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毎年、この時期には猛烈な暑さに悩まされるだけではなく「心」までもがやり場の無い不快感に苛まれる。それは「終戦記念日」にまつわるあの諸々の問題だ。広島・長崎の原爆被害者に対する慰霊、国を護る為に命を捧げた戦没者に対する慰霊。戦争の犠牲になられた先人たちに対して真っさらな「心」で手を合わせる。人間として当然の行為だ。いつ、どこで、誰に対してその行為を行おうと個人の問題であり、他人が判断するべきものなどではない。ましては国家が強制するものでもない。
にも関わらず、相変わらず騒ぎになる「靖国」問題。これって一体どういう事なんだろう? 戦犯とされた人々が一緒にいるからどうしたとか、英霊に対して敬意をはらうべきだとか、近隣諸国への配慮だとかワケの解らない世論が互いに論争を繰り広げる。
自分の中ではこれらの問題をあくまで政治的に利用しようという不純な動機を隠し持つ一部の権力を有する団体の悪あがきとしか見えてこない。さしずめ現代の「踏み絵」と言ったところだろうか。
鬼籍に入られた方々は決して争いは望まないだろう。野心多き者たちがその尊い魂を利用している姿を社会は冷静に見極めなければいけない。
事のほかマスコミのこの問題に対する異常なまでのこだわりには辟易する。テレビに映し出される燕尾服姿の国会議員たち。之見よがしのその立ち居振る舞いには滑稽ささえ感じる。もちろん、参拝される事に異議をとなえるつもりは毛頭ない。無心から行動しているならば、その「心」と信念は素晴らしいと思う。だからと言って、参拝しない人々を批判するのは筋違いだ。靖国神社に行けない人々も、どこかで閑かに手を合わせているはずなのだから。
残念ながら日本は「見た目」が第一に尊重される空気に覆われている。だからこそ集団参拝という不可思議な行動が繰り返されているのかも知れない。いかにメディアが社会を煽動しようとしているかを知れば驚くだろう。あまたの邪悪な存在を根深く探れば、最後には一つの根っこから派生しているはずだ。マスコミやメディアがそれを知らずに彼等の利益誘導の片棒を担いでいるとも思えない。「心」があれば「形」などどうでもいいと思う。くれぐれもブレインウォッシュされることのない様に願うのみだ。
8月15日という日は俺にとっては、一生手を合わせ続けなければならない日でもある。それは奇しくも親父の命日だからだ。慰霊は閑かに行われるべき行為だと思っている。
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