お気楽、お四国巡り お四国の仏様

文殊菩薩のめん玉は、隕石?。31番竹林寺。

「やっと、やっと到着?。
あっ、仁王様。」
「・・・・・・、コケ?、カビ?、生えてませんか?。
筋肉隆々なのに、あばら骨?。
ゴ、ゴジラみたいな顔してません。」
「し、しつれいな、はは。」
「・・・・・・、えー、本堂はまだ?。
なんか、木が生い茂って情緒ありますが、湿気多くありません。」
「気持ち悪いな、えー、あれはなに?。」
「し、シカ、シカの石像?。
なんで、ここに、シカ。」
「ここのご本尊が文殊菩薩だからだよ。」
「はー、ひょっとして、文殊さんの使者?。」
「・・・・・・、ふー、使者かどうか、わかりません。
化身じゃないの?。」
「やっと本堂に着きましたけど、やっぱり、文殊さんは、見れないの?。」
「ふー、そんなんですよ、50年に一回です。」
「えー、えー、50年?、長すぎじゃない?。」
「私に、言われてもね。」
「見たいよね、見たいよね、ふふ。」
「だから、見れません。
あきらめない。」
「そのかわり、いいこと教えてあげる。
ここの文殊菩薩のめん玉は、隕石なんだよ。」
「えー、い、隕石、うわー、すごーい。なんで?。」
「ここの札所縁起読んでたら、文殊菩薩の生まれ変わり、
行基が星を落として?、ご本尊のめん玉にはめ込んだらしいよ。」
「えー、お大師さんじゃなくて、行基さん。
すごーい、すごーい、そんなこと言われたら、もっと見たくなちゃった、だめ?。」
「だめ、だめだったら、50年、お待ちください。」

南国土佐の31番竹林寺。
ここを開いた行基さんが文殊菩薩を彫ったときに、落ちてきた隕石を、めん玉につかったそうです。
だけど、このネタは、江戸時代の縁起にはありますが、現代のものにはありません、なんででしょうか。
確証が取れていない?、取れない?、迷信は載せられない?。

○ご本尊、ご開帳

平成26年に、寺則により50年に一度のご開帳。
春期 平成26年4月25日(金)~5月25日(日)
終期 平成26年10月25日(土)~11月25日(火)

春期に拝みました

情報収集不足で、乗っている獅子が江戸時代、秋期に当初から乗っていた平安時代の獅子とともに登場だそうです。
なんか、変なやり方ですね。
宝物館で平安時代の獅子をみましたが、両方とも真正面を向いていました。
大和の安倍文殊に比べたら、それぞれの配置が違っています、渡海文殊の位置関係はどこの経典にあるのかな。
ちなみに、パンフレットで、文殊菩薩を隠していましたが、すかしたらぼんやりとわかるのは愛嬌でしょうか。
本堂内のイベント?としては、結縁、利剣、お守り授与でした。
それは、そうと、両脇というか、文殊菩薩の厨子の右手に馬頭観音、左手に白衣観音がいました。

やっぱり,一緒のやつがお似合い。

31番竹林寺で,秋のご開帳。
朝9時ごろに行ったのに,いつもの駐車場が満杯,平日なのに,えー状態。
ま,拝観するきがないねと,おもっていたら,襖絵?,庭園?,夢窓 疎石?。
時間あるから,拝観でした。
うーん,全部合わせて1400円,?????,高くない?。
本尊の文殊菩薩さん,春の時の台座とちがって,昔からの台座に鎮座していました。
おー,バランスと言い,風合いと言い,あってます,あってます。
傍らの童子もあってます,ふむふむ。
文殊さんが右手にもっている利剣(レプリカ)を触れたのですが,ここは効果倍増?をねらって左手でさわってみました。
襖絵は,抽象画なので,意味わからす状態でした。
夢窓 疎石の庭園は,うーん,いまいちでした。
11日夜にあった、記念企画の「みうらじゅん×いとうせいこう見仏(けんぶつ)ライブ!」が見たかったな,はは。

写真?,そりゃ駄目でしょ。

文殊菩薩さんの前で,あれー,あれー,メモとりのおじさん,ねっしんだね。
だけど,長時間居座りすぎ?,邪魔なんだけどねとおもっていたら,
?????,えー,カメラ?。
そりゃ,ダメでしょ。
ずーと,メモ,写真,メモしていたから,お寺の人に発見される,そりゃ,目立つよね。
美術品としての写真かもしれませんが,日本の宗教からして,仏像を写し取ってるから,勧請みたいなもんですよ。
だから,魂の入っていない写真なので,もってても,あるいみ,まずくない?。


○縁起

・竹林寺(HPより)

当山は神亀元年(724)、聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願(ちょくがん)を奉じた行基(ぎょうき)により唐の五台山(ごだいさん)になぞらえ開創されました。
 開創の縁起には、時の帝・聖武天皇が文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の霊場として名高い大唐の五台山に登り、かの地で親しく文殊菩薩から教えを授かるという夢をご覧になりました。 そこで帝は、行基に日本国中よりかの大唐五台山に似た霊地を探し、伽藍(がらん)を建立するように命ぜられたのでした。
 かくして、土佐のこの地が選ばれ、行基自ら謹刻した文殊菩薩像を本尊とし当山は開創されたと伝えられています。

・「四国遍礼霊場記」寂本より

 当山は、聖武天皇霊夢の事ありて、行基ぼさつに勅して山中を検覧せしめ、神亀元年に堂舎を草創し、基公七日霊瑞を祈り給ふに、暁天一星几上に落、公是を収て赤栴檀を以て五髻ごけ文殊の像を作り、彼落星を像の眼精とす、五台山とは辰旦の清涼山なり、此に文殊ましまして、霊応やんごとなし、其山五峰聳出ぼさつの頂の五髻あるに象かたどるとなり。今此山も又五峰峙そばだち彼山に異ならず、故に五台山といふ。
 行基ぼさつは五台山の文殊の化身なり。南天竺の菩提、世に婆羅門僧正といふ。此人辰旦の五台の文殊神応いちじるき事を聞、本邦を出扁舟にのりて大唐に入、五台山にのぼる。
路にて一老翁にあふ。翁のいはく、文殊は今日本に生れて衆生を済度し玉ふといひ形ち隠る。これより提だい日本におもむけり。天平八年七月行基奏し玉ふに、われ聖僧をむかふべしと。聖武帝礼蔀・鴻矑・雅楽の三官僚に詔りして、難波津に向ふ。行基一百の沙門を率し、官僚とゝもに海浜に音楽をしらべ、伽陀をとなへて待所に、須臾に海上小舟泛び来り、菩提舟よりあがり、行基を見る。基公微笑す。提、基の手を取旧識のごとし。互に梵語をなし玉ふ。人しる事なし。又基公和歌を詠じ玉ふに

霊山の尺迦の御前に契りてし真如朽せず相みつるかな

とありしかば提和し玉ふに

伽毘羅衛にともにちぎりしかひありて文殊のみかほ相みつるかな

此等みな諸伝に載て人議する事なし。此山霊境なる事尤つゝしむに足ものなり。此山の五峰を東岱・南衛・西華・北恒・中嵩と称す。是は辰旦の五岳の名をとれり。
尚書の大伝にのせ、白虎通・風俗通等にくはしく其事を記せり。今の名つくる事はしらず。乾の方に三つの池あり、三解・三身・三宝等の配表ありときこゆ。
諸寺みな種々の配称を伝ふ、自宗の常談なり。延暦の末、賊兵のために此地侵掠せられ、荒涼する事久し、弘仁年中大師慨嘆して興継し玉ふ時に境内水とぼし。
大師一杵をもて加持し給へば精華ほとばしり出、是を独鈷水といふ。
 当寺荒廃幾回といふ事をしらず、堂宇定る事なし。今存するもの、本堂の左開山堂行基ぼさつの像有、池中弁財天祠、次、鎮守は山王権現拝殿あり。右に大師堂、前に拝所、次に三重の塔本尊大日、鐘楼、さし入に二王門を設く。門外に牛ご堂、行基御作の大威徳明王を安せり。本坊の持仏堂阿弥陀如来南無阿弥作。観音千手恵心の作、勢至春日作取あはせたりとおぼゆ。此寺にして什宝なんぞなからんや。往古数回の毀廃にあひ、近き比は寛永廿年正月元日の夜天火飛来りて屋棟につき、漸く本尊を出し奉る外一物を残さず。什具・典籍焼失す。州の太守迹を撫で感慨、堂社おほく復起せり。
 此山の足ふもとに吸江寺といへる禅区あり、夢想(夢窓)国師のひらける所也。即自作の肖像あり。此禅師例の泉石の賞癖、いつくも流風優絶ながら、此寺見る人一入ひとしほと覚ゆ。十景の名あり、定めて詩もあるべし。 

・出典不明(数年前にネット検索中に収集したものですが、元ネタが付記されていませんでした、たぶん南路志じゃないでしょうか?)

 夫当山ハ、文殊大士応現の霊区行基菩薩草創の勝壌也。
 昔聖武皇帝御夢に、大唐の五台山に至り文殊菩薩を拝し、三解脱の法門を受くと見玉ひ。
叡感斜ならす、則行基菩薩に詔して、御夢の事を告本朝に於て、震旦の五台山に似たる霊地あらハ彼山に擬らへ伽藍を建立すへし、と宣ふ時に、 行基奏曰、臣僧行化して遍く諸州を見るに、土州長岡郡に奇異の霊嶋あり、其形震旦の五台山に異ならす五峯高く聳へて、文殊の頂に五髻〔ごけ〕有に似、 三池深く湛て三解脱の法門を示すか如し。伝聞昔金輪際(より)一夜に湧出せり、故に此山地震動揺せすといへり、加之奇光霊瑞不可勝斗寔文殊大聖の浄土成へし、 願は此地に伽藍を建立し玉へと、天皇叡聞有て大に感嘆し既に行基に勅して神亀元甲子年伽藍を営興せしめ玉ふ。

○隕石を本尊の目玉に埋め込んだ

「四国遍礼霊場記」寂本の縁起より

ご本尊が文殊菩薩だから、星と関係がありそうです。

明け方に、星が落ちてきた。

本尊の眼につかった。

○文殊五尊像

 重要文化財、竹林寺の本尊で文殊菩薩と侍者最勝老人、同優填王、同須菩提、同善財童子である。文殊菩薩は樟材一木造、彫眼、彩色、像高約60.0センチメートル。 上半身裸形で右手に剣、左手に蓮華をもって古様な獅子座に結跏趺坐している。 侍者4躯はすべて台座までを共木で彫り出す樟材一木造、彩色像で像高、最勝老人87.3センチメートル、優填王85.1センチメートル、須菩提83.5センチメートル、善財童子82.5センチメートルの小像である。 各像ともにそれぞれ首をかしげ、横を向き、或は姿態に多少の動きを見せ、頭髪、着衣、腰紐など、素朴にその輪郭のみを表し細部を省略している。 しかし顔の表情は生々としてその老壮若の特徴をとらえている。鎌倉時代以降中国の宋朝様式と伝えられる文殊五尊(文殊院、西大寺等)は全身を覆う着衣で片足踏下げて獅子座に坐するが、 本像の形式は唐様式といわれて我が国唯一の古例を伝えたものとして、小像で素朴ながら貴重な遺品である。藤原後期作。

○日本三大文殊

大和の安倍文殊
丹後の切戸文殊
高知の竹林寺

参照 三人寄れば文殊の知恵じゃないの?、お大師さん。 へリンク