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1 京都とはどんな町か?

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 わたしは、毎年、京都の歴史に関わる授業の最初に、京都に対する固定観念を取り払ってもらうために、あえて強調する京都の話がいくつかあります。そのひとつが「京都の人は古いものをたいせつにしない」ということです。あえて少し極端なものの言い方をしますが、これは基本的に事実です。

 京都は150年ほど前までは、ずっと日本の首都でありつづけていました。政治的には江戸や鎌倉が一時的に中心になったこともありますが、それでも天皇は桓武天皇の平安京遷都以来、1000年以上もここに住みつづけ、政治的にも文化的にも日本のリーダー的な役割を果たしてきました。そうした時代の最先端を自負してきたはずの町が過去の古いままであり得るはずがありません。常に新しいものを作ってきたのは当たり前のことで、それはいまの首都である東京がそうであるのと同じです。

 たとえば、道路に面して軒が並び、格子戸と家の戸口が交互に並んでつづく典型的な京都の町屋の景観はいつごろできたでしょうか。現存している町屋の古いものはひとつひとつとしては江戸時代後期までさかのぼるものもありますが、景観としては昭和の前期までさかのぼれればよいほうでしょう。そもそも平安京遷都の当初は、道路は築地塀で囲まれていましたから、家の軒が直接道路に面することはありませんでした。現在の郊外型の住宅のように、塀に囲まれた敷地の中に住宅が建っていて、まず門を開けて敷地に入ってから人の住む家屋に至ることになります。現在の道路に面した町屋形式の建物が下京に出現するのは、平安時代も後期になってからだと思います。しかしそれも板葺きの簡単な造りでした。瓦葺きになるのは、江戸時代になってからですが、その景観がどれだけ現在のそれにつづいているかは、はなはだ心許ない限りです。町屋建築でさえ、京都の人が生活の知恵から、長い時間をかけてつくりあげてできあがったものであることを忘れてはいけません。京都の町屋が古いように見えるのは、長い伝統の継続のうえにあることと、京都が太平洋戦争の戦火をそれほど受けずに、比較的古い状態のまま生活習慣とともに戦後も保存されてきたことによるものです。

 現在もその町屋の変化はつづいています。そもそも町屋建築そのもののが減って、次々とマンションや駐車場に変わっています。町屋の変質、それはいままでがそうであったように、とりまく社会と生活が変わったのですから、変わらざるを得ないのです。代表的なのは台所です。まさか土間に薪を焚く「おくどさん」(竈)のままで日常の食事を調理するわけにはいかないでしょう。水道はともかく、ガスや電気も通っているわけですから、ガスコンロや電気炊飯器、冷蔵庫は必需品どころか、すでに町屋が文化財として認識されたときには導入されていました。夏は部屋を模様替えして、畳の上に籐むしろを敷き、襖をはずして籐を立て、簾を懸けるという習慣も、風が通っていたからできたことで、これだけビルが建て込んでしまえば風も通りませんから、やはりクーラーになるでしょう。それと大きい問題は自動車をどうするかです。現代では家庭的にも仕事としても、車は必需品ですから、家の前の格子戸をはずして駐車スペースをつくることもやむをえないかもしれません。

 町屋を古いままでそのまま保存することは、個々の建築としてはあるいは可能かもしれませんが、それは文化財としてです。多くの人々の生活空間としての町屋群をそのまま維持することは不可能でしょう。そんなことをすれば住民に大きな犠牲を強いることになるでしょう。町屋をカフェや酒房にするとか、お茶やお菓子、着物や和風小物などのお店にして残すという方法も試みられています。しかし、建物の主要部の畳をはずしてフロアーにして椅子や机を設置したり、商品ケースをならべることは、町屋の形式を残すための有効利用とはいえても、町屋そのものの機能の保存とはいえません。町屋の有効利用もひとつの方法だと思うのですが、少なくともそういう形でしか町屋は保存できない、というところまで現在は来ています。

 

 

京町屋

 京都の人は、古いものの隣に意外と平気で新しいものを造ります。京都の東山にある南禅寺は伽藍が整った禅宗の寺院ですが、その境内の山際に煉瓦造りの水道閣という施設があります。ローマの水道橋のようなものですが、明治に田辺朔郎が造った琵琶湖疎水に関連する施設で、現在でもこの上を水が流れています。瓦葺きの堂舎の横に煉瓦造りの建物があるのも京都らしい、という人もいますが、やっぱり異質感は否めません。できた当初はもっと際立ったものだったでしょう。京都御所の北隣、同志社大学の構内にもたくさんの明治の建築が建っています。現在でいうならお寺の横にマンションを建てるようなものでしょう。

 考えてみると、生活とともに建物が建て変わるのはある意味当然のことで、自然のことです。文化とは文化財を守ることだけではありません。たいせつなのは、何を残し何を捨てるのかということで、そのためには過去のものを壊さなければならないこともあります。そしてその選択はそれぞれの人間の感性に依存しています。つまりそうした豊かな感性をいかにして養成していくのか、しかも望むらくは、ある程度地域的に共感できる統一感をもたらされるような感性はどのようにしたら育つのか。感性とかセンスとかいうと、きわめて頼りない、はかないようなものですが、実はそのことこそが、将来の街づくりや景観にとってもっとも根幹に関わる要素だと思います。

 

 

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