「お大師さんも、この下のうどん屋で、うどんをもらおうとしたわけじゃないんだね。」
「ちがうよ、布、布をもらおうとしたの、わかってる?。」
「はは、わかってますよ。」
「6日間、通い詰めて、7日目に布をもらったんでしょ。
お大師さんのお気に入りになっちゃったんだね。」
「・・・・・、ストーカーじゃあるまいし、ここの山で修行してたんだしょ。」
「お大師さんと娘さんは赤の他人だよ。
あんたみたいなエロおやじじゃあるまいし、お大師さんに失礼だよ、もー。」
「はは、ふー、ま、縁起みたら、「薬子の変」が出てくるから、まんざら他人じゃないよ。」
「えー、なに、それ?。」
「平城上皇と嵯峨天皇がケンカして、空海が・・・・・・。」
「長くなりそうだから、無視、無視。
そんな話し、お遍路に必要じゃないよ、もー。
お腹すいたから、うどんでも食べるかな、ふふ。」
「ふー、わかりました?。」
「わかった、わかった、さっさと次行くよ、もー。」
「それでね、南国土佐で、この続き話すから、期待しててね。」
「はー、まだ、続くの、いい加減にして。」阿波の9番切幡寺。
縁起をみたら、空海の人生を決めた方たちが登場しています。
うーん、だれがこの縁起を考えたんでしょうね。
ちなみに京都の清水寺は千手観音です。
○薬子の変(くすこのへん)「平城太上天皇の変」
平安時代初期、大同5年(810年)に、平城上皇と嵯峨天皇とが対立する。
嵯峨天皇側が鎮圧、平城上皇が出家、愛妾の藤原薬子(女官を束ねる尚侍(ないしのかみ))、藤原仲成(参議)らが処罰された。
関係人物
| 嵯峨天皇側 |
平城上皇 |
| 空海 |
高雄山寺で、鎮護国家のための大祈祷?(怨敵調伏?)を行った |
阿刀大足(空海の叔父さん) |
伊予親王(桓武天皇の息子)の侍講 |
| 坂上田村麻呂 |
清水寺を建立した人 |
伊予親王 |
伊予親王の変、大同2年(807年) |
| 藤原冬(ふゆ)嗣 |
藤原北家 |
高岳親王(真如) |
平城天皇の第三皇子、空海の弟子 |
| |
|
藤原仲成・薬子兄妹 |
伊予親王の変、薬子の変の張本人 |
○縁起より
古く、この山麓に機を織る乙女がいた。ここで修法していた弘法大師は、結願の7日目、綻びた僧衣を繕うために布切れを所望された。乙女は、織りかけていた布を惜しげもなく切って差し出した。大師は、この厚意にたいへん感動し、「何か望みはないか」と尋ねた。
乙女は、「父は都で薬子の変に関係して島流しとなり、母は身ごもっていたが、男の子が産まれればその子も咎(とが)を受ける。どうか女の子が産まれるようにと、清水の観音様に祈願し、やがてこの地に来て産まれたのが私です」といい、「亡き父母に代わり、観音様をつくってお祀りし、わたしも仏門に入って精進したい」と願いを告白した。
大師はつよく心を打たれ、さっそく千手観音像を彫造し、乙女を得度させて灌頂を授けた。乙女はたちまちのうちに即身成仏し、身体から七色の光を放ち千手観音菩薩に変身した。大師は、このことを時の嵯峨天皇に伝え、天皇の勅願により堂宇を建立して自ら彫った千手観音像を南向きに、また即身成仏した千手観音像を北向きに安置して本尊にしたと伝えられる。得度山、灌頂院、切幡寺それぞれの名称もこうした由縁による。麓には遍路宿があり、巡礼用具店などがならぶ門前町となっている。「女人即身成仏の寺」として知られ、七色の光を放つ善女に憧れる女性からの人気が高い。
○機織り娘(四国八十八ヵ所霊場「阿波の国霊場の昔話」より)
むかし、まだここに切幡寺が建っていなかったときのことです。山のふもとに機を織って一人で暮らしている娘がいました。
ある日、ボロボロの身なりのお坊さんが娘の家に立ち寄られ布をわけてほしいと言われたところ、娘は織っていた布を真中から惜しげもなく切って差し出しました。
お坊さんは感激して娘の願いを聞いたところ、娘は千手観世音の像を刻んで父母を始めとする祖先の霊を祀りたいと言いました。
娘の父は都で
藤原薬子の反に巻き込まれ無実なのに島流しにされ、母は身ごもっていたため男の子が生まれれば殺されるので清水の観音様に祈願し、そののち清水の観音様の夢告げによって母はこの地へ来て娘が生まれたのでした。
母は観音様のお蔭で娘が生まれたのだから観音様を祀らなければと口ぐせのように言い、やがて亡くなってしまいました。
娘は観音様を刻めたらそのあと仏門に入りたいと言ったので、お坊さんが代わって観音様を刻み、その娘が仏門に入る儀式をしたのです。
すると、儀式の途中で娘はその身から光をはなち千手観世音菩薩に姿を変えたのでした。
やさしい娘のげなげな願いをかなえたこのお坊さんは実は、お大師さまで、こののち千手観世音を本尊として切幡寺を建てられたのでした。
女性の信仰が厚いといわれる千手観世音は「はたきり観音さん」として今も親しまれています。