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「全然土の道がないけど、これでも歩き遍路みちなの。」
「そうなんじゃないの、はは。」
「なんだよ、土の道を期待していたのに、なんだよ、永遠とアスファルトかよ、もー。」
「あれれ、れ、なにあの標識、「鎌大師」?。」
「あー、お大師さんが草刈りしてるのかね、はは。」
「おっ、ミカン畑、さすがミカンの愛媛だね。」
「小学校の水道、蛇口ひねったらミカンがでてくるんだって?。」
「・・・・・・、それ都市伝説じゃないの、はは。」
「お遍路さん、おへんろさん、ここが、鎌大師ね」。
「うーん、おじいさんありがとう。」
だけど私達、ここ知らないんだよね、なんなの?。」
ごめんなさい、勉強不足のまま歩き遍路でした。
看板に導かれるままに、「鎌大師」へ。
境内を見回して、本堂で集会?していたので、それで終わりでした。
遍路後に手束妙絹(てづか
みょうけん)さんの
書籍(花へんろ一番札所から、お遍路でめぐりあった人びと、人生は路上にあり)を
手に入れて、そこで「鎌大師」を知ったのでした。
「芭蕉塚」があったけど、別件で調べたけど、 彼の書籍に四国へ渡った痕跡がなかったはずなんですけどね。
それと「一茶の道」もあったけど、ここに小林一茶が来たと言うことでしょうか。
○鎌大師(かまだいし)(ネットより収集)
弘法大師四国巡行のみぎり、草を刈りつつ泣く童子を見てわけを聞くと、
「疫病が流行し姉が死に弟も患っており、一族死滅するのではないかと心配で」と言う。
大師はこれを憐み童子の持っていた鎌で木片に自分の像を刻み、
これに祈願するようにと言い残し立ち去った。
童子がその言葉どおりにすると、病人は快癒し、地方の悪病も消滅した。
その仏像を本尊として堂を建て、「御自作鎌大師」と称したというのがその伝説であり、由来である。 |