Jan. 9, 2009

先日、生まれ故郷の佐久から友達を家に呼んだ。一泊する事にしていたので夜は二人で呑み明かした。そいつと俺とは小学校の3年間と中学の3年間の付き合いだ。中学3年の12月に家庭の事情でこちらに越してからはそれぞれが自分の路を歩んだ。今から15年近く前に地元の同級会で再会し、その後7,8回そこで逢った。仕事や遊びで群馬にたまには来るんだよと言っていたので、名刺を渡していつでも来いと言っておいた。
しかし、そのまま長い時間が過ぎていったのだが、今年の同級会でしばらく振りに会って再びその話が持ち上がった。「お前、何で連絡くれなかったのか」と訊いたら、そこで判った事が何とまぁ可笑しくも有り寂しくもあった。それは、お互いに言っていた事が社交辞令だと誤解されていたという落ちだった。
俺はそんなお座なりな人間じゃないし、そいつも同様ちゃんとした大人だ。つまるところ、二人とも世間一般の価値観に与していた結果だったんだなぁ、これが。
「本当に行ってもいいのか?」・「当たり前だのクラッカー、いつでも来い」で実現した訳でありました。いゃー、旧友というものはいいものだなぁ、と今回はつくづく思った。そりゃ、同級会で何度も一緒に呑んだけど、それとは全く違う楽しさがある。
互いが気を遣わなくても楽しくいられる関係って最近少なくなりつつある様な気がするね。近くに来たら是非寄ってください、という挨拶を真に受けて嫌な思いをする人や、逆に本当に来られて気まずい思いになる人などの話はたまに聞くけど、要するに人々が本音を言えない社会がそんな可笑しな状況をつくり出すんだよ。それともみんなが体裁を繕っているせいなのかも。俺は性格的に間違っている事に同調出来ない。たとえそれが時代の趨勢であろうとなかろうと、民主主義という名を借りた数の論理に圧倒されていようと、自己主張は大切なアクションだと信じてる。みんな他の人と同じ事をして世の流れに乗る事で安心しているんだろうけど、そりゃ間違ってるんじゃないのかね。
むしろマイノリティーになって自分の信念を貫く努力ができれば世の中もっと楽しくなると思うよ。お前は変わった人間だと言われる事が多い俺としては、反対に個性がいじめの対象になったり排斥の原因になってしまう社会の方が寂しいと思うぜ。
How Do You Think About That ? ? ? ? ?

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