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「なむ だいし へんじょう こんごう」・・・・・。
「さてと、本堂の裏手に回って、ここでもおつとめね。」
「はー、はー、さっき「おつとめ」したじゃない?。
なんでもう一回なの?。」
「はは、ここのご本尊は、2人いるみたいよ。」
「いるみたい?。」
「札所の縁起に書いてあるし、
ほら、おつとめできるようになっているでしょ、ほら。」
「ほんとだ、ほんと、だけど本尊はみれないね、なんで。」
「だから、ご利益も二倍ってことかな、はは。」
「秘仏だから?。」
全国のお寺を巡って気がついたのが、
強烈におもしろい縁起があるところは、
ご本尊も強烈です。
そして、本尊が2体居るところが多いです。
四国の霊場でも、何カ所か居ました。
阿波の23番薬王寺にも居ます。
新旧そろったご本尊で、ご利益も2倍なんでしょうか。
○縁起
23番薬王寺hpより
文治四年(1188)の大火に際し、本尊「薬師如来」は、
当時奥之院泰仙寺のある玉厨子山へ自ら火難をさけて飛び去られ
毎夜光を放たれたとされその後伽藍の再興がなり入仏落慶の日に
玉厨子山より光を放って帰られ、厨子に入り新仏と向かい合って
鎮座なされ、その厨子は自然に扉を閉じて開くことなく、以来秘仏と
なったとされている。
その新仏と向かい合って座された仏は「後向き薬師」と称され、今もなお本堂の裏に扉がもうけられていて礼拝されている。
「四国遍礼霊場記」寂本より
此寺は、行基ぼさつ霊懿を見て開闢し。聖武天皇きこしめして、勅願の寺とし給ふと也。後我大師至り伽藍を修飾し制底を立。大師御年四十二に当て厄除の為に薬師如来の像を彫刻し、且は永世の与抜よばつに擬し、一堂を立安置し玉ふ、蓋今の本堂、同本尊是なり。日・月光、十二神羅列せり。天長年中淳和天皇勅願の所とし、田畝そこばく寄付し玉ふとなん。其後清和天皇御攘厄のために勅使をもて御剣を奉納し、錦の戸帳をかけ玉へり。
塔の本尊千手観音長三尺五寸、脇士二十八部衆、皆行基の御作なり。蓋これいにしへの本尊ときこゆ。本堂の右に鎮守白山権現社拝殿あり、大師御影堂・塔・鐘楼相ならぶ。左に護摩堂・住吉・愛宕・釈迦堂あり。前に楼門、外に二王門をかまふ。左右に寺家十余宇あり。其いにしへは梵宇雲に出といへども、回禄にあひて礎石のみ残れる所おほし。文治の比後鳥羽院御再興有。
此所より西の方六十余町を隔て当山の奥院あり。怪岩奇窟なり。大師御作の本尊ましませり。彼再興の時窟中より飛出、みづから新堂へ入せ玉へり。聞人驚きあやしまずといふ事なし。其窟を玉厨子山と号す。
行基御作の釈迦の像長五尺ばかりなるあり。往昔寺領も四五百石ありといひ伝ふ、今は高十五石、山林・竹木御免除となり。寛永十六年秋火災ありて、堂舎灰燼となり、漸本尊を出し奉る。州の太守光隆公慨然として堂宇を営起し輪奐たり。諸小宇はいまだ古に復する事あたはず。
○本尊が2体で、裏表状態。
四国八十八ケ所の札所が特異と言うわけじゃなくて、全国の神社仏閣でみられることです。
神仏習合の江戸時代は、神社の神像の裏には必ず仏様が鎮座していました。
それと、普通は、神像は南向きが普通で、仏像は必然に北向きになつてしまいます、 この表裏いったいの仏像の名残が、北向き○○じゃないかな。
阿波の10番切幡寺の観音様
阿波の23番薬王寺の薬師如来様 伊予の48番西林寺の観音様(うつろ向きのみ)
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