不動さん。」

・・・・・・、数年後。

「あれれ、今日の札所、いつもと違うね、なんで?。」
「本尊のお前立ちが出来たから、お披露目中です。」
「へー、えー、ひょっとして、あのお不動さん?。
そりゃ、急がなきゃ、ダッシュ。
うっ、きつー。」
「ふふ、そんなに急いで上がらなくても、お不動さんは、逃げませんよ、ふふ。」
「・・・・・・・、・・・・・・・、いやー、こりゃー、すげー。
梵字が3Dですよ、3D。」
「お不動さん、どこから袖通してます。ふふ。」
「はは、かっこいいー。」
「ふふ、お大師さんって、すごい、すごい美意識ですね、すごい。
圧巻です、ふー。」
「ご本尊が拝めないのが残念だね。」
「このお不動さん、帰国の時、お大師さんを助けたんでしょ。
霊験あらたかなんだ。」
「・・・・・・、いえ、助けたのは、入唐の時です。」
「はー、帰国の時じゃないの?。」

御影(おみえ、おすがた)の中でひときわ異彩を放っていたのが、
南国土佐の36番青龍寺のご本尊。
その名も「波切不動明王」です。
体に、不動明王の梵字?がまとわりついています。
すごいデザインです、すごくかっこいいです。
平面の絵で書けば、簡単なんですが、
立体のご本尊にどうやって、3D梵字?が、絵かかれているのか、ずーと見てみたかったです。
偶然にも 念願かないました、が、ご本尊は秘仏?なので、お前立ちといわれる、仮のご本尊を拝みました。
本堂の中で、ゆっくりと鑑賞会でして。
す、すごいです、梵字?が不動明王の体にまとわりついています、
体に書いてあるのではなく、立体的にまとわりついています。
うーん、すごい。立体で見たら、すごいかったです。
ちなみに、向かって右手に、愛染明王が居ました。
真っ赤な顔して、これまたカッコよかったです。
そして、 尊いものを、拝がまさせてもらいましたと本堂を後に、長い長い階段を下りたのでした。

○本尊の服?

不動明王の種子「カンマン」が、体にまとわりついている感じです。
3Dカンマンでしょうか?。

○お前立ちの完成

2010年?4月に完成披露がありましたので、そのとき偶然にもお遍路中だったので、
おがまさせてもらいました。
毎年、4月に、お前立ちがご開帳だったとことです。

○本尊は石

お大師さんが刻んだこ本尊は、石で出来ているそうです。
不動明王を中心にして、三尊形式(3人グループ)で構成され、
脇には、向かって右に、矜羯羅童子(こんがらどうじ)、向かって左に、制吒迦童子(せいたかどうじ)

○木造愛染明王坐像(高知県関係のwebより)

国重要文化財(彫刻)

像高113.5cm。頭上に五鈷をあしらった獅子冠をつけ、焔髪(逆立った髪)、三目六臂の忿怒の相につくり、右足を上にして結跏趺坐する。
ヒノキの寄木造、玉眼の彩色像で、肉身は朱、裳は蓮華唐草を主とする盛上彩色。
肉身部は豊満な肉付けがなされ、六臂の整った力強い佳作で、土佐愛染明王像のなかで優秀作と評されている。(鎌倉時代の作)


○波切不動明王(web等より)

この札所の縁起に、「独鈷杵」のことが出てくるときに、帰国というキーワードがあるので、てっきりお不動さんのことも、帰国時だとおもっていたら、入唐時のことだったんですね。
このお不動さんを調べている課程で、帰国時のお不動さんのこともありましたので、ここに載せておきます。

・入唐(第36番 独鈷山 伊舎那院 青龍寺)

秘仏

空海が、唐へ渡っていると、
嵐に遭って、遭難しかかったときに、船の上に不動明王が忽然と現れ、
手にした宝剣で荒れ狂う波を切り開き、船を救い無事、入唐となりました。
帰国後、空海がその姿を刻んだものです。

・帰国(高野山真言宗 別格本山 南院) 「http://www.sea.sannet.ne.jp/namikiri-nanin/intro.html」

秘仏、ご開帳は一年に1回、6月28日(お不動さんの縁日)

空海が、唐からの帰国途中で、嵐に遭遇。
船が難破しかかった時に、恵果阿闍梨から授けられた霊木に、
空海が一刀三礼で不動明王を彫り上げ、波がしずまる事を祈願し波の中に投げ入れた。
その時に、不動明王の右手に持った利剣が、押し寄せる波を切り裂き、波はおさめたので、
嵐をの中を切り抜け、無事に日本に帰えることができました。

もう一つの伝説

時は鎌倉、元寇襲来のとき、日本は元軍の本土侵略の波風に立たされていました
高野山の僧たち一向は、浪切不動明王を連れて博多に向かいました
僧たちは浪切不動を据え、特殊な祈祷を行いました
すると、高野山の丹生明神(丹生都比売神社にあったよね)など四社の明神が
たちます大ガラスの化身に代わり
その羽で神風を起こして元軍を海の藻屑にせしめたのです


○縁起

「霊場hpより」

 弘法大師が唐に渡り、長安の青龍寺で密教を学び、恵果和尚から真言の秘法を授かって真言第八祖となられ、帰朝したのは大同元年(806)であった。縁起では、大師はその恩に報いるため日本に寺院を建立しようと、東の空に向かって独鈷杵を投げ、有縁の勝地が選ばれるようにと祈願した。独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去った。

帰朝後、大師がこの地で巡教の旅をしているときに、独鈷杵はいまの奥の院の山の老松にあると感得して、ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上した。大師は弘仁6年、この地に堂宇を建て、石造の不動明王像を安置し、寺名を恩師に因み青龍寺、山号は遙か異国の地から放った「独鈷」を名のっている。
明治のころまで土佐7大寺といわれ、末寺四ヶ寺、脇坊六坊をもつ名刹であった。
また、本尊の波切不動明王像は大師が入唐のさい、暴風雨を鎮めるために現れたと伝えられ、いまも航海の安全や豊漁、世間の荒波をも鎮めてくれると、深く信仰されている。

「四国遍路日記」澄禅より

 青龍寺、本堂東向本尊不動明王也。鎮守は白山権現也。大師此山を開玉ひて震旦の青龍寺の地景に似たりとて則青龍寺と号す。
此山に数多の号在り、獨鈷山伊遮那院如意山光明法寺道場院摩留山赤木寺龍宝院なり。
 先独鈷山と云は寺の後に堂より丑寅方に独鈷嶽とて在、誠に独鈷杵に似たり。頂上に不動堂在りしか先年野火の余?に焼失したり。
然を本堂再興の時太守より小倉庄助方に被仰付、不動の石像を六尺斗に造て同石堂を九尺四方に立て其内に安置せり。
此堂の前より見は南は海上数万里を目の下に見、東は浦戸五臺山高智山西寺東寺室戸の崎、西は足摺下の御崎き只一目に見也。
 又赤木寺と云は昔此浦に何方より来とも不知流木在。大師此木を取て御らんするに赤栴檀也。
此木にて不動の像を刻て安置し玉ふ故赤木寺と云。其余の号とも由緒在とも略之。
 又寺内に御作の場とて泉水在り、又唐土より来朝在し竹とて笛竹程なる一村の竹在り。
住持は栄長法印迚六十余り老僧也。関東にて新義の学問せられて初瀬辺にも住山したる也。
今日は日暮ぬ明日とて頻に留らる故此寺に一宿す。

「四国遍礼霊場記」寂本より

 此山イウソツとして前ひらけ、後は絶溟、左は蒼海、右は重山。大師もろこしにて投玉ふ独股杵此山に留りあるが故に、独股山といふとなん。
地境唐の青龍寺に似たりとて、伽藍を立青龍寺と号すとかや。本尊不動は大師御作也。鎮守は白山権現也。
 寺中泉水あり、大師の作り玉ふといふ竜王の宮あり、旱天の時は此泉水鐘をひたすに忽ち雨ふるとなり。
堂より四町許西に奥院といふあり。九尺四方の石龕あり、不動の石像長六尺、大師の御作なり。