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「人は住めど、お店無いよ、みんなどこで買い物してるの?。」
「そりゃ、自転車とか車で、スーパーへ買い出しじゃない。
わたしみたいに土地勘なし、歩きだと、目に付かないだけじゃない。
遍路地図も、コアな領域しか表示していないからね、わからないだけだよ。」
「・・・・・・、慰めの言葉にもなっていませんけどね、はは。」
「あれれ、れれ、なんだなんだ、いきなり眼前に飛び込んできたコンクリート群。
目が迷いそうだけど、なんですかー。
えーと、この流れが、ここに来て、あの流れが、あそこへと、・・・・・。
考えても解らなーい、なんじゃこりゃ?。
迷路、ひょっとして要塞?。
もう、わからないから、いいよ。」
「普通に見たら、用水路じゃない、別に迷うことじゃないと思うけど?。」
「はは、ははー、何だったんだろうあれ?。
あれー、ここから見たら、メガネ橋?。」
土佐の34番種間寺から35番清瀧寺へ。
そこでかわった、農業用水路?を発見。
それは、川の中に変な壁?、変な橋、変な川底を見つけてしまいました。
なんでも、高知城下へ水路の起点になるところだったそうです。
昔は、人があふれて、かなり賑やかだったらしいけど、
今はその面影は、このメガネ橋ぐらいだそうです。
読みがなは「すずつき橋」かな?。
○涼月橋(解説より)
承応元年(1648)土佐藩主忠義公の執政野中兼山先生(春野神社祭神)により、新川川・新川町がつくられた。 当初これにかかる橋は木造であり、現在の橋の片側に残っている純石造橋は明治三十年頃(1897)の造りと言われ この碑は当時の橋名柱の一部である。その工法のすぐれた形からメガネ橋と呼ばれ広く親しまれた。
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