お気楽、お四国巡り お四国の仏様

法力で、虎は倒せなかった?。高岳親王の「逆修の塔」。


「えーと、どこにあるの?。
あれを見ないと話しが始まりませんよ。」
「そんなもの知りません、さっさと次の札所へ行きますよ。」
「・・・・・・・。この日のためにネタ仕込んできたのに、聞いてくれよー。」
「だからゴソゴソしてたの、もー、聞いてやるから、さっさ見てきて、次行くよ。」
「・・・・・・・。
あー、なんだよ、ここ?、ここにあったの?。
どれどれ、どれ、高岳親王の「逆修の塔」?はどこ?。
こ、これが、あの」
「マレーシアまで行って、虎に食べられちゃった人でしょ。」
「うわー、びっくりした。
なんだよ、居たの?。
あんたが知ってたら、話しは早いよ。
この人はだね、空海さんのお弟子さんで・・・・・・。」
「長くなりそうだ、無視、無視、無視。
ふー、戒壇巡りでもするかな、ふふ。」
「わかりました?。わかりました?。おーい。」

南国土佐の35番清瀧寺にある高岳親王の「逆修の塔」。
麓にある門柱に「平城天皇第三皇子真如法親王御遺蹟地」(左柱)とあり、
ずーと、真如(高岳親王)の「逆修の塔」が気になっていました。
「いらず(不入)の森」という立入禁止エリアにあると、
ガイドブック記載されていたから、奥深いところかと思ったら、
道路際にありました。
みためミニチュア御陵のような、鳥居?と垣根がありました。
そこに、五輪塔が鎮座?しています。

○目印

・看板?は、

「土佐市街へ4.3km」と「土佐市吹く越へ2.3km」という「四国の道」道標の左に、
「自然を愛し大切にしよう。」高知県道標の右に、「高知県史跡 高岳親王塔」石碑とあります。

・車遍路

車で境内へ曲がって入る左前方(右前方)のところにあります。

・歩き遍路

歩き遍路道から仁王門を抜け、舗装道路に出てきて、左手方向にありました。

○高岳親王の「逆修の塔」(高知県の解説より)

 四国霊場八十八ヶ所第三十五番札所の清瀧寺寺域内の西南に小丘があり、そこに仏門に入り、後に唐に渡り、さらにインドに向かう途中没せられた高岳親王逆修(生前に死後の冥福を祈る)の五輪塔がある。
石材は、花崗岩で高さ1.37m、形態的にも畿内的な色彩が強いもので南北朝時代末の遺品である。
この五輪塔の水輪には、その正面に逆二等辺三角形状の孔が穿(うが)たれ、納骨または納経された可能性がある。
 この五輪塔の周辺部は広く、それに数多くの室町時代の五輪塔・一石五輪塔・石仏(地蔵が多い)がみられる。
この清瀧山の一角の小丘は今日では不入山(いらずやま)になっているが、『南路志』には、御室(おむろ)と称されていたと記している。霊場形成の観点からも仏教考古学的調査を必要とする。

高岳親王塔(たかおかしんのうとう)

高知県指定 記念物 (史跡) 指定年月日 : 昭和28年 1月29日

○疑問なんだけど。

やっぱり空海はすごかったから、弟子になった?。

薬子の変で、高岳親王の父親である平城上皇を、空海が密教の修法で「怨敵調伏?」しているということは、親の敵じゃないの?。

○高岳親王(Web等より)

大同4年
(809年)
平城天皇(父)が譲位して嵯峨天皇が即位すると、皇太子に冊立。
弘仁元年
(810年)
薬子の変に伴い皇太子を廃され、空海の門に入り東寺に住した。
弘仁13年(822年) 四品に叙せられ名誉回復がなされるが、出家し真如と名乗った。
三論を道詮、法相を修円、密教を空海に学ぶ。
弘法大師の十大弟子の一人となり、高野山に親王院を開いた。
阿闍梨の位をうけ、また『胎蔵次第』を著した。
承和2年
(835年)
空海が入定すると、高弟のひとりとして遺骸の埋葬に立ち会っている。
斉衡2年
(855年)
地震により東大寺大仏の仏頭が落ちたとき、東大寺大仏司検校に任じられ修理を行う。
老年になり、入唐求法を志して朝廷に願い出る。
貞観3年
(861年)
中国、四国を巡歴し、親王の一行23人は、奈良より九州に入いる
貞観4年
(862年)
大宰府を出帆して、明州(現在の寧波)に到着する。
貞観6年
(864年)
長安に到着する。
在唐40年になる留学僧円載の手配により西明寺に迎えられる。
しかし、当時の唐は武宗の仏教弾圧政策(会昌の廃仏)の影響により仏教は衰退の極にあったことから、親王は長安で優れた師を得られなかった。
このため天竺行きを決意。
貞観7年
(865年)
67歳のとき、皇帝の勅許(留学僧円載の斡旋)を得て、従者3人とともに広州より海路で、天竺を目指し出発したが、その後の消息を絶った。
その後 元慶5年(881年)(15年後)

在唐の留学僧、中瓘(ちゅうかん)らの書状報告で、親王は羅越(らおす)国(マレーシアないしシンガポールあたり、マレー半島の南端)で入寂したと伝えられている。

・中瓘(ちゅうかん)報告 

「親王入竺の途中、流砂を渡らんと欲し、羅越国に於いて入寂し給へり」

・同行者(宗叡しゅうえい)報告

羅越国で虎に囲まれ、「わたしの身体は仏法の器である。だから害してはならない」と言って、錫杖を振り回したけれど、およばなかった。
または、釈迦の捨身飼虎(しゃしんしこ)伝説?。