アルバム製作編
この作品は、1966年11月にマル・エヴァンスと一緒にアフリカでの休暇を過ごした帰りの飛行機の中でポールが思い付いたアイデアから生まれた。当時すでに公私共に自由を奪われていた彼等の中にはその状況から脱出したいという願望ともいえる欲求が存在していたという。特にポールには音楽面からのアイデンティティーの脱皮・解放の念が強かった。彼はビートルズの「分身」という構想を考え、それがサージェント・ペパーズ・バンドとして具現化される事になる。サージェント・ペパーの名前のそもそもの元は、その飛行機でとった機内食についていた塩とコショウ(ソルト&ペッバー)の袋から発展した。ロンドンに戻ってメンバー全員でアルバム構想を練り始め、衣装やジャケットの方向性が決まる。次々と飛び出すアイデアから最終的に彼等の人生に影響を与えた人物たちを集めたジャケットを創る事になったのだが、これが思わぬ騒動を造る結果となる。
まず肖像権の問題が浮上する。快く承諾してくれる人物も多い中、高額の権料を求める者もいたりして作業は難航する。結局彼等はジャケットの制作を英国の大手美術ディーラーのロバート・フレイザーを窓口にアーティストのピーター・ブレイクに任せる事にした。彼は妻でアヴァンギャルドアーティストのジャン・ハウォースと共に作業をすすめる。ジャケットは見開きにして何か付加価値のある物を封入したいというポールの強い希望により紆余曲折の結果、初版プレスにのみサージェント・ペパーズ・カット・アウトという切り抜きできるオマケがついた。また、当初見開き部分に使うための絵をオランダのアーティスト集団「フール」に依頼したが、没になりその作品の一部がレコードを入れる袋に使われた。こうした前代未聞のジャケット制作は当然ながら超高額の支出を生み出し、EMIレコードとの交渉で騒動が起きる結果になってしまう。しかし、このジャケットは後にポピュラー・カルチャーの「イコン」となった結果を考えればその価値は十二分にあったといえる。蛇足になるが、このジャケットに登場させる為に用意されたもののカットされた人物にはマハトマ・ガンジー(インドとの政治的な問題が懸念されたため)、アドルフ・ヒットラー(反発を招くため/これはジョンが選んだとすぐにわかる)、俳優のレオ・ゴーシー(肖像権以外の権料請求したため)の3名と、実際はビートルズのメンバーや人形の影になって映っていない人物達もいる。
人物にポインターを合わせると名前が表示されます。
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花壇に並べられた人形などの様々な物はすべてビートルズのメンバーが自宅から持ち寄った品々である。また、ドラムの両サイドにはマリファナの木が植えてあり、この作品がドラッグに何らかの恩恵を被っている事を示している。   アナログ盤ジャケットの裏面にある4人の写真では、ポールだけが後ろ向きになっているためポール死亡説の格好の餌食にされたが、通説ではこのフォト・セッション時にポールが私用で渡米していたためマル・エヴァンスがポールの代わりをしているという事でおちついている。ポール本人はマルは自分よりもはるかに大柄なんだからこの衣装を着れるはずがあったと思う?と一笑にふしている。何はともあれ、いまだに話題には事欠かない素晴らしい仕事であった事実には変わりない。
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