2

京都の歴史を通史で話したい。     2018322

 大学の講座では、前期15回、後期15回で「京都の歴史」なるものを教えているのだが、社会人向けの一般的な講座では一回ずつの自分の得意なテーマでしか話さない。もちろんそんな機会もないのであるが、一定の濃度で人に興味を与えつづけるような内容の講座を連続で話すのはそう簡単ではない。

 いっぽうで、一般向けのセミナーで、「京都の文化」のような連続講座を、講師を替えてその道の専門家にオムニパスで話してもらう、という企画はけっこう見受けられる。たしかに個々の講座でいろんなことが知られて楽しいのであるが、どうしてもばらばらになってしまう。でははたして連続講座全体として「京都の文化」とはいったい何か、という問題にはいっこうに答えていない。たとえば西陣織はすばらしい、京料理もおいしい、京町家は京都人の生活とマッチしている、といったような、個々の事象がすばらしいという、そのテーマの事柄で終わってしまうからである。それはある意味やむをえないことで、多くの講師を使わなければならない、というのは、とくに公的な組織が企画する講座では機会の公平性からいっても仕方がないということであろう。

 しかしそれでも一般講座でも、ひとりの人に連続して京都の通史を話してもらうことの必要性を、私は考えている。京都の歴史を連続して、つまりひとつの講座から次の講座へとどのように受け渡され、さらに次の講座へとどのように展開して、最後にどのように現在に結びつくのかがわからないからである。そうでないと本当の意味で「京都の文化」とか「京都の歴史」という連続講座にはならないと思う。

 先日、私は京都ロームシアターで「つたがく」という講座で、「京都で学ぶ京都の歴史」の第一弾として、「平安京のはじまり」として4回連続の講座を試みることになった。平安京遷都からはじまる平安時代当初の問題を、都市構造、住人、住居、信仰、の4回に分けてお話しさせていただいた。今回はまだ試行であって改良も加えたいのであるが、できればこの後、平安後期の王朝文化、室町時代の都市民の成熟、京都文化の成立、近代の京都、といったように、長期的には4回ぐらいずつの連続講座を、5シリーズぐらいでつづけることができないか、と考えている。それは私の力も試されていることに他ならないが、全体としての私なりの筋の通った京都の歴史でありたいと、これはもうわたしの望みでしかない。

 

『書経』武成に、「馬を崋山の陽に帰し、牛を桃林の野に放つ」という言葉があります。周の武帝が戦を収めて軍馬や徴用した牛を戻した、という意味で、平和の象徴とされます。それに因んで、我が家の庭にも桃の木を植えました。


TOPページ に戻る◎