ラサ・デ・セラが逝ってしまった。37歳という短い人生を駆け抜けて。彼女の遺してくれた3枚のアルバム。どれもが素晴らしい作品に満ちている。彼女はNY州ビッグ・インディアンにユダヤ系アメリカ人の母とメキシコ人の父の間に生まれ、子どもの頃はスクールバスを家代わりにアーティストの両親の仕事に合わせてカリフォルニア州からメキシコの間を行き来する生活を送る。 普通の子ども達とは違いテレビやゲーム等とは無縁で、その境遇が彼女に自分だけの世界を確立させたのかも知れない。 その後、音楽活動の拠点となるカナダに移住する。言語も英語・フランス語・スペイン語など多岐にわたるプロナウンスを持ち、彼女の作品にもそれが反映されている。 音楽スタイルはまさにワールドワイドで、当然ながらメキシカン・ミュージックが根底にある。'97年のデビュー・アルバムが思いがけないヒットを記録したにも関わらず、5年間のフランス逃避行を決断するわけだが、その間に培われたであろうヨーロッパの香りが感じられるセカンド・アルバム「リビング・ロード」はまさに珠玉の1枚。 どの曲にも深く静かな、しかしとても熱い魂を感じる。BBCワールド・ミュージック・アワードを獲得したこのアルバムのスペイン語とフランス語の歌詞には英訳が付いている。彼女の作品に対する想いが伝わる様だ。 |
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La Llorona (1997) |
The Living Road (2004) |
LHASA (2009) |
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「リビング・ロード」のビッグ・セールの後、世界各国へのツアーやテレビ出演等を精力的にこなし順風満帆の中、2008年に入って乳がんが見つかる。医学的な努力の範囲外と宣告された彼女は現実と向かい合って新たなアルバムの製作を続ける。 それにより生み出されたセルフ・タイトル「LHASA」は残念ながら遺作となってしまったが、何とも言えない味わいがある。 明るい作品が少ないのは無理もない事だ。しかし、闘病を続けながら情熱を持って挑んだそれぞれの曲には病気のためかやや低くなったその声が逆に聴く者に安心感を与えてくれる。 |
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それは彼女が自らの「死」と面と向かい事実を受け入れる覚悟がもたらす崇高さに尽きる。しかし、それでも隠しきれない「不安」の思いが加味されることで漂う哀しさが、皮肉にも美しく響く。 収録曲「I'm Going In」にはそんな彼女の本音がそのまま歌われている。 "人生が終わりを迎えるその時、わたしの死が始まる。行きたくなんかないけれど、いずれその時がくる事を私は知っている・・・・・"。 ピアノをバックに切々と歌い上げるこの曲を聴くたびに、もう二度とラサの歌声が聴けないと思うと この3枚のアルバムの存在が一層愛おしくなる。Farewell LHASA。 |
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