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■都の海人(みやこのあまびと)■

平安時代前期、嵯峨天皇の皇子で源融〈トオル〉という人物がいました。皇族から臣下に下った人で左大臣にまでなった人です。政治的にも文化的にも平安前期を代表する貴族で、『源氏物語』の光源氏のモデルのひとりと考えられています。

融は現在の京都市下京区の五条通河原町西南付近に四町分を占める大邸宅を築きました。有名な「河原院〈カワラノイン〉」です。ここからは伝説も交えますが、彼はここに日本一の名勝地だという陸奥の塩釜の浦の景色を写して庭園を造ります。そして難波の浦(大阪湾)から海水を運ばせて塩を焼かせ、その煙を見て楽しみました。「塩を焼く」というのは、浜辺で海水を煮詰めて製塩することですが、和歌の雅語になっていて「藻塩焚く」とか「海女の塩焼く煙」として、そのとき立ち昇る煙が頻繁に詠まれます。この和歌の世界を実現するために、融は海のない京都まで海水を運ばせて、塩焼く煙の風情を楽しむ、という実利面からはまったく無駄としか見えないような営みをします。遙か遠国の風景を自邸に移すことといい、塩焼く煙を楽しむことといい、このスケールの大きさが、融の豪勢な風流の遊びの根幹になっているのですが、またそれは文化というもののひとつの本質を捉えているようにみえます。

この能「融」は、私の好きな能のひとつで、老人と僧侶の風流心が和合するところがすてきです。あまりにも僧を案内するのに熱中しすぎた老人は、汐を汲むのを忘れたといって、海水を汲みに戻り、桶の水に浮かんだ月を眺め居ると見るや、そのまま消えてしまいます。実は融の化身だったのですね。そんなわけで、後半は、多くの能がそうであるように、融の亡霊が出現して、月下に遊舞の袖を返します。

少し前置きが長くなりましたが、この風流の精神と、その価値を分かち合える人との交流、そういったものを歴史学者としてのわたしも(いまはたまたま歴史学者ですが、他のどんな職業家であったとしても)、心根のどこかにもっていたいと思っています。それは、生きるうえでの価値というのか、歴史学者の前提である人間として基礎をつくっていたり、歴史研究を生み出す原動力にも実はなっていたりするものだと思うのです。

 

 

 

  目   次

 

 

1 京都はテーマパークでよいのか?

2 「京都」とはいったい何なのか?

3 継承されなかった文化

4 醍醐味は苦味の向こうにある。

5 教育の果たす役割

 

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