五島邦治のホームページ                  平成27年2月13日

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京都の文化と歴史を考える、五島邦治のホームページです。

人類の財産として蓄積されてきた膨大な史料を読み、残されてきた多くのモノを見ることを通して京都の歴史とは何か、文化とは何かを考え、ひいては人間の生きてきた事実と、未来のあり方まで考えようと思います。

【往還塾案内】

京都を基盤に、歴史と文化を考える活動をしています。その基本は、まず古人が書いた史料を丹念に読み込むことです。自分の考えはまず措いて、史料そのものの意を汲みます。「学ぶ」ということの意味を追求します。

※「往還」は「都鄙往還」、つまり町と郊外のふたつの生活基盤をもち、往復しながら複眼の視点から歴史と文化を考える、という意味で名づけました。

 

主な活動

・古文書教室(現在、上賀茂神社社中日記・古文書を読んでいます。読むことが目的ではなく、古文書を通して社会と自分を見つめ直します)(現在は新規募集していません)。

・見学会(本物の発見をたいせつにします)

 

ネット往還塾講座

★☆【今日の史料】 ★☆【更新】 

毎回少しずつ文書・史料を紹介します。

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平安京から京都へ−その都市民の歴史−

●10日間で歩く「京都 都市民の歴史」

●上賀茂へ賀茂ん(カモン

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【京都から文化と生き方を考える】

目  次

1 京都とはどんな町か?

2 本来の観光とは何か?

3 一流を見る。

4 あえて実物にこだわる。

5 生きることと文化

 

 

 

 

 

 

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■五島邦治のプロフィル

■五島邦治の業績

■五島邦治の本

■活動記録と予定【更新】

桃林閑話【更新】

鄙から少し冷たい眼で見つめ直して

みます。

image008goshima@sky.plala.or.jp

【都の海人とは?】−能「融」のこと

世阿弥作の能「融(とおる)」は、嵯峨天皇の皇子で臣下に下った左大臣源融を主人公とした能です。彼は、京都六条の、鴨川の近くにあった河原院という大邸宅に、陸奥国の景勝地である塩竈浦の景観を模して園池を造営します。そして難波浦(なにわのうら)から毎日京都まで海水を運ばせ、塩を焼いてその煙を見て楽しんだといいます。火を焚いて海水を煮詰めて作る当時の製塩の風景は、「塩焼く煙」として和歌に数多く詠まれ、平安貴族の憧れでした。つまり融はそんな風流人だったということです。

能の「融」はその後日談で、東国の僧がはじめて京都に上ってこの河原院の跡地を訪れると、桶を天秤にして肩に担ったひとりの老人に出会います。あなたはここの人ですかと、僧が尋ねると、「この所の海人(あま)にて候」と答えます。僧が驚いて、ここは都で海辺でもないのに誤ったことを言う、と問い質すと、老人は、河原院の先の融の話をして、ここは塩釜の浦だから海人がいるのも当たり前だ、と答えるのです。そして、僧ははじめて都に来たのだから案内をしよう、といって袖を引き、月が昇りはじめた河原院から四方の名所の数々を教えるのです。そうこうしているうちにすっかり月が昇り、老人は自分が塩を汲みに来たのを思い出し、僧に一礼をして池の水を汲むかと見えて、そのまま消えてしまいます。実は、老人は融の亡霊だったのです。その後、僧が融を弔うとやがて融の亡霊が出現し、月光の下で軽快で優美な舞を舞います。

 私は、文化や美意識を共感できる人と対話し、京都の道案内、歴史案内をしたいと考えています。そんなわたしの立場と、能「融」の海人(実は融の亡霊)による河原院からの四方の名所教えのイメージを重ね合わせて、このホームページを「都の海人」と名づけました。